表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無詠唱の魔王  作者: Dちゃん
第一章「辺境から始まる話」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/51

第8話「術者の名前と、届かない手紙」

『無詠唱の魔王』本日3話目の更新です!(朝8時、13時分もあります!)

休日の夕方のひとときに、ぜひお楽しみください。

鑑定士から呼び出しがあったのは、廃教会の探索から戻って三日後のことだった。


 エリナが書き写してきた壁の文字——廃教会の石壁一面に刻まれていた、あの碑文。ラングレイで唯一の古代語鑑定士、レウス・ダーリンのもとに持ち込んだのが四日前。「少し時間をくれ」と言われ、待っていた。


 ギルドの奥の小部屋。今日は四人全員が揃っている。


 レウスは六十がらみの白髪の老人で、常に分厚い眼鏡をかけている。初めて会った時、ジンは「魔法使いより魔法使いっぽい」と思った。今日もその印象は変わらない。老人は手書きのメモをテーブルに広げ、眼鏡の奥の目を細めながら、全員を見回した。


「解読できたのは、全体の三割ほどです。残りは——正直、私の手に負えなかった」


 エリナが先を促す。「わかった部分を教えてください」


「まず、石板と壁の碑文は同じ系統です。間違いない。ただ、石板は短い。あちらは『標識』のようなもの——誰かに気づかせるためだけに作られた。本文はすべて、壁の方にあります」


「本文」とシアが繰り返した。


「封印術の記録、と言えばいいでしょうか。何を封じたか、なぜ封じたか、どうすれば解けるか。そういった情報が書いてある。ただ——」レウスは少し間を置いた。「そのほとんどが、私には読めなかった」


 沈黙。


「読めた部分は?」とジンが聞いた。


「二点。一つは、封印の術者の名前です」


 全員の目が、老人に向いた。


「アル・ヴェリア」


 レウスは、その古びた名前を慈しむように呟いた。


「それが、その術者の名前です。——おそらく人名ですが、この名前に心当たりのある方は?」


 静寂が、小部屋を支配する。


 ジンはエリナを見た。エリナはシアを見た。


 シアが、掠れた声でその名をなぞった。


「……アル、ヴェリア」


 銀髪の隙間からのぞく横顔が、まるで遠い過去の遺物でも見つめるように、かすかに強張っていた。


「知らない。だが——」シアは声を落とした。「アルヴェリアという名は、聞いたことがある」


「どこで」


「大陸の名前だ。アルヴェリア大陸——この世界の名。それと同じ読みだ」


 誰も何も言わなかった。


「もう一点は?」とエリナが静かに聞いた。


「封印の目的です。一行だけ、はっきりと読み取れた文がありました」レウスはメモを指で押さえた。


「——『世界が自ら壊れるのを、少しだけ遅らせるために』」


 また、沈黙。今度は少し長い。


 ルルがジンの袖を引いた。ジンは特に何も言わなかった。ただ、石板の置かれたテーブルの端をぼんやりと見ていた。


「……世界が壊れる、とは」エリナが言葉を選んだ。「比喩的な表現でしょうか」


「それが私にも判断できない。ただ——」レウスは眼鏡を押し上げた。「この文章を書いた者は、冗談や誇張でこれを書いたわけではないと思う。文体が、そういう書き方ではない。淡々と事実を述べている筆致です」


