30.攫われてもへっちゃらなので
ルカがウルティアの顎から手を離すと、ウルティアは目を見開いたまま涙を流した。
そんな彼女を思いやる者はこの場にいない。
ルカもアルジェントも、フィオラでさえも、冷たく見下ろすだけだった。
「ふう、これで一段落、か。あとは公爵を捕えるだけだな」
アルジェントがそう言い、フィオラもうなずく。
フィオラはぶつぶつと口の中で呟くウルティアをちらりと見た。
「こ、この方どうしましょう?」
「もう少しで王宮の警備隊が来るから、引き渡そう。それまでは僕たちで見ているしかないね……不服だけれど」
アルジェントは肩をすくめてそう言った。
そんな中、ウルティアの呟きが次第に大きくなっていく。
「嘘よ。嘘よ。こんなの。だって、だって、本当にラヴィニカは攫われて」
「ん? なにか言っているね? どうしたの?」
アルジェントが首をかしげると、ウルティアが顔を上げ、狂ったように叫び出す。
「ラヴィニカを攫ったのは本当なのよ! そこのルカが、うちで雇った人間にラヴィニカを引き渡すところを、わたくし見ていたものっ」
「え」
アルジェントとフィオラは、思わず目が点になる。
ふたりで目を見合わせ、次いでルカに視線を送った。
「ラヴィニカは、安全な部屋で隠れているはずだけど? ねえ、ルカ。……ルカ?」
ルカは、アルジェントとフィオラから視線をそらし、あからさまに遠い目をしていた。
アルジェントとフィオラは「まさか」と青ざめる。
ルカは自らの罪を告白するようにボソッと
「えーっと、お嬢を向こうの奴らに引き渡したのは本当、です」
「「はあ――っ!?」」
反射的に叫び声を上げたアルジェントとフィオラは、慌てて動き出す。
「ど、どどどどどうしましょうっ。早く助けにいかなくちゃっ!!」
「ああ。今すぐ王宮の警備隊に連絡を」
「あーっと」
席を立ち、今すぐにでも部屋を飛び出てしまいそうなアルジェントの肩を、ルカがガシリとつかむ。
胡乱げな視線を向けられたルカは、視線を左右に揺らした。
「警備隊は、もう少ししたら出動させて欲しいんですけど……」
ルカは、「そのう」「えっと」と言ってなかなかその先を口にしようとしない。
しびれを切らしたアルジェントが急かせば、ルカは苦笑いを浮かべてとんでもないことを口にした。
「もう手遅れだと思うので、大人しく待ちましょう?」
「なに言ってるんだ!」
「なに言ってるんですか!」
アルジェントとフィオラに同時にツッコまれてしまったが、ルカは自分の主人を頭に思い描く。
同時に、主人がもたらしているであろう、現場の惨状も。
慌てふためくアルジェントとフィオラをよそに、ルカは眉根を寄せて、それでも己の主人なら大丈夫だろうという全幅の信頼を胸に笑っていた。
「お前、従者だろう!? 主人を危機にさらしてどうする!?」
「心配しなくても、この程度お嬢にとっては危機じゃありませんよ」
とりあえずは、アルジェントとフィオラを止めることが先決のようだ。
ルカは主人の迎えに行く算段を立てながら、目の前の二人を落ち着かせるため紅茶でも淹れようかと手を動かし始めた。
〇〇〇
機嫌の良さそうなデクリーア公爵の高笑いが響き始めて、しばらくが経った。
笑い終わるまで待ってあげようかとも思ったラヴィニカだったが、そろそろ飽きてきたので割り込むことにする。
「ねえ、公爵」
今まで静かに話を聞いていたラヴィニカが顔を上げたので、公爵は笑いやんでこちらを見下ろした。
無表情を貫き通すラヴィニカにさすがに違和感を覚えたのか、顔を歪めている。
「あなた、本当にルカが裏切っていると、そう思っているの?」
「当たり前でしょう」
公爵はなにを言っているんだ、と言いたげに鼻を鳴らす。
だが、ラヴィニカは淡々と断言をした。
「ルカは、裏切っていないわよ」
「は?」
ラヴィニカの言葉を聞き、公爵は聞き分けの悪い子どもに言い聞かせるような声を出す。
「ラヴィニカ様、そう信じたい気持ちはよく分かりますが、実際に」
「今頃、私の友人たちが、あなたの娘さんを追い詰めている頃ね」
「……は?」
初めて、公爵がきょとんと隙のある表情を見せた。
ラヴィニカは床に転がされながらも、強い光を宿したストロベリー色の瞳で公爵を見据えていた。
「あなたの計画はずさんすぎたのよ」
「そんなわけが」
公爵は依然として鷹揚な態度だったが、次の瞬間、その表情がガラリと変わる。
(もう、我慢する必要もないわね)
ラヴィニカは袖に隠していた小さな刃物で、手を縛っていた縄を切り落とす。
パサっと音を立てて縄が落ち、ラヴィニカは上体を起こしてから立ち上がった。
「あなたは私を殺して、罪をなすりつけようとしたようだけれど……どうやって、私を殺すの?」
ラヴィニカは心底不思議そうな顔をして、髪を払う。
公爵は信じられないものを見る目で、ラヴィニカを見上げていた。
(あら、目線の位置が逆転したわね)
今まで散々見下されていたのだ。今度はこちらが見下ろすのも悪くない。
そんな風に思っていると、我に返った公爵がラヴィニカに指を突きつける。
「な、縄を取ったからなんだ! どうせお前は、ここから逃げられない! おい、さっさと来い!!」
公爵が叫ぶと、部屋にあった唯一の扉からぞろぞろと男たちが姿を現す。
誰も彼もが、暴漢のような風貌をしていた。それこそ、路地裏で遭遇しそうな。
(やはり、彼らだったのね)
公爵は彼らに向かって、命令を下す。
「お前ら、この女を捕らえろ! 今度は、縄をもっときつく結ぶんだ」
公爵は恐怖を煽るように、ラヴィニカに嗜虐的な笑みを向ける。
——が、男たちは動かない。
公爵は微動だにしない彼らを見回し、顔を真っ赤にして喚き出す。
「なにをやってる! 早くしろ!!」
男たちはそれでもなお、動かない。
ゴドッ——
ふと、重たい物が落ちる音が耳に届いた。
見れば、男のひとりが手に持っていた剣を落としている。
ゴトリ、ゴトリ
ひとり、またひとり、と男たちは得物を手から離し始めた。




