11.ドギマギの勉強会
席替え後、フィオラがなにかを思い出したかのように「あっ」と声を上げる。
「どうしたんだい?」
アルジェントがそう聞くと、フィオラが少々恥ずかしそうに口を開く。
「いえ、その、学園生活で困ってる、というか、不安なことがひとつあったなあ、と思いまして」
「なにかあったの?」
「い、いえ! そんな大したことじゃないんです!」
顔を険しくしたアルジェントに、フィオラは慌てて両手を振る。
だが、その不安なことを口にするのが相当恥ずかしいようで数秒もごもごしたあと、思い切ったように口を開く。
「わ、私、勉強が、不安なんです」
もっと大層な悩み事を想像していた面々は、とても普遍的な内容にキョトンとした。
「な、なんだ、そんなことかあ」
「君も、普通の女子生徒なんだね」
「普通すぎて意外ね」
「みなさん、ひどくないですかぁっ?」
フィオラが若干涙目になったが、こればかりは日頃の行いが悪い。自業自得だ。
気を取り直すように、アルジェントがにこりと微笑む。
「それなら今度、図書館で勉強会でもしようか」
「い、いいんですかっ?」
「ああ。生徒会長として、悩める生徒は放っておけないしね。ラヴィニカとルカも、いいよね?」
「当然のように私たちも入るのね」
「まあいいじゃないですか、お嬢……それに、これはチャンスですよ」
最後の部分だけ、ルカはラヴィニカにだけ聞こえるようコソッと囁く。
「次のイベントを、殿下自ら設定してくださったのです。これに乗らない手はありません」
「それもそうね」
ラヴィニカとルカは頷き合い、アルジェントに向き直る。
「いいわ。今度、図書館で勉強会をしましょう」
「お姉様も来て下さるんですかっ。嬉しいです!」
〇〇〇
そして、勉強会当日。
ラヴィニカとルカはフィオラとアルジェントを隣の席にしようと張り切っていたのだが、フィオラは四人で集合するなりラヴィニカとルカの背を押し、隣り合わせにしてしまった。
「お姉様とルカさんはここに座ってくださいねっ。殿下と私はこっちです!」
そしてアルジェントを先導すると、自分はラヴィニカの真向かいに、アルジェントをルカの正面に座らせる。
「これで完璧です」
なぜか満足げなフィオラは、ムフッと鼻から息を吐いた。
ラヴィニカたちは各々持ち込んだ勉強道具を広げ出す。
ラヴィニカは外国語の教科書を広げ、目を落とした。
「真正面から見るお姉様の勉強姿……素敵ですっ」
吐息をこぼすような声が聞こえ前を見れば、うっとりと頬を押さえるフィオラがいた。
ラヴィニカはそんなフィオラを見なかったことにして真面目に勉強に取り組む。
「フィオラ嬢、分からないというのはどこかな」
「あっ、この部分なんですが」
最初、ラヴィニカへ熱烈な視線を向けていたフィオラだったが、次第に真剣な表情で教材と向き合い始める。
アルジェントと顔を突き合わせ、なかなかにいい雰囲気である。
これなら問題なさそうだ、とラヴィニカがフィオラたちを意識から外したところでスッとラヴィニカのノート上に指が差し出された。
「お嬢、ここ間違ってますよ」
「え? でも、ここは」
「確かに文法だけを見れば正解ですが、表現したいニュアンスを考えると……こっちが正解です」
「……本当だわ」
ラヴィニカは自分の間違いを指摘してくれたルカに驚きの瞳を向ける。
ルカはラヴィニカの従者であって、貴族ではない。出自も決して良いとは言えず、この学園に通っているのだって、ラヴィニカのお付をするついでのようなものだ。
ルカが重ねてきたのであろう努力が垣間見えて、ラヴィニカは素直に感心する。
「すごいわね、ルカ」
「そ、そんな、褒められることでは……っ」
ラヴィニカに褒められたルカは謙遜するが、アルジェントとフィオラの方を見てビシッと固まる。
ラヴィニカもルカの視線を追って二人を見ると、なにやら肩を震わせ吹き出しそうなアルジェントと鼻息荒く瞳を輝かせるフィオラがいた。
(なにかあったのかしら?)
