18.ファーストダンス
大ホールに二人が踏み入った瞬間、騒がしかったのであろう空間が一気に静寂に包まれる。
アルジェントとラヴィニカが入ってきたと気づいた生徒たちは大ホール中央への道を空け、今しがたできたばかりの道を堂々と征く二人に注目する。
特に女生徒たちはアルジェントへ熱烈な視線を送っているようだ。ラヴィニカは、肌にグスグスと嫉妬と侮蔑の視線が突き刺さっているかのような錯覚を覚えた。
(いつものことだけれど、社交の場は相変わらずね)
ここは学園なのだから、もう少し貴族らしさを抑えても良いのにと、ラヴィニカは思ってしまう。
中央に来たところで、スッとラヴィニカとアルジェントは手を離した。
アルジェントだけが数歩前に進み、グルリと集まった生徒たちを見回す。
たっぷりと間を開けたあと、生徒会長として夏の夜会の開幕を宣言した。
「みな、今宵は集まってくれてありがとう。ここに、夏の夜会の開幕を宣言する!」
アルジェントの宣言と同時に、わあっと空気が歓声で揺れる。
用意していた楽団が、タイミングを見計らって演奏を始めた。
大ホールの空気が夜会の華やかなものへガラッと移り変わる。壁ぎわには食べきれないほどの食事が用意され、給仕担当が料理を絶対に絶やすまいと目を光らせている。
「ラヴィニカ」
中央で立つアルジェントが、ラヴィニカに手を差し伸べていた。
ラヴィニカとしては今すぐにでも壁の花となり、食事を堪能したいところではあるが、アルジェントの婚約者として一仕事せねばならないのだ。
ラヴィニカは差し出された手に自身の手を重ねる。
「僕にあなたと躍る栄誉をいただけますか、レディ?」
「喜んでお受けいたしますわ。殿下」
ファーストダンスの時間だ。
楽団の演奏の曲調が変化する。アルジェントは音に合わせてラヴィニカの手を引き、腰に手をあてた。
曲が始まれば、アルジェントは流れるようにラヴィニカをエスコートし、踊り始める。ラヴィニカもアルジェントの動きに完璧に合わせて、一分の隙もないステップを踏んだ。
貴族には、ファーストダンスは婚約者かそれに準ずる相手と、という非常にめんどうくさいルールがあるのだ。
だからこそ、ラヴィニカはどんな夜会でも最初にアルジェントと踊らなければならない。
「おい、ラヴィニカ。もう少し柔らかい表情はできないのか」
「残念だけれど、これが私の通常よ。愛想の良い婚約者がご所望なら、他をあたってちょうだい」
傍目から見れば、ラヴィニカとアルジェントの踊りはお手本のように洗練されており、息も合っている。見目麗しい男女が二人寄り添っているという光景は、一枚絵のように美しかった。
だが、悲しいかな。実情は、小声で軽口を言い合っている二人。とてもではないが、理想のカップルからはほど遠い。
(だてに十年、婚約者をやっていないもの。見栄えだけは完璧にできているはず)
ラヴィニカはそつなく踊りつつ、アルジェントの視線がちらちらと会場の隅に向けられていることに気がついた。
「ねえ、ダンス中に他の女性を見るだなんて、失礼にもほどがあるわよ」
「あ、ああ、すまない。だが、ラヴィニカだし、いいだろう?」
「それは、どういうことかしら?」
ラヴィニカは一度、わざと軽くアルジェントの足を踏む。痛そうに顔をしかめ、文句を言われたが、ヒールで突いていないだけいいと思って欲しい。
その視線の先にいるのがフィオラだから、ラヴィニカはこれだけで済ませてやっているのだ。
ダンスが終わると、自然と周りから拍手が沸き起こる。
「ラヴィニカ、僕はこれから生徒会の方に合流する。フィオラを頼むよ」
「ひとつ貸しね」
「君の貸しか……あとが怖いな」
