20.光を纏う乙女
「フィオラ、ラヴィニカ、ルカ」
冷静なアルジェントの声が聞こえ、混乱しかけた頭がスッと平静を取り戻す。
アルジェントも驚愕したはずだが、それを表に出さず、あくまで冷静に指示を出し始めた。
「僕はこれから、生徒たちを落ち着かせて、避難誘導を始める。少し離れるが、三人とも大ホールで固まっていてくれ」
アルジェントは最後にフィオラに目を向けると、安心させるように微笑む。
「大丈夫だ、フィオラ」
「……はい」
アルジェントは今度こそラヴィニカたちに背を向け、走り去ってしまった。
そして、遠くから生徒たちをなだめ、避難を促す声が響き始める。
どうやらアルジェントは、自分のやるべきことを定め、的確に動こうとしているようだ。
(私も、動いた方が良さそうね)
ラヴィニカは瞬きする間にそう決めていた。
「お、お姉様。早く行きましょう。……お姉様?」
フィオラはアルジェントの言ったとおりに動こうと、ラヴィニカの腕を引くが、ラヴィニカは棒立ちしたまま動かない。
フィオラの顔には焦りと戸惑いが浮かんだ。
「は、早くしないとっ」
「フィオラさん、よく聞いて」
ラヴィニカはフィオラの海色の瞳をのぞき込み、幼い子を言い含めるように淡々と話しかける。
「私は今から動くわ」
「な、なにを言っているんですかお姉様」
「今は私の言っている意味が分からなくても構わないわ。けれど、どうか、最善を考え続けて。あなたは、あなたの想うままに行動すれば良いの」
「わ、分かりません。私には、なにがなんだか……っ」
フィオラは意味は分からずとも、ラヴィニカが自分から離れようとしていることだけは察したようだ。顔を青ざめさせて、しきりに首を横に振る。
だが、ラヴィニカはフィオラの言うことを聞いてやるつもりはなかった。
そっと彼女の手を腕から離し、強く一言だけ、伝える。
「信じているわ」
そして止められる前に、フィオラの前から走り去った。
後ろから呼びかけられた気もするが、聞こえなかったふりをする。
夜の風が冷たく、肌を切るようだった。
「いいんですか、お嬢。あんな風に置いてきちゃって」
「いいのよ。くわしく話す時間はないわ。それに、フィオラさんなら大丈夫だもの」
ルカは、当然のようにラヴィニカの後ろについていた。
フィオラのことは気にしつつも、顔は険しく前を向いていた。
ラヴィニカとルカは本校舎の所まで来ると、壁を蹴り、勢いをつけて登っていく。途中、窓枠に手をかけながら、屋根の上まで上がった。
(確かこの建物が、学園内で一番高かったはず)
「ひえー、高いですねえ。えーっと、確か魔物は王都の外から来てるんでしたっけ?」
「そうよ」
王立アウローラ学園は、王都の東端に位置している。
魔物は主に特定の森や海で発生しやすいが、稀にそうでない場所で発生することもある。今回は、非常に稀有なパターンらしかった。
ラヴィニカとルカは屋根の上、じっと王都の外れへ目をこらした。
最初はただの暗闇にしか見えなかったが、だんだんとその暗闇がうごめき、徐々にこちらに近づいてきていると分かる。
「うわっ。本当に魔物ですね」