「四百年以上前に書かれたものが、今も残っている理由がわかった気がします」とエリナが言った。「伝えたかったんだ、誰かに」


「重さを知る者へ、でしたね」


 エリナが頷いた。


 レウスは全員を見回してから、少し申し訳なさそうに言った。


「これ以上のことは、私には無理です。残りの七割を解読するには、大陸東部の専門機関か——あるいは、教会の古文書庫しかない」


 その言葉が、室内に静かに落ちた。


  ―――


 ギルドを出て、四人は街の中を歩いた。特に行き先を決めていたわけではなかった。ルルが「おなかすいた」と言ったので、屋台通りの方へ足が向いていた。


 シアが、歩きながら口を開いた。


「アル・ヴェリア。大陸と同じ名を持つ術者が、四百年以上前に何かを封じた。『世界が壊れるのを遅らせるために』」


「でかい話だね」とジンが言った。


「でかすぎる」


「でも飯は食える」


「……お前の優先順位は本当に一貫している」


 エリナが隣を歩きながら、手帳に何かを書き留めていた。歩きながらメモを取るのはエリナの癖で、ジンはそれを三日前に気づいていた。


「一つ確認させてください」エリナが手帳から顔を上げた。「封印の古文書庫が教会にある、という話——セレク・ヴァインはそれを知っている可能性があります」


「当然知っているだろう」とシアが言った。「特別教令部の人間なら、古文書庫へのアクセス権を持っているはずだ」


「つまり——私たちが廃教会で見たものを、教会はすでに知っている可能性がある?」


「可能性はある。私たちが廃教会に行ったことも、セレクに伝わっていたかもしれない」


 ジンは少し考えた。


「だったら、向こうも動くかな」


「動かなかったら、むしろ怖い」


 エリナがため息をついた。「どちらにしても怖い、という状況ですね」


 ルルが立ち止まって振り返った。


「ジン」


「何」


「うしろ」


 ジンが振り返った。エリナとシアも振り返った。


 通りの人混みの中、白い法衣が見えた。


  ―――


 セレク・ヴァインは、いつもの穏やかな笑顔で立っていた。従者を連れず、一人で。


「偶然ですね」


 偶然ではない、とジンも思った。シアの目が細くなったのもわかった。エリナが一歩だけ、さりげなくジンの前に出た。


「何かご用ですか」エリナの声は平静だった。ギルド受付の声だ、とジンは思った。仕事の声。


「いいえ、少し立ち話ができればと思って。ほんの少しだけ」セレクの目は動かない。「ジンさん、昨日は廃教会に行かれたとか」


「そうですね」


「どうでしたか」


「古かった」


 セレクが、微かに笑んだ。目ではなく、口元だけで。


「確かに。あそこは古い場所です。ラングレイよりずっと古い」


 ジンは相手を見た。何かを探してというわけではない。ただ、見た。


「セレクさんも行ったことありますか、廃教会」


「何度か。ずいぶん昔に」セレクは一拍置いた。「あの場所のことは、教会もよく知っています。起点の祠——そう呼んでいた時代もあった」


 シアの指先が、かすかに白くなった。ジンにはわかった。わかったが、何も言わなかった。


「ジンさん」セレクが続けた。「一つだけ、聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「あなたは——封印を、解くつもりがありますか?」


 通りの喧騒が、少し遠くなった気がした。


 ジンは少し考えた。本当に考えた。


「わかんないです。まだ、何が封じられてるかよくわかってないから」


「わかったら?」


「その時また考えます」


 セレクの笑顔が、一拍だけ止まった。それから戻った。


「そうですか」


 男は会釈して、来た方向へ戻っていく。人混みの中に、白い法衣が溶けていく。


 四人は無言でそれを見送った。


 ルルが「こわかった」と言った。


「怖かった?」とジンが聞いた。


「さっきのにおい。前みたいな変な感じじゃなくて——今日は、もっと強かった。何かを決めてきた人のにおい」


 シアが低い声で言った。


「……動いた、ということだ」


  ―――


 屋台通りで焼き串と温かいスープを買い、四人は広場の端の石段に座った。


 ルルはもう串を二本食べ終えていた。ジンは一本目の途中で、スープを飲みながらぼんやりしていた。エリナは手帳を膝に置いて、食べながらも何かを考えている様子だった。シアだけが食べ物に手をつけず、空を見ていた。


「シア」とジンが言った。


「何だ」


「食べないの?」


 シアは視線を下ろして、スープに手を伸ばした。それだけだった。


 しばらく、誰も何も言わなかった。


 エリナが口を開いた。


「セレクが動いたとすれば、次は何をしてくると思いますか」


「封印に干渉しようとするか、ジンさんを動けなくしようとするか——どちらかだと思います。前者なら、残りの点を先に押さえにくる。後者なら、ギルドか王国への働きかけがある」


「ギルドに、教会が干渉できますか」


「通常はできません。ただ——特別教令部は、通常の教会組織とは別です。直接王室と繋がっているという話もある。もしそのルートを使われると、私のレベルでは対処できない」


 エリナの声は静かだったが、その言葉の重さをジンはちゃんと受け取った。


「エリナが困ることになる、ってこと?」


「可能性はあります。私はジンさんの登録を処理した受付担当ですから」


 ジンはスープを一口飲んだ。それから焼き串を半分食べた。


「……ごめん」


「謝らなくていいです」エリナがきっぱりと言った。「私が選んでやっていることです」


「でも」


「でも、ない。——それより」エリナが手帳を開いた。「残り三つの封印の点を探す手段を考えましょう。廃教会の台座に刻まれていた配置図を、もう少し詳しく解析できれば、場所の見当がつくかもしれない」