内心首を傾げていると、ルカがガタガタと音を立てて立ち上がる。
「お、お嬢っ。僕、ちょっと参考になる資料を探したいのですが、お付き合いいただけませんかっ?」
「ええ、構わないわ」
ラヴィニカもルカに続いて立ち上がる。
「少し行ってくるわね」
「ああ、こちらもこちらで勉強しているからね」
「どうか、私たちのことはお気になさらずっ」
アルジェントの面白がっているような視線はいつものこととして、フィオラのあの乙女な瞳はなんなのだろうか。
「さっ、お嬢。早く行きましょう!」
「え? ええ」
ラヴィニカはルカに促されるままに、本棚の森の中へと入っていった。
アルジェントとフィオラから見えない位置に来るやいなや、ルカは深い深いため息をつく。
「どうしたのルカ」
「いやまあなんというか、心臓がもたないというか」
「心臓? 心臓が悪いの?」
「いえなんでもありません。参考書を探しましょう」
ラヴィニカが本気で心配しかけると、疲れた顔のルカが本棚の間を進んでいってしまう。
(本当に大丈夫なのかしら)
ラヴィニカは悶々とした気持ちを抱えながらもルカの後をついて行った。
「ルカは、なんの勉強をしているの?」
「あー……魔法植物学、です」
「それならこの棚ね。以前読んだことのあるものが何冊かあったから、分かりやすいものを選びましょうか」
ラヴィニカはあたりの本棚を見回し、一番上の棚にある一冊に目をつける。
ちょうど、背伸びすればギリギリ届くか届かないかの距離感だ。
ラヴィニカは限界までつま先立ちをし、指を必死に伸ばす。
指の腹が、本の背表紙をかすめた。
(これなら)
「これですか? お嬢」
「……え?」
ラヴィニカがとんっと地面を蹴るのと、ルカが後ろから覆い被さるように手を伸ばしたのは、同時だった。
ルカより先にラヴィニカの手が本を攫い、ルカの手が宙を切る。
「……」
「……」
変な静寂があたりをつつみ、時間が凍ったような気さえした。
一泊遅れて、ルカの顔がみるみる赤く染っていく。
「ねえ、ルカ」
「お、お嬢、すみませっ」
「そうじゃなくて」
ラヴィニカはくるりと体を反転させ、ルカと間近で相対した。
(思ったより近かったわね)
自分の頭の上に手を置き、そのままルカの胸の位置までスライドする。
それを見たラヴィニカは、「やっぱり」と呟いた。
「ルカ、背が伸びたわね……ルカ?」
返事がないことを不審に思いルカの顔を見上げると、完全にフリーズしているのが視界に入った。
これにはさすがのラヴィニカも静かに衝撃を受ける。
腕を掴んで控えめに揺すった。
「る、ルカ……?」
「……はっ!」
意識を取り戻したルカは瞬きを繰り返し、両手で顔を被った。
「すみません、お嬢。僕としたことが、不意をつかれました……」
「そう。もう大丈夫なの?」
「はい。ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません」
ルカは何度か自分で頬を叩くと、シャキッとした従者の顔になる。
「参考書、ありがとうございます。それでは、殿下方のところへ戻りましょう」
「ええ」
ラヴィニカは若干煮え切らない思いを抱えつつも、素直にルカの後に続いた。
〇〇〇
アルジェントとフィオラが待つ机の手前まで来たところで、ピタリとルカが足を止める。
「ルカ? どうした——っ」
ルカの顔をのぞきこもうとした瞬間、グイと腕を引かれて本棚の間に引きずり込まれる。
「ちょっと、本当にどうしたの」
「お嬢、しっ」
眉をひそめているとルカが人差し指を口にあて、目線で本棚の先を見るよう促される。
仕方ないのでラヴィニカはそろりと本棚の間から顔を出し、その先——机で二人並ぶアルジェントとフィオラをうかがう。
「あの二人がどうかしたの?」
「もっとよく見てください、お嬢」
そう言われても、と思いつつ、言われた通りじっと見つめる。
「ああ、ここか。ここは、その数式を当てはめて」
アルジェントが優しい声音で教えると、フィオラもそれに真剣に答える。
しばらくノートを睨み付けていたフィオラだが、なんとか解くことができたのかぱあっと顔が笑みで彩られた。
「できましたっ」
「はい、よくできました」
顔を上げたフィオラと見守るアルジェントの視線が重なりあい、自然と微笑み合った。
随分と仲がよさげに見える様子に、ラヴィニカはゆっくりとまばたきする。
ラヴィニカもルカの言いたいところを徐々に理解し、思わずルカと目を見交わした。
「ルカ、もしかして」
「はい。お嬢」
(これはもしかして、うまくいっている、のかしら)
ようやく『橋渡し大作戦』に一筋の光が差した、瞬間だった。




