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無詠唱の魔王  作者: Dちゃん
第六章「二つで一組の話」

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第78話「においが二つする、というルルの声と、先に消えたものと後から消えかけているものと、というカインの声と、二つ、ちゃんと受け取る、というジンの声と、道の途中の朝」

朝が、来た。


道の途中の朝は——静かだった。


でも——


昨日と、違った。


前の方角から——何かが、した。


昨日より——また、違う何かが。


昨日は、遠くて、薄かった。


今日は——


もう少し、近い。


それだけで、十分だった。


―――


ジンが、目を覚ました。


すぐに——前の方角に、手を、向けた。


地面を——通して、聞いた。


何かが——あった。


昨日より——また、違った。


重さが——違った。


昨日は——「消えていく途中」という感触だった。


でも今日は——


「消えようとしながら、こちらに気づいた」という感触だった。


「……気づいてる」とジンが、小さく、言った。「昨日——また、少し、薄くなった。でも——今日は、気づいてる。こっちが近づいてるのを——気づいてる。消えながら——気づいてる」


地面の奥から——返事は、なかった。


でも——何かが、そちらから、こちらに向かっていた。


消えながら——確かに、向かっていた。


―――


ルルが、目を覚ました。


すぐに——二つの方角に、鼻を、向けた。


後ろ——台地の方角。穏やかな、温かいにおい。アルトが、台地から、こっちを見ている。


前——道の先の方角。


ルルが、息を、止めた。


「……においが——二つ、する」とルルが言った。「昨日は——一つだった。今日——二つになった。一つは、すごく薄い。もうすぐ——消えそうなくらい、薄い。でも——もう一つが、ある。こっちは——まだ、少し、ある。でも——急がないと。二つ——一緒に、消えかけてる」


ジンが——少し、間を置いた。


「……二つ——か」とジンが言った。


「……うん」とルルが言った。「一つは、もうすごく薄い。もう一つは——まだ、ある。でも、一つが薄くなるにつれて——もう一つも、薄くなってる。繋がってる。そういうにおいだ」


―――


カインが、写しを、広げた。


「……記録には——こうあります」とカインが言った。「『消えていく声が一つある場所には、必ず、もう一つある。先に消えたものと、後から消えかけているものと。二つで、一組だ』」


全員が——カインを、見た。


「……続きには——こうあります」とカインが言った。「『先に消えたものを受け取ることが、後から消えかけているものを留める。二つを別々に聞こうとしてはならない。同時に、聞く』」


しばらく——誰も, 何も, 言わなかった。


「二つで——一組」とジンが、低く、繰り返した。


「……そうです」とカインが言った。「片方だけを聞こうとすると、もう片方が離れる。二つは繋がっているから——同時に、両方に向かって、聞く。そうでなければ、両方とも、消える。そういうことだと、思います」


「同時に——両方」とノアが、静かに、言った。


「……そうです」とカインが言った。「ただ——どちらが先に消えたかは、ここではわかりません。近づけば——わかる。二つのにおいの濃さが違うなら、薄い方が先に消えた可能性が高い」


ルルが——頷いた。


「……そういうにおいだ」とルルが言った。「薄い方が——先に消えた。濃い方が——後から消えかけてる。でも、薄い方が先だから——薄い方を先に受け取らないといけない。そういうにおいだ」


―――


野営の火が——まだ、穏やかに、揺れていた。


セレクが、静かに、口を、開いた。


「……教会の記録に——一行、あります」とセレクが言った。「『二つで一組の声を聞く者は、一つを受け取った後、もう一つが自分から来ようとする。引き寄せ合うのだ。片方が届いた温もりに——もう片方が引き寄せられる』」


ジンが——セレクを、見た。


「……片方が届いたら——もう片方が来ようとする」とジンが、低く、繰り返した。


「……そうです」とセレクが言った。「だから、まず先に消えた方を、全力で受け取ることが先決です。それが——後の方を引き寄せる。順番があります」


「順番が——あるのか」とノアが、静かに、言った。


「……そうです」とセレクが言った。「同時に聞く、ということは——同じ重さで聞く、ということではない。先に消えたものに耳を傾けながら、後のものが来ようとするのを、ただ待つ。そういう同時です」


ジンが——少し、間を置いた。


「……わかった」とジンが、低く、言った。


―――


一行は——歩き始めた。


道が——続いていた。


木が——あった。


草が——あった。


でも——前に進むにつれて、何かが、変わった。


ルルが、立ち止まった。


「……においが——また、濃くなってきた」とルルが言った。「昨日より——近い。二つ——どちらも, 近くなってきてる。薄い方も——まだ、ある。消えてない。急いでる——でも、消えてない。そういうにおいだ」


