25.幸せになってもいいのです
「もっ、ほんと、どうしたっていうんですっ?」
「王都でのイベントを思い出したのよ。確か、フィオラさんは街の暴漢に襲われるはず」
「ええっ!?」
支度を終え、簡素な衣服を着たラヴィニカとルカは、早朝の王都を駆け回っていた。
ふたりが寮を出た時には既に学内にフィオラの姿はなく、王都に出てしまった後だったのだ。
ラヴィニカはなんとかイベントが起こる場所の特徴を思い出せないかと頭を捻るが、ゲームの背景が薄暗い人気のない場所だったことしか思い浮かばない。
「お嬢、こちらです!」
急にルカが入り組む細い小道へ入っていったので、ラヴィニカもそちらへ続く。
「どうしたの?」
「道の入り口に、フィオラちゃんのものらしき髪が落ちていました」
「あなた、それをよく見つけたわね……」
ルカの観察眼はさすがだ。
しばらく道なりに走っていると、凛と澄んだ声が聞こえる。
「離してください!」
細い小道が、人で埋め尽くされていた。
その人の中央で、手首を握られたフィオラが必死に抵抗している。
どうにか拘束から逃れようとしているが、掴む手はビクともしない。
「お嬢ちゃん、悪く思うなよ。俺たちも仕事なんだ」
「嫌ですっ。嫌ぁっ」
「あー、適度に痛めつけろ。だっけか? 髪でも切ればいいか。かわいい顔を殴るのはちと良心が痛むが」
「あなたたち」
ラヴィニカは、地を這うような声音を響かせる。
「なにをしているの?」
「お姉様……!?」
「あ? なんだ、おま……」
唐突に現れたラヴィニカに気を取られ、男たちの視線が一手に集まる。
この隙を、ラヴィニカは逃さない。
「ルカ」
「はい、お嬢」
気配を消し、フィオラの真横まで進んでいたルカが、さっとフィオラを抱き上げる。
「あ!?」
男たちが気づいた時にはもう遅い。
ルカは高く跳躍し、途中脇の壁も蹴りながら、ラヴィニカの真隣に着地した。
「え、え……え!?」
いきなり抱き上げられ、跳躍されたフィオラは大混乱だ。
目を白黒させて、ルカとラヴィニカの顔を順に見ている。
ラヴィニカはフィオラを庇うように前に立ち、男たちを冷ややかに見据えた。
「悪いことは言わないわ。雇い主を吐きなさい」
ルカの大立ち回りに驚きを顕にしていた男たちは、最初こそ虚をつかれた顔をしていた。
だが、徐々に好戦的な笑みを浮かべるとラヴィニカたちを言含めるような声音で話し出す。
「おいおい、いきなり乱入してそりゃねえだろ。痛い目みたくなけりゃ、そこのお嬢ちゃんをこちらに渡しな」
「断るわ」
「後悔するぜ?」
「しないわね」
「はあ、仕事以外に手え出すのは趣味じゃねえんだが」
男は周りの男たちに目配せする。
「少し、痛めつけてやらねえと分からねえみたいだ」
男たちが数人、こちらに走ってくる。
「ルカ、フィオラさんをお願い」
「お姉様!?」
ラヴィニカは短くそう指示し、数歩前に進み出た。
「うぉらァ!」
(遅い)
男が振るう拳をサラリとかわし、前につんのめった頭に回し蹴りをくらわせる。
ラヴィニカのつま先が後頭部を強打し、男は為す術なく意識を刈り取られた。
(一人目)
続けざまに、ナイフを振りかぶった男の懐に肉薄。
低い位置から顎先を蹴り上げた。
男は脳震盪を起こし、白目をむく。
「グがっ」
(二人目)
先ほど倒した男のナイフをかすめ取り、強襲してきた男の鉄の棒を後ろ手に受け止めた。
「……は?」
手首のスナップを効かせ、くるりとナイフを回せば、いとも簡単に男のバランスは崩れる。
自身の目の前に倒れ込んだ男の首元を狙って、肘を落とした。
(三人目)
この間、わずか十八秒。
シン——とあたりが静まり返る。
ラヴィニカは髪をばさりと払って見せた。
「……これでおしまい?」
中心で指示を出していた男が、わなわなと震える。
しばらく睨み合いを続けていたら、ふと、あの男の顔に覚えがあることに気づいた。
(あら、あの男、確かあの時の)
「お、お前ら、全員で行けぇ!」
男の悲鳴のような号令に、男たちが一斉に走り出す。
ラヴィニカはふむ、と顎に指を当て、後ろを振り向いた。
「ルカ、交代してちょうだい」
「かしこまりました」
ラヴィニカとルカは、一足飛びでお互いの立ち位置を交換する。
ルカは前に出るなり、バキバキと手の骨を鳴らした。
「さて、と」
ルカは、目の前に来た男のひとりの顔面を——思い切り、殴り飛ばした。
