エレーナの戦術眼
エレーナは、血の臭いがまだ残る山頂の陣を完全に掌握した。頂上の岩肌は赤黒く染まり、転がる死体が山積みになっている。ファニキア軍の残党は逃げ散り、騎士団の兵たちが歓声を上げて旗を各所に立てていた。エレーナは腕を組み、頂上から東を睨んだ。眼下を流れる川が、陽光を反射して輝いている。西の後方は、聖槍隊長ヴェロニカにハイデ軍の殲滅を任せていた。東に軍を割いたため、掛ける圧力はかなり減ったが、ハイデ相手なら十分だろう。エレーナの興味は、すでにハイデにはなかった。
「ふふっ・・・・・・次は本物の敵だわ。ファニキアの連中を、まとめて消し去ってあげる」
彼女は軍を小山の元へ集結させた。誓いの騎士団の重装兵たちは、甲冑の蹄を響かせながら進軍する。山頂の陣は一時的な拠点として残し、主力は川の向こう岸を目指した。川は南北に細長く流れ、渡河できるポイントは北と南の二か所だけ。浅瀬で馬が渡りやすい場所だ。騎士団はここを通って川を渡り、さらにその奥に南北に延びる丘を目指す。
丘の上には、パラパラと点在するファニキアの旗が風に翻っていた。先ほどの山頂を攻めてきたファニキアの先遣隊だろう。斥候は、川を渡らなければならずファニキア軍側から丸見えになる。小手先で慎重になるより数で押したほうが早い。ナタリアはそう考え、エレーナに進言した。
「――と思うのですが、いかがでしょうか?」
エレーナは鼻で笑った。
「そんな当たり前のことを、わざわざ言いに来なくていいわよ。斥候を出したところで無駄になるだけ。それなら相手の数が揃わない内に少しでも敵の数を削ってあの丘を取るのが先決」
ナタリアは一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに頭を下げた。「さすがです」と答えたが、内心で驚いていた。エレーナは狂気じみた戦士だが、冷静であれば戦術的視野も持ち合わせているのかもしれない。普段の彼女は直感と即断で敵を粉砕するが、こうした判断は意外だった。
早速、次の日。エレーナは集結させた2万の軍をリュドミラに任せ、渡河させた。北と南の渡河ポイントから主力が川を渡り、川の向こう岸で布陣する。馬の蹄が水を跳ね上げ、槍の穂先が陽光を反射する。エレーナ自身は小山の上で様子を眺めていた。彼女の瞳は、戦場を鷲のように見下ろす。
渡河が終わると、聖盾隊長であるリュドミラは眼前に広がる丘を見上げた。少数の旗が北と南に点在し、丘の上からはファニキア歩兵が何やら不安そうに見ているように感じる。一部では、こちらを見ながら何か光る物を持った兵士が忙しく動いていた。
「あれは何をしてる?」
リュドミラは少し疑念を感じたが、それ以上追及することもなかった。彼女の盾隊は重厚な装備で前進を始める。丘の下と上は8トゥルクほどの高低差があり、ファニキア軍は丘の下に歩兵部隊を配置。両軍がぶつかれば、数で劣るファニキア軍が押されていくことは明白だった。
同時刻、アルスの元に伝令から届いた急報は、丘から鏡による通信で届いた敵軍の動きだった。アルスは鏡による通信によって丘の裏側にいても手に取るように敵の動きを知ることができる。鏡の反射光で信号を送り、敵の位置や数、動きをリアルタイムで把握するシステムだ。
「さて、それじゃ僕らも動くとしようか」
隣で馬に乗るミラが不可解な表情でアルスに聞く。彼女の長い髪が風に流れる。その美しい姿に周りの兵士は思わず見とれた。
「アルス、なぜ川で対峙せなんだ?川なら騎兵の動きを制限することもできたはずじゃろ?」
アルスは穏やかに答える。
「そうだね・・・・・・。まず、僕らはあの山の陣で敵を迎え撃つつもりだった」
「そうじゃな。じゃが、儂らが到着する前に敵はエミールとガルダの防御陣を破りおった。つまり、それは想定以上に敵は強かったということじゃ」
「まさか、エミールのモード・アングレを破るなんてね。エミールや他の兵からの情報を繋ぎ合わせると、破ったのは恐らく師団長のエレーナ本人だ」
「敵を褒めてても仕方なかろう。それより、さっきの質問じゃ」
ミラはアルスを急かすように再び尋ねる。
「戦において地の利を得られるのは防御側と決まってるんだ」
「・・・それは、そうじゃな。守る方は戦う場所を選べるからの」
「僕らは守って負けた。つまり、本来ならあの山を取り戻すのが目標となるわけだけど・・・・・・。それは愚策になる。僕らは3万2000。相手は12万以上だ。数で圧倒的に劣るのにわざわざ相手の土俵で戦いたくはない。かといって、川に布陣した場合、地の利は五分と五分で優劣がつかない。もし仮に勝った場合、川を渡って次は山の陣地に攻めることになる。それだと結局こちらの損害が大きくなっちゃう」
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