第92話「五つ、というルルの声と、届いた本数が多いほど、というカインの声と、また、違う来方だ、というジンの声と、道の途中の集落の朝」
朝が、来た。
集落の朝は——静かだった。
でも——
昨日と、違った。
何かが——また、変わっていた。
昨日は、四つが一度に届いた夜だった。
今日は——
六本が編まれた後の重さが、また、前を向いていた。
それだけで、十分だった。
―――
ジンが、目を覚ました。
すぐに——地面の方角に、手を、向けた。
地面を——通して、聞いた。
何かが——あった。
昨日とは——また、違った。
重さが——違った。
昨日は——「六本が編まれて、中心が光っている」という感触だった。
でも今日は——
「編まれた六本が、また、次の方角を向いている」という感触だった。
「……向いてる」とジンが、小さく、言った。「六本が——編まれたまま、次を向いてる。昨日届いた後の重さが——もう、前を向いてる。遠い。底——向いてる。また、向いてる」
地面の奥から——返事は、なかった。
でも——何かが、そこに、あった。
六本が編まれた後の重さが——前を向いたまま、あった。
―――
ルルが、目を覚ました。
すぐに——鼻を、向けた。
後ろ——台地の方角。穏やかな、温かいにおい。アルトが、台地から、こっちを見ている。
前——遠い方角。
ルルが、息を、止めた。
「……においが——また、来てる」とルルが言った。「次の——においだ。でも——今度は、また、違う。遠い。ずっと——遠い。でも、においはしてる。五つ——かもしれない。四つじゃない。五つのにおいが——する。でも——ここと、違う。対の対と——また、違う形だ。そういうにおいだ」
ジンが——少し、間を置いた。
「……五つ,か」とジンが言った。
「……うん」とルルが言った。「でも——形が、違う。四つの時は、対の対だった。二つと二つが向き合ってた。でも今度は——五つが、違う並び方をしてる。どういう並び方か——まだ、わからない。遠いから。でも、五つ、するにおいだ。そういうにおいだ」
「違う並び方——か」とジンが、低く、言った。
「……うん」とルルが言った。「来てる。においは、してる。どこか——遠い。でも、ちゃんと、来てる。そういうにおいだ」
―――
カインが、写しを、広げた。
「……記録には——こうあります」とカインが言った。「『四つで一組を届けた者は、次に向かう時、これまでと違う感触を持つ。六本の道が編まれた後の聞き手は——より遠く、より古いものの声を、より早く感じる。届けた本数が多いほど——次が近くなる』」
全員が——カインを、見た。
「……続きには——こうあります」とカインが言った。「『五つで一組は、これまでの数とは異なる。二つは一本、三つは三本、四つは六本の道を持つ。五つの場合——道の本数は十本になる。しかし十本は、対の対の時のような対称な形にはならない。五つの中心に一つが来て、残りの四つがその周りを囲む。中心が——要だ。外の四つは、中心を通して互いを感じる』」
しばらく——誰も、何も、言わなかった。
「中心が——要」とジンが、低く、繰り返した。「五つの中心に一つが来て——残りが囲む。対の対とは——また、違う形だ」
「……そうです」とカインが言った。「四つの時は、二組の対が向き合っていました。五つの時は——中心と、周囲という形になります。中心が最初に揃わないと——外の四つの十本の道が、一度に動きません。中心が、全体の鍵です」
「中心が——鍵、か」とノアが、静かに、言った。
「……そうです」とカインが言った。「そして——記録にはもう一つ、あります」
カインが、写しを、さらに、広げた。
「『五つで一組において、中心にいるものは、外の四つの声を全部知っている。知っているから、中心にいる。外の四つがそれぞれ中心に向けて道を持つ。その四本が先に揃う。四本が揃った時——中心が、全体に向けて動く。中心が動いた時が、十本の道が一度に開く入り口だ』」
「中心が——動く」とジンが言った。
「……そうです」とカインが言った。「中心が動くまで——外の四本を揃える。外の四本を揃えるには、外の四つが、それぞれ中心を感じる必要があります。感じられるように——場を作る。それが、五つで一組の最初の仕事です」
―――
一行は——歩き始めた。
六本が編まれた集落が——後ろになった。
器が——集落の奥で、まだ光っていた。
中心として——ゆっくりと、光っていた。
ルルが、鼻先を、前の方角に向けたまま、息を、止めた。
