17.ドレスアップですっ
一学期の授業課程も試験も全て終わり明日からは夏季休暇だ、という日の昼過ぎ。
ラヴィニカは自室にフィオラを招いていた。
「ここが、お姉様のお部屋……っ。なんだか、いい匂いがするような」
「あまり嗅がないでちょうだい」
恍惚とした表情で鼻を動かすフィオラを制止し、その腕をガッチリと握りしめる。
「まずは着替えよ。それが終わったらルカが隣室で待機しているから、呼んで髪と化粧をしてもらいましょう」
「はいっ! 本当の本当に、ありがとうございます、お姉様!」
今日は、一学期の締めとなる一大イベント、夏の夜会の日だ。
新入生歓迎会と違い、これはれっきとした夜会。
学生であれば身分問わず参加可能、という点は変わらないが、ドレスコードももちろんある。
これに顔を青くしたのが、フィオラだった。
『お、お姉様どうしましょう。私、ドレスがありません』
これを聞いた時、ラヴィニカが遠い目をしてしまったのは言うまでもない。
正確には、持っていないのではなく、夜会のような正式な場に着ていけるものがない、とのことだった。
ラヴィニカもフィオラの部屋を訪ねて見せてもらったのだが、流行遅れだし、布が擦れているしで、着られたものではなかった。
頭が痛くなったラヴィニカは、急遽実家から昔着ていたドレスを取り寄せ、フィオラに貸し出すことにしたというわけだ。
「わっ、私がこんな素敵なドレスを着ても良いのでしょうかっ」
「だから、そう言っているでしょう。あなたが着ないと、わざわざ用意した意味がなくなるわ。着たくないなら、別にいいけれど」
「はいっ! 着たいです! とっても着たいです!」
「そう。なら、早く着替えちゃいなさい」
「はいっ」
フィオラはそう言うと、ババババっと素早くドレスを纏い始める。
ラヴィニカも制服を脱ぎ捨て、ドレスを手に取った。
フィオラは薄桃色の生地に、フリルやレース、リボンがふんだんにあしらわれた愛らしいデザインのドレスだ。
対してラヴィニカは、真紅を基調としたシンプルなドレスで、華やかではありながらもくどくない、絶妙な塩梅で着こなしていた。
「お姉様、素敵ですっ」
「まだ支度は終わっていないわよ。——ルカ」
「はい、お嬢」
隣室で待機していたルカがサッと姿を現し、フィオラを鏡台の前へと誘う。
「ここからが本番ですよ」
ルカは「従者の腕の見せどころですね」と呟き、熟練の手さばきでフィオラの髪を結っていった。
〇〇〇
支度を全て整えたラヴィニカ、ルカ、フィオラの一行は直接大ホールへ向かわずに、中庭へ移動する。
なぜかといえば、そこで待ち合わせている人物がいたからだ。
「待たせたわね、アルジェント」
新緑が映える中庭、月光に照らされこの世ならざる雰囲気を醸し出す貴公子は、アルジェントだ。
白銀の髪が月光を反射し、煌めいている。
そんなアルジェントは、ラヴィニカたちの方へ顔を向け——惚けたように口を開けた。
その視線はまっすぐラヴィニカの方へ、いや、フィオラに注がれていた。
「綺麗だ」
「そうなんです! 今日のお姉様、本当にお美しくてっ」
「そうではなく、君が」
「…………ひゃいっ?」
アルジェントは、思わず、というように吐息をこぼす。
フィオラは直球すぎる褒め言葉に小さく跳んで、顔を真っ赤に染めた。
ラヴィニカのことなど、完全に視界に入っていない。少々いただけないが、そうなっても仕方がないと言えるほどに、フィオラは美しく可愛らしかった。
ルカが腕を振るった髪は華やかに結い上げられている。フィオラ本来の魅力を引き立たせるようなほんのり乗せるだけの化粧も、海色の瞳をよく映えさせていた。
妖精のような、という形容詞がよく似合う。
「アルジェント、さすがに私のことも気づいていい頃合いじゃない?」
「あ、ああ。ラヴィニカもいつもながら、素晴らしい出来栄えだね。ルカはまた腕を上げたんじゃないか?」
(それは褒めているのかしら)
若干、ラヴィニカではなくルカを褒めているような気がするが、まあいい。
アルジェントは一瞬ラヴィニカを褒め、すぐにフィオラへ向き直ってしまう。
明確に気持ちを伝え合うことはしていないようだが、アルジェントがフィオラを想っていることは一目瞭然だ。
「まったく。アルジェントって、こんな人だったかしら」
「なんだか、夢中って感じですね」
