第88話「三つが同時に感じ合った、というルルの声と、場を作ることが先だ、というカインの声と、繋いだ、というジンの声と、道の途中の集落の朝」
朝が、来た。
集落の朝は——静かだった。
でも——
昨日と、違った。
何かが——また、変わっていた。
昨日は、木が一度だけ揺れた夜だった。
今日は——
三つが、互いをもう少し感じながら、続きから、あった。
それだけで、十分だった。
―――
ジンが、目を覚ました。
すぐに——地面の方角に、手を、向けた。
地面を——通して、聞いた。
何かが——あった。
昨日とは——また、違った。
重さが——違った。
昨日は——「木が一度揺れて、また集落を向いた」という感触だった。
でも今日は——
「三つが、それぞれの方角を向いたまま、互いを感じてる」という感触だった。
「……感じてる」とジンが、小さく、言った。「三つとも——感じてる。昨日より——ずっと、感じてる。木が——集落の方を向いたまま、感じてる。集落の二人が——木の方を向いたまま、感じてる。三つが——それぞれ、感じてる。でも——まだ、一緒じゃない。感じ合ってるけど——一緒には、なってない」
地面の奥から——返事は、なかった。
でも——何かが、そこに、あった。
三つの重さが——それぞれの場所で、感じながら、あった。
―――
ルルが、目を覚ました。
すぐに——鼻を、向けた。
後ろ——台地の方角。穏やかな、温かいにおい。アルトが、台地から、こっちを見ている。
前——集落の、二人がいる方角。それから——木のある方角。
ルルが、息を、止めた。
「……においが——また、変わってきた」とルルが言った。「三つとも——少し、濃くなってきた。木から——集落の方に、においが、流れてる。昨日より——ずっと、流れてる。三本の道が——動いてる。全部、動いてる。三つが——互いを、感じてる。感じ合ってる。そういうにおいだ」
ジンが——少し、間を置いた。
「……三本が——全部、動いてるか」とジンが言った。
「……うん」とルルが言った。「昨日は——木が一本だけ、揺れた。今日は——三本、全部、動いてる。木から集落への道も、集落の二人の間の道も——全部、動いてる。でも——」
ルルが、少し、間を置いた。
「……バラバラに動いてる」とルルが言った。「三本が同じ方を向いてない。それぞれが——それぞれの向きに、動いてる. 一緒には、なってない。そういうにおいだ」
「バラバラに——動いてる、か」とジンが、低く、言った。
「……うん」とルルが言った。「三本が一度に動けば——声への入り口になる。でも今は——バラバラだ。まだ、入り口じゃない。そういうにおいだ」
―――
カインが、写しを、広げた。
「……記録には——こうあります」とカインが言った。「『三つで一組において、聞き手がまずすべきことは、三つが同時に感じ合えるための場を作ることだ。三つが同時に互いを感じた時——三本の道が、初めて一度に動く。一度に動いた時が——声への入り口だ』」
全員が——カインを、見た。
「……続きには——こうあります」とカインが言った。「『場を作るとは、三つを一つの場所に集めることではない。三つがそれぞれの場所にいながら、同じ方角を感じられるようにすることだ。聞き手は、三つの間の真ん中に——ただ、立つ。立っていることで、三つが同じものを感じられる』」
しばらく——誰も、何も、言わなかった。
「三つの——真ん中に、立つ」とジンが、低く、繰り返した。
「……そうです」とカインが言った。「木と、集落の二人の——ちょうど真ん中の場所に、聞き手が立つ。聞き手が三つを同時に感じながら立っていることで、三つは聞き手を通して——同じものを感じられる。それが、場を作る、ということです」
「聞き手を——通して」とノアが、静かに、言った。
「……そうです」とカインが言った。「三つを直接繋ごうとしてはいけない。三つの道を手繰り寄せようとしてもいけない。ただ——真ん中に立つ。それだけです。三つが自然に同じものを感じるように——場所だけを、用意する」
ジンが——木の方角と、集落の入り口を、交互に、見た。
「……真ん中——か」とジンが言った。「どこが、真ん中だ」
ルルが——鼻先を、ゆっくりと、動かした。
「……においが——一番、混ざってる場所がある」とルルが言った。「木のにおいと——集落の二人のにおいが、一番、混ざってる場所。そこが——真ん中だ。そういうにおいだ」
「わかった」とジンが、ルルを、見た。「案内してくれ」
―――
