7.生徒会室という名の休憩所
始業式が終わり合流したラヴィニカとルカは、あたりをキョロキョロ見回しながら校舎内を徘徊する。
なぜかといえば、ヒロインとうっかり遭遇、なんてことが起こらないようにするためだ。
先ほどから、あっちに行ったりこっちに行ったり、ラヴィニカの記憶を頼りにヒロインを避け続けている、つもりだ。
「お嬢……次は、どっちですか」
「そうね、オープニングを終えたヒロインは始業式中に事務手続きを終えて、寮で荷物を整えて……どうだったかしら」
「頼みますよ、お嬢。今はお嬢の記憶だけが頼りです」
ラヴィニカはぼんやりと宙を眺め、ヒロインが辿るであろう足跡を思い出す。
そもそも、ラヴィニカの乙女ゲームに関する記憶は曖昧なところも多い。
正直オープニングからの流れなんて全く記憶になく、ずっと適当にルカを連れ回しているだけだったりする。
こんなことをルカに言ったら怒られるのは分かりきっているので言わないが。
「こっちな気がするわ」
「信じますからね、お嬢」
今もまた、当てずっぽうに道を選択する。
とりあえずは、一年生の教室まわりと職員室あたりは避けている形だ。
(本当に会いそうになったら、逃げればいいでしょう)
そう思って角を曲がったところで
「お待ちください。ラヴィニカ様っ」
耳にキンと響く甲高い声に呼ばれた。
隣でルカがあからさまに肩を跳ねあげたが、この声はヒロインの声ではない。歓迎したい声でもないけれど。
「ああ、良かった。まだ寮にはお戻りになっていなかったのですね」
そうホッと胸に手を当てた彼女は、デクリーア公爵家の令嬢、ウルティアだ。
艶やかな藤色の巻き毛と丸い瞳を持つ、人懐こい笑みを浮かべるご令嬢。白と紺を基調とした上品な制服の中で、三年生であることを示す緑色のリボンがひらめいている。
この学校では、リボンやネクタイの色が学年を表している。ラヴィニカは二年生で赤、ルカは三年生で緑だ。
ウルティアはラヴィニカの先輩にあたりなにかと話しかけてくるのだが、ラヴィニカは彼女が苦手だった。
「ごきげんよう、デクリーア嬢。私になにかご用でしょうか」
ラヴィニカはそう言ってからチラリとルカに目を向ける。
ルカは先ほどまでとは一転、完璧な従者の佇まいだ。自分の気配を極限まで潜め、令嬢ふたりの邪魔にならないよう脇に控えている。
ウルティアはそんなルカを一瞥もせず、まるでこの場にいないかのように扱う。
ラヴィニカはそれが、気に入らない。
(早く終わらせましょう)
「あら嫌だわ、ラヴィニカ様。デクリーア嬢、だなんて……。ぜひウルティア、と呼んでくださいまし」
「ですが、デクリーア嬢は私より先輩です」
「あら、そんなの気にしなくていいのですよ。ラヴィニカ様はわたくしと同じ公爵家の娘ですもの。もしかしたら将来はふたりで殿下に……なんてこともあるかもしれませんわ?」
にこり、と令嬢らしい笑みを向けられるが、ラヴィニカが笑みを返すことはない。
(これ以上話していても、埒が明かないわ)
ウルティアはちっとも用件を話そうとしない。
ただただ、媚びるような視線と笑みを向けてくるだけなのだ。
ラヴィニカは強引にでも立ち去ろうと決めた。
「申し訳ありませんが、急いでおりますので。用件がないのであれば、失礼いたします」
「あ……っ」
ラヴィニカはウルティアが口を開くより前に歩みを再開する。後ろにルカがついてきていることを確認し、ウルティアが見えなくなったところで立ち止まる。
「災難でしたね、お嬢」
「……」
「お嬢?」
「なんでもないわ」
自分とルカの身分差というものを突きつけられる度、ラヴィニカはムカムカと形容しがたい気持ちで胸がいっぱいになる。
幼い頃もそれは感じていたが、成長した今は、かつてよりももっと、そういうことが多い。
(アルジェントは、違うのだけれど)
