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第72話 港湾倉庫には、同じ番号の箱が二つある

 港湾記録は、きれいだった。


 きれいすぎるほどに。


 王宮筆頭実務顧問室の机に広げられた写しには、輸入日、船名、積荷番号、品目、数量、関税処理、保管倉庫、搬出予定日が整然と並んでいる。


 文字は揃っている。

 印もある。

 日付も抜けていない。

 財務院港湾会計担当官ボルクの確認印まで入っていた。


 だが、クラリスはその整った記録を見て、妙に落ち着かなかった。


 隣でオスカーが眼鏡を押し上げる。


「見たところ、帳簿としてはかなり整っていますね」


「ええ」


「だからこそ、ですね」


「はい」


 クラリスは、港湾到着記録の一行を指した。


 北方厚織毛布地 二十梱 第三北方倉庫


 その次の行。


 北方厚織毛布地 十二梱 第三北方倉庫


 さらに少し下。


 薬草染め包帯布 八梱 第三北方倉庫


 品目は違う。


 数量も違う。


 しかし、保管場所は同じ。


 第三北方倉庫。


 それ自体はおかしくない。


 同じ船で運ばれてきた北方物資を、同じ倉庫へ一時保管するのは自然だ。


 問題は、用途欄がないことだった。


「商業用か慈善用か、港湾記録だけでは分かりません」


 セリア記録官が静かに言った。


 今日は慈善記録官室から、セリアとミレーヌも同席している。


 机の端には、先日届いた北方毛織物の見本布が畳まれて置かれていた。


 布の端印には、ノルヴァルト公認商会の小さな鹿角模様。


 その印があることで、布の出所は追える。


 だが、誰のための布かまでは追えない。


 ミレーヌは港湾記録の写しをじっと見つめていた。


 眉間に、小さな皺が寄っている。


「おかしい、というより……足りません」


「どこが?」


 クラリスが促す。


 ミレーヌは少し緊張しながらも答えた。


「輸入されたことは分かります。どの倉庫に入ったかも分かります。でも、その箱がその後、商会へ行ったのか、王妃執務院指定の仕立て場へ行ったのか、施療院向けなのかが分かりません」