そう言いながら、早足でアルジェントは会場脇へと向かう。
夏の夜会の主催者は生徒会だ。生徒会長として、王子として、開幕宣言とファーストダンスを踊ったが、本来はそれすらしている暇がないほどに忙しいのだろう。
先ほど四人で合流できたのだって、なんとか捻出した時間だったはずだ。
「お嬢、さすがのダンスでしたね」
「お姉様。素敵でしたっ」
ルカとフィオラの元に合流し、ルカから渡された皿を受け取る。
皿の上には、ラヴィニカの好きなものが厳選され綺麗に盛り付けられていた。ルカの仕事ぶりに満足して、ラヴィニカはローストビーフを一枚頬張る。
のどが乾いたな、と思ったタイミングでルカはラヴィニカの手から皿を取り上げ、代わりにグラスを差し出した。パチパチと炭酸のはじける果実のジュースはさっぱりしていておいしい。
「ルカはもう、なにか食べたの?」
「僕のことはお気になさらず。お嬢が食べ終わったら食べます」
「従者が染みついているわね……」
「お姉様、お姉様っ。こちらのデザートもおいしそうですよ」
「あなたはデザートにいくのが早すぎるわ」
アルジェントの婚約者としての仕事が終われば、ラヴィニカは楽なものだ。
魔力がない欠陥品の烙印を押された人間に、わざわざ話しかけようとする人はいない。
いたらそれは、アルジェントの婚約者という立場を利用しようとする者や、ラヴィニカに取り入って将来的にアルジェントの側室の座を得ようとする者だけ。いや、むしろ、ラヴィニカを踏み台に自分を売り出して正妻に、と考えている人かもしれない。
社交界における、ラヴィニカの個人の価値などないに等しい。
(けど、だからこそ、こうしてゆっくり食事を楽しめるのよね)
フィオラの輝く笑顔とルカの柔らかな微笑みに囲まれながら、自分はこれが最適解だと思う。
しばらく三人で食事を楽しんでいると、フィオラが時折寂しそうにどこかを見つめていることに気がついた。
なんとなく視線の先を追うと、そこではアルジェントが人に囲まれ完璧な王子様の微笑みで対応している姿があった。
ラヴィニカにとっては見慣れた光景だ。
皆の憧れである王子様は常に人気者で、ダンスに誘われたい令嬢がひっきりなしに傍へ寄ってくるのだ。
今も、藤色髪の令嬢からの無言の要求に応え、ダンスに誘っている。
(そういえば、フィオラさんはアルジェントのことをどう思っているのかしら)
アルジェントがフィオラを想っているのは明白だが、フィオラは戸惑いを顕わにすれど、恋してるかは確信が持てない。少なからず、悪くは思っていない気がするのだが。
感情に疎い自分が、いくら考えても分かるはずがない。
ラヴィニカは早々に思考に終止符を打ち、フィオラに直球で聞いてみることにした。
「ねえ、フィオラさ——」
「ラヴィニカ様! ここにいらっしゃったのですね!」
フィオラに話しかけよう、としたところで甲高い声に遮られる。
(ああ、この声は)
うんざりした気持ちになりながら振り返ると、案の定、そこにはウルティアが立っている。
なにか良いことでもあったのか、いつもより頬が紅潮していた。
「デクリーア嬢、どうされたの?」
「もう、ラヴィニカ様。いつも申し上げているではありませんか、わたくしのことはウルティアと」
「デクリーア嬢、用件をお聞きしたいのだけれど」
貴族らしい腹の探り合いは、ラヴィニカの苦手分野。ならば、腹の探り合いにならないようにしてしまえばいい。
ラヴィニカは、ウルティアの笑みが引きつったのを見逃さなかった。
「いえ、用件というほどでは。ただ、先ほどのダンスをご覧になったか聞きたくて」
「ダンス……? ごめんなさい。私は今、友人たちと話していて、あまりダンスの方は見ていなかったの」
