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第114話 三つの場所に入れる者

席を作るには、材料が要る。


 外套。

 処理箱。

 赤鉛筆。

 椅子。


 それらは、それぞれ違う場所にあった。


 外套は財務院控室の未確認外套棚。

 処理箱は旧帳簿保管室、あるいは返却前の仮置き台。

 赤鉛筆は旧帳簿保管室の備品箱。

 椅子は、港湾記録整理室のバルナス主任の席。


 つまり、席を作った者は、少なくともそれらの場所を知っていた。


 入れる者だったのか。

 誰かに取らせたのか。

 偶然そこにあったものを使ったのか。


 そこを分けなければならない。


 クラリスは顧問室の机に、大きな紙を広げた。


 見出しは、短い。


 三地点アクセス表


 縦軸に人物名。

 横軸に場所。


 控室。

 旧帳簿保管室。

 港湾記録整理室。

 南口。

 勤怠係窓口。

 仮置き台。


 オスカーが、すでに関係者の名前を並べている。


 バルナス主任。

 ハーゲン補助官。

 部署書記セドリック。

 茶配り係ルシア。

 控室管理係ダリア。

 旧帳簿保管室のモーリス。

 保管室補助係ネーラ。

 エリオット。

 グレゴール参事官。

 その他、港湾記録整理室の職員数名。


 ミレーヌは表を見て、少しだけ眉を寄せた。


「人が増えてきました」


「はい」


 クラリスは頷く。


「増えた時こそ、整理します」


「誰か一人を探すのではなく?」


「まだ、一人とは限りません」


 ミレーヌは、前回の札を思い出したように呟いた。


「席を作った手は、一つとは限らない」


「ええ」


 クラリスは横軸に印をつけ始めた。


 バルナス主任は、港湾記録整理室に入れる。旧帳簿保管室にも入れる。控室にも入れる。南口も通れる。


 ハーゲン補助官も、港湾記録整理室と旧帳簿保管室には入れる。控室にも、当然入れる。


 セドリックは、港湾記録整理室には入れる。控室にも入れる。旧帳簿保管室は、単独では難しい。


 ルシアは控室や部署内へ茶を運ぶことはできるが、旧帳簿保管室の箱までは扱わない。


 ダリアは控室に入れるが、港湾記録整理室や旧帳簿保管室へは通常入らない。


 モーリスは旧帳簿保管室に入れるが、港湾記録整理室の席を整える立場ではない。


 そして、ネーラ。


 保管室補助係であり、勤怠係の受領窓口も手伝うことがある若い職員。


 旧帳簿保管室に入れる。

 勤怠係の病欠連絡票を受け取れる。

 控室の鍵束を朝だけ預かることがある。

 港湾記録整理室へ、閲覧箱の受け渡しに行くこともある。


 ミレーヌの筆が止まった。


「ネーラさん、三つとも近いです」


「はい」


 クラリスは、すぐに付け足した。


「ただし、近いことと、席を作ったことは違います」


「はい」


 ミレーヌは、少し慌てて書いた。


 アクセス可能と実行は違う。


 イリスが茶を置きながら、静かに言った。


「鍵を持つ者は、疑われやすくも、使われやすくもあります」


 クラリスは、その言葉に目を上げた。


「使われやすい」


「はい。鍵を開けることが仕事である者は、“いつものように開けただけ”という形で、誰かの都合に巻き込まれやすいかと」


 クラリスは頷いた。


「記録しましょう」


 オスカーが書く。


 鍵管理者・補助係は、犯行主体とは限らないが、通常業務として開錠・受け渡しを行うため、第三者に利用される危険がある。


 その日の午後、ネーラが王宮中央棟の小会議室へ呼ばれた。


 彼女は二十代半ばほどの女性だった。


 髪を低くまとめ、袖口に小さなインク染みがある。


 目立つ人物ではない。


 むしろ、どの部署にも一人はいそうな、真面目で、よく働き、頼まれた仕事を断りにくい職員に見えた。


 部屋に入ってきた時、彼女は深く頭を下げた。


「私、何か不備を」


「落ち着いてください」


 クラリスは穏やかに言った。


「今日は、業務の流れを確認したいだけです」


 ネーラは頷いたが、指先は固く握られていた。


 カレル調査官が、最初に確認した。


「三日前の朝、旧帳簿保管室を開錠しましたか」


「はい。第一鐘前に」


「誰の指示で?」


「通常業務です。朝は私が開けます」


「その後、誰かが入りましたか」


「モーリス様が。あと……」


 ネーラは少し考え込んだ。


「バルナス主任が来たような気がします」


 部屋の空気が変わる。


