6.シナリオの始まり
アルジェントとの出会いから十年後。
二人の男女が王立アウローラ学園の中央広場にて本校舎を見上げていた。
ひとりはラヴィニカ。キャラメル色の髪とストロベリー色の猫目の美しさはそのままに、頬からは幼子らしい丸みが消え、身体に女性らしい滑らかな起伏が宿っている。均整の取れた筋肉がついた手足と細く繊細な指先。静かにたたずむだけで神秘的な気配をまとい、崇高さすら感じさせるその姿は、まるで俗世から切り離された存在のようだった。
もうひとりはルカ。若草色の柔らかな髪はそのままに、その瞳からは幼い頃のやんちゃさがすっかり影を潜め、紳士的な微笑みがよく似合う青年へと成長していた。平均的な男性を上回る長身でありながら、その立ち居振る舞いは従者らしく無駄なく洗練されている。ラヴィニカが人を寄せ付けない神秘性を宿しているのに対し、ルカは接する者に自然と安心感を与える穏やかさをまとっていた。
そんな見目麗しい男女の周りには、ずうんと重々しい空気が漂っている。
「お嬢、どうするんですか」
「……」
「お嬢、聞いてます……?」
「……」
ルカがラヴィニカの顔をのぞきこむと、ラヴィニカはすいっと顔をそむけぼそぼそとつぶやく。
「今日のお昼、なにを食べようかしら」
「お嬢! 現実から目を背けないでください!!」
ルカはラヴィニカの肩をがっしりとつがみ、ガクガクと揺らす。
「もうゲームのシナリオが始まっちゃうんですよ! 正直、破滅回避出来てる気が全くしないんですけどどうするんですか!!」
「大丈夫よ、ルカ。私だって、ちゃんと考えているわ」
ルカから解放されたラヴィニカはふっと微笑むと右腕を持ち上げる。
ラヴィニカはルカだけに見えるように、袖から小さな刃物をのぞかせた。
「ヒロインも攻略対象も全員殺してしまえば、全て解決よ」
「あーもー! なんでそうなるんですかねえ!? ていうか、なんですかその刃物は! 僕、お嬢が持って行こうとしてた物騒なもの、全部部屋に置いて行かせましたよね!?」
「まだまだね。ルカの目をかいくぐるくらい、私にとっては朝飯前よ」
「ああ、そうですね。そうでしょうね」
ルカはガックリと肩を落とし、現実逃避するように中庭に咲く薔薇に目を向けた。
「ああ。薔薇が綺麗だなあ」
「ルカ、現実逃避はダメよ」
「お嬢に言われたくありません!」
ラヴィニカとルカは改めて顔を突き合わせ、コソコソと作戦会議を続行する。
中央広場は正門から続く一本道、本校舎の入り口へ繋がる道中にあるので、道行く生徒から注目されないようにこっそりとだ。
具体的には、身をかがめて花壇の影に隠れている。
「お嬢、現時点で面識のある攻略対象は何人でしたっけ」
「三人ね。ちなみに、攻略対象は全部で五人よ」
「ぜんっぜん、少ない……っ」
「でも、半分以上よ?」
「三人の中のひとりは、友人どころか会えば挨拶するだけの仲じゃないですか!」
ラヴィニカとルカは、そこで行き詰まった。
ルカは絶望的だと頭を抱える。
「どうして。攻略対象と良い関係を築いておいて、破滅回避する予定が……っ」
「過ぎてしまった時間を後悔しても仕方ないのよ」
「お言葉ですけど、お嬢のコミュニケーション能力の低さが原因ですからね」
ルカのじとっとした視線に、心当たりがないこともないラヴィニカはスルーすることに決める。
「それで、ヒロインのことだけれど」
「お嬢? 無視するつもりですね?」
「確か、正門をくぐるオープニングがあったと思うの」
「完全に無視を決め込むつもりですね? もういいですけど」
先に根負けしたルカは、ため息をつきつつ頭を切り替えることにする。
「そのオープニングっていつ頃です? ヒロインに対しても積極的に仲良くなりにいきましょうか」
「それなんだけれど、私、ヒロインを徹底的に避けようと思って」
「ああ。確かに、面識を一切持たなければ嫌がらせもなにもないですしね」
うんうんとうなずいたルカは、首をかしげる。
「それで、そのオープニングとやらは何時くらいなんです?」
「ええと、確か、上級生の始業式が始まる直前だから……」
ラヴィニカは言葉をそこで切り、しんと口を閉ざす。
いきなり黙り込んだラヴィニカを見て、ルカは嫌な予感がふつふつと湧いてきた。
「お嬢……?」
ルカがラヴィニカを呼んだ瞬間、ラヴィニカがバッと立ち上がる。
急に姿を見せたラヴィニカに、道を行く生徒が何人か驚いたように目を見開いていたが、そんなことに気を回している余裕はない。
「ルカ、早く大ホールに向かいましょう」
「え、どうしたんですかお嬢」
「いいから。早く始業式の会場に行くの」
ラヴィニカはぐいぐいとルカを引っ張り、本校舎へ向かって歩き出す。
戸惑うルカはラヴィニカについていきながら、焦って口を開いた。
「本当に、どうしたんですかっ?」
「ヒロインは、始業式が始まる直前にこの学園に来るのよ」
「はい。それで?」
「始業式の始まりは、もうすぐよね?」
「そうですね」
「もう、ヒロインがそこまで来ているわ」
ルカは一瞬フリーズし、次の瞬間くわっと叫び声を上げ——ようとして、周りに生徒がいることを思い出しラヴィニカの耳に口を寄せる。
「そういうことは、早く言ってください!!」
「だから言ったでしょう。今」
「そうですね!」
ラヴィニカとルカはできうる限りの早歩きで本校舎の方へと歩んでいった。