「……においが——また、濃くなってきた。歩いてるから——近づいてる。五つとも——においがしてる。でも——ここと,違う。四つの時は、対の対だった。今度は——一つが、全体の中心にいる。そういうにおいだ。中心のにおいが——一番、はっきり、する。外の四つは——その周りにいる。そういうにおいだ」
「中心が——はっきり、するか」とジンが言った。
「……うん」とルルが言った。「中心のにおいが——一番、強い。四つの時の最初の結び目と——また、違う強さだ。あれは、消えかけてた。でも今度の中心は——消えてない。ちゃんと、ある。しっかり、ある。でも——周りを知ってる。周りの四つを、ぜんぶ、知ってる。そういうにおいだ」
「消えてない——か」とジンが、少し、目を、細めた。
「……うん」とルルが言った。「でも——四つが、消えかけてる。周りの四つが、少しずつ、薄くなってる。中心は、ある。でも——周りが薄くなってくると、中心も、一緒に薄くなっていく。そういうにおいだ。急がないといけない。そういうにおいだ」
「周りが薄くなってくると——中心も薄くなる、か」とジンが、低く、言った。
「……うん」とルルが言った。「中心が周りを知ってるから——周りが遠くなってくると、一緒に薄くなっていく。そういうにおいだ」
ジンが——前を向いたまま、歩いた。
道が——続いていた。
―――
セレクが、静かに、口を、開いた。
「……教会の記録に——こうあります」とセレクが言った。「『五つで一組において、中心にいるものは、外の四つを失うことを最も恐れる。外の四つが薄くなるにつれ、中心も薄くなっていくのは、その恐れが形になったものだ。中心に近づく際、聞き手はまず中心の恐れを感じ取らなければならない。恐れを感じ取られた中心は——はじめて、聞き手を信じる』」
「恐れを——感じ取る、か」とジンが言った。
「……そうです」とセレクが言った。「四つの時の最初の結び目は、消えかけていました。だから、存在を知らせることが先でした。でも——今度の中心は、消えていない。消えていないけれど、恐れている。周りが薄くなっていく恐れを、ずっと、感じている。その恐れを——まず、感じ取る。感じ取ることで、中心が聞き手を信じます」
「信じてから——次に進む」とジンが言った。
「……そうです」とセレクが言った。「信じる前に外の四つを揃えようとしても——中心は動きません。中心が信じてから、外の四本を揃える道が開きます。順番があります」
―――
夕暮れが——近かった。
道の先に——また、集落が、見えた。
小さな、集落だった。
でも——
ルルが、息を、止めた。
「……においが——した。五つ——全部、ここだ。五つとも——ここにいる。中心が——集落の真ん中にいる。外の四つが——集落の周りにいる。四つとも——中心の方を向いてる。向いてる。でも——四つとも、少し薄い。薄くなってる。中心が——四つの方を向いてる。四つを——感じてる。感じながら——恐れてる。そういうにおいだ」
「恐れてる——か」とジンが言った。
「……うん」とルルが言った。「四つが薄くなっていくのを——感じてる。感じながら——どうにもできなくて、恐れてる。ずっと——恐れてる。でも、まだ、ある。四つとも——まだ、ある。中心も——ある。でも、急がないといけない。そういうにおいだ」
ジンが——集落の方を、見た。
―――
集落の入り口に——誰も、いなかった。
でも——
ルルが、鼻先を、集落の真ん中に向けた。
「……中心が——真ん中にいる。集落の真ん中に——一つ、ある。古い、何かだ。人のにおいじゃない。でも——集落の人たちのにおいを、ぜんぶ、知ってる。ぜんぶ——知ってる。長い時間——知ってきた。そういうにおいだ。古い。ずっと、古い。四つの時の器よりも——ずっと、古い」
「器よりも——古い、か」とジンが言った。
「……うん」とルルが言った。「もっと——古い。集落よりも、古い。集落ができる前から——ここにいる。集落ができて、四つが集まってきてから——知ってる。四つが来る前から、ここにいた。でも、四つが来てから——四つを、知った。知ってから——ずっと、感じてきた。そういうにおいだ」
「集落よりも——古い、か」とノアが、静かに、言った。
「……うん」とルルが言った。「古い。朝——四つのことを、知ってる。ぜんぶ——知ってる。そういうにおいだ」
シアが、空間を、静かに、探った。
