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戦姫メイド  作者: 白彩
近づく足音
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15/39

第三話:街の噂

服の仕上がりを待つ十日間の、四日目の朝だった。かまどの火は、今日もノエル様が起こした。六時二分。所要時間は、昨日より五秒速かったが、言わないことも手順である。


「今日は街に出るぞ、シエル」


朝食の席で、ノエル様が言った。手元には、領内の見回り表らしき紙があった。


「月に一度の、当主の巡回ってやつだ。実際は、ただの散歩なんだがな。……お前も来い。買い出しの用事もあるだろ」

「了解しました。……シュピは」

「あの子は、まだ街は早い。屋敷で留守番だ。……その代わりと言っちゃなんだが、今日から、あれを始める」


ノエル様は、書類の隙間から別の紙を引き出した。見覚えのある字で、簡単な予定表が書かれている。


『訓練。午後三時。中庭』

「……魔法の、訓練ですか」

「ああ。俺と、あの子とで。……シエルは、見ていてくれ。見ているだけでいい」

「見ているだけ、ですか」

「見ているだけ、だ。……たぶん、お前が一番、見るべきものを見られる」


言い方が、少しだけ曖昧だった。深追いはしなかった。



 街に出たのは、昼前だった。祭りの名残は、街路からほぼ消えていた。広場の飾りは外され、出店の跡にはいつもの露店が戻っている。ただ、石畳の所々に、祭りの灯りの油染みが残っていた。雨で薄まって、あと数日もすれば消えるだろう。


「まずは雑貨屋だ。石鹸と、灯りの油と、あと……なんだったかな」

「針と糸です。仕立ての補修用に」

「それだ。お前がいると助かる」


雑貨屋の店先で、私は品定めをした。石鹸は二種類。台所用と、洗濯用。店主のおばさんは、私の顔を見るなり、にっと笑った。


「あら、メイドのお嬢ちゃん。今日はお出かけかい」

「はい。買い出しです」

「そうかい。……ふうん、銀色ってのは、本当に銀色なんだねえ」


おばさんは、私の髪を見て、感心したように言った。よくある反応だ。銀髪は珍しい。珍しいものは、見られる。いつものことだ。


「ええと、石鹸はこれとこれ。……あとは、針と糸を」

「毎度。……あ、そうそう。お嬢ちゃん、気をつけなよ」

「……何を、ですか」

「ん? いやね」


おばさんは、包みを差し出しながら、声を少し落とした。


「最近、街でちょっとした噂があってね。夜に、見知らぬ男がウロついてるとか、旅人が妙に物知りだとか。……あんたみたいに目立つ子は、特にさ。気をつけな」

「……承知しました」


包みを受け取った。噂。見知らぬ男。物知りな旅人。具体性のない話だった。具体性がない話は、検証のしようがない。検証できない話は、警戒の棚に置く。棚の名前は、「要警戒・出所不明」だ。


店を出ると、ノエル様が隣に並んだ。


「なんか言われたか」

「噂の話です。夜の見知らぬ男と、物知りな旅人」

「……へぇ」


ノエル様は、短く応えた。応え方が、いつもより短かった。顔を見た。いつもの顔だった。でも、視線が一瞬だけ、通りの両端を撫でた。確認の動きだ。それ以上、何も言わなかった。ノエル様も、何も言わなかった。言わないことが、二人の間で、ひとつ増えた。


八百屋で、果物を買った。蜜煮の試作用だ。


「おや、あんた」


覚えのある声がして、振り返った。露店の、蜜煮の老婆だった。祭りの日と同じ、しわだらけの笑顔で、こちらに手を振っている。


「あの時の。……作ってるかい、蜜煮」

「はい。七回目に入ります」

「七回!?あんた、気合入ってるねえ。……どう、うまくいってるかい?」


「上手くいっているかどうかは、基準によります。……店の味には、まだ届いていません。でも、届かなくていいと、あなたが言いました」

「言ったねえ。……ふふ、真面目な子だ」


老婆は、果物の袋を余分にひとつ、包みに入れてくれた。


「おまけだよ。……ねえ、あんた。蜜煮ってのはね、作るたびに、作った日のことが残るんだよ。あの日は雨だったとか、誰かと話したとか。……あんたの蜜煮にも、いつか、そういうのが乗るよ」

「作った日の、こと……」

「そう。味は、材料だけじゃできないのさ」


老婆はそう言って、次の客に向かった。私は包みを抱えて、少しの間、立っていた。蜜煮に、日のことが残る。第七回の試作には、今日という日が残るのか。残るとしたら、それは味のどこに出るのか。