「そうね」
「それで、どうするんです? お嬢」
ルカは、自分の主人がなにもしないわけがないと確信しているようだ。
ラヴィニカはルカに答え、本校舎の下を指差す。
「見て。光適性のある先生方と常駐の衛兵が戦闘態勢を整えているわ。これは、籠城戦よ。援軍の騎士がくるまで耐えるのが、私たちの勝利条件」
「あれ、魔物って浄化魔法以外でも倒せましたっけ」
「魔物なら、浄化以外の魔法や物理攻撃でも対処可能よ。けれど、魔物の発生源である魔力溜りは聖女の浄化でないとダメね」
「え、じゃあただの消耗戦じゃ」
「いいえ。魔力溜りはずっと魔物を発生し続けるわけじゃない。一定数魔物を討伐すれば、ある程度は抑えられるはず。その一定が、途方もないのだけれど」
ラヴィニカは分散し始める戦力を見定め、自分たちのやるべきことを見極める。
「それなら、僕たちは彼らでは対応しきれる程度に魔物をけずればいいわけですか。少なくとも、援軍が来るまで」
「ええ。それにもしかしたら、援軍よりも先に……いいえ、そちらを期待しすぎるのはやめましょう」
ラヴィニカは浮かんだ考えを振り払うように頭を振り、戦場を見渡す。
そして、最も脆そうな所を助太刀することにした。
「ルカ、私たちは姿を見られちゃダメよ。闇に紛れて暗躍するの」
「了解です」
こうして、ラヴィニカとルカは夜の闇に紛れていった。
〇〇〇
ラヴィニカとルカに置いてけぼりにされたフィオラは、しばらく呆然と二人が消えた方向を見つめていた。
だが、すぐにハッとして呼び戻さなければと考える。
(今から追いかける? いいえ、だめ。ふたりとも速かった。私が迷子になってしまう)
自分だけでは対処不可能と判断したフィオラは、助けを求める事にした。
「殿下!」
フィオラは自分の中で真っ先に浮かんだ顔を思い描きながら、大ホールの出入り口近くで懸命に避難誘導するアルジェントを呼んだ。
「フィオラっ!?」
すでにフィオラは中にいると思っていたアルジェントはフィオラの姿を見て息をのむ。
「どうしてここに……っ。いや、とにかく早く中に入るんだ。外は危ない」
「お姉様が! それにルカさんも、どこかへ行ってしまったんですっ!!」
「……は!?」
フィオラの必死の訴えに、アルジェントは頭を抱えたい気分だった。
幼少期から散々振り回されてきたが、魔物相手でも動き出した幼馴染みたちに最早脱力感すら湧いてくる。
いつも突飛で、消えたと思えばトラブルを解決して戻ってくる彼ら。だが、あのふたりなら大丈夫だろうとも思ってしまうのだから仕方がない。
さすがのアルジェントは、素早く切り替え、フィオラをなだめるように口を開く。
「フィオラ、おそらくラヴィニカたちなら大丈夫だ。君だけでも、大ホールに入っていてくれ」
「で、でも」
「僕の言葉を信じて欲しい。さあ」
フィオラはアルジェントに促されるままに大ホールの中へ足を踏み入れる。
心は走り去ったラヴィニカとルカの心配でいっぱいだった。
後ろ髪を引かれながらも、フィオラは大ホールの壁の隅で縮こまる。
(魔物。本当に、魔物が来るの……?)