「……見えてきた」とシアが言った。「集落の真ん中に——何かがある。古い、石だ。大きな、石だ。その石から——四方に糸が出てる。四本。外の四つの方に向かって——四本の糸が出てる。糸が——細くなってきてる。四本とも——細くなってきてる。中心の石は——しっかりある。でも、四本の糸が細くなってきてるから——石が、揺れてる。ほんの少し——揺れてる。恐れてる。そういう見え方だ」
「石が——揺れてる、か」とジンが言った。
「……うん」とシアが言った。「ほんの少し。でも——揺れてる。四本の糸が細くなってってくるたびに——揺れてる。そういう見え方だ」
―――
一行は——集落の真ん中に、向かった。
石が——あった。
大きな、石だった。
人の背丈ほどの——古い、石だった。
苔が生えていた。
長い時間が——苔の厚さに、あった。
ジンが——石の前に、立った。
手を——石に、近づけた。
触れずに——近づけた。
「……ある」とジンが、小さく、言った。「石に——ある。重さが、ある。古い。すごく——古い。でも、ある。しっかり——ある。四つの方を——向いてる。四つとも——感じてる。感じながら——揺れてる。ほんの少し——揺れてる。四つが、薄くなってきてるから——揺れてる。怖い——みたいな重さだ。でも、感じてる。ちゃんと——感じてる」
ルルが、鼻先を、石の方角に向けた。
「……においが——した。石から——においが、した。四つのにおいを——ぜんぶ、知ってる。ぜんぶの——名前を、知ってる。名前とは——違うかもしれない。でも、それぞれの——形を、知ってる。それぞれの——重さを、知ってる。知ってるから、中心にいる。でも——四つが薄くなってきてる。薄くなってきてるから——揺れてる。怖い——においだ。でも、まだ、ある。まだ——ぜんぶ、感じてる。そういうにおいだ」
「怖い——においか」とジンが、石を、見た。
「……うん」とルルが言った。「でも——諦めてない。まだ——感じてる。まだ、感じてるから——諦めてない。そういうにおいだ」
―――
カインが——写しを、手に取った。
「……記録には——こうあります」とカインが言った。「『五つで一組において、中心にいるものに近づく際、聞き手は何かを知らせてはならない。四つの時は「三つは消えていない」と知らせることが鍵だった。しかし五つの時、中心はすでに四つのことを知っている。知らせることは、中心の恐れを増やす。聞き手がすることは——ただ、そこに立つことだ。立って、感じることだ。中心の恐れを、感じ取ることだ』」
「知らせない——か」とジンが、石を、見た。
「……そうです」とカインが言った。「四つの時は、器が四つのことを忘れかけていました。だから、知らせることが有効でした。でも、今回の中心は——知っています。四つのことを、ぜんぶ、知っています。知っているのに、どうにもできなくて、恐れている。そこに、知らせることを加えても——恐れは増えるだけです」
「増える——か」とジンが、低く、言った。
「……そうです」とカインが言った。「ただ——立つ。感じる。中心の恐れを、感じ取る。感じ取られた中心が、聞き手を信じる。信じてから——次が開きます」
ジンが——石の前に、地面に、手を、当てた。
「……感じてる」とジンが、静かに、言った。「石の恐れを——感じてる。四つが薄くなっていく怖さを——感じてる。ただ——感じてる」
―――
少し——時間が、経った。
ルルが、息を、止めた。
「……においが——動いた。石から——においが、動いた。ジンが——感じてる。感じてるのが、届いた。ジンが恐れを感じてくれてる、って——届いた。石が——少し、揺れが、変わった。恐れの揺れとは——少し、違う揺れに、変わった。誰かがいる、って——気づいた揺れだ。そういうにおいだ」
「気づいた——か」とジンが、石を、見た。
「……うん」とルルが言った。「石が——気づいた。ジンがいる、って。感じてくれてる人がいる、って——気づいた。でも——まだ、信じてない。気づいただけで、まだ、信じてない。そういうにおいだ」
「まだ——信じてない、か」とジンが、低く、言った。
「……うん」とルルが言った。「でも——気づいた。それで、いい。今日は——それで、いい。そういうにおいだ」
シアが、空間を、探った。
「……変わった」とシアが言った。「石の揺れが——変わった。さっきまでは、恐れの揺れだった。今は——気づいた揺れだ。四本の糸は——まだ細い。でも、石の揺れ方が変わった。それだけで——今日は、変わった。そういう見え方だ」
―――