「友人、ですか? あら、ラヴィニカ様、友人というのはまさかそこの——」
ウルティアはそこで言葉を切ると、腕を上げフィオラとルカを指す。顔には明らかに見下すような笑みが浮かべられていた。
「——田舎男爵令嬢と使用人のことでは、ありませんわよね?」
「……は?」
ラヴィニカは思わず重低音で答えてしまったのだが、ウルティアは意に返していないようだ。
困った人を相手にするような、分かっていない人間を諭すような声音でラヴィニカに語り続ける。
「ラヴィニカ様のような高貴なお方が、このような方々を友人だなんて……己の品格を落とすことになってしまいます。……そうだわ! 今度、ラヴィニカ様をわたくしのお茶会に招待させていただきますわ! そこでラヴィニカ様にふさわしい方を数人紹介いたしますから、その方々と交流を」
「黙りなさい」
ラヴィニカは、心がどす黒く塗りつぶされたような感覚を覚える。
グラスを握る力が強すぎて、細かなヒビが入りそうになった。
不快だ。不快すぎて、吐き気がする。
この目の前の少女は、人の形をしただけの醜い化け物である気さえした。
ラヴィニカがこれほどまでに人を嫌悪したのは、これが初めてのことだった。
「これ以上は聞きたくないわ。失礼します」
「え……ちょっ、ラヴィニカ様!」
追いすがるウルティアを無視して、フィオラの手を引き強引に出口へと向かう。
そうしなければ、殺してしまうと思った。
元殺し屋のラヴィニカにとって、殺しはただの仕事で感情の伴わない作業だ。
そうだった、はずなのに
(これが、殺意というものなのね)
爆発しそうな己の心をなんとか押さえ込みながら、ラヴィニカは大ホールをあとにした。
〇〇〇
「お姉様、お姉様! 待ってください、お姉様!」
大ホールの裏手に回ったところで、フィオラの懸命な呼びかけにラヴィニカはようやく歩みを止めた。
「落ち着いてください、お姉様。大丈夫ですから」
「フィオラ、さん」
フィオラに優しく語りかけられ、ラヴィニカはようやく周りを見ることができた。
そして、フィオラの腕を強く握りしめすぎてしまっていることに気がつき、ハッと手を離す。フィオラの腕には、赤い手形がついていた。
(こんなに、なるまで)
「フィオラさん、ごめんなさい。私……」
「大丈夫。大丈夫です。お姉様、一度そこに座りましょう?」
フィオラはひたすらラヴィニカの背をさすり、落ち着かせようと優しい声音を出し続ける。
フィオラが視線で示すのは、寂れてもう水も出なくなってしまった噴水だ。
それでもラヴィニカは自身がしてしまった行動に、抱いた感情に、だれよりも自分が衝撃を受けていた。
ウルティアの言動が不快であることなど今に始まったことではない。今までずっと、気にしたことなどなかったのに。
「お嬢」
その時、若草色の髪がラヴィニカの視界に映る。
ルカが、中腰になってラヴィニカの顔をのぞきこんでいたのだ。
「ルカ……」
ルカはラヴィニカの手を取り、そっと包み込んだ。
「お嬢。僕はここにいます。フィオラちゃんの言う通り、一度座って、落ち着きましょう」
「……ええ」
ルカに誘導され、噴水の縁に腰掛ける。
ルカとフィオラは、ほっとしたように息を吐いた。
ラヴィニカもようやく冷静になって己を顧みる。今思い出しても、危ないところだった。
「ルカ、フィオラさん、ありがとう」
「僕はお嬢の従者ですからね」
「お姉様が私たちをかばってくださったのです。ありがとうございます」
ルカはラヴィニカの手を握り続けてくれていた。フィオラも、ラヴィニカの腕をさすっている。
彼らのぬくもりが、こわばったラヴィニカの心をじんわりと和らげてくれた。