「そうね」
「これはもう、『橋渡し大作戦』は成功と言っても良いのではないでしょうか」
ルカはそう言うが、ラヴィニカとしてはいつの間に感が強くて釈然としない。
目の前のアルジェントとフィオラは、傍目から見ても恋人同士という雰囲気でいい感じなのは間違いないが。
「私たち、ちゃんと橋渡し役になれていたのよね?」
「それは、たぶん」
「そこは断言してほしかったわ」
ラヴィニカが腕を組みアルジェントとフィオラの様子を見つめていると、じっと頭上からの強い視線を感じる。
「なあに? ルカ」
「あっ、いえ……」
ルカは視線を左右にさまよわせると、覚悟を決めるように一度まぶたを固く閉じ、真摯な光を瞳に宿した。
「……本当にお美しいですよ。お嬢」
その熱のこもった言葉に、ラヴィニカは自身の髪を一房持ち上げて答える。
「そうね。ルカの化粧と髪結いの腕は、昔よりもずっと上達しているわ」
「そうではなくて」
ルカはラヴィニカの腕を強く握りしめると、なにかを堪えるような、狂おしい程の感情に心かき乱されているような、そんな表情をする。
「あなたが、美しいんです」
ラヴィニカは、ゆっくりと瞬きをする。
なにかを言おうと口を開き——閉じる。今は、なにを言っても正解にならないような、そんな気がしたから。
「ラヴィニカ、そろそろ時間切れだ。会場に向かおう」
アルジェントに声をかけられるまで、ラヴィニカとルカは無言で見つめ合っていた。
「……ええ」
ラヴィニカがアルジェントの方へ足を向けると、ルカの手はラヴィニカの腕からするりと抜ける。
予想以上にあっさりと離されて、ラヴィニカはなぜか心に傷がついたような気がした。
(これは、なに……名残惜し、い?)
ラヴィニカは初めて出会う感情を持て余しながら、アルジェントに差し出された手を取った。
どんなにアルジェントがフィオラを想おうと、今のアルジェントの婚約者はラヴィニカだ。
ラヴィニカのエスコート役はアルジェントでなければならないし、アルジェントがエスコートするのはラヴィニカではないとならない。
アルジェントに手を引かれながら大ホールに向かう最中、ラヴィニカはちらりとアルジェントを見上げる。
「エスコートの相手が私で悪かったわね」
「ラヴィニカは僕の婚約者だからね。それに、僕の個人的な想いはラヴィニカには関係ないだろう?」
「婚約者なのだから、関係なくはないでしょう。……一応明言しておくけれど、私はあなたたちが結ばれたいというのなら、反対しないわよ」
「それは、君に傷をつけることになるのに?」
「私は元々、傷だらけよ。今さらひとつ増えたところで、どうにもならないわ」
ラヴィニカは、自身が『魔力欠失症』であることを思い出しながら、そう告げる。
アルジェントはラヴィニカを咎めるように目を細めた。
「言っておくけれど、もし本当に君との婚約を破棄するようなことがあれば、僕は君の傷が最小限で済むよう立ち回るつもりだからね」
「あら、いいの?」
「当たり前だろう。それから、ひとつ助言しておくと、君はもっと自分に向けられる愛情に敏感になった方がいい」
(私に、愛情……?)
ラヴィニカがしっくりこない、と不思議そうな顔をすると、アルジェントはやれやれと肩をすくめる。
「これは、まだまだ前途多難そうだ」
そしてなぜか、後ろにいるルカを一瞥する。
ラヴィニカとアルジェントのあとに続いて、ルカがフィオラをエスコートして歩いていた。
ラヴィニカも二人を軽く見てから、口を開いた。
「アルジェントは思い人が他の男性にエスコートされていても良いの?」
「なんだい急に。……そりゃあ、おもしろくはないけれど、それはお互い様だし……ルカならば、誰よりも信頼できるからね」
確かに、幼い頃から知り合っているルカであれば、安心して任せることができるのだろう。
ラヴィニカはそう納得したのだが、アルジェントはまだなにか言いたげだ。
「どうしたの?」
「いや。ただ、本当のところは理解していないんだろうな、と」
「どういう意味?」
「なんでもないよ。気にしないでくれ」
ラヴィニカはアルジェントに文句を言いかけるが、大ホールに繋がる両開きの荘厳な扉を前に口をつぐんだ。
ふたりで一歩前に出ると、扉前で待機していた衛兵が扉を開けてくれる。
大ホールのシャンデリアの光が、ラヴィニカの目を刺した。