「消えてない——か」とジンが言った。


「……うん」とルルが言った。「消えてない。太平洋戦争。でも——今日中に、着かないといけない。日が暮れたら——薄い方が、危ない。そういうにおいだ」


ジンが——前を、見た。


「……急ぐ」とジンが言った。


―――


道の脇に——人影が、あった。


動かなかった。


小さな集落の手前だった。


道から少し外れた場所に——木が、あった。


その根元に——人が、しゃがんでいた。


老いた、女の人だった。


ジンが——近づいた。


地面を——通して、聞いた。


「……ある」とジンが、小さく、言った。「ここにも——ある。消えかけてる。でも——まだ、ある」


ルルが、息を、止めた。


「……においが——した」とルルが言った。「その人から——消えていくにおいが、した。でも——もう一つ、する。木の方角からも——消えていくにおいが、する。二つ——こっちだ。その人と、木と——二つで、一組だ」


「その人と——木」とジンが、老女を、見た。


老女は——ジンたちを、見た。


口が、動いた。


声は——届かった。


でも——ルルが、少し、頷いた。


「……来てくれた——って、言ってる」とルルが言った。「信じてなかった。もう、誰も来ないと——思ってた。でも——来てくれた。そういうにおいだ」


―――


ジンが——老女の前に、しゃがんだ。


「……来た」とジンが言った。「においで——わかった。二つ、あるのも——わかった。ここにいる。ちゃんと——聞く」


老女が——目を、細めた。


口が、動いた。


声は——届かなかった。


ルルが、息を、止めた。


「……ありがとう——って、言ってる」とルルが言った。「長かった。一人で——長かった。でも——来てくれた。ありがとう。そういうにおいだ」


「一人で——長かったか」とジンが、老女を、見た。


老女が——頷いた。


目が——少し、潤んでいた。


―――


カインが——木の方角を、見た。


「……木は——枯れかけています」とカインが言った。「精度——根は、まだ、ある。根だけが——まだ、残ってる。こういう木が、記録にある木に——似ています」


「記録に——ある木」とジンが言った。


「……そうです」とカインが言った。「消えていく声の場所には——声の始まりの痕跡が残る。この木の根が——その痕跡です。でも——」


カインが、少し、間を置いた。


「……この集落の場合、もう一つ、痕跡がある」とカインが言った。「木だけじゃない。人も——残ってる。声の始まりの痕跡が、二つ、ある。それが——二つで一組、ということだと、思います」


「人も——痕跡」とノアが、静かに、繰り返した。


「……そうです」とカインが言った。「ずっとそばにいた人が、声と一緒に——痕跡になってる。声と人が、分かれてない。だから——二つで一組なんです」


ジンが——老女を、見た。


「……ずっと——そばにいたんだな」とジンが言った。


老女が——頷いた。


また——目が、潤んだ。


ノアが——木の根元に、近づいた。


しゃがんで——根に、手を、当てた。


「……聞こえてる」とノアが、静かに、言った。「俺も——ここにいる。消えなくていい」


ルルが、鼻先を、木に向けた。


「……においが——動いた。ノアが触れたから——木の根元のにおいが、動いた。消えていくにおいが——少し、止まった。止まろうとしてる。聞いてくれる人が来た——って、わかってる。そういうにおいだ」


「止まろうとしてる——か」とジンが言った。


「……うん」とルルが言った。「でも——薄い方は、まだ、薄い。その人の方の声だ。木の方は——止まった。でも、その人の方は——まだ、薄くなってる。薄い方を、先に受け取らないといけない。カインさんが言ってた通りだ。順番がある」


―――


ジンが——老女の前に、戻った。


根元に——手を、向けた。


地面を——通して。


「……聞こえてる」とジンが言った。声が——低かった。「薄い方——先に、聞く。ここにいる。届けていい。全部——受け取る」


ルルが、息を、止めた。


「……動いた」とルルが言った。「薄い方のにおいが——動いた。ジンの声に——引き寄せられてる。消えようとしてたのが——少し、止まった。まだ、薄い。でも——止まった。届けていい、って——わかってる。そういうにおいだ」