「ええ」


「港湾では、まだ“誰のための布か”になっていないのですね」


 クラリスは、その言葉を聞いて静かに頷いた。


「その通りです」


 オスカーがすぐに記録する。


 港湾到着時点では、品目・数量・倉庫は確認可能。ただし用途未確定。商業用・慈善用の区別なし。


 イリスが茶を置きながら、布の端をちらりと見た。


「お嬢様。倉庫で札を付け替えられたら、どうなりますか」


 部屋が静かになった。


 イリスの声は穏やかだった。


 だが、その問いはかなり鋭い。


「付け替えられた場合、港湾記録だけでは分かりません」


 クラリスは答えた。


「端印は残りますが、同じ商会の同じ布なら、商業用と慈善用を入れ替えても現物だけでは判断しづらいです」


「では、箱ごとの番号が必要ですね」


 セリアが言った。


「はい。梱包番号、封印、端印、用途札。この四つを揃える必要があります」


 ミレーヌは紙に小さく書き出した。


 梱包番号。

 封印。

 端印。

 用途札。


 そして、少し考えてからもう一つ加えた。


 開封者名。


「開けた人も必要ではありませんか」


「必要です」


 クラリスが答えると、ミレーヌは少しほっとした顔をした。


「倉庫で開けたのか、仕立て場で開けたのか、受領先で開けたのか。それも分からないと、途中で入れ替わった時に困ります」


「よい指摘です」


 クラリスは、妹の書いた紙を見た。


 ミレーヌの字は、以前より少し落ち着いている。


 まだ時々、力が入りすぎて線が太くなる。


 けれど、その字には考えた跡がある。


 ただ綺麗に写した字ではない。


 自分で迷い、分け、確認しようとする字だった。


 そこへ、財務院からエリオットがやってきた。


 手には港湾記録の追加写し。


 顔色は悪くない。


 少なくとも、前に人事候補案で揺れた時よりは落ち着いている。


「遅くなりました」


「いえ。ありがとうございます」


 クラリスが礼を返すと、エリオットは机の上の記録を見て、すぐに表情を引き締めた。


「第三北方倉庫ですね」


「気になる点がありますか」


「あります」


 彼は追加資料を広げた。


「港湾到着記録では、品目ごとに数量が整理されています。しかし倉庫側の一時保管記録では、積荷番号がまとめられています」


「まとめられている?」


 オスカーが資料を覗き込む。


 エリオットは一行を指した。


 積荷番号 N-442 北方厚織布類 三十二梱 第三北方倉庫


 クラリスは眉を寄せた。


「港湾到着記録では二十梱と十二梱に分かれていましたね」


「はい。しかし倉庫記録では、同じ北方厚織布類として三十二梱にまとめられています」


「用途欄は」


「ありません」


「商会別は」


「ここにはありません。別紙にあるはずですが、まだ提出されていません」


 イリスが静かに言った。


「同じ番号の箱が二つある、ということですか」


 エリオットは少し考え、頷いた。


「厳密には、箱ではなく積荷番号です。同じ積荷番号の中に、用途や商会の違う箱が混ざっている可能性があります」


 ミレーヌが、ぽつりと言った。


「それ、怖いです」


 誰も笑わなかった。


 その通りだった。


 同じ番号の中に違う目的の物資が混ざる。


 港湾では正しくても、倉庫でまとめられる。


 倉庫でまとめられたものが、商会や仕立て場へ出る。


 その時、慈善用の布が商業用へ紛れたとしても、帳簿上は「北方厚織布類」が出ただけになる。


 数字は合う。


 品目も合う。


 だが、誰のための布だったかは消える。


 クラリスは、ゆっくり息を吸った。


「名前をつけましょう」


 オスカーがすぐに羽根ペンを構える。


 クラリスは言った。


「用途混在番号」


 エリオットが小さく頷いた。


「分かりやすいです」


「港湾到着時点では分かれていた品目や用途が、倉庫保管時点でまとめられ、追跡困難になる状態です」


 オスカーが記録する。


 用途混在番号:港湾到着記録では分かれていた品目・用途・商会別情報が、倉庫保管記録で一つの積荷番号に統合され、慈善物資と商業物資の追跡が困難になる状態。


 セリアが、少し厳しい顔で言った。


「慈善記録官室としては、この状態では最終受領先確認までつなげられません」


「財務院としても問題です」


 エリオットが言った。


「慈善免除や減免対象の物資が商業物資と混ざると、関税処理上も曖昧になります」


「港湾会計担当官ボルク様は、どう見ますか」


 クラリスが尋ねると、エリオットは少し難しい顔をした。


「現場としては、まとめたいのだと思います。倉庫の棚数にも限りがありますし、品目ごとに細かく分けると手間が増えます」


「その手間を記録しないと、反発が出ますね」


「はい」


 財務院は必ず言うだろう。


 そんな細かい管理は港湾を止める。


 倉庫作業が増える。


 保管費が上がる。


 商会が嫌がる。


 どれも、ある程度は正しい。


 正しいからこそ、厄介だ。


 クラリスは布の見本を見た。


 この布一枚が、机の上では静かに畳まれている。


 だが実際の港湾では、二十梱、十二梱、八梱という形で積まれ、倉庫に入り、札を付けられ、人の手で動かされる。


 その一つ一つに負担がある。


 負担を見ずに「分けなさい」と言えば、現場は反発する。


 しかし分けなければ、慈善物資はまた消える。


「まず、試験経路を一つに絞ります」


 クラリスは言った。


「全港湾記録を変える前に、共同調査対象の毛織物だけ、梱包番号と用途札を分けて追跡する」


 エリオットが頷く。


「実験的運用ですね」


「はい。港湾全体に広げるのは、その負担を見てからです」