ここ、カシオピオン王国は大陸内で最も魔物の被害が少ない国だ。
他国では魔物の襲撃があったときの避難訓練など徹底されているが、王国ではその意識が低く他国からは平和ボケと揶揄されたりもしていた。
フィオラも、魔物の姿など図鑑でしか見たこともない。
未知なものがこちらを襲ってきていると聞いて、恐怖しない人間はいない。
フィオラは、かたかたと自分の身体が震えていることに気がついた。気がついてしまうと、頭の中が恐怖で埋め尽くされてしまう。
(怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い。お姉様……っ)
「助けて……っ」
その時、耳にか細い声が届いてハッと周りを見回す。
隣を見れば、フィオラと同じように身体を縮こまらせて小刻みに震える少女がいた。
同い年だろうか。夜会のためのドレスに身を包み、今日という日を楽しみにしていたことがうかがえる。
(私だけじゃ、ない)
隣の少女のことに気がつくと、次第に周りのことも見えるようになってくる。
大ホールに集まった生徒は皆、恐怖に身体をすくませ、震えていた。中には、恐怖で泣いてしまっている人もいる。
フィオラはふと、ラヴィニカに言われたことを思い出していた。
『あなたは、あなたの想うままに行動すれば良いの』
(私の、思うままに)
そう思ったら、フィオラは無意識に隣の少女へ手を伸ばしていた。
恐怖で震える彼女の背を、優しくなでてやる。
「大丈夫です、よ。きっと、きっと助かります」
フィオラはできるだけ優しい声音になるよう、心がけた。
ちょっぴり声は震えてしまったが、ご愛敬だろう。
少女は、フィオラの微笑みにほっとしたように肩の力を抜いた。
(私が今、できることは)
フィオラは堂々と仁王立ちをし、肺がいっぱいになるように空気を吸い込んだ。
「みなさん!!」
あまりの大声に、大ホールにいた人全員の視線がフィオラへ向けられる。
フィオラは全員を励ますように、太陽のような満面の笑みを浮かべた。
声は高く、響かせるように。震えていたって構わない。
「大丈夫、大丈夫ですっ!! 今、外では先生方が私たちを守ろうと動いてくださっています! まもなく援軍も来るはずです! だから、恐怖に負けないで!! 魔物がなんですか。私たちは、魔法の練習だってしているんですよ!」
フィオラは腕を曲げて力こぶを作って見せる。
「魔物が来たって、私たちで倒しちゃいましょう!!」
フィオラの精一杯の励ましだ。
暗く沈んでいた大ホールの空気が、徐々に、徐々に上向きになっていく。ほんのわずかだけれど、個々の胸に希望が灯ったのだ。
「そうだよ! 倒しちゃえば良いんだよ!」
ひとりの男子生徒が、立ち上がる。
「そうだそうだ!!」
「私たちなら、きっと大丈夫」
つられるように、他の男子生徒も立ち上がり、女子生徒もお互いを鼓舞するように目を見交わす。
この状況を作り上げたフィオラは、虚勢の笑顔を浮かべ続ける。
(私に出来るのは、このくらい、だから)
「すごいな……」
いつのまにか、隣にはアルジェントが立っていた。アルジェントがいるということは、避難誘導は完了したのだろう。
アルジェントは眩しいものを見るように目を細め、フィオラを見つめる。
「君は、生徒たちがパニックになるのを抑えたんだ。……本当に、すごい人だ」
「でん、か」
フィオラは、アルジェントを見た瞬間に張り詰めていたものが一気に緩んでしまい、涙がこぼれそうになる。
だが、それをぐっと堪えて、代わりに胸を張って見せた。
「私、がんばったんですよ」
「うん。よくやったね」
アルジェントが大きな手をフィオラの頭にのせる。
紫の瞳は、愛おしいものを見るように細められていた。
(あ、大変)
せっかく堪えた涙腺が、緩んでしまう。
喉がひきつり、うまく声を出せなくなってしまう。
それでも、なにかを言わなければと口を開けて
ドオオォォオオン
大ホールに響いた重低音に、心臓をつかまれたような気がした。同時に、大ホール全体が攻撃を受けたように大きく横揺れする。
完全に油断していたフィオラはよろめきかけた。
「フィオラ!」
「ありがとうございます、殿下」
咄嗟に手を伸ばしたアルジェントに支えられ転ぶことはなかったものの、大ホールの状況は先程と一変していた。
フィオラが落ち着かせたはずの生徒たちは、不意打ちの衝撃に狼狽え悲鳴を上げている。
気持ちを強く持とうとしている人もいるが、限界は近かった。
「外で、一体なにが……」
「大ホールを覆う結界に、魔物の攻撃が当たったのだろう。魔法担当の教師が、ここに結界を張っていたから」
もうすぐそこまで、魔物が来ていることを実感する。
先ほどまでの大きさではないが、小さな振動が度々大ホールを襲っていた。
(それじゃあ、ここを守ってくれてる先生たちは……)
刻一刻と悪い方向へ転ぶ状況に、フィオラの胸は冷え込んでいった。
外で戦ってくれているという先生方は無事なのか。大ホールの生徒たちを安心させなくては。魔物が本当に中まで入ってきたら? ラヴィニカとルカの安否は。
様々なことがぐるぐると頭の中を回る。
(私は、私はどうしたらいいの、お姉様……っ)
『あなたは、あなたの想うままに行動すれば良いの』
再び鳴り響いたあの声に、フィオラの思考はピタリと止まる。
(私が、どう、したいか)
「フィオラ……?」
黙り込むフィオラを心配するように、アルジェントがこちらを見下ろしている。
フィオラもまた彼を見上げながら、己の中でなにかが形を成していくのを感じていた。
(私は、守り、たい)
魔法は未熟。
戦える手段は、ない。
力も、ない。
それでも——
どくどくと、心臓が鳴っている。
フィオラの身体の奥の奥、星のように瞬く魔力がうごめいた。
(私は、私の大切な人たちを、みんなを、守りたい——!)