「止まった——か」とジンが、老女を、見た。


老女が——頷いた。


口が、動いた。


声は——届かなかった。


でも——ルルが、少し、目を、細めた。


「……もう少し——って、言ってる」とルルが言った。「もう少し、いてくれるか——って。一日だけでいい。もう少し、ここにいてくれるか——って。そういうにおいだ」


ジンが——老女を、見た。


「……いる」とジンが言った。「ちゃんと——いる。今日だけじゃない。声が届くまで——ここにいる。二つとも——受け取るまで、ここにいる」


老女が——目を、大きく、細めた。


目が——また、潤んだ。


ゆっくりと——一度、頷いた。


―――


シアが、空間を、静かに、探った。


「……見えてきた」とシアが言った。「二つ——ある。細い。どちらも——すごく、細い。でも——ある。一つは、もう、糸の端が見えなくなりそうなくらい、細い。もう一つは——まだ、少し、太い。でも、細い方が消えかけると——太い方も、揺れる。繋がってる。一緒に——揺れてる」


「一緒に——揺れてるか」とジンが言った。


「……うん」とシアが言った。「片方だけを引き止めようとしても、無理だと思う。両方を——同時に、ここに引き止めないといけない。でも——」


シアが、少し、間を置いた。


「……今日は——着いたばかりだ。細い方の糸が——こちらに向いた。ここにいるのが——わかってる。それだけで、少し、落ち着いてる。明日も——ここにいれば、続きから始められる」


ルルが、鼻先を、老女に向けた。


「……においが——また、変わった。ジンたちがここにいると——わかってから、においが、変わった。消えようとしてたにおいが——少し、戻ってきてる。まだ、薄い。でも——戻ってきてる。続けてれば、また、戻ってくる。そういうにおいだ」


―――


五本目の糸が——穏やかに、揺れた。


ルルが、息を、止めた。


「……アルトが——揺れてる」とルルが言った。「台地から——揺れてる。二つのにおいを——感じてる。自分のことを——思い出してる。自分が消えそうだった時のことを——思い出してる。でも——今度は、二つ、ある、って、揺れてる。二つで一組——ってことが、わかってる。自分にも——二本の糸があったから。ノアと、自分。そういう揺れ方だ」


「アルト——」とノアが、小さく、言った。「見てるか。二つ——ある。俺たちは——ここにいるぞ」


五本目の糸が——穏やかに、前を向いた。


―――


昼が——来た。


集落の人たちが——食事を、用意してくれた。


声は——届かなかった。


でも——食事は、届いた。


ジンが——受け取った。


「……ありがとう」とジンが言った。


集落の人たちが——頷いた。


老女も——来た。


隣に——しゃがんだ。


ルルが、息を、止めた。


「……においが——また、変わった」とルルが言った。「老女から——一人じゃないにおいが、した。来てくれたから——一人じゃない。長い間、一人で——ここにいた。今日から——一人じゃない。そういうにおいだ」


「一人じゃない——か」とジンが、老女を、見た。


老女が——頷いた。


口が、動いた。


声は——届かなかった。


でも——ルルが、少し、頷いた。


「……ありがとう——って、また、言ってる」とルルが言った。「今日も——言えた。届かないけど——言えた。そういうにおいだ」


―――


午後が——来た。


ジンと、ノアと、老女の三人が——木の根元に、集まった。


三人が——そこにいた。


それだけだった。


何も——しなかった。


ただ——いた。


ルルが、息を、止めた。


「……においが——動いた」とルルが言った。「三人が——一緒に、そこにいる。木の根元のにおいが——また、変わった。薄い方のにおいも——昼より、少し、戻ってきてる。三人でいるから——戻ってきてる。一人より、二人。二人より、三人。そういうにおいだ」


「三人——か」とジンが、根元に手を当てたまま、言った。


「……うん」とルルが言った。「一人じゃ、届かなかった。でも——三人でいるから、届く。声が——戻ってくる場所を、知ってる。ここに——人がいるから、戻ってくる場所がある。そういうにおいだ」


―――


夕暮れが——来た。


ルルが——鼻先を、木の方角に、向けた。


「……においが——また、変わってきた」とルルが言った。「今日一日で——変わった。薄い方のにおいが——朝より、ずっと、戻ってきてる。まだ薄い。でも——消えてない。今日——ちゃんと、消えなかった。急いで来たから——消えなかった。ちょうど——よかった。そういうにおいだ」


「消えなかった——か」とジンが、繰り返した。


「……うん」とルルが言った。「消えなかった。今日——ここに来たから、消えなかった。もし、もう一日、遅かったら——消えてたかもしれない。でも——間に合った。間に合ったにおいだ」


