人の生活、魔物の生活・2
洞窟を覗き込んだグラーナさんが言う。
「浅くはなさそうだな」
「あと……果実の匂いに交じって、焦げた臭い……血の臭いもする」
「ライル、どうする?」
今度こそ、失踪した旦那さんなのだろうか。
無事ならいいのだが、血の臭いがするということは……
「……まずは声をかけてみるか。 レオン、グラーナ、武器を構えてくれ」
ここが魔物の巣穴なら、呼びかけた瞬間に僕たちが襲われる可能性もある。
深く息を吸い、杖を構えた。
「おーい! 誰かいるかー!!」
ライルさんが洞窟の中に向けて叫ぶ。
しかし、反応はなかった。
「……どうする?」
と、グラーナさんがライルさんに判断を求めた。
「失踪者の件を抜きにしても、この洞窟は調べないと。 安全が確認できるまでは森を開放できないな」
「ただ、今は昼過ぎだ。 洞窟に入る前に、まずは飯を食べておこう」
「大仕事の前に体力補給をしておくのは、重要だからな!」
グラーナさんが荷物を降ろし、リンデルで買い込んでいた干し肉、野菜、そして水を渡してくれた。
洞窟の中で、匂いから魔物が寄ってきてしまっては危ない。
開けたこの場で補給をしておかないと。
ライルさんが肉を食べながら言う。
「念のために、ランタンも持ってきてよかったな。 ……ところでレオン、お前は魔法だけじゃなくて剣も使えるんだよな?」
「はい。 もちろんライルさんほどではありませんけど」
「優秀な新人で助かるよ。 洞窟内では、『魔法はなし』だからな」
「わかりました」
洞窟での魔法使用は危険だ。
土の魔法で構造を変えてしまえば崩落する危険があるし、風の魔法も、長年積もった砂や脆い岩盤を崩してしまう危険がある。
さらに、濡れるとすごく滑る岩やコケなどもあり、水の魔法は足場を悪化させてしまうかもしれない。
特に未調査の洞窟では、『火の魔法は厳禁』と言われている。
学校の魔法の授業で、真っ先に教えられたことだ。
魔法取扱安全守則の一つ。
『洞窟や炭鉱では、安易に火の魔法を使うな』
昔、とある炭鉱で魔物が現れ、パニックになった魔法使いが火の魔法を放った。
次の瞬間、坑道ごと吹き飛んだという。
知識と判断力。
そして、冷静であること。
これを緊急時に実践できなければ意味がない。
そのためには自信が必要で、その自信の裏付けは普段の鍛錬にあると教えられた。
「あと、グラーナはここで待機していてくれ。 お前には少し洞窟が狭そうだし、何かあったときの連絡要員になってほしい」
「あいよ。 レオンのことが心配だからアタシも着いていきたいけど、そうなると思ってた」
「ここまで一緒に来たからわかっているだろうが、こいつなら大丈夫だ」
「そうだね。 無茶だけはするんじゃないよ、レオン」
「はい」
僕とライルさんが荷物を整えて立ち上がる。
ランタンは後衛の僕が持つことになった。
「レオン、これもわかっていると思うが……」
「はい。 『洞窟のスライムは森とは比較にならないほど危険だから注意しろ』ということですよね?」
「そうだ。 理由は知っているか?」
「栄養豊富な森と違って飢えているので、積極的に生物を捕食しにきます」
「そのとおりだ。 でも、それはまだ、王都の学校に通った人間くらいしか知らないことだ」
「失踪した旦那さんがそれを知らず、この洞窟で雨宿りをしたとすると……」
「もし、この洞窟内がスライムの住処だったらまずいな」
「さっき、ライルさんが声をかけたときには何も出てきませんでしたね」
「そのとおり。 ワイルドボアやビッグベアの巣なら、何か反応があったはずだ」
「となると、中型や大型の獣系魔物はいない可能性が高い、ということですね」
グラーナさんも言う。
「さっき、焦げた臭いもした。 ワイルドボアやビッグベアは火を怖がるから、あいつらはいないと思うよ! 何かいるとしたら、アタシはスライムか、昼間の洞窟でスヤスヤしてる、ブラッディバットだと思うね!」
ブラッディバットは夜行性の獣系魔物だ。
昼間は洞窟や廃坑で逆さにぶら下がって眠り、夜になると人や他の魔物の血を吸うために飛び回る。
