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12.傷つけないで

 春の陽気が夏の暑さに移り変わる狭間のようなある日、ラヴィニカは図書館と本校舎を結ぶ外回廊を歩いていた。

 授業と授業の間にある移動だ。先ほどまでは図書館での特別授業で、次は本校舎での通常授業。ついでに、と思って図書館で調べ物をしていたらクラスメイトよりも遅い動きになってしまった。

 少しだけ早足になりながら、外回廊の角を曲がる。


(ルカは今、どうしているかしら)


 今、ラヴィニカの隣にルカはいない。

 ルカはラヴィニカの従者であると同時に、学年がひとつ上の同じ学園に通う学生だ。四六時中一緒にいることは不可能。

 ルカはできうる限りラヴィニカに侍ろうと、昼休みや長めの休み時間はすぐにラヴィニカの元へ駆けつけてくれるのだが、だとしても限界がある。

 こうした授業と授業のちょっとした間などは、ラヴィニカもひとりで過ごす時間があった。


(なにか、騒がしいわね)


 外回廊脇の庭で、なにやら複数名の女生徒がたむろしているようだ。

 自然とそちらに視線を向けると、その中にある花色の髪が目についた。


(フィオラさん……?)


 最近よく見る姿に、ラヴィニカは思わず足を止める。

 ラヴィニカがいる場所はちょうど外回廊の柱の陰になっていて、あちらから気づかれることはなさそうだ。

 そっと様子をうかがうと、フィオラが数名の女生徒に囲まれている図がうかがえる。なにやら既視感を覚える構図だ。

 ラヴィニカは数秒、次の授業までの時間を考え、即座にこの場に留まる選択をした。

 フィオラが心配だったとか、そういう理由ではない。たぶん。

 ラヴィニカはひどく自然に気配を潜める。呼吸の速度を落とし、周りの空気に自分が溶け込むようなイメージを持つ。そして、聴覚の感度を高めるように意識を集中させた。

 すると、フィオラと女生徒の会話がハッキリとラヴィニカの耳に届き始める。


「あなた、最近調子に乗っているんじゃないかしら」

「なんでしょうか。私が、なにかしてしまったのでしょうか」

「はんっ、白々しいわね。それともなに? 自分は殿下のお気に入りだからわたくしたちのことなんて、眼中にないとでも?」

「そんなことは言っておりません。なんなんですか、あなた方は。私、そろそろ次の授業なのでお暇させていただきます」

「待ちなさい! まだ話は終わっていないのよ」


 女生徒のひとりがフィオラの腕をつかみ、キッと視線を尖らせた。


「田舎の男爵令嬢風情が、殿下やラヴィニカ様に近づくなんて身の程をわきまえないにも程があると言っているのよ!」


 ラヴィニカは無意識のうちに足を踏み出していた。

 すでに影に隠れたりもしていなければ、気配を潜めることもしていない。


「これは一体、なんの騒ぎかしら」

「お姉様……っ!?」


 フィオラが驚いたように「お姉様」と言った瞬間、フィオラの腕をつかんでいた女生徒の眉がピクリと動く。

 フィオラを囲んでいた女生徒たちは、ラヴィニカの姿を見るなり動揺したように顔をこわばらせたり、媚びるような笑みを貼り付けたりした。

 その中でも中心的人物を担っていたのだろうひとりが、ラヴィニカの前に進み出る。

 その手は、先ほどからフィオラの腕をつかんでいた。

 ラヴィニカは無表情に彼女を見据える。


「なにをしていらっしゃるの? デクリーア嬢」

「ラヴィニカ様こそ、こんなところで奇遇ですわね」


 ラヴィニカがサッと他の女生徒にも目を走らせると、みな一様に緑のリボンであることが確認できた。


「もう一度お聞きします。三年生である皆さまが、一年生であるフィオラさんを囲んでなにをしていらっしゃるのでしょうか?」

 

 ラヴィニカが視線を鋭くすると、ウルティアの取り巻きであろう数人がさらにうろたえた様子を見せる。ウルティアだけはいつも通りの媚びるような笑みと猫なで声でラヴィニカの傍にすり寄る。

 なぜだろうか。いつもなら気にすることがないその態度が、今はやけに癇にさわった。


「もう、ラヴィニカ様ったら。公爵令嬢たるあなたがこんな田舎の男爵令嬢のことなんか、気にする必要はないでしょう?」

「ここは社交界ではなく、王立アウローラ学園です。学園内では生徒はみな平等です。それに、社交界であっても身分が下だから見下して良いなどということはありません」

「学園内では身分不問だなんて、そんなのはただの建前でしょう?」


 王立アウローラ学園は、貴族の子女が通うことを推奨されている学園だ。国内にはいくつかの学校があるのだが、アウローラ学園は主に貴族が通う学校という位置づけがされている。