ルルが——前に、出た。
ゆっくりと——歩いた。
木の方角と、集落の方角を——交互に、確かめながら、歩いた。
少し——歩いた。
立ち止まった。
「……ここ」とルルが言った。「三つのにおいが——一番、混ざってる。木のにおいと、集落の一人目のにおいと、集落の二人目のにおいが——ここで、一番、混ざってる。三本の道の——真ん中が、ここだ。そういうにおいだ」
ジンが——その場所に、立った。
地面を——通して、聞いた。
何かが——あった。
木の重さと——集落の二人の重さが、ここで——少し、混ざっていた。
「……ある」とジンが、小さく、言った。「三つの重さが——ここで、少し、混ざってる。真ん中——感じる」
ジンが——地面に、手を、当てた。
「……感じてる」とジンが、静かに、言った。「三つとも——感じてる。木も——感じてる。集落の二人も——感じてる。三つとも、ここで、感じてる」
―――
シアが、空間を、静かに、探った。
「……見えてきた」とシアが言った。「三本の道が——ここで、少し、重なってる。昨日はバラバラだった。今日は——ジンがここに立ってから、少し、重なってきてる。まだ一本一本は細い。でも——重なってる。ジンを通して——重なってきてる。そういう見え方だ」
「ジンを——通して、か」とノアが、静かに、言った。
「……うん」とシアが言った。「ジンが三つを同時に感じてるから——三つが、ジンを通して、同じものを感じてる。少し——揃ってきてる。揃ってきてるけど、まだ一度には動いてない。もう少し——揃う必要がある。そういう見え方だ」
ルルが、息を、止めた。
「……においが——また、動いた。三つから——ジンの方に向かって、においが、動いてる。木から——ジンの方に。集落の二人から——ジンの方に。三つとも——ジンを感じてる。聞き手を——感じてる。そういうにおいだ」
「三つとも——感じてくれてるか」とジンが、地面に手を当てたまま、低く、言った。
―――
集落の入り口に——二人が、来た。
昨日から会った、老いた二人だった。
二人で——道の脇に、立っていた。
ルルが、息を、止めた。
「……においが——した。二人から——昨日と違うにおいが、した。昨日は、早く来てほしいにおいだった。今日は——ジンがここに立ってるのを見て、変わった。ジンが真ん中にいる。その感触が——届いてる。ジンを通して——木のにおいが、届いてきてる。二人が——それを感じてる。そういうにおいだ」
「木のにおいが——届いてきてるか」とジンが言った。
「……うん」とルルが言った。「昨日は届いてなかった。今日は——ジンが間にいるから、届いてる。二人が——木のにおいを感じてる。久しぶりに——感じてる。そういうにおいだ」
二人が——ジンを、見た。
口が——二人とも、動いた。
「……わかる——って、言ってる」とルルが言った。「二人とも——言ってる. 木のにおいが——わかる. 感じる. ジンがいるから——感じる. そういうにおいだ」
ジンが——二人を, 見た.
「……感じてくれてるか」とジンが, 二人に向かって, 静かに, 言った. 「木も——感じてる. こっちを——ずっと, 向いてる. 昨日, 一度, 揺れた. また今日も——こっちを向いてる. 感じてくれてるか」
二人が——頷いた.
揃って——頷いた.
―――
セレクが, 静かに, 口を, 開いた.
「……教会の記録に——こうあります」とセレクが言った. 「『三つで一組において, 聞き手が真ん中に立った後, 三つが同時に同じ方向を感じるまでには, 時間がかかる. 焦ってはならない. 三本の道は——聞き手が動かさずとも, 同じ方向を感じ続けていれば, 自然に揃っていく. 揃う速さは, 三つが互いを見守ってきた時間の長さに比例する』」
ジンが——セレクを, 見た.
「……見守ってきた時間の長さ——に比例する, か」とジンが, 低く, 繰り返した.
「……そうです」とセレクが言った. 「この三つは——長い時間, 互いを見守ってきた. 木が二人を見守り, 二人が木を見守ってきた. その時間が, 三本の道に積み重なっている. その積み重なりが——揃う力になります. 焦らずにいれば——揃います」
「積み重なってる——か」とジンが, 地面に手を当てたまま, 低く, 言った.
「……そうです」とセレクが言った. 「揃わせようとしてはいけない. 揃うのを——ただ, 感じていればいい. そういう記録です」
ジンが——少し, 目を, 細めた.
