第四章 大学
週に二度、その家へ通うことは、いつの間にか生活の一部になっていた。
ちゃぶ台に問題集を広げる。
右側には彼女。
正面には弟。
左側ではテレビが小さな音を流している。
おばあちゃんは座椅子に腰を下ろし、新聞を読んでいた。
その日の弟は、いつもより機嫌が良かった。
算数の問題が思ったより早く終わったからかもしれない。
「先生」
鉛筆をくるくる回しながら、こちらを見た。
「なんや?」
「先生って、どこの大学なん?」
私は一瞬、言葉に詰まった。
弟はただ興味を持っただけなのだろう。
悪気などあるはずもなかった。
けれど、返事はすぐに出てこなかった。
近くの大学名を一つ言えば、それで済む話だった。
弟は納得するだろう。
母親も、おばあちゃんも、たぶん疑わない。
けれど、なぜかそれができなかった。
私は大学生ではない。
受験をもう一年やり直している浪人生だった。
教師でもない。
それなのに、人に勉強を教えている。
「こら」
そのとき、台所から母親の声がした。
「先生が困るようなこと聞くんじゃありません」
弟は不満そうな顔をした。
「なんでー」
「なんでもや」
母親はそう言って笑った。
私は少しだけ肩の力を抜いた。
助かった、と思った。
同時に、どこか後ろめたかった。
母親は何も知らない。
善意で助けてくれただけだ。
「いや、大丈夫ですよ」
そう言ったものの、結局、大学名は答えなかった。
弟はすぐに興味を失ったらしい。
「あ、そうや」
と言って、今度は学校であった話を始めた。
私は相づちを打ちながら、問題集を開き直した。
ふと顔を上げると、彼女と目が合った。
彼女は何も言わなかった。
ただ静かにこちらを見ていた。
その視線が数秒続いたあと、彼女はまたノートへ目を落とした。
鉛筆の先が紙の上を滑っていく。
私は途中式の続きを説明した。
けれど、その日の帰り道は、いつもより少しだけ足取りが重かった。