 ルカのような平民も通うことが許されてはいるものの、学費が非常に高額であることから実質的に貴族だけが通える学園となっていた。

 だからこそ、学内は社交界の縮図といっても過言ではない。

 社交界デビューは一六歳であり、学園に通うほとんどが社交界に出ている子息令嬢たち。必然的に、身分による格差や蔑視が学園内に生じてしまっていた。


(生徒会長であるアルジェントのはたらきかけで、それがなくなりかけているというのに)


 ラヴィニカは胸が冷え込んでいくのを感じる。

 ラヴィニカの瞳の温度が数段下がったことを、ウルティアは気づいていない。


「……ひっ」


 小さく悲鳴を上げたのは、誰であろうか。

 全員が、本能から自然と後ずさる。

 ラヴィニカは指一本も動かしていないというのに、この場が恐怖で支配されていた。


「お、お姉様。私は大丈夫ですからっ」


 フィオラのラヴィニカを気遣う視線が、温かい。

 ラヴィニカを一刻も早くこの場から立ち去らせたい、という感情が伝わってくる。


「みなさま、用があるのは私でしょう? なら、お姉様は関係ないはずです。お姉様、授業に遅れてしまいますよ」


「ね?」と笑いかけてくるフィオラに、ラヴィニカは言葉を失う。

 

(あなたはどこまでも、人のことばかりね)


 いつもいつも、お姉様お姉様とひっついてくる割に、こういうときは遠ざけようとする。


(本当に、困った子)


 冷え切っていたラヴィニカの心に、温かいものが染みこんでくる。

 ウルティアに向けられる視線とフィオラに向けられる視線は全く異なるものなのだと、初めて知った。

 

「フィオラさ——」

「魔力なしの出来損ないが」


 ぽつりと、誰が呟いたかも分からない声があたりに響く。

 その場の空気が凍り付くのと同時に、ラヴィニカの心もシンと静まりかえった。


(そうようね)


 ラヴィニカには、公爵令嬢という地位がある。

 だからこそ表面上はみなこびへつらうが、その実、裏ではラヴィニカを蔑んでいる。

 魔力なしの、出来損ないであると。


「訂正してください」


 その時、ラヴィニカの視界が鮮やかな花色に染め上げられた。


「今、お姉様を侮辱したのはどなたですかっ? 謝罪してくださいっ」


 腕を振り払ったフィオラが、ラヴィニカを守るように仁王立ちしているのだ。

 今まで、なにを言われても平然としていた彼女が、激情を顕わにしている。

 集まっていた女生徒たちは、気圧されたように黙り込んだ。


「お姉様のことをなにを知らないのに、傷つけるようなことを言うのはおやめください。お姉様は努力家で純粋で誰よりも優しくて! でも、自分の傷に鈍感な人なんです!」

 

 必死になりすぎて、とうとう涙声になったフィオラは最後の最後に一喝する。


「お姉様を、傷つけないで……っ」


 今まで、そんなことを言ってくれた人がいただろうか。

 ラヴィニカは呆気にとられてしまって、その瞬間、完全な無防備な状態になってしまう。今、ラヴィニカを強襲するような人がいれば、まず間違いなくやられてしまっただろう。


「フィオラさん」

「なんですかっ」


 叫んでいた勢いで振り返ったフィオラを、ラヴィニカは抱きしめる。


「ありがとう」


 ラヴィニカはその姿勢のまま、今度はウルティアへ氷点下の視線を投げた。


「今立ち去れば、今日のことは不問といたします。……どうされますか?」


 ウルティアたちはチラチラとお互いの様子をうかがっていたが、ひとりまたひとりと校舎の方へ足を向け始める。


「ご、ごきげんよう」

「失礼いたします、わ」


 最後まで残っていたのはウルティアだ。彼女はフィオラを射殺すような視線で見つめた後、ラヴィニカにニコッと笑いかけてこの場を去る。


「本日のところは失礼いたしますわ。ラヴィニカ様、それでは、また」


 ようやく静かになった空間で、大人しく抱きしめられていたフィオラがぷはっと顔を上げる。


「お、お姉様。いきなりの抱擁は心臓に悪いです……」

「ごめんなさい。こうでもしないと、あなたは止まらなかったでしょう」

「だって、止まる必要がないですし……。お姉様はお優しすぎます」


 フィオラはラヴィニカの決断に不満なようだ、小さく頬を膨らませてリスのようになっている。

 ラヴィニカはフィオラを解放し、その手を引いて外回廊に戻った。


「フィオラさんも、このあとは授業でしょう……けど、もう始まってしまっているわね」


 どうしようかしら、ともらすと、瞳を輝かせたフィオラが詰め寄ってくる。


「それなら、一緒に厩舎へ行きませんかっ?」

「厩舎?」

「はいっ。私、暇な時はよく遊びに行っているんですけど、馬を見ると癒やされるんですよ」

「あなた、そんな所に行っていたのね……いいわ。行きましょう」

「本当ですかっ? やったあ!」


 今くらいは、フィオラに付き合ってやるのも悪くない。

 そんな心持ちのラヴィニカだった。

 

 



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