そう思った瞬間、ラヴィニカはハッとあることを思い出す。
「お嬢? 本当にどうされました?」
ルカは黙り込んだラヴィニカを心配して顔をのぞき込むが、直前でラヴィニカの手に遮られる。
ペシンと音を立てて額をはたかれ、ルカは思わず手で額を押さえた。
「そうよ。アルジェントよ」
「で、殿下がどうされたんです?」
「シナリオ初日にヒロインが絶対に行かない場所、ひとつだけあったわ」
ラヴィニカの自信に満ちた言葉に、ルカは小さく首をかしげた。
〇〇〇
「それで? 他の役員たちが頑張って捻出してくれた休憩時間に昼食をとっている僕になんの用かな? 二人とも」
直前まで歩き回っていたラヴィニカとルカは、ようやく安息の地を得られたと深くソファに腰掛ける。
室内に備え付けられていたティーポットで堂々と紅茶を淹れたルカが、ラヴィニカと自分の分をカップに注いだ。
ラヴィニカはどこからか持ってきたクッキーもつまんで口の中に放り投げる。
初日にヒロインが絶対に来ない安息の地——生徒会室にて、ラヴィニカとルカはこれ以上ないほどくつろいでいた。
「ふたりとも? 聞いているのかい?」
生徒会室の窓際にあるひときわ存在感を放つ机につく部屋の主人は、自室のようにのんびりとするふたりに目が笑っていない笑顔を向けた。
「聞いているわ。聞いているけど、無視しているのよ」
「その方がタチが悪いね。もう一度言うけど、僕は今日、非常に忙しいんだ。君たちの相手をしている暇はないんだけれど」
「あら。大切な婚約者に向かってそれはないんじゃない? アルジェント」
生徒会室の主人、もとい、アルジェントは、ふぅと小さく息を吐いた。
その怒りを抑え込もうとしている動作ですら色気があるような気がするのだから、全く罪な男である。
銀髪紫瞳の完璧王子、アルジェント。昔から王子として非の打ち所がない人間だったが、成長したアルジェントはさらに磨きがかかっている。文武両道、才色兼備、貴族令嬢であれば一度で良いから会話を交わしてみたいともっぱらの評判だ。
正式に王位継承者の指名は行われていないものの、アルジェントで決定だろうと言われるほどには、優秀なのだ。
ちなみに、学年は二年生。昨年の生徒会総選挙で見事生徒会長に選ばれ、学園の歴史に名を刻めるほどの偉業を次々に積み重ねている。
ラヴィニカは婚約者であり幼馴染みでもあるアルジェントをチラリと見上げた。
「ねえ、生徒会室のお菓子のラインナップ、もう少し見直した方がいいんじゃないかしら。クッキーだけだと飽きてしまうわ」
「ラヴィニカ、ここをなんだと思っているんだい?」
「生徒会室、兼、休憩所」
アルジェントはより一層笑みを深める。
ラヴィニカを止めるのは不可能だと判断したのだろう。今度はラヴィニカの隣に座るルカへ目を向けた。
「ルカ、そろそろラヴィニカを止めてくれない?」
「無理ですね」
「ルカ、せめて君は遠慮をしようか」
「殿下に遠慮をする必要がありますか?」
ルカはアルジェントによく似た笑みを浮かべると、ラヴィニカのカップに紅茶のおかわりを注ぐ。
ルカとアルジェントの間で火花が散ったように見えたが、幻覚だろう。
アルジェントは完全に居座る構えのふたりに根負けしたようだ。
肩を落とすと、手元の資料に視線を落とす。
「まあ、いい。言っておくけど、僕は今日多忙なんだ。生徒会室も入学式が始まる前には閉めるからね」
「ええ。それでいいわ」
今日は午前中に始業式、午後に入学式、夜に新入生歓迎会、と生徒会は大忙しなのだろう。今、アルジェントが生徒会室で休憩しているのはなんとか捻出した時間だというのも嘘ではあるまい。
ラヴィニカとしては、始業式と入学式の間、ヒロインの動きが読めない間だけ避難できればいいので満足である。
ゆったりとカップを傾けて紅茶を楽しんでいたとき、ふと、ラヴィニカはアルジェントルートの悪役令嬢ラヴィニカの末路を思い出す。