男は、綺麗な弧を描いて飛んでいく。
(腕力じゃ、敵わないのよねえ)
その荒々しい戦法は、見た目の温和さもあいあまって見る人の目に不気味に映る。
「さ、次に殴られたいのは、どなたです?」
とても良い笑顔でそう聞くと、男たちは青ざめて後ずさった。
「あ、あ……」
その時、指示役の男が、幽霊でも見た顔でルカのことを指さす。
その指は情けなく震え、顔も恐怖で引きつっていた。
「お、お前、あの時の……」
「ああ、やっぱりそうなのね」
「お嬢、どういうことです?」
ルカはまだピンときていないようだったので、ラヴィニカは男たちを指さし教えてやる。
「こいつら、あの時の暴漢よ。ほら、フィオラさんの髪飾りスったやつを、追いかけてきたやつら」
「……ああ!」
ルカはようやく合点がいったようで、ぽんと手を打つ。
男たちも、ルカが先日自分たちをボコボコにした張本人だと気づき、ガタガタと震え始める。
ルカはわざとらしく口角を上げると、トラウマを刺激するように囁いた。
「……それじゃ、遠慮はいらねえな」
「う、うわぁぁぁあ」
最初に逃げ出したのは、指示役の男だった。他の男たちも後に続いて、蜘蛛の子を散らすように去っていく。
「どうします、お嬢。追って雇い主吐かせます?」
「そうね。深追いしない程度にお願い」
「仰せのままに」
ルカが走り始めると、男たちの悲鳴はより一層大きく響いた。
やれやれ、と思っていると、ちょいちょいと袖を引っ張られる。
「あ、あの、お姉様……?」
見れば、目も口もまん丸にしたフィオラがいる。
(どうやって誤魔化したものかしらね)
「フィオラさ——」
「……すごいです!!」
ラヴィニカが言い訳を口にするより早く、フィオラが瞳を輝かせた。
ラヴィニカの方が、面食らってしまう。
「お姉様も、ルカさんも、あんなにぎったんばったん……かっこいい……」
「え、ええと、口外しないでくれると嬉しいのだけれど……」
「はい! 絶対しません!」
フィオラは口の前でバツ印を作る。
ふんふん、と鼻息荒くしていた。
(本当に、大丈夫かしら)
若干の不安はありつつも、フィオラが自分を拒絶しなかったことにホッと安堵する。
怖がらせていたら、と今さらそんなことを考えてしまった。
「ねえ、フィオラさん。どうしてこんなところに、ひとりで来たの? あなたはもう聖女なのだし、危険なこともあるのよ」
「う……すみません」
軽く叱ると、フィオラはしょぼんと肩を落とす。
自分でも、良いことではないとは分かっていたようだ。
ラヴィニカは、視線で続きを促す。
「私、気分転換を、したくなってしまって」
「気分転換?」
「はい。最近、暗くなってしまってばかりだったから、楽しい思い出がある場所に行けば、少しは気分が上向きになるかも、って」
「そう、だったの」
ラヴィニカも、ここ最近のフィオラの様子を思い出し、胸を締め付けられる。
(これ以上、文句を言えなくなってしまったわ)
フィオラを苦しめている原因のひとつに、自分の存在があることが恨めしい。
やはり、アルジェントは大々的にフィオラを守るべきだ。
「ねえ、フィオラさん」
「はい!」
「やっぱり婚約破棄を今すぐにでもした方が」
おずおずとそう告げれば、フィオラは息を飲み、キッと眉をつり上げる。
「ダメです!! それでは、それこそ、お姉様に傷がついてしまいます」
フィオラはラヴィニカの手を、胸の前で祈るように握りしめた。
「私は、お姉様が大切です。自分が苦しいより、お姉様が傷つく方が何倍も、何十倍も苦しいんです。お姉様が傷つくくらいなら、自分が苦しい方がマシです」
「でも……」
ラヴィニカが視線を落とすと、フィオラは声を和らげて、そっと囁いてくる。
「お姉様、私、ずっと不思議だったことがあるんです」
「……」
「お姉様は、こんなにも素敵な方なのに、どうしていつも、ご自分を卑下なさるんですか? まるで自分を、いらないものみたいに」
ラヴィニカは瞠目する。
フィオラは、ラヴィニカを見透かすように微笑んだ。
「お姉様は、大切にされるべき方です。愛され、幸せになるべき方です」
フィオラは、万物を照らすひだまりのような笑顔を見せた。
それこそまさに、聖女の風格。
ラヴィニカは今、フィオラこそが聖女なのだと、心の底から感じた。
「お姉様自身が、私が言ったことを信じられないなら、私は何度でも言います。——お姉様は、幸せになっていいんですよ」
