19.月下の舞踏会
どうにか気持ちを落ち着かせたラヴィニカは、ルカとフィオラまで夜会の会場から連れ出してしまったと反省する。
「付き合わせてしまってごめんなさい。私はもう少し、夜風にあたるから、ふたりは会場に戻っても良いのよ?」
「嫌ですっ」
「お嬢をひとりにする選択肢はないですね」
即座に返された拒否の言葉に、ラヴィニカはポカンとする。
フィオラなんて、ラヴィニカの腕に抱きついてきた。ここから離れないという意思表示のつもりらしい。
ルカも腕を組んで動かない、と主張していたが、「あ」となにか気づいたように声を上げる。
「戻らないとは言いましたが、僕、会場から温かい飲み物を持ってきますよ。夏とはいえ、外は冷えますからね」
「それなら、私も」
「いいえ! お嬢はそこにいてください。フィオラちゃん、任せたよ」
「任されましたっ」
なにやら、ルカとフィオラが通じ合っている。深くうなずきあってから、ルカは大ホールへ戻っていった。
「あなたたち、いつのまに仲良くなっていたの」
「私とルカさんは同志ですから!」
いったいどんな志を共にしているのか。
ラヴィニカはこれ以上は理解できないと口を閉じる。
今夜は、本当に月が綺麗な夜だ。寂れて水が涸れてしまった噴水も、月光に照らされ、どこか神秘的な雰囲気を帯びている。
ラヴィニカはふと、フィオラに聞きそびれていたことがあったことを思い出した。
「ねえ、フィオラさん」
「はい、なんでしょうかお姉様! 寒いですか? それなら、私が体温で温めて差し上げます!」
「そうじゃないわ」
がばちょ、と全身で抱きつこうとしてきたフィオラを押しとどめ、ラヴィニカは続きを口にする。
「ねえ、フィオラさん。あなたはアルジェントのこと、どう思っているの?」
「は、はいっ!?」
全くの予想外の質問だったようで、フィオラはあからさまに動揺する。視線があっちにいったりこっちにいったり忙しない。
「ど、どうといわれましても。いい人だなー、優しいなーと思いますが」
「それだけ?」
「それだけ、と、言われると。それだけ、では、ない、です、が」
カタコトになったフィオラは、だんだんと視線を落としていき、最終的にはうなだれてしまう。
ラヴィニカはフィオラを急かさず、辛抱強く返答をまった。
やがて覚悟が決まったのか、普段のフィオラからは考えられない夜風に攫われそうな声を出す。
「放っておけない人、です」
「放って、おけない?」
聞いておいてなんだが、ラヴィニカはその答えがピンとこなかった。
だって、アルジェントは常に完璧王子で、誰からも頼られる存在で。弱みなんて見たことがない、そんな人だから。
「もっ、もちろん、私なんかがそう思うのはおこがましいって、分かっているんです。でも」
「……」
「いつもいつも張り詰めていて。その内切れてしまうんじゃないか、ってすごく心配になるんです。完璧だけど、完璧だからこそ、心休まる時がないんじゃないかって。……あ! お姉様たちといるときは少しだけ緩むんですよ」
ラヴィニカは、フィオラの語るアルジェントに静かな衝撃を受けていた。
ラヴィニカは、アルジェントをそんな風に見たことがなかった。
なんでも涼しい顔でそつなくこなして、飄々としていて、完璧な笑顔を崩さないで。けれど、フィオラはそんなアルジェントの危うさを、見抜いていたのだ。
フィオラはもう口をつぐんで、それ以上を話そうとしない。
だからラヴィニカは、核心を突くことにした。
「フィオラさん。私はね、アルジェントと十年、婚約者をやっているわ。だから分かるの」
「……」
「フィオラさんを見るアルジェントの視線は、特別なものよ」
「……っ」
フィオラはギュッとくちびるを噛んだ。頭の中で思い出しているのか、少し間を開けてかすれた声を響かせる。
「私、気づいてた、んです。もしかしたら、って。でも、私なんかがそう見られるはずないって、そう思って」
「フィオラさんは、アルジェントに特別に思われるのは、嫌?」
「そんなことっ!」
反射的に顔を上げたフィオラの瞳は、うっすらと涙の膜が張っていた。
フィオラはラヴィニカと目が合うと、ハッとしたようにまた視線を落とす。
「でも、殿下にはお姉様が」
