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無詠唱の魔王  作者: Dちゃん
第五章「灰の下に眠るものの話」

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第71話「声が届いたのを知っている、というアルトの糸と、何を届けたかったのか、というカインの声と、聞く、というジンの声と、イルナ村の翌朝」

朝が、来た。


イルナ村の朝は——静かだった。


でも——


昨日と、違った。


広場の方角から——声が、した。


子どもの声が。


笑い声が。


届いていた。


ちゃんと——届いていた。


―――


ジンが、目を覚ました。


すぐに——広場の方角に、耳を、向けた。


声が——あった。


届く声が——あった。


「……声が、届いてる」とジンが、ぽつりと、言った。


地面に——手を、当てた。


昨日とは——違う感触だった。


重さが——なかった。


積み重なってた何かが——なかった。


代わりに——穏やかな、温かいものが、あった。


「……終わった、な」とジンが、小さく、言った。「道筋が——繋がった。ちゃんと——繋がった」


―――


ルルが、目を覚ました。


すぐに——二つの方角に、鼻を、向けた。


後ろ——台地の方角。穏やかな、温かいにおい。アルトが、台地から、こっちを見ている。


前——イルナ村の、どこか。


しばらく——何も、言わなかった。


それから——ルルが、静かに、目を、細めた。


「……においが——変わった」とルルが言った。「昨日とは——全然、違う。困ってたにおいが——消えた。届いた後の、落ち着いたにおい。でも——それだけじゃない。もっと先の——新しいにおいが、する」


「新しいにおい——というのは」とジンが聞いた。


ルルが、少し、考えた。


「……届いたから——次が、したいにおいだ」とルルが言った。「届いたことがわかったから——もっと遠くに、届けたい。そういうにおいが——もう、している」


―――


ノアが、静かに、起き上がった。


手のひらを——見ていた。


「……夢を,見た」とノアが言った。「今度は——ちゃんと、残った」


全員が——ノアを、見た。


「どんな夢だったか」とエリナが、手帳を開きながら、聞いた。


ノアが、少し、間を置いた。


「……声が——届いた夢だった」とノアが言った。「夢の中で——誰かが、何かを言った。今度は——ちゃんと、届いた。何を言ってたか——全部、わかった。でも——」


ノアが、少し、目を、伏せた。


「……何を言ってたか——目が覚めたら、うまく言葉にできない。言葉じゃなかった、のかもしれない。でも——ちゃんと、届いた。届いた、ということは——わかった」


しばらく——誰も、何も、言わなかった。


「……届いた夢」とジンが、静かに、繰り返した。


「……うん」とノアが言った。「昨日までの夢と——全然、違った。消えなかった。届かないままで消えるんじゃなくて——ちゃんと、届いて、終わった」


―――


カインが、写しを、広げた。


「……昨夜から——また、記録を読み返しました」とカインが言った。「道筋が繋がった後に——次の問いが生まれる、という一行が、ありました」


全員が——カインを、見た。


「……アル・ヴェリアの記録には——こうあります」とカインが言った。「『道筋が繋がった場所では、次の問いが生まれる。声が届くようになった者たちは——何を、届けたかったのかを、知る』」


ルルが——少し、鼻先を、上げた。


「……それだ」とルルが言った。「もっと遠くに届けたいにおい——それが、そういうことだ。届いたから——次が、したい。何を届けたかったのか——それを、知りたい」


「何を——届けたかったのか」とジンが、低く、繰り返した。


「……そうです」とカインが言った。「声が届かない間は——声が届くことだけが、全てだった。でも——道筋が繋がった後は、何を届けたいのかが、問われる。それが——次の問いです」


―――


セレクが、静かに、口を、開いた。


「……教会の記録には——こうあります」とセレクが言った。「『道が開いた後、最初に届く言葉は——最も長く待っていた言葉だ』」


しばらく——誰も、何も、言わなかった。


「最も長く——待っていた言葉」とノアが、静かに、繰り返した。


「……そうです」とセレクが言った。「届けたくて、届けられなかった言葉の中で——一番長い間、待っていたものが、まず届く。村の人たちが——最初に届けたかったものが、何かを、知る必要があります」