出る場所は、分からない。今の話を聞いた後だと、今夜の試作が少しだけ楽しみになった。


「シエル。行くぞ」

「はい」


ノエル様の声に、歩き出した。歩きながら、街の気配を改めて読んだ。人の流れ。視線の数。いつもの街と、同じはずだった。同じはずなのに、視線の数だけが、いつもより、少し多い気がした。気がした、だけだ。数えていない。数えても、証明にはならない。



屋敷に戻ったのは、午後二時だった。買い出しの品を台所に運び込んでいると、通用口からトムが顔を出した。


「おかえりなさい、レイラさん。……あの、シュピくんが、ずっとソワソワしてますよ」

「ソワソワ」

「はい。三時のやつ、楽しみみたいで。……いや、楽しみっていうか、緊張っていうか」

「緊張」


離れに向かうと、案の定、少年はベッドの上で、落ち着かなさそうに座っていた。


「お姉ちゃん! ……あのさ、今日の三時からのやつ、僕、なんか用意した方がいい?」

「特に、ありません。……あ、水筒だけは用意してください。訓練後は、喉が渇きます」

「水筒ね。了解!」


少年は、慌てて部屋を漁り始めた。水筒は、枕の隣の棚に、ちゃんと置いてあった。漁る必要はなかった。漁っていたのは、水筒ではなく、落ち着きだったのかもしれない。



午後三時。中庭。ノエル様と、シュピと、私。私は、離れの軒下に、椅子を出して座った。見ているだけの位置だ。


「じゃ、始めるか。……シュピ。まず、基本からだ。生活魔法の、火。できるか」

「……うん。たぶん。……やるね」


シュピは、芝生の上に立って、指先を掲げた。目を閉じて、息を吸って。


指先に、火種が灯った。所要時間、四秒——。


「……ん?」


ノエル様が、目を見開いた。


「シュピ。今の、……血、何滴使った」

「え?一滴、だけど。普通だよね、一滴で」

「普通だ。普通なんだが。おい、四秒だぞ、お前。俺の最新記録、十七秒なんだよ。一年かけて、十七秒だ。お前、初日で四秒って」

「え、そうなの?……ごめんなさい」

「いやいや、謝るところじゃない!……待て。もう一回やってみてくれ」


シュピは、もう一度やった。今度は、三秒だった。指先の火は、安定していた。火の色も、形も、ノエル様のものより均質だった。私は、軒下から、それを見ていた。


(……シュピの血は)


シュピの血は、私の血に劣るが、効率が良い。それは、分かっていた。でも、目の前で見ると、分かっていたことと、見ることは、違った。三秒という数字は、普通の人間の、それではない。ノエル様の十七秒から数えて、五倍以上の差だった。


「……シエル」


ノエル様が、振り返った。


「お前の初日、何秒だった」

「……記録していません。計測の習慣が、まだなかったので」

「そうか。……そうか」


ノエル様は、もう一度シュピを見た。見て、それから、言った。


「シュピ。お前、その、血のことでさ。……気づいてること、あるか」

「血?……うーん。なんか僕、血を使うと、ちょっとだけ温かい。……それくらい」

「温かい」

「うん。なんか、指先が、じんわりする」


じんわり。私も、同じ感覚を知っていた。血が魔法に変わる瞬間の、あの微かな熱。あれは、私だけのものだと思っていた。


(……私だけでは、なかった)


シュピにも、同じ熱がある。同じ場所から来た子には、同じものが宿っているのかもしれない。もしそうなら、私の血の異質さは、私だけのものではない。


それは、良いことなのか。悪いことなのか。判断は、つかなかった。つかないまま、私は二人の訓練を見続けた。ノエル様がシュピに、火の安定のさせ方を教えている。教える側のノエル様の火は、相変わらず不安定だった。教わる側のシュピの火は、既に安定していた。


「……おい、シュピ。逆にお前が俺に教えろ」

「え!?僕が!?」

「うん。教え方が上手いとかじゃなくてさ、お前の火、綺麗なんだよ。……どうやってるの、それ」

「えーと、なんか、こう、指先に『あつまれ』って言う感じ」

「『あつまれ』!?」

「うん。『あつまれ』って」


ノエル様は、真剣な顔で「あつまれ」と呟いていた。呟きながら、指先に火を灯そうとしていた。灯らなかった。灯らなくて、二人で笑っていた。私は、その光景を、軒下から見ていた。見ていて、頬が緩んだ。緩んだまま、止めなかった。



訓練が終わったのは、午後五時。三人で、屋敷に戻る。シュピは、少し疲れた顔をしていたが、足取りは軽かった。軽い足取りで、何度も何度も、指先を見ていた。灯していない、ただの指先を。


