22.王宮でのお話
とある学校の休日。
アルジェントは、王宮内にある自身の執務室で公務をこなしていた。
しんと静まり返った部屋は豪勢だが、どこか物悲しい。
アルジェントが走らせるペンの音だけが、響いていた。
(フィオラを学園に通わせるための調整は、あとこれだけか。まったく、司教様は頭が固くて困ったね)
夏季休暇中から今日に至るまで、アルジェントはフィオラの待遇を、できるだけ個人を尊重するものにするため、奔走していた。
学校が休みの日に王宮に通い、公務をこなしているのもそのためだ。
(フィオラを、悲しませたくない)
フィオラならば、それが己の役目だから、と自分の気持ちを押し殺しても聖女の役割を果たそうとするだろう。
けれど、アルジェントはあの太陽のような微笑みが、少しでも陰るのが嫌だった。
「ふう」
一息つき、目頭を押さえる。
さすがに目を酷使しすぎたか。
と、執務室の扉をノックする音が聞こえて、即座に完璧な王子様の笑みを貼り付ける。
(訪問の予定はなかったはずだが)
確認書類でも増えたのかと、少々げんなりしながら入室の許可を出す。
「どうぞ」
ゆっくりと扉を開け姿を見せたのは、意外な人物だった。
アルジェントは意識的に笑みを深め、警戒の色を濃くする。
「僕を訪ねるなんて、めずらしいね。デクリーア公爵」
「いやはや、殿下にいたりましてはご機嫌うるわしゅう」
(今、機嫌は悪くなったけどね)
王子に事前の伺いもなく訪ねてくるとは、失礼だと思わないのだろうかと甚だ疑問に思う。
そんな思いはおくびにも出さず、アルジェントは彼の出方を待つことにした。
——デクリーア公爵家当主。
先代国王王弟の息子で、権力の亡者であると認識している。
昔は娘のウルティアを婚約者にとうるさくて、辟易していた。
「いやなに、殿下とは腰を据えて一度話してみたいと思いましてな」
「そうかい。申し訳ないけど、僕は今公務で手一杯でね。まったく、自分の無能さが嘆かわしいよ」
暗に、席について話すつもりはない、と伝えている。
着席を許されなかった公爵は立ったままピクリと眉を動かすが、媚びるような笑みは崩さなかった。
「腰を据えて、ということは、なにか大事な話があったのかな?」
(さっさと用件を終えて、さっさと帰ってくれ)
そう伝えれば、公爵は大仰に腕を動かし、「そうなのです」と笑みを深めた。
「私、たまたま小耳挟んだ話があるのですが……」
(どうせ、大した話じゃないだろう。適当にいなして)
「殿下、婚約者を差し替えるおつもりなのですね?」
「……」
アルジェントの目から笑みが消える。
それに気づかない公爵は、すぐさま否定しないアルジェントを前に早口になった。
「ああ、やはりそうだったのですね! 娘から聞いております。どうやら学園では、聖女様に犯人不明の嫌がらせが行われているとか。我が国の至宝になんたる無礼!! 殿下もさぞ、憤りを覚えていらっしゃるでしょう」
公爵は一度言葉を切り、目元を拭うような仕草をした。
そして、素早くアルジェントの机間近まで来ると、声を潜めて囁く。
「私、聞いてしまったのですよ、その嫌がらせが、だれによって引き起こされているのか」
(こいつは……)
公爵は悲惨さを滲ませ、さもアルジェントを憐れむような顔をしているが、内心では醜く口角を上げているのだろう。
「殿下の婚約者、ラヴィニカ様が手引きしているという話では、ありませんか」
アルジェントは奥歯を噛み締め、表向きは笑みを絶やさぬまま、困ったように眉を寄せて見せた。
「それは、根も葉もない噂です。ラヴィニカがやったという証拠はどこにもありません」
「殿下がそう言うしかない、というのは分かっております」
(言葉が通じないのか? こいつは)
アルジェントはとうとう苛立ちが限界を迎えそうな予感を感じた。
「聖女様には後ろ盾が必要です。聞けば田舎の男爵令嬢だというじゃありませんか。殿下とも親しくしていらっしゃるご様子。ご自分の手で守りたいと、思われているのでは?」
「話が見えませんね。なにがおっしゃりたいのでしょう」
公爵は話わかりの悪いアルジェントを諭すように、こう言った。
「もし、殿下が婚約者を差し替えられるのであれば、私めがお力になりましょう。その時はぜひ、我が娘ウルティアもお使いください。社交界を知らぬ聖女様の、良き助けとなるでしょう」
(こいつ、まだ諦めてなかったのか)
最後にウルティアを押し出してきた公爵に、舌打ちしたい気持ちにかられたがなんとか堪えた。
「それでは、私はこれにて」
公爵の姿が見えなくなり、廊下の足音が聞こえなくなるまで、アルジェントは笑みを保って微動だにしなかった。
ようやく身体から力を抜いたのは、扉がしまってたっぷり三十を数えた時だ。
「たぬきジジイめ……」