 シアがスープから顔を上げた。


「配置図には、点の位置だけではなく、距離を示すような記号もあった。ラングレイを中心に、それぞれ何らかの方位と距離で示されているなら——逆算できるかもしれない」


「計算できる?」


「理論上は。ただ、記号の意味を正確に読む必要がある。レウス老師に再度頼むか、あるいは——」シアは少し黙った。「別の方法がある」


「別の方法?」


 シアが、少し迷うような顔をした。珍しい顔だ、とジンは思った。シアが迷うのを見るのは、初めてかもしれない。


「——手紙を、出せるかもしれない」


「誰に」


 シアは答える前に一度、空を見た。


「勇者パーティにいた頃、一緒だった人間がいる。今は魔法研究の仕事をしているはずだ。古代語の解析に長けている——私よりも、ずっと」


 エリナが静かに聞いた。「連絡できますか」


「……届くかどうかはわからない。居場所が変わっているかもしれないし、返事が来るかどうかも」

「送る価値はありますか」


 シアは少し考えた。


「ある。と思う」


 それだけ言って、またスープを飲んだ。それ以上は話さなかった。ジンも、それ以上は聞かなかった。

 ルルが焼き串の三本目をじっと見つめながら言った。


「アル・ヴェリアって、どんな人だったのかな」


 誰かが答えるかと思ったが、誰も答えなかった。


 ジンがぽつりと言った。


「四百年以上前に、何かを守ろうとした人」


「守れたのかな」


「わからない。でも——石板は残ってた。手紙みたいに」


 ルルが少し、首を傾げた。「手紙?」


「届かないかもしれなかったのに、書いた。届かなくてもいいから書いた、みたいな感じがする」


 シアが横目でジンを見た。何も言わなかった。エリナも何も言わなかった。


 ルルだけが「そっかあ」とのんびりした声で言い、四本目の焼き串に手を伸ばした。


 届かなくても、いいから書いた。


 その言葉の余韻が、夜の帳が下りるまで、シアの頭から離れなかった。


  ―――


 しん、と静まり返った宿の一室。


 月明かりが落ちる机の前で、シアは静かに便箋を取り出した。


 送る相手の名前を、頭の中で確認する。勇者パーティを出てから、一度も連絡していなかった。向こうも同じはずだ。それが選んだことだったから。


 だが——状況が変わった。


 ペンを取って、書き始めた。簡潔に。必要なことだけを。古代語の解析の依頼、廃教会の碑文の写し、返事のための住所。個人的なことは何も書かなかった。今の自分にそんな言葉を書く資格があるか、わからなかったから。


 書き終えて、封をした。


 届くかどうかはわからない。返事が来るかどうかも。


 でも——書いた。


 シアは窓の外を見た。夜のラングレイは静かだった。街灯の光が石畳に落ちている。


(届かなくてもいいから書いた、か)


 ジンの言葉が、頭の中で静かに反響した。あれは術者への言葉だったはずだが、なぜか今の自分のことのように聞こえた。


 それが少し、気に食わなかった。


 でも否定できなかった。


  ―――


 翌朝、ジンが一階に下りると、シアがすでに食堂にいた。珍しいことに、珍しくない顔でパンを食べていた。


「早い」


「お前が遅い」


「ルルは?」


「まだ寝ている」


 ジンは向かいの席に座った。給仕にスープとパンを頼む。


 しばらく、特に何も話さなかった。


「手紙、出せそう?」


 シアが少しだけ動きを止めた。それからまたパンを千切った。


「今朝、ギルドの伝令便に預けた」


「そっか」


「届かなくても怒るな」


「怒んないよ」


 シアはパンを口に入れた。嚥み込んで、少し間を置いた。


「……届くといいが、な」


 自分でもそう思っているとは言わなかったが、言ったのと同じだった。


 ジンはスープをひと口飲んだ。


「うまい」


「今日も同じ感想か」


「うまいものはうまい」


 シアは何も言わなかった。でも、口元がほんの少しだけ、動いた。


 二階から「ジン〜、おなかすいた〜」という声がして、続いて小さな足音が階段を下りてきた。


 それで今朝も、始まった。


  ―――


— 第8話・了 —


次話予告:シアの手紙が、思わぬ速さで届いた。返事の筆跡を見た瞬間、シアの表情が初めて大きく揺れた。——かつての仲間の名は、カイン・セルフォード。そして彼が書いてきた一文は、封印の謎だけではなく、シアの過去そのものに触れるものだった。


お読みいただきありがとうございました!

いよいよ本日ラストの4話目は、このあと【19時】に公開予定です。

一気に駆け抜けますので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