「私とアルジェントは政略的な婚約で、恋愛感情なんで一切ないから気にしないでちょうだい」
「そんなわけには、いきません」
「私は元々魔力がない欠陥品で、社交界では嘲笑の的よ。表だって言われないのは、私が公爵令嬢でアルジェントの婚約者だからってだけ。婚約破棄した方がアルジェントのためにも」
ラヴィニカはそれ以上、口にすることができなかった。
フィオラが、頬をつねって伸ばしてきたからだ。
「ふぃ、ふぃおりゃひゃん?」
「ご自分を、そんな風に卑下なさらないでください!!」
フィオラの一喝が、夜の庭園にこだまする。
「お姉様は、お姉様が思っているよりもはるかに素敵な方なんです。私の大好きなお姉様を、侮辱しないでください」
そういえば、前にも似たようなことをフィオラは言っていた。
それが、その言葉が、自分に向けられたものであることが信じられなくて、しばらく呆ける。
「お姉様、約束してください。自分の事をもっと大事にするって」
フィオラはゆっくりと手を離すが、海色の意志の強い瞳がラヴィニカを捕まえて離さない。
「分かったわ」
こんなの、うなずくしかない。
自分は大事にされているのだと、自覚するしかない。
「大事に、する」
「それでいいんですよ」
フィオラは満足そうに微笑んだ。
これで話は終わりだという雰囲気を醸し出していたが、ラヴィニカとしてはハッキリさせておきたいところもあったので、もう一度聞いてみる。
「それで、フィオラさんはアルジェントのことをどう思っているの?」
「そ、その質問、まだしますかっ?」
フィオラは顔を赤くし、「うー」とうなったあと、蚊の鳴くような声で答えを出す。
「……まだ、気になる人、です」
(今はそれで満足しておきましょう)
フィオラの中では、まだ戸惑いが大きいのだろう。だがこれから先、アルジェントと時間を過ごしていく中で気持ちが定まれば……また違った回答を得られるかもしれない。
「お嬢ー。戻りましたよー」
その時、ルカの声が聞こえてフィオラの身体が大げさにビクつく。
赤くなった顔を隠すように、必死に手で扇いでいた。
だが、その努力も虚しく
「フィオラ! ラヴィニカ!」
アルジェントの声も響き、フィオラの頬はリンゴのようになってしまった。
噴水の元まで来たルカとアルジェントは、なぜか噴水の方を向いて自分たちに顔を見せないフィオラに首をかしげる。
「フィオラちゃん、どうしたんです?」
「ちょっとお話ししていただけよ。それよりアルジェントはどうしてここに?」
「生徒会の仕事が一段落したんだ。あとは無事閉会するのを待つだけだからと、生徒会役員たちが気を利かせて自由時間を作ってくれたんだけれど」
アルジェントはちらちらとフィオラを見て、手をさまよわせていた。
声をかけたいけど、かけていいのか分からない、といったところだ。
ラヴィニカとルカは目を見合わせ、手助けをしてやろうとうなずき合う。
「あ、手がすべってー」
「……は」
「……ふえっ!?」
ルカが棒読みでそう言うと、アルジェントの背をわざとらしく押す。
姿勢を崩したアルジェントはフィオラの方へと倒れ込み、フィオラの腰に手を回した状態でなんとか転ぶのだけは耐えた。
転ばなかった、とはいうが、ほとんど抱きしめたような状態だ。
急な接近に、ふたりは勢いよく身体を離す。
顔を赤く染めるアルジェント、という貴重なものを見たルカは吹き出すのを必死に堪えた。
「おい、ルカ」
「す、すみません、すみません」
顔が整った人が怒ると怖いというのは定石で、詰め寄られたルカは笑いを堪えつつのけぞる。
ラヴィニカは助け船を出してやろうと、さも今思いついたというように口を開く。
「そういえば、ここは音楽がもれているわね」
唐突すぎる発言にアルジェントは訳が分からない、という顔だったが、察したルカが捕捉をする。
「中で踊ると目立ちますが、ここなら僕たちしか見ていませんよ」
そこまで言えば、アルジェントも、そしてフィオラも、意味が分かったようだ。
アルジェントは恨みがましい視線を向けてきたが、「ごほん」と咳払いをしてフィオラに向き直る。
「フィオラ・ロゼッティーニ嬢」
「は、はいっ」
アルジェントは片膝を地面について、求婚をする王子のような姿勢でフィオラに手を差し出した。
