16.嵐の前の静けさ
ルカが暴れ始め数分後、そこには誰もが目を背けたくなるような悲劇的惨状が広がっていた。
ルカ以外、立っている人間がいない。
すでに気絶している男のひとりをさらに追撃しようとしたルカの腕を、ラヴィニカが止める。
「ルカ、もういいわ」
「……あ」
ラヴィニカに止められたルカは何度か瞬きを繰り返し、自身の目の前に広がる地獄絵図を眺める。
そして、ずうん、と効果音がつきそうな勢いでしゃがみこんだ。
「……また、やってしまった」
「殺してないから。セーフよ、セーフ」
ルカは今でこそお手本のような従者の振る舞いをしているが、その本質は野生児なのである。
条件反射のように売られた喧嘩は買うし、一度戦闘モードになると我を失う。
喧嘩を自分から売らなくなったし、殺してもいないので、ラヴィニカとしては充分成長を感じているのだが。
「俺……いや、僕はまた……」
ラヴィニカはブツブツと反省会をしているルカを強制的に立ち上がらせ、背を強く叩く。
「いいから。早く学園に戻るわよ。フィオラさんが待っているし、そろそろ警備隊も来てしまうわ」
ルカは少し、暴れすぎた。
さすがにこの騒ぎでは、誰かが警備隊を呼んでいてもおかしくない。
ふと、ラヴィニカの視界の端になにかが映る。
なんとなく引っかかってそれを拾い上げると、親指サイズのカフスボタンであることが分かった。
藤色で金の装飾がされている。
(そういえば、この男たちの服装がやけに綺麗な気がするわ)
もう少しよく確認を、と目をこらしたところでこちらに駆けつける複数人の気配を感じた。
おそらくは、警備隊だろう。
ラヴィニカは鬱々としているルカを何とか引き上げて、この場を退散した。
〇〇〇
学園に戻ったラヴィニカは、最初に生徒会室を訪ねた。
もうだいぶ時間も遅いし、誰もいないのだろうと思っていたのだけれど
「お姉様っ」
生徒会室の扉を開けた途端、涙目のフィオラに抱きつかれた。
「フィオラさん?」
「心配、していたんですよっ。全然帰ってこないから、なにかあったんじゃないかって……っ」
フィオラはそこで、堰を切ったように泣き出した。
ラヴィニカは、泣いている女の子を慰める方法など知らない。ただあわあわと、背をさすったり顔を覗き込んだりした。
「本当に、心配していたんだよ?」
フィオラの後ろから、アルジェントが姿を見せる。
「あなたも、待っていたのね」
「当然だろう。僕は、友人の安否も確認せずにひとりのうのうと休むような人間じゃないよ」
アルジェントは肩をすくめ、「フィオラ嬢のことも、心配だったしね」と付け足す。
そのフィオラに向けるアルジェントの瞳がひどく優しげで、ラヴィニカは思わず首を傾げた。
「もうっ、お姉様、今までなにをなさっていたんです?」
「ああ、そうだったわ」
ラヴィニカは懐から取り戻した髪飾りを取り出す。
それを見たフィオラは、驚いたように口元に手を当てた。
「道端に落ちていたのよ。警備隊に寄るついでに、スられたあたりを見回っていたら、たまたま見つけたの。あの人、よっぽど焦った様子だったから、取りこぼしてしまったのね」
これは、学園につくまでの道中で考えたシナリオだ。
フィオラは最初、そんなことが、と不思議そうにしていたが、徐々に顔を綻ばせていく。
「ありがとうございますっ! お姉様!」
抱きついてきたフィオラをしっかり受け止め、ラヴィニカは彼女の頭を撫でた。
「本当に、良かった……っ」
目に涙を滲ませるフィオラを見つめていると、アルジェントのこちらを伺うような視線に気がつく。
「へえ、道端に、ねえ。……ところでラヴィニカ、ルカは一体どうしたの?」
「少し悲しいことがあったのよ。そっとしておいてあげて」
アルジェントは腑に落ちないようだったが、それよりも廊下で見るからに落ち込むルカの方が気になったようだ。
ラヴィニカ越しにルカを見つめて、腕を組んでいる。
フィオラもルカのただならぬ様子に気づいたようで、「ルカさん!?」と叫んで駆け寄っていた。
「どうしたんですかっ?」
「フィオラちゃん……気にしないで……ちょっと、落ち込むことがあっただけだから……」
「ぜんっぜん、大丈夫じゃないですよっ」
先ほどまで泣いていたことも忘れて、ルカを慰め始めるフィオラ。
そんな光景を見て、ラヴィニカはふっと口元を緩めた。
「ラヴィニカ、今笑った?」
「笑っていないわ」
アルジェントに顔をのぞき込まれ、即座に口元を引き締める。
が、アルジェントにはばっちり見られてしまったらしく、口元を押さえて肩を震わせている。
その様子に背中でも叩いてやろうかと考えるが、手を止める。
ここでこれ以上反応を示しては、さらにアルジェントにからかわれることは火を見るより明らかだ。
(本当に、アルジェントも変わったわ)
人前で、こんな風に気の抜けた笑みを見せる人間ではなかった。
けれど、きっと変わっているのはアルジェントだけでなくて。
(私も、なにか変わっているのかしら)
ラヴィニカは、そっと胸に手を当ててそう問いかけた。
〇〇〇
とある日の昼下がり。
ラヴィニカは、学園内の東側に位置する魔法演習場でぼうっとしていた。
「火の精霊よ。ファイアボール!」
「わわっ。あっちに飛び火が〜っ!」
現在、魔法の実技授業中。
クラスメイトが用意された的に自分の魔法を当てようと奮闘する中、ラヴィニカだけは、演習場の片隅でただただ彼らを見守っていた。
なぜか?