「……わかった」とジンが言った. 「感じてる. 揃うのを——感じてる」
―――
昼が——来た.
ジンが——真ん中の場所に, 立ったまま, いた.
地面に——手を, 当てたまま, いた.
二人が——集落の入り口から, その場所を, 見ていた.
カインと, ノアが——ジンの隣に, 来た.
「……一緒に——感じる」とノアが言った. 「俺も——ここに立つ. ジンだけじゃない. 俺も, 一緒に, 三つを感じる. 三人で——感じる」
ジンが——ノアを, 見た.
「……頼む」とジンが言った.
ノアが——ジンの隣に, 立った.
地面に——手を, 当てた.
カインも——反対の隣に, 来た.
地面に——手を, 当てた.
「……聞く」とカインが言った. 「記録を読むだけじゃない. 今日は——ここで聞く」
ルルが, 息を, 止めた.
「……においが——また, 変わった. 三人が——真ん中に立ってる. 三つの道が——三人を通して, 流れてる. 昨日よりも——ずっと, 濃く, 流れてる. 三つから——三人に向かって, においが, 来てる. 三人分の真ん中が——できてる. そういうにおいだ」
「三人分——か」とジンが言った.
「……うん」とルルが言った. 「一人の時より——三人の方が, 真ん中が, 広い. 広い真ん中に——三つが向かってる. 揃ってきてる. 少し——揃ってきてる. そういうにおいだ」
―――
午後が——来た.
集落の二人が——真ん中の場所に, 近づいてきた.
ゆっくりと——近づいてきた.
そして——ジンたちの隣に, 立った.
地面に——手を, 当てた.
五人で——地面に, 手を, 当てた.
ルルが, 息を, 止めた.
「……においが——また, 大きく, 変わった. 二人が——真ん中に来た. 二人のにおいが, ここに加わった. 二人のにおいは——木が一番長く知ってる. 木が一番, 知ってるにおいが——ここに来た. 木に——直接, 届いてる. ジンたちを通してじゃない. 二人が来たから——直接, 届いてる. そういうにおいだ」
「二人のにおいが——直接, 届いてるか」とジンが言った.
「……うん」とルルが言った. 「木から——大きく, においが, 動いた. 二人が来たから——動いた. 二人のにおいを——受け取った. 受け取ったから——動いた. そういうにおいだ. 三本の道が——また, 揃ってきてる. さっきより——ずっと, 揃ってきてる. そういうにおいだ」
シアが, 空間を, 探った.
「……また, 変わった」とシアが言った. 「三本の道が——さっきより, ずっと, 揃ってきてる. 五人が真ん中にいる. 二人のにおいが木に届いた. 木が——また, 揺れてる. 揺れながら, 三人の方を——向いてる. 向きが——揃ってきてる. 三本の道の向きが——揃ってきてる. そういう見え方だ」
―――
五本目の糸が——穏やかに, 揺れた.
ルルが, 息を, 止めた.
「……アルトが——揺れてる」とルルが言った. 「台地から——揺れてる. 三本の道が揃ってきてるのを——感じてる. 自分のことを——思い出してる. 自分も, ノアと, 揃った. ノアの声と——自分が, 揃った. 揃った時のことを——思い出してる. 揃う前の, もうすぐ来る感触を——覚えてる. そういう揺れ方だ」
「アルト——」とノアが, 地面に手を当てたまま, 小さく, 言った. 「見てるか. 揃ってきてる. お前の時みたいに——揃ってきてる」
五本目の糸が——穏やかに, 前を向いた.
―――
カインが, 写しを, 手に取った.
「……記録には——もう少し, あります」とカインが言った. 「『三本の道が揃った時, 声への入り口が開く. 入り口が開く瞬間——三つは同時に震える. 震えた時に, 聞き手はただ一つのことをする. 三つを同時に呼ぶ. 名前ではなくていい. ただ——三つを同時に呼ぶことで, 入り口は完全に開く』」
「三つを——同時に呼ぶ」とジンが, 低く, 繰り返した.
「……そうです」とカインが言った. 「二つの時は——二つを受け取ることが先でした. 三つの時は——聞き手が呼ぶことが, 最後の仕事になります. 揃った三本の道を, 呼ぶことで——一度に開く. 別々に開けようとしてはいけない. 同時に——呼ぶ」
「同時に——か」とノアが, 静かに, 言った.
