27.高い笑いが響く夜
——冷たい。
目覚めて最初に、そう感じた。
ラヴィニカは、己の意識が浮上していくことを感じながら、ぼんやりとした頭で気を失う前のことを思い出していた。
(……確か、お茶会でフィオラさんが、倒れて。私が、犯人だと疑われて……小瓶の液体はやはり毒で、私は、ルカに、ルカに)
攫われたのだ。
そう理解したとき、ラヴィニカはまぶたを開けていた。
「おお、お目覚めですかな。ラヴィニカ嬢」
「あなた、は」
ラヴィニカは、声をかけてきた男を見上げる。
反射的に腕を動かそうとして、後ろで縄かなにかで縛られていると気がつく。
頬に触れるレンガのザラリとした感触と、ざっと周囲の様子を見た感じ、私はどこかの廃屋の床に寝転がされているようだ。
環境は綺麗と言いがたく、天井の隅には蜘蛛の巣が張っている。
自分が置かれた状況把握のあとは、目の前にいる人物の特定だ。
男は胸をそらして、目の前のイスにふんぞり返っていた。
でっぷりと前にせり出した腹に、鼻の下にはやしたひげ。髪と瞳は藤色で、どこかのだれかを彷彿とされた。
「あなた、は……誰?」
結局よく見ても分からなかったので、素直にそう尋ねたのだが、彼は憤慨したように鼻息荒くした。
「なんと失礼な! 夜会で何度かお会いしたはずですが?」
(夜会ね……いつも婚約者の仕事をさっさと終わらせて帰ることだけを考えていたから、全く覚えていないわ……)
ラヴィニカが黙り込んでいると、彼は憤慨ついでに自身の名を誇るように口にする。
「レズディオ・デクリーア。由緒正しきデクリーア公爵家の当主でございます」
(ああ、デクリーア公爵。思い出したわ)
ラヴィニカは、薄らぼんやりとする記憶を引き出し、姿を重ねる。
確か、自分の娘を売り込んだり、功績をつらつらと並べてばかりで退屈だったのだ。
ラヴィニカがそうだそうだ、と思い出していると公爵が苛立ったように足を小刻みに震わせ始める。
ラヴィニカがあまりに無反応で、機嫌を損ねたのだろうか。
(まずは、交渉でもしてみましょうか)
令嬢を縄で縛り、床に転がすというのは穏やかではない。
とりあえず、解放してはくれないか、交渉してみようと口を開く。
「思い出したわ。デクリーア公爵ね。それで、私、早く学校に戻りたいのだけれど、いつになったら解放してくださるのかしら。私を気絶させたルカも、叱らなくてはいけないし」
「ん? ……あっはっはっは」
ラヴィニカの言葉に、公爵はなにがおもしろかったのか声を上げて笑い出す。
ひいひいとのどを引きつらせ、しまいには膝を叩きだした。
「あー、お嬢様。どうやらあなたは、状況を全く理解していないらしい」
公爵は目の端ににじんだ涙をぬぐい、グイとラヴィニカの方へ体を傾ける。
「あなたはこれから、殺されるのですよ。聖女様の嫌がらせの主犯として、ね」
「……」
ラヴィニカは目前にある公爵の瞳を眺め、心底不思議そうな声を出した。
「どういうことかしら。私は犯人ではないわ」
「ええ、そうでしょう。そうでしょうとも。ですが、殺されるのです」
「話が見えないわ。分かるように教えて」
公爵は、まるでよくできた成果物を親に見せる子どものように顔を上気させる。
嬉々として語り出した内容は、ここ最近ラヴィニカたちに起きていた騒動の原因、そのものだった。
「そうですねえ。どこから話しましょうか……ああ、我が娘の手柄からにしましょうか。聖女様への嫌がらせは全て、我が娘ウルティアによるもの。もちろん、実行犯は違います。誰だと思います?」
「……」
公爵はラヴィニカの顔に手を伸ばすと、そのきめ細かい肌をつうと指で撫でた。
ニイと、醜く表情を歪ませる。
「あなたの、従者ですよ」
(ルカ、が)
「ありえないわね」
「信じたいという気持ちはよく分かります。ですが、事実なのですよ」
「そう、なの」
「……」
「……ルカを、買収したの?」
「ええ! とても良い手駒となってくれましたよ。やはり人間、どんなに信頼を積み上げようと、目の前に大金を積み上げればコロリと落ちる」
「いくら、だったの。私の従者は……?」
「金額を気にするとは。ふふっ、やはり貴族は金を持ってなんぼですよなあ。まあ、今となっては遅いですが」
公爵はラヴィニカを哀れむような声音でそう言うが、その瞳には愉悦がにじんでいる。
「そして、従者に命令を出したのはあなた、ということになる」
「……」
「なぜか気になりますか? 従者くんがあなたを攫ったとき、あなたがいた部屋に遺書を残したからです。あなたが聖女様の嫌がらせをしていた首謀者であり、罪の意識に耐えられなくなったから死ぬ、という内容のね」
ラヴィニカは、顔に影を落とした。
公爵はラヴィニカのそんな様子を見て、さらに口角をつり上げる。
「……遺書は、誰が書いたの?」
「え?」
「筆跡なんて、簡単には真似できないわ。あなたの企みは成功しない」