「子どもが——最初に届いた」とジンが言った。「ありがとう——だった」


セレクが、少し、頷いた。


「……ありがとう——が、最も長く待っていた言葉、ということか」とジンが言った。


「……かもしれません」とセレクが言った。「でも——それだけじゃない、かもしれない。ありがとうの——その先に、もっと届けたい言葉が、ある、のかもしれない」


―――


村長が——広場に、出てきた。


こちらを——静かに、見ていた。


口が、動いた。


声が——届いた。


「……あなたたちに——聞いてほしいことが、ある」と村長が、言った。しわがれた声が——穏やかに、届いた。


ジンが——村長を、見た。


「……聞く」とジンが言った。


村長が——少し、間を置いた。


「……声が届かなくなる、前のことを——話したい。何があったのか。何が——道筋を、断ち切ったのか。ずっと——誰かに話したかった。でも——声が届かなかった。今日は——話せる」


ジンが——頷いた。


「……聞かせてくれ」とジンが言った。


―――


一行は——家の中へ、入った。


暖炉に——火が、あった。


揺れていた。


村長が——椅子に、座った。


静かに——口を、開いた。


「……何年前のことか——正確には、わからない」と村長が言った。「私が、まだ、子どもだった頃のことだ。この村に——旅人が、来た。一人だった。疲れていた。でも——目が、澄んでいた」


ルルが——少し、目を、細めた。


「……旅人の——においが、する」とルルが、小さく、言った。「村長さんの話の中に——旅人のにおいが、する。遠い時のにおいだ。でも——はっきりしてる」


村長が——続けた。


「……その人は——一晩、村に泊まった。翌朝、出ていく前に——村の広場に立って、木の根元に、何かを、埋めた。私は、子どもだったから——何を埋めたのか、わからなかった。でも——その人が言った。『声が、道を持てますように』と」


カインが——息を、止めた。


「……『声が、道を持てますように』——」とカインが、静かに、繰り返した。「それは——いつのことですか」


村長が、少し、考えた。


「……私が——五つか、六つの頃だ。その翌日から——声が届かなくなった」


―――


カインが——写しを、手に取った。


ページを——めくった。


止まった。


「……記録には——こうあります」とカインが言った。「『音の道筋を守るために——道筋の端を、世界のどこかに、預けた。預けた場所では、声が届かなくなる。それは、守るための代償だ』」


しばらく——誰も、何も、言わなかった。


「……守るための——代償」とジンが、低く、言った。


「……そうです」とカインが言った。「道筋の端を——この村の木の根元に、預けた。それが——道筋が断ち切られた理由です。断ち切られたのではなく——預けられた。守るために」


「守る——というのは」とエリナが、ペンを持ったまま、聞いた。


カインが、少し、間を置いた。


「……道筋が——消えないように。断ち切られたのではなく、端を安全な場所に置いた。この木が——ずっと、端を、守っていた。だから——端は、消えなかった。俺たちが来た時に——まだ、あった」


村長が——少し、目を、細めた。


「……あの旅人が——守っていた、ということか」と村長が言った。


「……そうだと、思います」とカインが言った。


―――


ノアが——静かに、口を、開いた。


「……その旅人は——何者だったんだろう」とノアが言った。「声が、道を持てますように——と言って、端を預けた。道筋を守るために——この村に、来た」


カインが、写しを、見た。


「……記録には——旅人の名前は、ありません」とカインが言った。「ただ——こうあります。『道筋を守った者は、声を持たない者のために、旅をした。その旅の終わりに——端を預けた』」


ルルが——少し、鼻先を、上げた。


「……においが——する」とルルが言った。「旅人のにおいが——台地の風のにおいと、少し、似てる。全然、違うにおいだけど——どこかが、似てる。同じ方角を向いてる、そういう、においだ」


ジンが——ルルを、見た。


「……台地の風と——似てる」とジンが、低く、言った。


「……うん」とルルが言った。「同じ人——じゃないと思う。取引——同じ方角を向いてた人だ。声を持たないものに、声を返す——そういう方角を、向いてた」


―――


五本目の糸が——ゆっくりと、揺れた。


ルルが、息を、止めた。


「……アルトが——揺れてる」とルルが言った。「台地から——揺れてる。今の話を——聞いてる。旅人のことを——聞いて、揺れてる。懐かしい揺れ方だ。知ってる——みたいな揺れ方だ」