「……そうです」とカインが言った. 「三つを同時に感じながら, 同時に呼ぶ. それが——三つで一組の, 最後の扉です」
ジンが——木の方角と, 集落の二人を, 同時に, 見た.
「……わかった」とジンが言った. 「揃ったら——呼ぶ」
―――
夕暮れが——近かった.
五人が——地面に手を当てたまま, いた.
静けさが——あった.
ジンの中に——静けさが, あった.
ノアの中にも——静けさが, あった.
カインの中にも——静けさが, あった.
集落の二人の中にも——静けさが, あった.
ルルが, 息を, 止めた.
「……においが——また, 大きく, 動いた. 五人が——静けさを持ってる. 二人も——静けさを持ってる. 五人分の静けさが——真ん中に, ある. 三つがその静けさを——感じてる. 三つとも——同じ静けさを, 感じてる. 揃ってきてる. ずっと——揃ってきてる. もうすぐ——一度に動く. そういうにおいだ」
「もうすぐ——か」とジンが, 低く, 言った.
「……うん」とルルが言った. 「もうすぐ——三本が一度に動く. そういうにおいだ. 来る. 今日——来るかもしれない. そういうにおいだ」
―――
シアが, 息を, 止めた.
「……揃った」とシアが言った. 「三本が——揃った. 三本の道の向きが——一つに, 揃った. 一度に——同じ方向を向いた. 入り口が——開いてる. 開いてる. 三本が同時に——震えてる. そういう見え方だ」
ジンが——目を, 細めた.
地面に手を当てたまま——三つの重さを, 同時に, 感じた.
木の重さ——集落の一人目の重さ——集落の二人目の重さ.
三つが——同時に, 震えていた.
「……震えてる」とジンが, 低く, 言った. 「三つとも——同時に, 震えてる. 感じてる. 三つとも——ちゃんと, 感じてる」
ルルが, 息を, 止めた.
「……においが——全部, 揃った. 三つとも——同じにおいで, 揃ってる. 入り口——開いてる. 今だ. そういうにおいだ」
「今だ——か」とジンが言った.
「……うん」とルルが言った. 「今——呼ぶ」
―――
ジンが——地面に手を当てたまま, 頭を, 上げた.
木の方角を——見た.
それから——集落の入り口の二人を——見た.
それから——地面を——見た.
三つを——同時に, 感じた.
「……聞こえてる」とジンが, 静かに, 言った. 「三つとも——聞こえてる. 木も——聞こえてる. 二人も——聞こえてる. 三つとも——同時に, 聞こえてる. 揃ってる. 震えてる. 全部——来ていい. 三つとも——同時に, 来ていい. 全部——受け取る」
―――
一息だけ——静かになった.
三本の道が——止まった.
においが——止まった.
震えが——止まった.
一息だけ——
全て, 止まった.
シアが, 息を, 止めた.
「……来る」とシアが, 小さく, 言った.
―――
声が——
届いた.
三つの声が——同時に, した.
でも——
三つの声は, 別々に届かなかった.
一度に——届いた.
一度の中に——三つが, あった.
木の声と, 集落の一人目の声と, 集落の二人目の声が——一度に届いた.
ルルが, 息を, 止めた.
「……においが——全部, 動いた. 声が——来た. 三つとも——来た. 一度に——来た. 別々じゃない. 三つが——一度に来た. 三本の道が——一度に開いた. そういうにおいだ. 二つの時より——ずっと, 大きい. 一度に来た分だけ——大きい. そういうにおいだ」
「一度に——来たか」とジンが, 静かに, 言った.
「……うん」とルルが言った. 「一度に——来た. 三つとも——ちゃんと, 来た. そういうにおいだ」
―――
集落の二人が——それぞれ, 口を, 開いた.
二人とも——声が, した.
「……いた」と一人目の声が, した. 声が——震えていた. でも——届いた. 「ずっと——いた」
「……見てた」と二人目の声が, した. 声が——低く, かすれていた. でも——届いた. 「ずっと——見てた」
それから——
木の方角から——何かが, した.
声ではなかった.
でも——
ルルが, 目を, 細めた.
「……においが——した. 木から——大きく, においが, した. 声とは——違う. でも, 声より大きいにおいだ. 木が——届いた. 二人の声が届いたのと——同時に, 届いた. 木は声を持ってなかった. でも——届いた. においだけ. においで——届いた. 二人の声と同時に——木のにおいが, 届いた. 三つが——一度に届いた. そういうにおいだ」
「木は——声が届いたのか」とジンが, 木の方角を, 見た.