 クラリスは、すぐに尋ねた。


「来たような気がする、ですね。確かではない?」


「はい。すみません。保管室の入口で声をかけられた気がします。でも、私は勤怠係の窓口へ急いでいて」


「何と声をかけられましたか」


「第七箱はまだ仮置き台か、と」


「誰に?」


「声は、バルナス主任に似ていました。でも、背中越しで……」


 ネーラは顔を青くした。


「すみません、確かではありません」


「確かではない、と記録します」


 クラリスは答えた。


「曖昧なことを曖昧なまま言ってくださるのは大事です」


 ネーラは少し驚いた顔をした。


 責められると思っていたのだろう。


 ミレーヌが丁寧に書く。


 ネーラ証言:第一鐘前後、旧帳簿保管室入口で“第七箱はまだ仮置き台か”と声をかけられた記憶あり。声はバルナス主任に似るが背中越し。確定不可。


 カレルが続けた。


「第七箱は、仮置き台にありましたか」


「はい。前日夕方の返却処理が終わっていなかったので」


「誰でも取れる状態でしたか」


「誰でもではありません。保管室前なので、財務院職員しか」


「施錠は?」


「保管室内ではなく、前の仮置き台でした。朝の処理中だけなので……」


 ネーラはそこで声を落とした。


 自分で気づいたのだ。


 朝の処理中だけ。


 そのわずかな隙間が、誰かに使われた可能性に。


「仮置き台の使用記録は?」


「ありません」


「なぜ?」


「短時間の仮置きだからです」


 短時間。

 仮置き。

 いつものこと。


 また、便利な言葉が並ぶ。


 クラリスは記録した。


 短時間仮置きに記録なし。重要箱の一時移動経路が不明化する危険。


 次に、控室の鍵束について確認された。


 ネーラは、朝の一定時間だけ控室の予備鍵を預かることがあった。


 控室管理係ダリアが靴拭き布や備品を運ぶ時、補助として鍵を受け渡すためだ。


「三日前の朝、控室の鍵を持っていましたか」


 カレルが尋ねる。


「はい。少しだけ」


「いつ返しましたか」


「第一鐘前には返したと思います」


「思います?」


「記録が……」


 ネーラは困ったように目を伏せた。


「鍵束の受け渡し簿には、朝の受領だけ記録して、返却はまとめて夕方に書くことが多くて」


 クラリスは内心で息を吐いた。


 また、まとめ記録。


 実際の時刻が消える。


「鍵を持っていた間、未確認外套棚を開けましたか」


「いいえ。私は棚には触っていません」


「誰かに鍵を渡しましたか」


「渡していません」


「本当に?」


 ネーラははっきり頷いた。


「はい。鍵束は腰につけていました」


「その間、誰かから頼まれましたか」


 ネーラは、また少し考えた。


「バルナス主任に、控室の忘れ物を見ておいてくれと言われたような……」


 クラリスの視線が静かに動いた。


「いつ?」


「前日の夕方です」


「何を?」


「灰色の外套が紛れていないか、と」


 ミレーヌの筆が止まった。


 すぐにまた動く。


「バルナス主任は、なぜ灰色の外套を?」


「自分のものが見当たらない、とおっしゃっていました。でも、私は忙しくて、ダリアさんに伝えるつもりで……結局、忘れてしまって」


 ネーラの声が震えた。


「すみません」


「謝る前に、事実を分けましょう」


 クラリスは言った。


「前日夕方、バルナス主任から灰色外套の確認を頼まれた。あなたは直接確認していない。ダリア様へ伝えるつもりだったが、伝えていない。これでよいですか」


「はい」


 ネーラは小さく頷いた。


 ミレーヌが書く。


 前日夕方、バルナス主任が灰色外套を探していたとのネーラ証言。本人私物か未確認外套かは不明。ネーラは伝達未了。


 クラリスは、頭の中で線を引いた。


 前日夕方。


 バルナス主任が第七箱を閲覧。

 同じ頃、灰色外套を探していた。

 翌朝、バルナス主任らしい外套が席に置かれる。

 第七箱も机に置かれる。

 赤鉛筆もある。


 これで、バルナス本人が席を作った可能性もある。


 しかし、別人が彼の行動を利用した可能性もある。


 前日に「灰色外套を探していた」という情報を知っていれば、翌朝、未確認外套を席に置くことはできる。


 ネーラが漏らしたのか。

 誰かが聞いていたのか。

 バルナス本人が仕込んだのか。


 まだ分からない。


 カレルは最後に、勤怠係窓口での病欠連絡票について確認した。


「病欠連絡票を受け取ったのはあなたですね」