カインが、写しを、手に取った。


「……記録には——こうあります」とカインが言った。「『消えていく声が二つある場所では、聞き手が来ることで、二つは互いに引き止め合うようになる。聞き手がいる間は、二つで一組が、二つで支え合う』」


「二つで——支え合う」とノアが、静かに、繰り返した。


「……そうです」とカインが言った。「片方が薄くなろうとすると——もう片方が引き止める。二つが繋がっているから。そして、聞き手がいることで——二つの繋がりが、強くなる。今日は、ジンさんたちが来たことで、その繋がりが——回復し始めています」


ジンが——木を、見た。


「……二つで——支え合うか」とジンが、静かに、言った。


―――


エリナが、手帳を、開いた。


ペンを、走らせた。


今日のこと——朝、ルルが「においが二つする、薄い方が先に消えた」と言ったこと、カインが「二つで一組、先に消えたものを受け取ることで後のものが来ようとする」という記録を読み上げたこと、セレクが「片方が届いた温もりに、もう片方が引き寄せられる」という記録を示したこと、道の脇で老女を見つけたこと、老女と木の根元が二つで一組だとわかったこと、カインが「人も痕跡になってる」と言ったこと、ノアが木の根元に手を当てたこと、ジンが「薄い方、先に聞く」と言ったこと、老女が「もう少しいてくれるか」と言っていたこと、ジンが「声が届くまでここにいる」と言ったこと、三人で根元にいたら薄い方のにおいが戻ってきたこと、アルトが「二つで一組があったから自分にもわかる」という揺れ方をしたこと、カインが「聞き手がいることで二つの繋がりが強くなる」という記録を示したこと。すべてを、書いた。


書き終えて、ペンを止めた。


それから——もう一行、追加した。


『今日、二つで一組、というのを初めて聞きました。先に消えたものと、後から消えかけているものと。二つで、一組。カインさんは「人も痕跡になってる、声と人が分かれてない」と言いました。老女の方が、木の根元のそばに、ずっといた。声と一緒に——ずっと、いた。だから、二つで一組になった。私は、その言葉を聞きながら、ペンが、少し、止まりました。ずっといた、ということ。声が届かなくても——ずっと、そこにいた。それが、声と人を、一組にした。ジンさんは「声が届くまでここにいる、二つとも受け取るまでここにいる」と言いました。私は——今日、ここにいました。記録者として、ではなく、ただ、ここにいました。二つで一組の声が、届く場所に——いました。それが何かを変えたかどうかは、わかりません。でも——いました。エリナ・フォルス談。自分で書いておく』


集落は——静かだった。


でも——


声が、そこに、あった。


届いてはいなかった。


でも——消えてもいなかった。


今日より——明日の方が、また、戻ってくる。


ルルは、それを確かめて、眠った。


―――


ジンは——木の根元の方角に、手を、当てた。


地面を——通して。


「……聞こえてる」とジンが、小さく、言った。「今日——来た。二つとも——聞こえてる。消えなかった。ちゃんと——消えなかった。明日も——ここにいる。二つとも——ちゃんと、受け取る」


地面の奥から——返事は、なかった。


でも——何かが、そこに、あった。


昨日までと——違う何かが、あった。


一人じゃない——何かが、あった。


暖炉の火が——穏やかに、揺れた。


台地の風が——遠く、あった。


アルトが——見ていた。


一行の背を——押していた。


夜が——深くなった。


二つで一組の声が——消えなかった夜が。


穏やかに——深くなった。

挿絵(By みてみん)

―――


― 第78話・了 ―


―――


次話予告:


翌朝、ルルが鼻先を向ける。「……においが——また、戻ってきてる。昨日より——濃い。二つとも——戻ってきてる。でも——薄い方は、まだ、薄い。もう少し——時間がかかる。でも——消えてない。昨日より、ずっと、濃い」。カインが写しを開く。「記録には——『二つで一組の声が戻る時、最初に戻るのは——二つを繋いでいる糸だ。糸が戻ってから、それぞれの声が、糸に沿って戻ってくる』とあります」。ノアが根元に手を当てる。「……ある。昨日の続きから——ある。二つとも——続きから、ここにいる」。老女が、木の根元に、来る。隣に——しゃがむ。根元に——手を、当てる。ルルが息を止める。「……においが——動いた。三人と老女が——四人、根元にいる。薄い方のにおいが——また、動いた。四人でいるから——動いた。二つが——引き寄せ合ってる。そういうにおいだ」。五本目の糸が——穏やかに、揺れる。

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