「……においだ」とルルが言った. 「声じゃない. でも——来た. ちゃんと来た. においが——来た. 三つで一組の中で, 木だけ声がない. でも——木が届けるものが, 来た. においが——来た. それが, 木の声だ. そういうにおいだ」
「においが——木の声, か」とジンが, 低く, 繰り返した.
「……うん」とルルが言った. 「木は声で届けない. においで届ける. においが——声の代わりだ. でも——ちゃんと来た. 三つとも——ちゃんと来た. そういうにおいだ」
―――
集落の二人が——泣いていた.
声が届いてから——泣いていた.
一人が——木の方角を, 見た.
口が——動いた.
「……見えてた——って, 言ってる」とルルが言った. 「木に向かって——言ってる. ずっと——見えてた. 声が届かなくても——見えてた. 木が, こっちを向いてるのが——わかってた. ずっと——わかってた. そういうにおいだ」
もう一人が——木の方角を, 見た.
口が——動いた.
「……ありがとう——って, 言ってる. 木に向かって——言ってる. ずっと——ありがとう. 見守ってくれて——ありがとう. 声が届かなくても——見守ってくれてた. そういうにおいだ. 長い時間の——ありがとうだ」
木が——揺れた.
風は——なかった.
でも——木が, 揺れた.
今度は——一度だけじゃなかった.
ゆっくりと——揺れ続けた.
「……揺れてる」とシアが, 息を, 止めて, 言った. 「木が——揺れてる. 声が届いてから——揺れてる. 止まらない. 昨日は一度だけ揺れた. 今日は——ずっと, 揺れてる. 三本の道が——全部, 太くなってる. 三本が——繋がったまま, 太くなってる. そういう見え方だ」
―――
カインが——写しを, 静かに, 折り畳んだ.
「……記録には——こうあります」とカインが言った. 「『三つで一組の声が届いた後, 残る道は三本が一つに編まれた形をしている. どれか一本が弱っても, 他の二本が支える. 二つで一組の道よりも——本数が多い分, さらに切れにくい. 三つが互いを見守り続けてきた時間の分だけ——道は太く, 編み目は細かく, 残る』」
「三本が——編まれて残るか」とジンが, 二人と木の方角を, 見た.
「……そうです」とカインが言った. 「二つの時は, 二本が支え合う道でした. 三つの時は——三本が編まれた道です. もっと切れにくい. もっと——長く残る. 三つが長い時間, 互いを見守ってきたから——それだけ, 編み目が, 細かい」
「編み目が——細かい, か」とノアが, 静かに, 繰り返した.
「……そうです」とカインが言った. 「これより多い——四つ, 五つの一組があれば, また, 違う形になるのかもしれない. でも——少なくとも, 三つは, 今日, 届いた. 三本の編まれた道が——ここに残ります」
ジンが——木の方角を, 見た.
木が——まだ, 揺れていた.
「……残る——か」とジンが言った. 「三本——編まれたまま, 残るか」
集落の二人が——頷いた.
それから——木の方角に向かって, 頷いた.
ルルが, 息を, 止めた.
「……においが——また, 動いた. 二人から——木に向かって, においが動いた. ありがとう, また会おう——ってにおいだ. 声が届いてから——また会おう, って, においだ. 木から——二人に向かって, においが返ってきた. ゆっくり揺れながら——返ってきた. そういうにおいだ」
―――
五本目の糸が——大きく, 穏やかに, 揺れた.
ルルが, 息を, 止めた.
「……アルトが——揺れてる」とルルが言った. 「台地から——大きく, 揺れてる. 三つが届いたのを——感じてる. 三本の道が編まれたのを——感じてる. 自分のことを——思い出してる. 自分の時は——二つだった. ノアと, 自分の, 二つだった. でも今日は——三つが一度に届いた. 二つの時よりも——大きかった. それを感じて——また, 自分の時のことを思い出してる. ノアに名前を呼んでもらった時のことを——思い出してる. そういう揺れ方だ. 泣いてる. 嬉しくて——泣いてる」
「アルト——」とノアが, 空に向かって, 小さく, 言った. 「見てたか. 三つ——ちゃんと, 届いたぞ. 一度に——届いたぞ」
五本目の糸が——穏やかに, 前を向いた.
