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24.かつて、殺し屋の女がいた

「ルカ、来ていたのね」


 ルカは、自身を呼ぶ甘ったるい声を聞きつけ、振り返った。

 この場に、ラヴィニカはいない。

 それは、ルカを呼び出したのが他でもない()()だったからだ。


「あなたをお待たせする訳にはいかないでしょう?」

「ふふっ、いい心がけだこと」


 夜の闇に紛れて、彼女が微笑む。

 ここは、女子寮の裏手にある使われていない倉庫。彼女とルカが決まって使う、密会場所だった。

 ルカは不満を顕にするように口を尖らせる。


「そういえば、なんなんだったんですか、あの茶番は。生徒にお嬢がフィオラちゃんを突き飛ばした犯人であるかのように告げて」

「あら、とても良い演出だとは思わない?」

「……。フィオラちゃんを突き飛ばすのも、僕は聞いていません。協力するからには、事前に情報共有していただかないと」

「試したのよ、あなたを。ちゃんとわたくしの、味方をしてくれるかどうか」


 彼女はクスクスと笑う。


「傑作だったでしょう、あの時のラヴィニカは。誰も彼もが自分を疑い、誰も自分を庇ってはくれない」

「……」

「ラヴィニカも驚くでしょうね。まさかフィオラの嫌がらせをしている犯人が、自分の従者だなんて」


 彼女は、ルカの胸に手を這わせる。

 ルカは、「階段から突き落としたのは、僕ではありませんが」と付け足す。

 彼女はなにが面白いのか、クスクスと笑い続けていた。


「ラヴィニカはいずれ破滅する。……でも安心して? 約束通り、あなたにはたっぷりと報酬をあげるし、次の雇用先も見つけてあげるから」

「……ええ」


 ルカの耳元でねっとりと囁いた彼女は、サッとルカから離れると、懐から小瓶を取り出した。

 ガラス製のその小瓶には、揺れる液体が入っている。


「……それは?」

「ただの()()()()よ。これをね、ラヴィニカに渡して欲しいの」

「……」

「持ち物に紛れ込ませても、わたくしからの贈り物だと言ってもいいわ。ただ、ひとつだけ忘れないで」


 彼女は顔の近くに小瓶を持ち、人形のような無機質な笑みを向ける。


「今度開催されるお茶会の授業、その時に、必ずラヴィニカにこれを持たせて」


 放って渡されたその小瓶を、ルカは危なげなく受け取る。

 ルカの手の中には、妖しく光る小瓶が収まっていた。


「よろしくね、ルカ」


 最後にまとわりつくような声を残して、彼女はこの場を去っていった。


 〇〇〇


 早朝。ラヴィニカはベッドに寝転がり、寝ぼけ眼でボウッと天井を眺めていた。

 脳裏には、あの疑いの眼差しがこびりついている。


『わたくし、見てしまったんです。聖女様を突き落とした方の髪色が、キャラメル色でしたの……っ』


 脳内で何度も繰り返されるウルティアの声が忌々しい。


(私は、やはり、殺ししかできないのかしら)


 噂のことも、嫌がらせのことも、婚約者差し替えのことも。

 自分がどうしたらいいのか、全く分からない。

 頭に浮かぶのは、誰を殺したら丸く収まるのかという計算だけ。

 ラヴィニカの頭は、自然と相手の急所を突こうと思考回路を働かせる。


(昔からずっと変わらないわね。私は)