一匹なら大した脅威ではない。
ただ、群れに襲われれば失血死の危険もある。
「慎重に行くぞ。 グラーナはこのまま頼む」
「レオン、もう一回言うけど、無茶はするんじゃないよ!」
「……はい!」
まず、ライルさんは洞窟の入り口からのぞき込むように入っていく。
「……水は滴っていないし、岩もしっかりしていそうだ。 すぐに崩落する危険はなさそうだな」
「風……空気の動きも感じますね」
「……よし、奥に進んでみよう」
ランタンを握る手に、自然と力が入った。
難しいかもしれないけど、ライルさんの目にならなければいけない。
徐々に奥へと進んでいく。
ランタンの明かりが届く範囲だけが、ぼんやりと浮かび上がる。
「この時間なら、よほど大きな音を立てなければブラッディバットは襲ってこない。 気を付けなければいけないのはスライムだ」
「上から降ってきて顔に張り付いてしまったら、窒息の危険がありますからね」
「そうだ。 基本的に前方と上が見えるような位置で明かりを頼む」
洞窟に入ってしばらく経った。
道は狭いが、思ったより奥行のある洞窟だ。
靴が小石を踏む音だけが、洞窟に小さく反響する。
「待て……! あそこにスライムがいる」
ライルさんが囁く。
よく見えるようにランタンの方向を調整した。
ランタンの火が揺れる。
「何か、体内に見えますか?」
森で見かけたスライムの中に、体内に種が見えている個体がいた。
希に、人間の落とし物を体内に取り込んでいるスライムもいる。
そして……中には。
捕食した生物の骨や、被害者の遺品を体内に残しているスライムもいる。
「……特に何も見えないな。近づくと襲ってくる可能性が高い。 慎重に避けて奥に進もう」
緊張が続く。
ランタンを持つ左手、剣を握る右手が汗ばんできた。
気温以上に汗が噴き出ているのを感じる。
「いいか。 目を離すなよ。 スライムは動いても大きな音がしない」
「はい……!」
刺激しないように気を付けて、無事に通り抜けた。
ふぅ、と一息つく。
「よし……! うまいぞ。 ここまでいくつかスライムの特徴を話したと思うが、まだ話していない特徴がある。 何かわかるか?」
「ワイルドボアやビッグベアなど獣系の魔物とは違い、火を恐れないことです」
「そうだ。 好む温度の方に向かうから、熱を感知できないわけではないらしい。 だが、恐れはしない」
魔物避けに火を焚いても、スライムはそれを避けるだけだ。
野営地で火を焚いて安心していたら、朝には荷袋に入り込んだスライムに保存食を食べられていた。
どこかの騎士団であった出来事らしい。
王都でたまたま見かけた騎士が、『それでオレが怒られたよ』と苦笑しながら同僚に話していたことを思い出す。
周囲を警戒しながら、さらに奥へと進んでいく。
ここまで分かれ道はなかった。
緩やかな上り坂になっている気がする。
一昨日は大雨だったから、失踪した旦那さんは奥の方まで上っていったのだろうか。
ライルさんが口を開く。
「……仄かに甘い果実の匂いと……焦げた臭いがするな」
「僕も感じました」
「どうやら目的地は近そうだ。 気を付けるんだぞ」
慎重に、ゆっくりと坂を上っていく。
少しずつ、果実の匂いと焦げの臭いが強くなり、そして……血の臭いがしてきた。
最悪の予感がする。
ライルさんは、無言のまま剣を抜いた。
僕も左手のランタン、右手の剣を握り直す。
さらに上る。
僅かに、クチャ……クチャ……という粘液の音も聞こえてきた。
これは一体のスライム……という印象の音ではない。
少なくとも、複数のスライムがいるようだ。
失踪した旦那さんもそこにいるのだろうか……
一歩ずつ距離を詰めていく。
ランタンの明かりが、いくつかの果実に群がるスライムの姿を捉えた。
さっきの粘液の音は、このスライムたちのものだったのか。
果実は失踪した旦那さんが密採したものなのだろうか。
そのとき、ライルさんが『あっちを照らしてくれ』というように手を動かした。
僕はランタンをそちらへと動かす。
そこには、燻る煙もなくなった焚火の跡があった。




