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21.新学期は意味深に

「助けてください、お姉様あっ」


 夏季休暇が終わり、新学期が始まってから早数日。

 とある日の放課後に、フィオラがラヴィニカの自室へ飛び込んできた。


「扉を開けるなり抱きついてこないでちょうだい」

「わあん! いつものお姉様だあっ」

「どういう情緒よ……」


 ラヴィニカはフィオラを引き剥がして手近な椅子に座らせ、自分もその横に腰を下ろした。

 優秀なルカは、既に紅茶をいれ始めている。


「それで、どうしたのよ」

「うっ、ううっ、皆さんの態度が違いすぎるんですぅ!」

「ああ」


 フィオラはわっと顔を手で覆うが、それは仕方のない事態であるとも言えた。

 なにせフィオラは、聖女になったのだから。


 魔物の襲撃があったあの日、フィオラは聖女として覚醒した。

 当然、国中の大騒ぎ……とはならず、学園の生徒と教師には箝口令が敷かれ、国と教会のお偉方だけが把握している状況となった。

 聖女は伝説の存在であり、保護対象。

 フィオラの今後については、随分とアルジェントが尽力したようだ。

 

「仕方ないわよ。夏季休暇中は王宮と教会を行き来して、修行もしていたんでしょう?」

「そうなんですけどぉ。王宮での生活も、私はもう緊張して緊張して……」


 とまあ、なんとか夏季休暇中は乗り切ったらしいが、聖女になった弊害は新学期に生じたようだ。


「って、夏季休暇中のことはいいんです! 新学期に入ってからみなさん、前まで私を田舎貴族とか言っていたのに、急によそよそしくなってしまって。私のこと、聖女様、なんて呼んで……」


 田舎貴族と呼ばれていたのは聞き捨てならないが、聖女様というのも大変そうである。

 フィオラはラヴィニカにすがりついて、べそべそと泣き言をもらした。


 「私は、残り少ない学園生活を普通に過ごしたいだけなのにぃ」


 ラヴィニカはその言葉になんと返したら良いか分からず、そっとフィオラの頭をなでるだけで留めた。


 聖女は、この世界にひとりしかいない大役だ。

 歴代の聖女はみな、国を跨いだ浄化の旅に出るのだという。世界中の魔力溜りを浄化しきるまで、旅をし続ける時がフィオラには来る。

 それは決して遠い未来ではなく、もし魔物が急速に活性化してしまえば聖女が出ざるを得ない。そうなれば、フィオラは卒業を待たずに浄化の旅を始めることになるだろう。


 ラヴィニカは、フィオラの制服姿をじっと見つめた。


「フィオラさんは、よくがんばっているわ」

「お姉様っ、そんな風に言ってくださるんですね! 嬉しいです!」

「ええ。夏の夜会の時の活躍は、私も聞いているもの。聖女修行も、毎日がんばっているのでしょう?」


 夏の夜会の時、フィオラは他の生徒たちを鼓舞しパニックになることを抑えたのだという。

 今聖女様と崇められているのも、あの時のフィオラの振る舞いがあったからこそかもしれない。

 その時、ラヴィニカの視界にフィオラの鞄が入る。フィオラの鞄の口から、薄く汚れた紙がはみ出ていた。あれは、教科書の一部ではないだろうか。


「フィオラさん、教科書が出ているわ。とても汚れているようだけれど……」

「え? あ、ああ!」


 フィオラは慌てたように立ち上がると、ラヴィニカが手を伸ばすより先に自分の鞄を取り上げる。

 そして、鞄を胸に抱くと勢いよく立ち上がった。


「す、すみませんお姉様、私、これから自習をしようと思っていて!」

「そう、だったの。図書館に行くの?」

「いえ! 部屋にこもろうかなって」


 フィオラは「えへへ」とわざとらしい笑みを浮かべると、嵐のように去って行った。

 いきなり来たと思ったら、いきなり去って行く。

 この元気がよすぎるところは、聖女になったからといって変わらない。


「あの子、もう少し落ち着けないのかしら」

「紅茶、飲まずに行っちゃいましたねえ」


 ルカが、ティーポット片手にフィオラが消えた扉を眺めている。


(それにしてもあの教科書……あれは、土汚れ? あんな汚れ、普通に使っていてつくものかしら……)


 ラヴィニカにはあの夏の夜会から、言い知れぬ不穏な空気を感じていた。

 本来、聖女覚醒は夏の夜会ではなく、冬の夜会でのイベント。


 あの、夏の夜会から。少しずつ、少しずつ、歯車が狂い出しているような気がして、ならないのだ。


 〇〇〇


 新学期が始まり、一ヶ月。

 ラヴィニカは授業終わりの教室で、広げていた教材をまとめていた。


(この後はルカと合流して、お昼を食べて……)


 休み時間に入った教室は騒がしい。一緒にお昼を食べようと誘う友人同士や、雑談に花を咲かせる生徒たちで賑わっているのだ。

 悲しいかな、ラヴィニカの周りには誰もいない。

 おおよそ、友人と言える存在がいないラヴィニカだ。かろうじてアルジェントは友人と言えるのかもしれないが、生徒会やら第一王子としての公務やらで忙しく、休み時間になるとすぐに生徒会室へこもりにいってしまう。