——閃光。
そう呼ぶべき膨大な光の塊が、フィオラの身体から溢れ出していた。
〇〇〇
時は少し遡り、魔物襲撃後まもなく。
ラヴィニカとルカは、ひたすら魔物を切ってちぎって殴り倒していた。
「これ、ちょっとキリが無さすぎませんか!?」
「ルカ、泣きごと言わずに手を動かして。ほら、右」
「お嬢がひどい!」
ラヴィニカはルカに声をかけつつ、自身も目の前の魔物を一体、切り刻んだ。
ラヴィニカが手にしているのは、カトラリーのナイフだ。ちょうどよくカトラリーを運ぶワゴンが放置されていたので、そこから拝借した。
ワゴンを置いて、大ホールへ避難した給仕がいたのだろう。
ただのカトラリーもラヴィニカが一度振るえば、名刀のような切れ味を生み出す。
切っても切っても無限に湧いてくる魔物を切り結びながら、ラヴィニカは大ホールの方にも意識を向ける。
あそこを、魔物に襲撃させるわけにはいかない。
「というか、魔物って動物みたいな形してるんですね! うさぎ型とか、少し心が痛むんですが!」
「真っ黒だから、うさぎとは違うでしょう。油断しないで、一匹でも多く狩りなさい」
「やってますよ!」
そう言いつつ、ラヴィニカは額に流れる汗拭った。
魔物を見た時、対処可能だと思ったし、実際に対処可能だったが、いかんせん数が多い。
自分は半日以上戦い続けることもできるが、ルカが危なかった。
このままでは押し負けるのはこちらだ。
「ルカ、そろそろ移動するわ。向こうの教師陣が危うそう」
「了解です」
必死に生徒を守ろうとする先生たちも、限界だった。
「——あっ」
気づいた時には、大ホールに攻撃が加えられている。
「——っ!」
ラヴィニカは咄嗟に大ホールの方向へ、走り出していた。
(早く、早く早く。間に合って……っ)
もう間もなく大ホールの結界が破られてしまう。
——そんな時だった、閃光が辺り一帯を包み込んだのは。
その温かく柔らかな光は範囲を広げていき、魔物を一瞬で浄化してしまう。
ラヴィニカの前に現れた魔物も、蒸発するように消えてしまった。
(これは——……)
ラヴィニカはこの光の正体に覚えがあり、より一層大ホールまでの道を急ぐ。
呆然と立ち尽くす教師陣の横をすり抜け、大ホールの中に入った。
その、中央には——
キラキラと、空気自体が光り輝いているような錯覚。
フィオラが、立っている。
大ホールの中央、光の粒子を纏うフィオラが、立っていた。
——おめでとう。おめでとう。
——生まれた、生まれたね。
——待ってたよ、待ってた。
世界の祝福する声が聞こえてくる。
(ああ、やはりこれは、聖女覚醒イベント——)
今日、この日、世界に聖女が生まれた。