ラヴィニカは、はく、と口を動かした。
なにか答えようとして、でも声にならなくて。
ようやく発した声は、自分のものと思えないほどに、掠れていた。
「ほん、とうに……?」
「はい」
「私が、私なんかが、幸せに、なってもいいの……?」
そんな資格、あるわけないのに。
「はいっ。もちろんですっ」
フィオラが、そう肯定してくれるから、縋りたくなってしまう。
自分は愛され、幸せになってもいいのだと。
(この子は、私が前世で何人もの人を手にかけたのか、知らない)
ラヴィニカは、自身が大罪人であることを知っている。
ようやく、大罪人なのだと理解できるようになったのだ。
それでも
(私、愛されたい。幸せに、なりたい)
自分も、あの温かいものの一部でいたいと、思ってしまったから。
「フィオラさん」
「はい」
「ありがとう」
「はいっ」
フィオラの方が、辛い状況にいるはずなのに、この子はいつも他人のことばかりだ。
「お嬢〜、戻りましたー」
ルカの声が聞こえて、慌てて目元をこする。
なんとなくフィオラの後ろに隠れると、ルカが訝しげな顔をしてきた。
「……何してるんです?」
「ルカさん! 乙女には、見られたくない顔があるんですっ」
「ちょ、ちょっとフィオラさんっ」
慌てて顔を出し、突っ込まれる前にごほんと咳払いをした。
「と、とりあえず、早く帰りましょう。お腹がすいてしまったわ」
「そうでした! 朝ごはんもまだでした!」
「そう言われると、お腹がすきますね」
ラヴィニカたちは三人で顔を見合せ、帰路を急ぐことにした。
〇〇〇
学園に帰ってきた三人は食堂で朝食を済ませた。
温室に行ってくるというフィオラとは寮の手前で別れ、ラヴィニカとルカは自室に戻ってきていた。
「今日が休日で良かったわ」
「まったくです。ここから授業だったら大変でした」
紅茶で一息つき、ラヴィニカは姿勢を正した。
「ルカ、報告をお願い」
「はい。彼らの目的は自分たちでも言っていましたが、フィオラちゃんへの暴行だったそうです」
ラヴィニカは、止めることができて本当に良かったと胸を撫で下ろす。
ゲームでもフィオラが王都に気分転換の散歩に行き、髪を切られる、殴られるといった暴行を加えられるイベントがあった。
このイベントは、アルジェントを筆頭にした攻略対象たちに、ラヴィニカの断罪を決意させるものだったのだけれど……
「彼らは、依頼者の名前も口走っていました」
「……」
「ラヴィニカ・ノービレ。だそうです」
「そう」
一連の騒動の黒幕は、徹底してラヴィニカを犯人に仕立てたいらしい。
ルカによると、依頼人自身がそう名乗り、それ以上の情報は知らないと言っていたそうだ。
全てを信じる訳にもいかないが、嘘を言っている雰囲気もなかったそう。
ラヴィニカは口をつぐみ、己の心と向き合った。
そう時間はかからず結論は出て、ラヴィニカは顔を上げる。
「ねえ、ルカ。私、誰も殺すべきではないと思うの」
そう言ってから、少し違うなと思い直す。
「いいえ、違うわね。——殺したく、ない」
「……」
「今世では、誰も殺したくないのよ」
ストン、と胸にしっくりきた。
これが自分の本当の想いなのだと、断言できる。
(私、ずっと殺したくなかったのね)
それはきっと、前世から。
かつての、殺し屋だった私が私に囁いているかのよう。
『あなたは、本当の気持ちを見失わないで』
(ええ。もう二度と)
ラヴィニカは深くそう決意していた。
と、ルカが深く深く息を吐き出し、苦笑をこぼす。
「僕は元々、あなたの手を汚させるつもりなんてありませんよ」
そう言ったルカは、懐からガラス製の小瓶を取り出す。
ラヴィニカはそれを受け取り、中で揺れる液体を見つめた。
「贈り物です。なんでも、よく効く気つけ薬、だそうですよ」
「そうなの。私には必要ないわね」
「そうですねえ。ですから、今度のお茶会の授業でそれを持って行ってくれませんか」
「どうしてそうなるのよ」
ラヴィニカが目を細めると、ルカはぱちりと片目を閉じる。
「時が来ましたよ、お嬢」
ラヴィニカはその言葉を聞き——ふっと口元を緩めた。
「そう。なら、盛大にもてなさなくてはね」
ラヴィニカは小瓶を握りしめ立ち上がると、部屋の窓を開け放った。
朝の気持ちのいい風が、ラヴィニカの髪を攫う。
朝日が、ラヴィニカの新たな門出を祝していた。