「アルトが——知ってる」とノアが、小さく、聞いた。


ルルが、少し、考えた。


「……知ってる——というより、覚えてる。ずっと昔に——会ったことがある、みたいな揺れ方だ。でも——うまく言えない。はっきりとは——わからない。ただ——懐かしい」


ノアが——少し、目を、細めた。


「……アルトも——その旅人のことを、知ってる、のか」とノアが言った。


「……たぶん」とルルが言った。「性能——ずっと昔のことだから、はっきりとは、わからない。においが——薄い。でも——確かに、ある」


―――


村長が——また、口を、開いた。


「……もう一つ——話したいことが、ある」と村長が言った。


ジンが——村長を、見た。


「……聞く」とジンが言った。


村長が、少し、間を置いた。


「……声が届かなくなって——すぐのことだ。私たちは——諦めようとした。声が届かないなら——声を出すのをやめようとした。でも——木が、残った。枯れたけど——倒れなかった。倒そうとしても——倒れなかった」


ジンが——木の根元のことを、思い出した。


「……木が——ここにいろ、と言ってた」と村長が続けた。「倒れない木を見て——私たちは、諦めなかった。あの木が——待っていた。私たちに、待つように——言っていた。そういう気がした」


しばらく——誰も、何も、言わなかった。


「……待っていた」とジンが、低く、言った。「木が——端を守りながら、待っていた。村の人たちも——木を見て、待っていた」


「……そうです」とカインが言った。「道筋の端が——消えなかったのは、木が守ったから。村の人たちが諦めなかったのは——木が倒れなかったから。木は——二つのものを、同時に、守っていた」


―――


子どもが——部屋に、入ってきた。


村長の隣に——立った。


ジンを——見た。


口が、動いた。


声が——届いた。


「あの木——名前が、ある」と子どもが言った。「ばあちゃんが——教えてくれた。『待つ木』って、言う」


村長が——少し、目を、細めた。


「……子どもたちが——そう呼ぶようになった」と村長が言った。「誰が最初に言ったのか——わからない。でも、いつの間にか——そう呼ぶようになっていた。待つ木。待っているから——待つ木」


ジンが——子どもを、見た。


「……よく知ってるな」とジンが言った。


子どもが——少し、笑った。


「……好きだから」と子どもが言った。「ずっと——立ってるから。諦めないから——好き」


ルルが——小さく、目を、細めた。


「……においが——した」とルルが言った。「子どもから——嬉しいにおいがした。声が届くから——嬉しい、じゃなくて。木のことを話せるから——嬉しい。ずっと話したかった——そういうにおいだ」


―――


昼が——来た。


村長が——食事を、用意してくれた。


温かい、スープだった。


一行は——それを、受け取った。


広場の方角から——声が、続いていた。


村人たちの声が——重なっていた。


何を言っているのか——遠くからでは聞こえなかった。


でも——届いた。


ちゃんと——届いていた。


「……届いてる」とルルが言った。「みんなの声が——届いてる。届けたかった言葉が——今日は、ちゃんと届いてる。においが——落ち着いてる。安心してる」


ジンが——スープを、一口、飲んだ。


温かかった。


―――


カインが——写しを、もう一度、見た。


「……記録には——もう一行、あります」とカインが言った。「『道筋が繋がった場所に預けられた端は——繋がった後も、そこに、残る。次に声が届かなくなっても——端は、消えない。道は——もう一度、開ける』」


村長が——その言葉を、聞いていた。


「……もう一度、届かなくなっても——また、開ける、ということか」と村長が言った。


「……そうです」とカインが言った。「端は——残ります。待つ木も——残ります。道は、もう、この村に、ある。いつでも——開けます」


村長が——少し、目を、閉じた。


「……良かった」と村長が言った。「それが——一番、聞きたかったことだ」


ルルが、息を、止めた。


「……においが——変わった」とルルが言った。「村長さんから——安心したにおいが、した。届いた後の落ち着いたにおいとは——また違う。これが——本当に、終わった、においだ」


―――


夕暮れが——来た。


広場に——まだ、人が、いた。


みんな——声を、出していた。


届く声を——確かめるように。


でも——昨日と、違った。


昨日は——ただ届くことを確かめていた。


今日は——届けたい言葉を、届けていた。


ジンが——広場を、歩いた。


村人が、一人——近づいてきた。


口が、動いた。


声が——届いた。


「……ずっと——言いたかった」とその人が言った。「家族に——言いたかった。今日は——言えた」


ジンが——その人を、見た.