「はい」


「バルナス主任本人から?」


「はい。第二鐘後に」


「その時、主任はどんな様子でしたか」


「急いでいました」


「何か持っていましたか」


「書類は……持っていなかったと思います。赤鉛筆を持っていました」


「赤鉛筆?」


「はい。指の間に挟んでいて、票を書き終えた後、そのまま持っていかれたような」


 エリオットが顔を上げた。


「旧帳簿保管室の赤鉛筆でしょうか」


「そこまでは分かりません」


 ネーラは首を振った。


「でも、普通の黒鉛筆ではなく、赤でした」


 クラリスは記録する。


 病欠連絡票提出時、バルナス主任が赤鉛筆を持っていたとのネーラ証言。種類未確定。


 これで赤鉛筆の線がさらに濃くなった。


 ただし、旧礼拝堂跡の赤鉛筆欠片と同じかはまだ分からない。


 聴取の終わり、ネーラは小さく言った。


「私、鍵を持っていました。仮置き台も知っていました。病欠票も受け取りました。だから、疑われるんですよね」


 その声は、ほとんど泣き声だった。


 クラリスは、少しだけ身を乗り出した。


「疑うためではなく、流れを見るために聞いています」


「でも、私がちゃんと記録していれば」


「それは、運用の問題です」


「私の不備では」


「不備はあります」


 クラリスは、あえて言った。


 ネーラの顔がこわばる。


「でも、それはあなた一人の罪ではありません。返却時刻を書かなくても回っていた運用。仮置き台を短時間だからと記録しない運用。鍵をまとめて記録する運用。そこを直す必要があります」


 ネーラは、目を伏せた。


「直せますか」


「直します」


 クラリスは答えた。


 それは約束ではなく、仕事としての宣言だった。


 ネーラは、少しだけ頷いた。


 聴取後、顧問室では三地点アクセス表が更新された。


 ネーラの欄には、多くの印がついた。


 控室鍵束。

 旧帳簿保管室開錠。

 仮置き台把握。

 勤怠係窓口。

 病欠連絡票受領。

 バルナスから灰色外套確認依頼を受けた可能性。


 ミレーヌは不安そうに表を見ていた。


「ネーラさん、たくさん関わっています」


「はい」


「でも、全部やったとは限らない」


「そうです」


「使われた可能性もある」


「はい」


 彼女は自分の札に書いた。


 たくさん関わった人が、全部した人とは限らない。


 イリスが横から見て、静かに頷いた。


「大事な札ですね」


 その日の報告書は、こうまとめられた。


 表題。


 三地点アクセスおよびネーラ聴取報告


 主な内容。


 一、席演出に必要な外套・処理箱・赤鉛筆・席配置は、複数場所にまたがる。

 二、ネーラは控室鍵束、旧帳簿保管室開錠、仮置き台、勤怠係窓口に関与する補助職員。

 三、第一鐘前後、旧帳簿保管室入口で“第七箱はまだ仮置き台か”と声をかけられた記憶あり。声はバルナス主任に似るが確定不可。

 四、前日夕方、バルナス主任から灰色外套確認を頼まれた可能性。伝達未了。

 五、病欠連絡票提出時、バルナス主任が赤鉛筆を持っていたとの証言。種類未確定。

 六、鍵返却時刻・仮置き台使用・短時間移動の記録が薄い。

 七、ネーラは犯行主体とは限らず、通常業務の中で利用された可能性もある。

 八、内部者または内部協力者の関与可能性は継続。

 九、重要鍵・仮置き台・病欠票受領の運用見直しが必要。


 クラリスは最後に一文を書いた。


 三つの場所に入れる者は、疑われやすい。だが同時に、使われやすい。


 ミレーヌは、自分の札に同じ言葉を書こうとして、途中で止めた。


 そして、少し変えた。


 鍵を持つ人を、鍵だけで裁かない。


 クラリスは、その札を見て静かに頷いた。


 国際案件の箱に、また一枚の報告書が入った。


 席を作った者は、まだ見えない。


 だが、席を作れる動線は見えてきた。


 外套棚。

 旧帳簿保管室。

 港湾記録整理室。

 勤怠係窓口。


 その間を、鍵と仮置き台と口頭依頼がつないでいた。


 そして、その真ん中にいたのは、強い権限を持つ者ではなく、頼まれた仕事を断りにくい補助係だった。


 ネーラが何をしたのか。


 何をしなかったのか。


 何を知らずに手伝わされたのか。


 それを分ける必要がある。


 次に見るべきは、彼女に声をかけた「バルナス主任に似た声」の正体だった。

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