なぜ今か、といえばヒロインがすぐそこにいて、目の前にアルジェントがいるからに他ならない。
なにせ、アルジェントルートは唯一悪役令嬢ラヴィニカの死をハッキリと描いているのだ。処刑のシーンはなかなかにリアリティがあると感心していたのが懐かしい。
(今のうちに好感度を確かめておくのも、いいかもしれないわ)
今後、いつどこでアルジェントがヒロインと出会うか分からない。今のうちにこの十年の成果を確かめるのもいいだろう。
そう思って、ラヴィニカは言葉を発する。
「ねえ、アルジェント。少しいい?」
「いいように見えるかな?」
ラヴィニカは少しだけ、考えを巡らせた。どうやって聞くべきか……それでも、悩んだ時間はそれほど長くない。
アルジェント相手に遠回しな言い方は必要はないと判断した。
「アルジェントは、私のことをどう思っているの?」
アルジェントは手をピタリと止めて、真顔でラヴィニカを見つめてくる。
「一体、どういう話の流れかな」
「別に。ただ気になっただけよ」
「へえ。……明日雪でも降るんじゃないだろうね」
アルジェントはそう言うが、顎に指を当て律儀にしっかり考えてくれているようだ。
視線を斜め上に向け、ぽつりぽつりと言葉をこぼす。
「素直に、尊敬しているよ。頭も悪くないし、振る舞いも美しい。信頼に足る、僕の婚約者にふさわしい人だと思っている」
「あら、思ったより高評価ね」
(これなら、すぐ破滅とはならないかしら)
ラヴィニカはアルジェントの答えに満足し、もう一枚クッキーを頬張る。
少々上機嫌になったラヴィニカは、ついでにもうひとつ、質問をしてみることにした。
「ちなみに、恋愛的には?」
「僕とラヴィニカが? 絶対に、ありえないね」
「……」
力強い言葉だった。
無論、ラヴィニカもアルジェントを恋愛対象として見たことはないのだが、ここまで断言されると少し不服だ。
「万が一にも、世界が滅亡しようとも、ありえないね」
「……そんなに?」
沈黙するラヴィニカになにを思ったか、そう念を押してくる。
そんなに拒絶しなくとも、ラヴィニカもアルジェントを婚約者や友人以上として見たことも考えたこともない。
「分かっているし、それは私もよ。少し冗談のつもりだったのに、そこまで言わなくてもいいじゃない」
「へえ、君が冗談を言えたとは驚いた」
「失礼ね。でも、少なくとも、あなたが不当に私との婚約を破棄したりすることはなさそうで安心したわ」
アルジェントは意外なことを聞いた、とばかりに目を見開く。
「ラヴィニカ、そんなことを気にしていたのかい?」
「私にも事情があるのよ」
アルジェントは「ふむ」とつぶやくと、いたずらを企む少年のような色を瞳に宿す。
「確かに、僕はめったなことがない限り、ラヴィニカを婚約破棄することはないだろう。けど……」
アルジェントはそこで言葉を区切ると、意味深な笑みを浮かべる。
「僕は、他に想いをよせている女性を婚約者に置くほど、心は広くないかな」
「グフッ」
「どうしたの、ルカ」
なぜかいきなり、ルカがむせた。
ラヴィニカはそっと手を伸ばしてルカの背をさすってやる。
アルジェントはのどの奥をくつくつとならして笑っていた。
なにを笑っているのか、と目線で問えば、アルジェントは再び完璧な王子様の笑顔を貼り付ける。
「まあまあ。そういえばふたりは、新入生歓迎会に出る予定はあるのかい?」
「ないわ。出る必要がないもの」
「確かに、ラヴィニカは人が集まるところが嫌いだよね」
アルジェントはひらひらと手を振ると、パチリとウインクしてみせる。
「気が向いたらで構わないからさ、僕たちが必死で用意した歓迎会なんだ。君たちにも来てもらいたいな」
(新入生、歓迎会……あれ、それって——)
なんだか聞いたことのある響きだ、と記憶をさかのぼるラヴィニカは、クッキーへ伸ばしかけた手を止めた。