「かわいそうに。まだ現実が見えていないのですね。遺書を書いたのもあなたの従者です。いつも見ているから問題ない、と言っていたようですよ」
ひとつひとつ、ラヴィニカの退路を断っていく。
公爵はそれが楽しくて楽しくてしかたがないようだ。
「あなたは今から、聖女様嫌がらせの罪を全て被って、無様に死ぬのですよ」
「ど、して」
「どうして? そんなの決まっているでしょう。全ては王家が悪いのです。我が娘を婚約者に選ばず、私を政治に深く関与させない! 私は先代国王王弟の息子なのに!!」
舞台に立つ役者のように大きく腕を広げていた公爵は、そこで一度息を整えると付け加えるように言う。
「ああ、あなたが犯人だという噂を流したのはウルティアですよ。恨むなら、私ではなくあなたを裏切った従者か、ウルティアか、王家にしてくださいね」
ラヴィニカは固く口を閉ざし、公爵の話に耳を傾けていた。
公爵は、ラヴィニカの沈黙を恐怖によるもの、もしくは従者の裏切りによるショックと判断したのか、満足そうに目を細めた。
ラヴィニカが絶望しているのが嬉しくてしかたがない、と追い打ちをかけるように粘着質な声音で話しだす。
「どうです? 自分の従者に裏切られた気分は?」
数秒の静寂のあと、ラヴィニカはポツリと呟く。
「ルカ、が、裏切り……?」
その、か細い声に、公爵は顔を喜色に染めて声を張り上げた。
「ええ、そうです。あなたは裏切られた!! ……ああ、良い気分だ。成り上がりのくせに、高貴な血をもつ我が家と同等の公爵家という身分。私よりも政界の、陛下の近いところにいる忌々しいあの男。ああ、ノービレ公爵の歪む顔を見るのが今から待ち遠しいっ」
「ルカ、が、裏切り……」
またもやそう呟き、無表情にうなだれるラヴィニカを前にして、デクリーア公爵は上機嫌に高笑いを響かせた。
〇〇〇
ウルティアは、上機嫌に部屋で舞い踊っていた。
寮の自室で、くるくると制服のスカートを翻し、ステップを踏む。
まるで風に吹かれた綿毛のように、軽やかに。
(ああ、なんて良い気分なの)
鼻歌まで、歌い始める。
ウルティアは自分の仕事ぶりに、心の底から満足していた。
(これで目障りだったラヴィニカは消え、殿下にお近づきになれる!)
ウルティアは幼い頃から、父親にお前の価値は王家に嫁ぐことにある、と言い聞かされていた。
だから、自分は将来王妃になるのだと疑わなかったし、そうあるものとして振る舞ってきた。
だというのに
『申し訳ないけれど、僕の婚約者はもう決まったんだ』
そう、アルジェントに告げられた日のことは忘れられない。
ウルティアがいつものように、アルジェントをお茶会に呼び、いつになったら自分を婚約者にしてくれるのか、とそれとなく聞いた時だった。
(殿下の婚約者が、あの欠陥品だなんてありえない)
ラヴィニカは齢五にして、史上初である魔力欠失症であると診断され、欠陥品の烙印を押されていた。
そんな女が、この私を差し置いて、婚約者。
信じられなかった。
それでも、本当に欠陥品を王妃にするはずなんてないと、ウルティアはアルジェントに言い寄り続けた。
同時に、ラヴィニカに媚びを売り続けることも忘れない。
ラヴィニカに媚びを売れば、それだけアルジェントに近づける可能性も高まるからだ。
だというのに、あの女
(わたくしのことを、いつもいつも袖にして)
——欠陥品の、くせに。
そんな目障りな女を、表舞台から消せたことがウルティアは心底嬉しく感じていた。
今頃は、父が手配した男たちによってラヴィニカは見るも無惨な姿にさせられているだろう。
ラヴィニカがいなくなれば、婚約者の座はウルティアに回ってくるはず。
(あの聖女とかいう女も気になるけれど、どうせ正妻にはなれないわ。後ろ盾が欲しいだけなら、側室でも充分だもの。正妻になるのは、公爵令嬢たるこのわたくし)
「んふっ」
思わず、口から喜びの声がもれた。
コンコン
その時、部屋に響いたノック音に水を差されウルティアは口を尖らせる。
(誰? せっかく良い気分だったのに)
「どうぞ」
声をかけると、生徒会役員のひとりである女生徒が立っていた。
「ウルティア様。至急、生徒会室にお越しください」
「はあ? わたくし、今は忙しくて」
「生徒会長がお呼びです」
「で、殿下がっ?」
思わぬ知らせに、ウルティアは声を弾ませる。
(まさか、早速お呼びがかかるなんてッ!)
「ちょっと待ちなさい!」
ウルティアは隣室にいた侍女を呼び寄せ、身支度を調えるように命じた。
(殿下の前に出るのだもの、とびっきり美しくしなきゃ!)
「あの、今すぐの呼び出しで……」
「待ってって言っているでしょう!? 耳が聞こえないのっ!?」
「……」
ウルティアは視界がキラキラと輝いているように感じた。
(とうとう、わたくしの時が来たのだわ!)
その後、三十分かけて支度を済ませたウルティアはようやく部屋をあとにしたのだった。