「……何を、言ったんだ」とジンが聞いた。


その人が——少し、笑った。


「……ありがとう——と、好きだ、と」とその人が言った。「そのふたつだけ。でも——ずっと、言いたかった」


ジンが——少し、間を置いた。


「……届いたか」とジンが聞いた。


「……届いた」とその人が言った。「ちゃんと——届いた」


―――


五本目の糸が——穏やかに、揺れた。


ルルが、小さく、呟いた。


「……アルトが——揺れてる。穏やかに——揺れてる。道が繋がったのを——感じてる。名前が届いた後と——同じ揺れ方だ。良かった——って、揺れてる。でも——今日は、もう一つ、ある」


「もう一つ——というのは」とノアが、小さく、聞いた。


ルルが、少し、考えた。


「……次を見てる」とルルが言った。「次の方角を——見てる。ここじゃなくて——次の場所を。早く行きたいわけじゃない。でも——次がある、って、わかってる。そういう——揺れ方だ」


ノアが——少し、目を、細めた。


「……アルトも——次を、見てるんだな」とノアが言った。


「……ずっと」とルルが言った。「最初から——ずっと」


―――


エリナが、手帳を、開いた。


ペンを、走らせた。


今日のこと——朝、ルルが「届いたにおいのその先に新しいにおいがある」と言ったこと、ノアが「届いた夢を見た」と言ったこと、カインが「道筋が繋がった後に次の問いが生まれる」という記録を読み上げたこと、村長が「声が届かなくなる前のこと」を話してくれたこと、旅人が木の根元に道筋の端を預けたこと、「声が、道を持てますように」という言葉、待つ木という名前のこと、子どもが「諦めないから好き」と言ったこと、カインが「端は消えない、道は何度でも開ける」という記録を読み上げたこと、村人が「ありがとうと好きだと、そのふたつだけ言いたかった」と言ったこと、アルトが次の方角を見ていること。すべてを、書いた。


書き終えて、ペンを止めた。


それから——もう一行、追加した。


『今朝、ノアさんが「届いた夢を見た」と言いました。今度は残った、と。それを聞いた時、私は何も言えませんでした。ただ、書きました。村長さんが話してくれた旅人は、「声が、道を持てますように」と言ったそうです。それだけ言って、出ていったそうです。誰だったのか、わかりません。でも——その言葉が、残った。木が、残った。村の人たちが、諦めなかった。カインさんは「木は二つのものを同時に守っていた」と言いました。道筋の端と、村の人たちの待つ気持ち。夕暮れに、村人の方が「ありがとうと好きだと、そのふたつだけ言いたかった」と話してくれました。届けたかったのは、そのふたつだった。私は、それを書きながら、思いました。最も長く待っていた言葉が、一番大切な言葉だったのだと。エリナ・フォルス談。自分で書いておく』


広場の声が——まだ、続いていた。


届く声が——夕暮れの中に、あった。


―――


夜が、深くなった。


暖炉の火が——揺れていた。


ルルは、暖炉の火を——見ていた。


においが——二つ、あった。


後ろから——台地の風のにおい。穏やかな、温かいにおい。


前から——落ち着いたにおい。届いた後の、安心したにおい。でも——その先に、もう一つ。遠くから——新しいにおいが、来ていた。


ルルは、少し、目を細めた。


「……においが——また、変わってきた」とルルが、小さく、呟いた。「届いたにおいから——次のにおいに、なってきた。もっと遠くに、届けたいにおいだ。でも——今日の届いたにおいも、まだ、ある。両方——ある」


地面の奥から——返事は、なかった。


でも——広場の方角から、誰かの声が、した。


夜になっても——声が、あった。


ルルは、それを確かめて、眠った。


―――


ジンは——地面に、手を、当てた。


広場の——方角を、向いた。


「……届いた」とジンが、小さく、言った。「声が——届いた。待つ木が——ずっと守ってた。村の人たちが——ずっと待ってた。全部——ちゃんと、届いた」


地面の奥から——返事は、なかった。


でも——暖炉の火が、穏やかに、揺れた。


台地の風が——遠く、あった。


アルトが——見ていた。


一行の背を——押していた。


夜が——深くなった。


声が届いた翌日の夜が。


穏やかに——深くなった。


―――


―第71話・了 ―


―――


次話予告:


翌朝、一行はイルナ村を発つ準備を始める。村長が広場に出てくる。「……行くのか」。ジンが静かに言う。「……また、来る」。子どもが待つ木の根元に手を当てる。「……道は、残ってるか」。ルルが鼻を向ける。「……残ってる。においが——ちゃんと、残ってる。端が——ここにある。消えてない」。村長の口が動く。「……次の場所でも——聞いてやってくれ」。ジンが頷く。カインが写しを閉じる。「記録には——『声を聞いた者は、次の声を求める。それが——旅の続きだ』とあります」。五本目の糸が——穏やかに、次の方角を向く。一行は北へ向かった道を、今度は——次の封印地へと向けて、歩き始める。

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