プロローグ:噂
今日から二章に入ります
二章が終わるまで、毎日投稿になります(ペース乱れたらごめんなさい)。
港町の酒場は、夜が深いほど金の音がする。サイコロの音。皿の音。掛け金のやり取りの、硬貨の音。北の戦線から下がった男たちが、領分の違う女たちと、取り留めのない話を夜明けまで続ける場所。そういう場所には、そのための客がいて、そういう客のための席が、店の一番奥に用意されている。
その奥の席に、今夜は男が二人、向かい合っていた。
片方は、この店の常連と見えた。灰被りの外套。傷のある手。杯を持つ指が、一本足りない。傭兵崩れか、盗人崩れか。その手の生業の男には、どちらでも同じことだった。
もう片方は、場違いと表現するのがいいだろう。上質な旅装。汚れのない袖口。酒場の椅子に座っているのに、椅子を信用していない座り方。背筋が伸びていて、肘はテーブルにつかない。その男は杯を前に置きながら、一口も飲んでいなかった。
「……でぇ」
灰被りの男が、声を湿らせた。
「旦那が買ってくれるってのはぁ、本当なんだな」
「品物次第だ」
「品物、ねぇ。……いいかい、これはただの噂じゃないぜぇ。俺は見たんだ。この目で」
男は杯を傾けて、それから、身を乗り出した。
「エステル領の、あの教会堂だ。俺たちぁ七人いた。七人。飯を分けてもらうつもりが、向こう側が生意気でね——まあ、その、手順はどうでもいい。とにかく、夜のうちに片をつける算段だった。それが、だぁ」
男の声が、少しだけ上ずった。
「灯りが、消えた。全部だ。次の瞬間には、二人が地面に転がってたぁ。音も、なしに。……なあ、旦那ぁ。俺は戦場を渡ってきた。戦場ってのは、うるさいもんだぁ。剣が鳴る、血が出る、誰かが喚く。ところがあの夜は、静かだった。静かなのに、人が倒れてく。……おかしいと思わないかぁ」
「それで」
指のない男は酒を転がす中、上質な男は、表情ひとつ変えずに言った。
「お前は、逃げた」
「……生き延びたぁ、と言ってくれぇ」
灰被りの男は、苦いものを飲むように杯を干した。
「逃げる途中で、振り返ったんだよぉ。月明かりが、ちょうど雲から出てさ。見えたんだ。……銀色の、髪。メイド服を着てやがったぁ。メイドだぜ、メイド。あれが、俺たち七人を——」
「銀髪の、メイド」
上質な男は、その部分だけを、そっくり繰り返した。繰り返し方が、確認だった。
「赤い目は」
「……え?」
「目の色を、聞いている」
灰被りの男は、瞬きを二度した。
「……夜だったんでね。色までは。……でも旦那、そんなことより——」
「色は、大事だ」
上質な男は、そこで初めて杯に手を伸ばした。一口だけ、湿らせるように飲んで、置いた。
「続けろ。あの夜、お前たちの側にも、一人——『商品』が混ざっていたはずだ。十五、六の、男の子供だ。右腕に古い傷がある」
灰被りの男は、押し黙った。
「……旦那ぁ、何者だい」
「買い手だ。それだけ知っていれば、お前の商売は回る」
「…………ああ、いたよ。いた。ガキが一人。筋が悪くてね、足手まといだった。……あの夜も、一番乗りで突っ込んで、一番乗りでやられてたと思うぜぇ。死んだかどうかは、知らん。知らんが——あの夜を越えられたとは、思えねえ」
上質な男は、しばらく黙っていた。酒場の喧騒が、二人の間の沈黙を、遠くから包んでいる。どこかの席で大笑いが起きて、どこかの席で硬貨が床に落ちた。店の女が猫なで声で誰かの肩を抱いていた。夜はいつも通りに、進んでいた。
「……旦那ぁ」
「噂は、買う」
上質な男は、懐から小さな革袋を取り出して、テーブルの上に滑らせた。革袋は、見た目より重い音を立てた。
「銀髪のメイドの件、教会堂の位置、それから——子供の件。三つ分だ」
「へへ。話が分かる旦那だぁ」
灰被りの男が革袋に手を伸ばす。その手が届く前に、上質な男の指が、袋の紐の上に、そっと置かれた。
「ひとつだけ、条件がある」
「……条件?」
「この噂は、今夜、俺に売れた。……それで終わりだ。他の誰にも、売らないでほしい。二度目の値段は、つかない」
「分かってるよ、そんなもん。噂屋の掟ってもんだぁ」
「掟」
上質な男は、微かに、口元だけで笑った。笑いではなかった。
「いいだろう。……なら、取引成立だ」
指が離れた。革袋は、灰被りの男の懐に消えた。
上質な男は席を立ち、外套の襟を整えて、酒場を出た。戸口の風が、店の中の煙を少しだけ巻いた。灰被りの男は、残された席で革袋の中身を確かめ、それから、上機嫌に酒をお代わりしていた。——その男が、翌週には別の酒場で同じ話を、別の買い手に売ることになるのだが、それは、この夜の話ではない。
港の外れ。潮の匂いのする路地を、上質な男は歩いた。歩きながら、懐から一冊の手帳を取り出した。手帳の頁には、細かい字が、几帳面に詰まっている。その最新の頁に、男は、短い文章を書き加えた。
『商品番号に関わる未回収品の所在、おそらく特定。エステル領。当主は若いが、油断ならない家系。——付記。当該地に「銀髪のメイド」の報告あり。血統の特徴に、合致。』
書き終えて、男は手帳を閉じた。港では、夜船の準備が始まっていた。船乗りたちの掛け声が、闇の上を滑っていく。男は桟橋の端まで歩いて、北の海を見た。北の沖には、灯りのない水平線が横たわっていた。
「……『銀髪のメイド』、か」
誰に言うでもなく、男は呟いた。
「戦場で名を上げた子供が、屋敷で床を磨いている。……作った側としては、複雑な話だ」
呟きは、潮風にすぐに掻き消えた。男は手帳を懐に戻し、夜船への乗船口へと歩き出した。その背中は、港の灯りの間に、ゆっくりと紛れていった。。買われた噂は、やがて北へ運ばれ、北で検討され、北から、誰かが南へ向かうことになる。
この夜のことは、どこにも記録されない。記録されたのは、一冊の手帳の、三行だけだった。
ご拝読ありがとうございました。
以前、Xをやってると言ったと思いますがこちらがアカウントになります。
白彩という名前が結構被っていたので見つけれないかと思い載せることにしました。フォローしてくださると嬉しいです。
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あ、あと明日からは21時の投稿になります。