普段は決してこぼさない暴言を吐き、思考を巡らせ始める。
(さすがに、ラヴィニカにも嫌がらせや噂のことを相談するべきか……いや、先にフィオラと話してからだな。ラヴィニカには伝えないでくれと、言われたばかりだし)
アルジェントは背もたれに体を預け、天井を仰ぎ見る。
(ラヴィニカが嫌がらせだと? ありえるわけがないだろう)
アルジェントにとっては、噂は全て眉唾でしかなかった。
その眉唾ものの噂を嬉々として持ち出してくるあたり、公爵もたかが知れている。
「……やるか」
公爵との対話でどっと疲れてしまったアルジェントは、気力で再びペンを握った。
〇〇〇
ラヴィニカは、バタバタと足音を立てて廊下を急いでいた。
目的地は、生徒会室。
ラヴィニカはとある聞き捨てならない話を聞き、確かめねばとその部屋に向かっていた。後ろには、淡々とついてくるルカもいる。
勢いをつけて生徒会室の扉を開けると、ソファで寄り添うアルジェントとフィオラの姿があった。
フィオラはラヴィニカを見るなり、サッと顔を隠す。
ちらりと見えた目元は、赤かったように思えた。
(もう、我慢ならないわ)
今まで、違和感はあった。
土汚れのついた教科書に、レンガが落ちてきたという話。
どれもいつかフィオラが自分から話してくれるだろうと、ラヴィニカは待っていたのに。
フィオラは頑なに、話してくれなかったのだ。
そして今回、取り返しがつかなくなるような、事態を耳にした。
ラヴィニカはもう、フィオラを待ってやることなどできそうになかった。
「どうしたんだ。ラヴィニカ」
アルジェントの声は無視し、ラヴィニカは一直線にフィオラの元へ歩み寄る。
「ねえ、フィオラさん」
ラヴィニカはフィオラが逃げ出さないよう、彼女の正面に回り込み、しゃがみこむ。顔をのぞきこむが、視線をそらされてしまった。
「なにがあったのか、そろそろ話してちょうだい」
「……」
フィオラは固く、くちびるを引き結んでしまう。話すつもりはないらしい。
が、ラヴィニカも引いてやるつもりはない。
ずっとずっと蚊帳の外に置かれて、ラヴィニカだっていらだっているのだ。
「私が、なにも知らないとでも思っているの?」
ラヴィニカがそう言うと、フィオラは顔を青ざめさせてこちらを見た。
(やっと、目が合ったわね)
フィオラは、ひどくショックを受けたような顔をしていた。
ラヴィニカがさらに問い詰めようとすると、それに待ったをかける人物がいた。
アルジェントだ。
「待て、ラヴィニカ。そんなにフィオラを責めるな。フィオラは悪くない」
「責めていないわ。聞いているだけよ」
「ああ。分かった。話すから、一度フィオラを解放してやってくれ」
そう言われて、ラヴィニカはしぶしぶ立ち上がりフィオラたちの対面に腰を下ろした。
ルカもラヴィニカの隣に座る。
アルジェントは額に手をあて、疲れたような吐息をもらした。
一度フィオラを思いやるように背をなでながら口を開いた。
「フィオラが、嫌がらせを受けていたのは、知っているか?」
「知っているわ。だいぶ騒ぎになっていたもの」
フィオラはふるりと体を震わせた。
まさか、ラヴィニカが知らないと思っていたのか。まったく、こういう考えの甘さはまだまだだ。
「その嫌がらせが、最近酷くなっていてな」
「……」
「昨日、フィオラが何者かに突き飛ばされた。それも、階段の上からだ」
グッと、痛いほど拳を握りしめる。
小耳に挟んだ話は、本当のことだったのだ。
ラヴィニカは無意識にフィオラの身体を観察していた。目視する限り、フィオラに外傷はない。
「大きなケガは、なかったのね」
「ああ。幸い、フィオラは運動神経が良いからな。咄嗟に手すりをつかんで、事なきを得たらしい」
「犯人は?」
「それが、顔を見ていないそうだ。すぐに去って行ってしまったらしくて」
ラヴィニカの心が冷え込んでいく。
うっすらと殺気も漏れ出てしまったらしく、ルカに「お嬢、寒気がするので殺気はしまってください」と言われてしまった。
ラヴィニカは一度深呼吸をすると、再びアルジェントを見据える。
「今回の件については分かったわ。それで? その様子だと、これが初めてではないのよね? 他にも私に隠していることが、あるのでしょう?」
ラヴィニカが目を細めると、アルジェントが観念したように両手を挙げる。
「分かった。悪かったと思ってる」
アルジェントはフィオラの様子を確認するように横顔を眺める。フィオラがうつむいたままでいると、代わりに説明しようと口を開きかけた。
「最初、は、物を隠されたり、汚されたりする、だけだったんです」
アルジェントが声を出すよりも先に、フィオラがか細い声を出す。
「私、気のせいかもって、思おうとしたんです、けど。その内、靴に鋏が仕込まれたり、レンガを落とされたり、して……」




