雨季に流れ着いたケルピー・1
今日も雨だ。
窓を打つ雨音を聞きながら、僕はリズさんと向かい合って魔物の牙や骨を削っていた。
生物調査保護局の資金を調達するための内職だ。
削った牙に穴をあけ、糸を通し、ネックレスへと変えていく。
綺麗に磨いた牙は、狂暴な魔物の牙だったとは思えない。
あの事件から一か月ほど。
ライルさんやグラーナさんと、各地を回ってスライムの個体数調査を続けてきた。
セラさんが『これから仕事が大変になるんだから』と言っていたが、春が生物調査保護局の繁忙期だったらしい。
最初のような事件はなかったが、移動と調査の繰り返しで疲れが溜まった。
雨季に入ると調査もしづらくなるため、逆にこの時期は仕事が落ち着くらしい。
今は交代で休みを取っていて、今日はライルさんとグラーナさん、ガレスさんは出勤していない。
「はいは~い。 内職お疲れ様~! おやつの時間ですよ~」
セラさんがお茶とお菓子を持ってきてくれた。
リズさんは子どものように目を輝かせる。
「あっ!セラさん、ありがとうございます! ちょうど甘いものが欲しかったんですよ!」
「僕も疲れ始めたところだったので嬉しいです」
椅子から立ち上がり、背を伸ばす。
「エレノアさんは今日もずっと本を読んだり、報告書を書いたりしているみたいね~」
「局長は雨の日のほうが、仕事が捗るタイプですよね! 朝からずっと書類とにらめっこしてますよ!」
セラさんとリズさんが笑う。
「逆にライルさんは朝の訓練ができないから、『早く晴れてくれ……!』って言ってましたね」
「グラーナさんはどうなの~?」
「グラーナさんは、『寝る!』って一言だけ言ってました」
「それはグラーナさんらしいですね!」
リズさんが吹き出した。
「ガレスさんは何をしているんでしょう?」
「ん~……そうねぇ……リズちゃん、知ってる?」
ガレスさんのことは、セラさんも知らないらしい。
「知ってますよ! 朝早く起きて、剣を磨いて、窓から外を見ながら紅茶を飲んでます!」
いつもと何も変わらないらしい。
場所が違うだけなんだ。
今日のガレスさんの姿が、容易に想像できた。
「しかし、長雨ねぇ……」
窓から遠くを眺めるようにして、セラさんが言う。
「川もだいぶ増水してるみたいです」
「……大丈夫かな?」
リズさんが少しだけ不安そうな顔をした。
「ライルさんは、『このくらいなら街や畑に影響はない』って言ってましたよ」
「そうなの? なら安心ね~!」
セラさんはほっとしたように笑う。
「そういえば、この前パン屋のマーサさんがね。 雨で小麦の仕入れが遅れてるって困ってたの」
「確かに、河川が氾濫しなくても、物流には影響がありますよね」
「農家のバドさんは、不安で毎日のように畑の確認に行っているみたいですよ!」
そんな他愛もない会話を繰り返しているうちに、その日の仕事が終わる。
僕が宿舎へと向かう頃には小雨になっていた。
そして翌日。
久々に雲一つない、気持ちの良い晴天。
長雨が終わり、エルムフォードの街には久しぶりに活気が戻っているようだ。
僕は久しぶりに市場で朝食を取ろうと思い、いつもより少し早く宿舎を出た。
商店街のパン屋さんの前を通ると、いつものようにマーサさんが声を掛けてくる。
「レオンちゃん! 今日は少し早いのね~!」
「マーサさん、おはようございます。 いい天気なので、市場で朝食を取ろうと思って」
「確かに、今日は騒がしいわね~! みんな長雨で体力を持て余していたのかしらね」
マーサさんと一緒に、人だかりができている市場の方を見る。
すると、人混みの中に、畑のある方へと向かって駆けていくライルさんの背中が見えた。
その後ろを、グラーナさんも追い掛けているようだ。
いつものこの時間なら、ライルさんは市場近くの広場で訓練。
グラーナさんなら市場のお気に入りの店で肉を食べている時間のはず。
表情は見えなかったが、全速力といった感じではなかったので、『緊急』ではないようだ。
しかし、何があったのだろう。
わざわざライルさんとグラーナさんが二人で向かうようなことがあったのだろうか。
僕も行ったほうがいいかもしれない。
マーサさんにそう伝えて、僕も市場を抜けて畑の方に行ってみることにした。
畑のあたりに着くと、バドさんと娘さんを見かけた。
声を掛けてみる。
「バドさん、おはようございます。ライルさんとグラーナさんがこっちの方に走っていくのを見かけたのですが、何かありましたか?」
「いや、それがな……」
「あのね! 緑色のおうまさんがね、あっちの川のあたりで倒れてたの! 私が見つけたんだよ!」
「緑色……?」
一般的に馬と言えば、茶色、黒、白が思い浮かぶ。
緑色のように見えるとしたら……黒だろうか?