 ここからルカと合流するか、フィオラに突撃されるまで、ラヴィニカはぼっちだった。


「おい! 聞いてくれよ!!」


 片付けを終えたラヴィニカが腰を浮かしたとき、他クラスの男子生徒が教室に駆け込んできた。

 普段はそんなこと気にしないのだが、その男子生徒がやけにラヴィニカをちらちらと見てくるため、嫌な予感がした。

 ラヴィニカは再び腰を下ろし、さりげない仕草で彼らの口元に注目する。

 彼らは他に聞こえないよう声を潜めて話し始めるが、読唇ができるラヴィニカには全て筒抜けだ。

 

『なあ、大変だぜ。さっきの移動教室中、聖女様の頭の上にレンガが落ちてきたんだって!』


(——え?)

 

 心臓が、止まったかと思った。

 次いで、バクバクと動き出す心臓をなんとか押さえ込み、より一層神経を研ぎ澄ます。

 今すぐにでもフィオラの元へ行きたかったが、状況確認が先だと己を律した。


『えっ、聖女様がケガを!?』

『いや、それはギリギリ避けたみたいなんだけど』


 ラヴィニカはほっと胸をなで下ろす。

 どうやら、フィオラにケガはないらしい。

 では犯人は誰なのか、と考えたところで早計は良くないと思い直す。作為的なものではなく、ただの事故かもしれないのだ。

 そのまま読唇を続けていると、彼らの視線が一斉にラヴィニカの方を向いた瞬間があった。


 『そこは自然とレンガが落ちてくるような所じゃなくて、誰かが意図的に落とさない限り、レンガが落ちてくるなんてありえない場所だったんだ。それで、レンガを落とすよう指示した人がいるんじゃないかって話になって』


 彼らの視線は雄弁に、犯人はラヴィニカなのではと語っている。

 証拠などは、ありはしない。

 ただ、そのような噂が、流れているのだろう。

 

(どういうことなの?)


 一方でラヴィニカは、レンガ落下事件という出来事に覚えがあり困惑していた。

 悪役令嬢ラヴィニカは、この世界に存在しえない。その、はずなのに

 

(どうして、ゲーム内のフィオラさんへの嫌がらせが実際に起こっているのよ)

 

 ゲームでも、フィオラの頭上にレンガが落とされるという事件があった。

 ゲームでの首謀者は当然ながら悪役令嬢ラヴィニカであったが、この世界でラヴィニカはそんなことはしていない。

 にも関わらず、彼らはまるでラヴィニカが犯人であるかのように疑っている。

 

(私が、悪役令嬢となるよう、仕立てられている……?)

 

 ゲームのシナリオは、ずっと前から狂い始めていた。

 ラヴィニカは悪役令嬢として動かず、フィオラもラヴィニカをお姉様と慕う。

 聖女の覚醒も、本来であれば夏ではなく冬の夜会のはずだった。

 

 ゲームシナリオの狂いが、ラヴィニカに牙を剥き始めていた。

 

 〇〇〇


 ルカは、ラヴィニカがいる教室へ廊下を急いでいた。


(先生への質問をしていたら、少し遅くなった……)


 ルカの敬愛する主人は、ルカが遅れたところで文句を言ったりしない。が、ひとりぽつんとルカのことを待ち続けるのだ。

 ルカとしては、ほんの一秒でもラヴィニカに寂しい思いはさせたくない。

 急く心に従って、曲がり角を曲がったとき


「もし」


 と小さく声をかけられた。

 ルカは初め、それが自分に向けられたものだと思わなかった。

 だが、声は再び「もし」と言う。

 この声には、聞き覚えがあった。話したことはない。だが、ラヴィニカと話している姿や、教室で甲高い声を響かせている姿は見ていた。

 ルカは渋々足を止め、後ろを振り返る。

 案の定、そこには藤色の巻き毛の令嬢が立っていた。


「なにかご用ですか? デクリーア公爵家ご令嬢、ウルティア様」

「まあ、クラスメイトに話しかける理由を、わざわざ作る必要がありまして?」


 扇で口元を隠した彼女は、瞳を三日月のように細める。


(散々無視してきたのはそっちのくせに)


 身分が平民だからと、いないものとして扱っていたというのに白々しい。

 ルカが警戒を高めていると、ウルティアは扇で口元を隠したまま、猫なで声を出す。


「わたくし、あなたにお誘いをしにまいりましたの」

「はあ。どんなお誘いでしょうか。できれば主人を介してから——」


 ルカの訴えは、扇を閉じる鋭い音で遮られた。

 ルカは従者らしい完璧な笑顔を崩さず、ウルティアの真意を探ろうとする。

 ウルティアは一度くちびるを湿らせると、口角をつり上げ、瞳にどす黒い光を宿してルカを上目遣いで見上げた。

 

「あなた、わたくしのために働いてみない?」

 

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