五本目の糸が——穏やかに、揺れた。
ルルが、息を、止めた。
「……アルトが——揺れてる」とルルが言った。「台地から——揺れてる。石が気づいたのを——感じてる。五つで一組、って——今日、初めて聞いた。自分の時は——二つだった。でも、五つでも、まず気づくことが最初なんだ、って——感じてる。数が増えても——最初は、気づくことだ。そういうことを——感じてる揺れ方だ。嬉しい——揺れ方だ。でも——まだある、って、揺れ方でもある。続きを——応援してる。そういう揺れ方だ」
「アルト——」とノアが、空に向かって、小さく、言った。「見てるか。五つ——だそうだ。でも——石が気づいた。最初の一歩——踏んだ」
五本目の糸が——穏やかに、前を向いた。
―――
エリナが、手帳を、開いた。
ペンを、走らせた。
今日のこと——朝、ルルが「五つ、かもしれない、四つの時とは違う形だ」と言ったこと、カインが「五つの中心に一つが来て、残りの四つが周りを囲む、道の本数は十本になる」という記録を読み上げたこと、セレクが「中心の恐れを感じ取ることが先だ、知らせることは恐れを増やす」という記録を示したこと、集落の真ん中に古い大きな石があったこと、石が外の四つを知っているが四つが薄くなってきているから揺れていること、ジンが石の前の地面に手を当てて恐れを感じ取り続けたこと、石がジンの存在に気づいたこと、アルトが数が増えても最初は気づくことだと感じながら揺れたこと。すべてを、書いた。
書き終えて、ペンを止めた。
それから——もう一行、追加した。
『今日、石がジンに気づきました。声は届いていません。信じてもいません。ただ——気づいた。それだけでした。でも、私はそれを見ていて、これが最初の一歩なのだと思いました。四つの時の器は、消えかけていた。今日の石は、消えていない。でも、恐れている。消えかけていることと、恐れていることは——違う。消えかけているものには、存在を知らせることが水になる。でも、恐れているものには——感じ取ることが水になる。水の種類が、違う。私はそれが面白いと思いました。何が水になるかは、その存在によって違う。引くだけ——どれも、誰かがそこにいることが、水の始まりだ。今日もそういう順番を聞きました。気づかれるまで、ただ、感じ続ける。感じ続けることが、水だ。エリナ・フォルス談。自分で書いておく』
集落は——静かだった。
でも——
何かが、そこに、あった。
石が気づいた後の——静かな何かが。
穏やかに——そこに、あった。
石は——まだ、揺れていた。
でも——揺れの中に、少し、違う色が混じっていた。
ルルは、それを確かめて、眠った。
―――
ジンは——石の前の地面に、手を、当てた。
地面を——通して。
「……気づいてくれた」とジンが、小さく、言った。「まだ、信じてない。でも——気づいてくれた。ここにいる。感じてる。お前が——四つのことを感じてるのを、感じてる。怖いのを——感じてる。明日も——感じてる。急がない。でも——感じてる。ここに——いる」
地面の奥から——返事は、なかった。
でも——何かが、そこに、あった。
六本が編まれた夜とも、器が光った夜とも——また、違う何かが、あった。
古い石が、気づいた後の——何かが、あった。
穏やかに——そこに、あった。
暖炉の火が——穏やかに、揺れた。
台地の風が——遠く、あった。
アルトが——見ていた。
一行の背を——押していた。
夜が——深くなった。
石が気づいた後の——静かな夜が。
ゆっくりと——深くなった。
―――
― 第92話・了 ―
―――
次話予告:
翌朝、ルルが鼻先を向ける。「……においが——また、変わってきた。石から——昨日と、違うにおいが、する。気づいた後の——においだ。でも——まだ、信じてない。信じるには——もう少し、かかる。でも、においが、変わった。ジンのことを——感じてる。昨日よりも——はっきり、感じてる。そういうにおいだ」。カインが写しを開く。「記録には——『五つで一組において、中心が聞き手を信じる前に、必ず一つだけ変化が起きる。それは——中心が、外の四つに向けていた注意を、少しだけ聞き手に向けること。外から聞き手へ、注意の向きが動く。その動きが——信じることへの入り口だ』とあります」。ジンが石の前に立つ。「……注意が——動く。外の四つじゃなく——聞き手の方を、少し、向く。そこが——入り口だ。そこを——待つ」。五本目の糸が——穏やかに、また、新しい方角を、向く。




