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春の途中―ある家族と過ごした春の記録―  作者: 種村朔


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第十一章  最後の家庭教師

最後の家庭教師の日だった。

けれど、家の中はいつもと変わらなかった。


ちゃぶ台を囲み、

正面には弟。

右隣には彼女。

私はいつもの席に座った。

おばあちゃんは座椅子に腰掛け、テレビを見ている。


居間には見慣れた夕方の空気が流れていた。

弟は算数の問題を解いていた。

彼女は数学の問題集を開いている。

私は二人のノートを順番に見ていた。

鉛筆の音だけが静かに続いていた。

合格したからといって、急に何かが変わるわけではなかった。


「できた」

先に声を上げたのは弟だった。

私はノートを受け取った。

途中までは順調だった。

けれど最後の計算が違っている。


「またや」

私は笑った。

弟は不満そうな顔をした。

「途中まで合っとるやん」

「最後が違ったらあかんやろ」

「惜しかったんや」

その言い方があまりにもいつも通りで、私は思わず笑った。

向かいでは彼女も小さく笑っていた。


そのあと、彼女の問題集を見た。

答えは合っていた。

途中式も綺麗だった。


私は丸をつけた。

「大丈夫やな」

そう言うと、

彼女は小さくうなずいた。


問題集を閉じる。

時計を見る。

いつもなら、そろそろ帰る時間だった。

そのとき母親が居間へ入ってきた。

「今日は食べていってください」

そう言った。

「合格のお祝いですから」

私は遠慮した。

けれど、

「せっかくですから」

と母親が言い、

「食べていき」

とおばあちゃんも言った。


結局、断りきれなかった。

ちゃぶ台の上に料理が並んだ。

特別に豪華というわけではない。

けれど、どれも温かかった。


弟は相変わらずよくしゃべった。

学校のこと。

友達のこと。

サッカーのこと。

話題は次々に変わった。


おばあちゃんは時々笑い、

母親は嬉しそうに相づちを打っていた。

彼女はあまり話さなかったが、ときどき微笑んでいた。

その表情を見るだけで十分な気がした。


食事が終わるころには、外は薄暗くなっていた。

私は鞄を持って立ち上がった。

いつものように玄関へ向かう。


すると弟が言った。

「駅まで送るわ」

彼女も黙って立ち上がった。

三人で家を出た。


春の夜風は思ったより冷たくなかった。

後ろで玄関の戸が閉まる音がした。

私は何気なく振り返った。

平屋の窓から灯りが漏れている。

見慣れた家だった。

けれど、その景色を見るのも今日が最後かもしれなかった。


私たちは駅へ向かって歩き始めた。

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