答えは単純。ラヴィニカは、魔法が一切使えないからである。
体内に一切魔力がないという、記録上初の『魔力欠失症』であるラヴィニカは必修である魔法実技の授業は、出席とレポートで点をもらっているのだ。
故に、なにもできなくとも見学は成績を得るための大切なものなのだが
(暇だわ)
ただ見ている、というのはなかなかに苦行だった。
暇すぎてうつらうつらし始めた頃、ラヴィニカに近づく人物がいた。
「授業中に居眠りなんて、褒められたことじゃないよ、ラヴィニカ」
「仕方ないでしょう。私もそろそろ限界よ、アルジェント」
同級生でクラスメイトのアルジェントは、ひとり立ち続けるラヴィニカを見かねたのか、隣に立って話しかけてくる。
「それより、授業はいいの? 生徒会長様がサボりなんて、笑えないわ」
「全員一斉にはできないからね。僕の順番はもう少しあとだから、大丈夫だよ」
つまり、しばらくは話し相手になってくれるということか。
眠気の限界だったラヴィニカは、アルジェントの存在をありがたく受け入れることにする。
「それで? この前の髪飾りは、本当はどうやって取り返したんだい?」
「……」
ありがたい、と思った気持ちを返して欲しい。
どうやら本題はこれだったようだ。
ラヴィニカは数秒逡巡し、当たり障りのない回答をする。
「嘘はついていないわよ。偶然拾ったの」
「へえ、偶然? スリが親切に分かりやすい場所に落としておいてくれたのかい?」
「たまたま、見つけられたのよ」
「へえ。まあ、そういうことにしておいてあげるよ」
アルジェントは正面を見据えて、ため息をつく。
「君たちは幼い時からいつもそうだったね。居なくなった、と思ったら、トラブルがいつの間にか解決している。そして本人たちは、いつも無関係を主張する」
「無関係だもの」
「僕も最初はそう信じていたさ。それでも、こうも似たようなことが続けば、疑わざるを得ない」
「……」
「君たちは、底が知れない」
ラヴィニカは数秒沈黙し、ぽつりとこぼす。
「私たちが、信頼できない?」
「いいや?」
即答された答えに、ラヴィニカは反応が遅れた。
「君たちはなにかしている、とは思っているけれど、君たちのことは信頼しているよ。心からね」
ラヴィニカが言葉を失っていると、アルジェントは心外そうに顔をしかめる。
「なんだい、その顔。さすがの僕も傷つくのだけれど」
アルジェントは呆れたような顔をする。
ラヴィニカは居心地悪く、視線を逸らした。
しばらく魔法演習を眺めていると、アルジェントが思い出したように声をあげる。
「そういえば、ルカの適性は風だったかな」
魔法には六つの属性があり、人によって適性もある。
ラヴィニカは魔力がないので適性も何もないが、ルカは風属性に適性があった。
「そうよ」
ちょうど目の前で、風魔法を使う生徒がいた。その横では、光の矢を放つ生徒もいる。
アルジェントはその光を眩しそうに見つめる。
光の矢を見て誰かの顔を思い出したのか、アルジェントは表情を和らげた。
「フィオラは、光属性の適性があるそうなんだ」
アルジェントとフィオラはスリにあった一件以降、急激に仲を縮めていた。
ラヴィニカとルカがいない間に、一体何があったのか。
アルジェントのフィオラを見る視線は、明らかに柔らかく甘ささえも感じた。
鈍感なラヴィニカでも、それくらいのことは察せられる。
そこに突っ込むような野暮なことはせずに、もうひとつ、気になっていたことを口にすることにした。
「なんだか、魔法演習の先生、いつもより力が入っていない?」
そう。いつもは魔力操作さえ満足にできていれば、特段なにか言うこともない先生が、今日はやけに熱心な指導をしている。
今も、的を外してしまった生徒に対して事細かなアドバイスを送っていた。
「魔物の活動が活発になっているからだろうね」
「……そんなに活性化しているの?」
「報告によると、ね」
魔物は余剰魔力が滞留した魔力溜りから発生する生き物ならざる存在だ。
魔力溜りは、浄化魔法を扱える光属性の魔法使いでも浄化できない。必然的に、魔物もいなくならない。
だからこそ、人間と魔物は一進一退の攻防を続けているのだ。
「もしかしたら、聖女が出てくるかもしれないね」
冗談めかしたその言葉を、ラヴィニカは笑うことができなかった。
聖女——伝説で語られる、魔力溜りそのものを浄化できる唯一の存在。
一説には、魔物が活性化すると光属性に適性のある乙女から出現すると言われているが。
——ラヴィニカは知っていた。
(聖女は、本当に現れるのよ)
それも、そう遠くないうちに。