「お姉ちゃん。僕、火、灯せたよ」

「はい。見ていました」

「……なんか、すごいね。魔法って人に使う以外できることがあるんだね」


できることが、ある。その言葉を、シュピは、宝物みたいに言った。宝物みたいに言うから、私は、返す言葉を探した。探して——


「はい。あります」


とだけ、言った。それ以上の言葉は、出なかった。出なかったが、シュピは満足そうに頷いていた。頷いた顔が、少しだけ、誇らしそうだった。



 夕食後、ノエル様に呼ばれたので書斎に移動する。どうやら今日の訓練を見て私と同じような考えをノエル様は抱いたらしい。


「シエル。今日の訓練、見てどうだった」

「シュピの血は、高効率です。私に劣りますが、常人を上回る。……ノエル様。これは、『育てられた子供たち』に共通の特性なのですか」

「……おそらく、な」


ノエル様は、書類の山の向こうで、静かに言った。


「お前も、あの子も、同じ場所から来た。同じ場所から来た子には、同じものが、宿る。……それが、何のためのものなのかは、俺にも分からない。分からないが——」


ノエル様は、一度だけ、言葉を切った。


「——分からないまま、放っておくことは、もうできない。……シエル。街で、変な噂を聞いたろ」

「はい。見知らぬ男と、物知りな旅人です」

「ああ。……その噂は、たぶん、俺たちに関係がある」

「関係」

「お前と、シュピと、この屋敷に、だ。……詳しい話は、まだ言えない。言えないが、ひとつだけ、伝えておく」


ノエル様は、私をまっすぐに見た。


「……これから、少しずつ、街が変わるかもしれない。人が増える。視線が増える。……お前は、今まで通りでいい。今まで通り、メイドの仕事をして、シュピの世話をして、蜜煮を作ってくれ。……それ以外のことは、俺が、やる」

「……ノエル様が」

「ああ。俺がやる。……お前は、何も背負わなくていい。いいな?」


ノエル様は、そう言った。言い方は、いつもと同じ、柔らかいものだった。でも、その言葉の奥に、何かが隠れている気がした。隠れているものの形は、見えなかった。見えないものは、見えないままにしておく。それも、手順のひとつだ。


「承知しました」

「うん。……あ、そうだ。もうひとつ」


ノエル様は、引き出しから、一冊のノートを取り出した。見慣れない、革表紙のノートだった。


「これ、シュピに渡してやってくれ。訓練の記録用だ。これからはあの子が、自分で書く。読み書きは、覚えてるか」

「書けます。字は、汚いですが」

「汚くていい。書ければ、それでいい。あと、表紙に名前を書く場所がある。あの子が、自分で書くんだよ。……分かるな」


分かった。ノエル様は、シュピに、自分の名前を書かせようとしている。書かせることで、その名前が、シュピのものになる。


「承知しました。……今夜、渡します」

「ああ。頼む」



 夜。離れに、ノートを届けた。シュピは、ノートを受け取って、表紙を撫でた。撫でて、それから、ペンを取った。


「……ここに、書くの」

「はい。あなたの、名前です」


シュピは、少しの間、ペンを持ったまま、止まっていた。それから、ゆっくりと、表紙に、字を書いた。


『シュピ』


字は、少し歪んでいた。でも、ちゃんと、読めた。


「……書けた」

「はい」

「……僕の、名前だ!」


シュピは、ノートを抱えて、笑った。笑った顔は、昼間の訓練の時と同じ、誇らしそうな顔だった。


「お姉ちゃん。ありがとう!」

「どういたしまして」


私は、離れを出た。出る時、一度だけ、振り返った。シュピは、ノートを抱えたまま、窓の外を見ていた。見ていたのは、星か、月か、それとも、何もない闇か。分からなかった。分からないまま、扉を閉めた。



自室。日誌を開く。


『本日の血液消費量:三滴。

用途:錠前、巡回の灯、補助。


備考一:街で買い出し。噂を聞いた。見知らぬ男。物知りな旅人。警戒の棚に置く。


備考二:シュピの魔法訓練が始まった。初日、四秒。私の初日は、記録していない。……記録していないことを、少しだけ、惜しいと思った。惜しい、というのは、初めての感覚だ。


備考三:シュピにノートを渡した。シュピは、表紙に名前を書いた。字は歪んでいた。歪んでいても、名前は名前だ。


備考四:蜜煮の試作、第七回は、今夜行う。老婆は「蜜煮には日のことが残る」と言った。今夜の蜜煮には、今日という日が残るのか。残るとしたら、それは、どんな味になるのか。』


筆を止めて、窓の外を見る。離れの窓に、灯りがついていた。いつもより、少しだけ、明るかった。明るい灯りを、少しの間、見ていた。それから、台所に向かった。蜜煮の試作、第七回のための、材料を取りに。

ご拝読ありがとうございました。

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