―――
エリナが, 手帳を, 開いた.
ペンを, 走らせた.
今日のこと——朝, ルルが「三本が全部動いてるけどバラバラだ」と言ったこと, カインが「三つの真ん中に立つことが場を作ることだ」という記録を読み上げたこと, ルルが三つのにおいが一番混ざってる場所を見つけたこと, ジンが真ん中に立って地面に手を当てたこと, ノアとカインが一緒に真ん中に立ったこと, 集落の二人が自分から真ん中に来て地面に触れたこと, セレクが「揃う速さは見守ってきた時間に比例する」という記録を示したこと, 三本の道が揃って震えたこと, ジンが「三つとも同時に来ていい」と呼んだこと, 一息の静けさの後に三つが一度に届いたこと, 木は声ではなくにおいで届けたこと, 集落の二人が泣きながら木に「ずっと見えてた」「ありがとう」と言ったこと, 木が揺れ続けたこと, カインが「三本の道が編まれて残る」という記録を示したこと, アルトが嬉しくて泣いている揺れ方をしたこと. すべてを, 書いた.
書き終えて, ペンを止めた.
それから——もう一行, 追加した.
『今日, 三つが一度に届きました. 私は, それを聞いた時, 声が三つなのに一つに聞こえた, という不思議な感触を覚えました. 一つなのに, 中に三つある. そういう届き方でした. 木は声がなかった. でもルルは, においが来た, と言いました. 木の声はにおいだった. それを聞いた時, 私は少し考えました. 声の形は, 一つじゃない. 届け方が, 一つじゃない. においで届けるものも, 声だ. 向いていることで繋ぐものも, 道だ. ジンが今日呼んだのは, 三つを同時に呼ぶことでした. 名前じゃなかった. でも, 届いた. 声の形がどんな形でも, 受け取ろうとする者がいれば, 届く. 私は今日, そう思いました. 届かなくても, あるものは, ある. あるものを, あると感じて, 受け取ろうとする. それが今日の場でした. 三つが同時に揃えたのは, 長い時間, 互いを向いていたからだ, とカインは言いました. 向いていた時間が, 道を太くした. 道が太かったから, 揃えた. 揃えたから, 届いた. 今日も, そういう順番を聞きました. エリナ・フォルス談. 自分で書いておく』
集落は——静かだった.
でも——
何かが, そこに, あった.
三つが届いた後の——静かな何かが.
穏やかに——そこに, あった.
木が——遠くで, まだ, 揺れていた.
ゆっくりと——揺れていた.
ルルは, それを確かめて, 眠った.
―――
ジンは——地面の方角に, 手を, 当てた.
地面を——通して.
「……届いた」とジンが, 小さく, 言った. 「三つとも——届いた. 一度に——届いた. 三本の道が——編まれて, 残ってる. 切れない. ちゃんと——切れない道が, 残ってる. 木も——届いた. においで——届いた. それが木の声だった. 全部——受け取った」
地面の奥から——返事は, なかった.
でも——何かが, そこに, あった.
老女と見えない者の集落とも, 老人と子供の集落とも——また, 違う何かが, あった.
三本が編まれた後の——何かが, あった.
穏やかに——そこに, あった.
暖炉の火が——穏やかに, 揺れた.
遠くで——木が, 揺れていた.
台地の風が——遠く, あった.
アルトが——見ていた.
一行の背を——押していた.
夜が——深くなった.
三つが届いた夜が.
穏やかに——深くなった.
―――
― 第88話・了 ―
―――
次話予告:
翌朝, ルルが鼻先を向ける. 「……においが——また, 来てる. 次の——においだ. でも——今度は, また, 違う. 遠い. ずっと——遠い. でも, においはしてる. 四つ——かもしれない. 三つじゃない, 四つのにおいが, する. 四つとも, 消えていくにおいが——する. でも——一つが, ほとんど, ない. もうほとんど——ない. 急がないといけない. そういうにおいだ」. カインが写しを開く. 「記録には——『三つを超えた数の声を届けた者は, 数よりも先に, 形を感じる. 四つで一組は——二つと二つが, 対になっている. 対の対だ. 二つ分の真ん中が——二つある』とあります」. ジンが立ち上がる. 「……対の対, か. また, 違う来方だ. でも——においがしてる. ルルが——感じてる. 急ぐ. 行く」. 五本目の糸が——穏やかに, 新しい方角を, 向く.