 ラヴィニカは前世の記憶をたぐり出す。

 それは、殺しと血にまみれたひとりの女の話だ。


 〇〇〇


 少女は、ひとりぼっちだった。

 いや、母はいた。母はいたが、母は少女を見なかった。

 母が男を連れてきたとき、ネグレクトは決定的になった。


『新しいお父さんよ』


 そう言われたが、母も父だという男も少女を見向きもしなかった。


『おかあさん、ごはん……』


 食事は用意されなかった。

 毎夜毎夜派手な服を着て出かける母を見送って、ゴミを漁る毎日。父は少女を見ると殴ってくるので、少女は家の中で密かに隠れるように生きていた。

 そんな少女の人生が変わったのは、父が来てから一年が経った頃。


『おいおい、こんなところにガキがいるたぁな。こりゃひでえ。最後に風呂に入ったのはいつだ?』


 その男は、少女の目の前で父と母を殺した。

 返り血のついた顔に笑みを浮かべ、押し入れで縮こまる少女をのぞきこんだ。


『あー、お前の親を殺したのは俺だが、恨むなよ。こいつら、抱えきれないほどの借金があって、借金取りからもう殺しちまってくれって依頼があったんだ』


 少女は、震えていた。

 だが、瞳を見開いて彼が纏う鮮血をじっと見つめていた。


『ま、ガキに言っても分かんねえか。おいガキ、今、ここで選べ』


 男は平然と、少女に二択をつきつける。


『殺し屋になるか、死ぬか。二つに一つだ』


 少女は、男の言っている意味が分からなかった。分からなかったが、答えを間違えれば殺されるのだと分かっていた。

 少女に生きたいという意志はない。だから、この選択は、ただの生存本能だった。


『おっ。ついてくるか。見込みがあるな』


 少女は、男の手を取っていた。

 母と父を殺した彼の手を、取っていた。


『ガキ、名前は?』

『おい、とか、お前』

『それは名前じゃねえな。よし、俺がつけてやろう。あー……【いちご】、【いちご】なんて、どうだ? ガキだし、女だし、ちょうどいいだろ』

『わたし、【いちご】……?』

『おお、そうだ』


 この日、少女は【いちご】になった。

 少女が連れて来られたのは、一軒のボロアパートだった。四畳半の部屋に入れられ、男は少女に一日分の食料を与える。


『今日からここがお前の部屋だ。食事と必要な物は一日一回、届けてやる。その時に、殺し屋として育ててやっからな』


 そこからの日々は、血と殺しに彩られる。

 男は宣言通り、一日一回少女の元を訪れると、殺しの現場に連れて行った。殺しの修行が終われば、部屋に帰り食事と日用品を置いて去る。

 最初こそ、少女は殺しも血も怖い物に思えたが、そんな時期はすぐに過ぎていった。


 食べて、寝て、殺す。


 そんな日常を過ごしているうちに、元々薄かった感情はすり減っていった。


 少女はやがて女になり、殺し屋としても凄腕と言われるまでになった。

【いちご】の名は恐怖とともに語られるものになる。

 女は、淡々と殺すだけの日々を過ごしていた。殺しに感情は伴わない。ただの作業で、ただの仕事だ。

 他の人生の形など、想像すら出来ない。そう思っていたときだった。


『もうひとつの人生を送ってみませんか?』


 殺し屋の仕事を終えた帰路。街中で流れる広告が、なぜか目にとまった。

 そのキャッチコピーが、心に反響する。

 部屋に戻った女は、広告で見た乙女ゲームのアプリをインストールしていた。

 

 そして、知る。


 世界は、殺しだけではない。

 女は思う。自分が殺した人は、殺されるべき人物だったのか?

 心に揺らぎが生じた少女は、ミスをした。自身を拾った男に迷いを見せてしまうという、ミスを。

 だから、死んだ。

 しかし、その死は決して冷たいだけではなかった。



 転生した女を迎え入れたのは、女が見たこともない笑顔を向ける男女だった。


『ラヴィニカ、お父さんだぞー』

『もう。あなた、そこはお父様、でしょう。この子は貴族の令嬢なのですから』

『そ、そうか。お父様だぞー』

『まったく。……ラヴィニカ、私がお母様ですよ』


 彼らは、女が知る母と父とは全てが違っていた。


『愛しているわ、ラヴィニカ。私のかわいい娘』

『ラヴィニカは僕たちの宝物だな』


 愛してる……?

 宝物……?

 それは、自分に向けられることがないと思っていた感情。


『かわ、いい……?』


 ラヴィニカが不思議そうにそう呟けば、両親は決まってぎゅうぎゅうに抱きしめてきた。


『ええ! かわいいわ!』

『大好きだぞ!』


 女は、戸惑った。

 自分の心に、新しい感情が生まれた。


(この温かいものは、なにかしら)


 それがなにかは分からなかったが、女はそれを大事に大事に抱えていた。

 

 成長し、五歳になった女はかつての自分と同じような目をする少年と出会う。


『ねえ、あなたなにしてるの?』

『わあ!』


 その少年は孤児で、身売りされたのだという。身売り先はとある犯罪組織で、暗殺者としての教育を受けているというのだ。

 女は少年を拾うことにした。

 ルカという名を与えて、自分の手元に置いた。


 それからも、女の人生は分からなくて、知らなくて、どうしようもなく温かいものとの出会いの連続だった。


 自分を対等に扱い、認めているというアルジェント。

 自分をお姉様と慕い、まっすぐな視線を向けるフィオラ。


 自分もなにか変われたんじゃないかと、そんな気がした。

 自分も温かいものの一部に、なれたんじゃないかと。


 〇〇〇


 ラヴィニカは天井を見上げた姿勢のまま、とめどなく溢れる記憶に身を任せていた。


(結局私は、なにも変われていないのね)


 いつまでたっても、殺ししか出来ない、血と殺しにまみれた名もなき女。

 殺ししかできない人間が、友情だの愛だのを得られるわけがなかったのだ。

 そんな資格、あるわけない。


(殺すしか、ないのかもしれない)


 破滅を回避するためならば。方法がそれしかないならば。


 ふわりと、窓の方から柔らかい空気が流れてきた。


(あ、窓、隙間が開いてる)


 導かれるように、身体を起こした。

 ふらりと歩いて窓枠に手をかけ、ふと、見慣れた髪色が視界に入り、動きを止めた。


(あれは、フィオラさん……?)


 フィオラが女子寮からおぼつかない足取りで出ていくのが見えていた。

 ラヴィニカは、頭の中で鳴る警鐘の音を聞く。


(待って。聖女覚醒のあと、フィオラさんは階段から突き落とされた。その後、なにか王都でもイベントがなかったかしら)


 先ほどまでベッドに横たわっていたと思えない素早さで、ラヴィニカは動き始めていた。


「お嬢ー。お目覚めですか? ちょっと話したいことが」


 ガチャリと扉を開けたルカの腕をひっつかむ。


「ルカ。急いで私の身支度を整えて。フィオラさんの後を追うわよ」

「え、ええ?」


 ラヴィニカは返事を待たず着替え始め、ルカは慌てて後ろを向いて目を閉じた。


「ちょっとお嬢! 子どもじゃないんですから、着替えはですねー」

「終わったわ。さ、早くして」


 ラヴィニカはドレッサーの前に座り、ルカを急かした。


 



 

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