それとも、雨で体に葉っぱなどが張り付いていたのだろうか。
思案していると、バドさんが声をかけてきた。
「『緑色の馬』って気になるだろ? だから、ライルとグラーナに伝えたんだ」
「そういうことだったんですね」
「ただ、オレはミア……あ、娘のことな。 ……を連れてるから走れなくてな。 今から行くところなんだ。 一緒に行くか?」
「はい。 ご一緒します」
バドさんとミアちゃんに案内され、しばらく畑の脇道を歩くと、大きな川が見えてきた。
既に何人かの人が集まっているようだ。
ライルさんとグラーナさんだけでなく、セラさんの姿もあった。
ライルさんとグラーナさんに声をかける。
「おはようございます。 『緑色の馬が倒れている』って聞いたのですが……」
「ああ、それがな…… あそこにいるのが見えるか?」
水辺には大きな生き物が横たわっている。
「いきなり近づくと親や群れに襲撃されるってこともあるから、さっきまでオレとグラーナで周囲の様子を見てたんだ」
「でも、親も群れもいないみたいだな!」
「ちょうど今から、馬なのか魔物なのかを確認するところだ」
ライルさん、グラーナさんと一緒に、慎重に近づいてみる。
「こりゃあ……」
「ケルピーだな!」
水辺に群れで生息する馬のような魔物で、人間を川や湖に引きずり込んで溺れさせる。
しかし、エルムフォードの付近には生息していないはず。
「昨日の大雨で、上流から流されてきたのかもしれませんね」
全身に傷があり、人間を水に引きずり込むどころか、自力で立ち上がることもできない様子だ。
ケルピーはこちらを見つめながら、浅い呼吸を繰り返している。
ライルさんはどのような判断をするのだろう。
「見たところ動けないようだし、幸いここは町はずれだ。 立ち入らないように周知して、このまま誰も近づかないようにしよう」
「えーっ!かわいそーだよ!」
「かわいそうだよー!!」
と、僕たちの様子を伺っていた街の人たちの中から声が上がる。
ミアちゃんと、その友達の子供たちだ。
いつの間にか来ていたマーサさんも言う。
「確かに弱ってるみたいだしねぇ…… 何とかしてあげられないのかい?」
「んー……気持ちはわかるよ。 でも、このまま自然に任せるのがいいんじゃないか」
グラーナさんもライルさんと同じ意見のようだった。
そのとき。
「助けましょう」
セラさんだった。
いつもと違う声。
そして、真っ直ぐにライルさんを見つめていた。
「セラ……」
「助けられないかもしれません。 でも、助けられるかもしれない。それを放っておくことは、私にはできません」
セラさんの横顔を見る。
穏やかな表情の中に、凛とした意志が宿っている。
瞳は、決して譲るつもりがないことを物語っていた。
「僕からもお願いします」
「レオン君……」
「このまま放っておくと、他の魔物が集まって来てしまうかもしれません」
『できれば助けたい』という気持ちは、僕も同じだった。
セラさんがちらりと僕を見る。
ありがとう、と言ってくれているようだ。
場が静かになる。
どう判断するのか、ライルさんも迷っているようだった。
「はは、セラさんがそう言うときは絶対に譲りませんよ」
「私も助けてあげたいかな……」
ガレスさんとリズさんだ。
その後ろに、エレノア局長の姿も見えた。
生物調査保護局の全員が集まったようだ。
エレノア局長にこの場にいる全員の視線が集まる。
判断が気になるようだ。
「ケルピーは普段、群れで水辺に暮らしている魔物だ。危険で調査の機会も少ない。調査を行う良い機会だろう」
「エレノアさん!」
セラさんの表情がほころんだ。
「良かったな! セラ!」
グラーナさんも笑う。
ライルさんはやれやれ、といった感じだが、口元が少し笑っているのを僕は見逃さなかった。
もちろん、子供たちは大喜び。
マーサさんやバドさんたち、大人も、何かほっとしたような表情をしている。
こうして、僕たち生物調査保護局は、一頭の傷付いたケルピーを保護することになった。