 ミレーヌが小さく手を上げた。


「用途札は、誰が付けるのでしょうか」


「よい質問です」


 クラリスは答えた。


「輸出元で仮用途札。港湾到着時に確認札。国内中継倉庫で保管札。用途確定時に最終用途札。この四段階でしょうか」


 エリオットが少し考える。


「輸出元の仮用途札は、ノルヴァルト側の協力が必要です。港湾到着時の確認札は財務院。中継倉庫の保管札は倉庫管理者。最終用途札は王妃執務院または仕立て場」


 オスカーが筆を走らせる。


 セリアが眉を寄せた。


「札が多いですね」


「多いです」


 クラリスは認めた。


 イリスが、横からいつもの札を出した。


 増やす前に減らす


「今、増やしています」


「はい」


「必要な増加です」


「では、別のものを減らす必要があります」


 イリスは容赦ない。


 クラリスは少しだけ考えた。


「札を四種類に分けるのではなく、同じ札に欄を作りましょう」


「欄?」


「輸出元、港湾、倉庫、用途確定。それぞれ確認印を押す欄を一枚の用途追跡札にまとめます」


 エリオットが顔を上げる。


「それなら、札自体は一枚で済みます」


「ただし、札が失われた場合が怖いですね」


 セリアが言う。


「札番号を帳簿にも写します」


 ミレーヌが続けた。


「札がなくなっても、帳簿の番号と梱包番号で追えるように」


 クラリスは頷いた。


「よいです」


 イリスが小さく札をしまった。


「今回は減りましたね」


「少しだけ」


「少しでも大切です」


 その日の夕方、港湾会計担当官ボルクも呼ばれることになった。


 彼は顧問室に入ってくるなり、机上の資料を見て渋い顔をした。


「用途札ですか」


「はい」


「港湾作業が増えます」


 予想通りの第一声だった。


 クラリスは頷く。


「増えます」


「認められるのですね」


「認めます。ですので、全体導入ではなく、共同調査対象の一経路だけで試します」


 ボルクは少しだけ表情を変えた。


「一経路だけ?」


「はい。ノルヴァルト公認商会からアルヴィア港、第三北方倉庫、王妃執務院指定仕立て場、受領先まで。対象は北方厚織毛布地の一部に限定します」


「全貨物ではないのですね」


「ありません」


 ボルクは資料を手に取り、用途追跡札の試案を見る。


 輸出元確認。

 港湾到着確認。

 倉庫保管確認。

 用途確定確認。

 開封者名。

 裁断・加工先。

 最終受領先。


「多い」


 彼は率直に言った。


「多いです」


 クラリスも率直に返す。


「ただし、これを全部港湾で書くわけではありません。港湾では、到着確認と梱包番号、端印、数量、倉庫番号のみです」


「それでも増えます」


「はい」


「港湾職員を一人増やせますか」


 ボルクの問いに、部屋が少し静まった。


 彼は嫌味で言っているのではない。


 実務として言っている。


 作業が増えるなら、人が要る。


 人がいなければ、誰かが残業で埋める。


 それは、クラリスが最も避けたいことだった。


「共同調査期間中の臨時確認費として計上します」


 クラリスは答えた。


 ボルクが少し驚いた顔をした。


「よろしいのですか」


「必要な負担です。隠してはいけません」


 エリオットが静かに頷く。


「財務院側の確認費草案にも入れられます。共同調査対象の港湾確認補助費として」


 ボルクは、しばらく二人を見比べた。


「現場の手間を、削れと言われると思っていました」


「削る前に、まず見ます」


 クラリスは言った。


「その上で、不要な欄があれば減らします。必要な欄なら、人手か時間を用意します」


 ボルクの表情が少しだけ変わった。


 完全に納得したわけではない。


 だが、話を聞く姿勢にはなった。


「それなら、港湾側でも一度試せます」


「ありがとうございます」


「ただし、倉庫側が嫌がりますよ」


「でしょうね」


 クラリスは、思わず苦笑した。


「次は倉庫ですね」


 オスカーが小さく呟く。


「胃薬を追加しておきます」


 イリスが茶を注ぎ足しながら言った。


「胃薬の記録も必要でしょうか」


「それは私費でお願いします」


 オスカーが真面目に返したので、ミレーヌが少し笑ってしまった。


 夜、顧問室には新しい試案が残された。


 用途追跡札 第一案


 そして、今日見つかった問題。


 用途混在番号


 港湾倉庫には、同じ番号の箱が二つある。


 正確には、同じ積荷番号の中に、違う目的の布が混ざっている。


 商業用の布。

 慈善用の布。

 まだ用途が決まっていない布。

 途中で用途が変わる布。


 帳簿はきれいだった。


 だが、そのきれいさの中に、誰のためのものかを消してしまう穴があった。


 クラリスは、用途追跡札の試案を見つめた。


 欄は多い。


 手間も増える。


 反発も出る。


 けれど、これをしなければ、北方毛織物の一枚がどこへ行くのか追えない。


 イリスが、終業時刻の札を置く。


 今日は帰る


 その隣に、今日の新しい札。


 同じ番号を疑う


「それは……かなり怖い札ね」


「必要です」


「でしょうね」


 クラリスは、用途追跡札の試案を国際案件の箱へ入れた。


 箱の中で、また紙が増えた。


 だが今回は、ただ増えただけではない。


 港湾記録の最初の穴に、名前がついた。


 用途混在番号。


 名前がつけば、次に確認できる。


 港湾倉庫には、同じ番号の箱が二つある。


 その事実を見つけたことが、北方慈善交易路共同調査の本当の始まりだった。

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