「どうか、僕にあなたと躍る栄誉をいただけませんか」
「……もちろん、です」
答えたフィオラは、アルジェントの手を取る。
アルジェントはゆっくりと立ち上がると、フィオラの腰に手を添え、リズムに合わせてゆっくりと踊り始めた。
フィオラは思っていたよりダンスが上手だった。礼儀作法に厳しいというお母様の指導のたまものだろう。それでも、社交界に出た経験は少なく、ダンスの経験も浅い。
ところどころステップを間違えそうになったり、バランスを崩しそうになる。
それを優しく、丁寧に補佐するのがアルジェントだ。
フィオラが間違えそうになればそれとなくリードして正しい動きに誘導し、バランスを崩せばしっかりと支え転ばないようにする。
ラヴィニカと踊るときのような洗練さはないが、二人独特の空気感、連帯感のようなものが生まれていた。
「お似合いじゃない」
乙女ゲームのヒロインとメイン攻略対象だから、じゃない。フィオラとアルジェントだから、お似合いなのだ。
「お嬢」
ラヴィニカは完全に傍観者でいるつもりだったのだが、真隣から声をかけられ視線をずらす。
そこでは、アルジェントがしたのと同じように片膝をついたルカがいた。
「僕に、お嬢と踊る権利をください」
ルカはアルジェントと違って慣れていないし、たどたどしいものだったが、ラヴィニカはその手を取ることにした。
「いいわよ。あげる」
アルジェントとフィオラが踊る横で、ラヴィニカとルカも踊り出す。
ラヴィニカとルカはまるで一心同体のような、そうすることが当たり前であるかのような、そんなダンスだった。
ルカは社交界もダンスも慣れていないはずなのに、ラヴィニカの動きが手に取るように分かるようでピタリとついてくる。
(すごく、馴染むような。安心、するわ)
ラヴィニカは面白くなってきてイレギュラーな動きをしてみるが、ルカはそれにも対応してくる。
「ルカ、どこでダンスの練習なんかしていたの?」
「ダンスの練習なんてしてませんよ」
「あら、じゃあどうして?」
ラヴィニカが不思議に思うと、ルカは苦笑して答えた。
「あなたと動きを合わせるのは、十年以上前からやってきたことですから」
「そういえば、そうだったわね」
ラヴィニカは、いつもそこにある安堵感に包まれて、満ち足りた気持ちを味わう。
(こんなダンス、初めてだわ)
月に見守られながら、四人だけの夜会が開かれる。
それは常識にとらわれない自由気ままなもので、なによりも楽しく幸せな、時間だった。
ズウウゥゥゥウウウン
「ひぁあっ」
「「「!?」」」
——刹那。重く響くような重低音と共に、地面が横に揺れ動く。
フィオラの小さな悲鳴が聞こえるが、そちらを確認する前にルカに守られるように抱きしめられた。
「地震かっ?」
「大きな揺れ、でしたね」
「ええ」
「……」
揺れが収まり、四人はお互いに顔を見合わせる。
フィオラはアルジェントが抱き込んでいたようだ。全員、ケガはない。
(夜会、地震、ダンス……なにかが引っかかるわ。確か……)
ラヴィニカが記憶を探し当てるより先に、アルジェントが動いた。
「とにかく、大ホールの方へ向かおう。孤立するのは危険だ」
「はいっ」
アルジェントとフィオラが走り出し、ルカもついていこうと足に力を込める。
「お嬢、行きますよっ」
「……っ」
ラヴィニカは記憶の探索を中断せざるを得なかった。
大ホールへ向かった四人は、頭が痛くなる思いがした。
「きゃああっ。助けて、私を助けなさいよっ」
「帰る。俺は帰るぞ!!」
生徒たちがパニックになり、我先にと逃げだそうとしていたのだ。
この場を収められるのは、アルジェントくらいなものだろう。
アルジェントが迷わず一歩踏み出したとき、本校舎から駆けてきた教師のひとりが、驚くべき報告をする。
「落ち着け!! 今、ここに魔物の大群が向かってきている!! 全員、大ホール内に避難するんだ!!!」
それはあまりにも、絶望的な状況。
(——思い、出した。でも、あのイベントはもっとあとのことなはず……)
ラヴィニカの脳内で、警鐘がなる。
ラヴィニカの記憶が正しいならば、このイベントは世界を塗り替えるような歴史的大事件になるはずだ。




