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無詠唱の魔王  作者: Dちゃん
第五章「灰の下に眠るものの話」

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第70話「においが軽くなってきた、というルルの声と、今日、繋がる、というノアの声と、聞こえてる、というジンの声と、イルナ村の道筋の夜明け」

夜が——まだ、続いていた。


暖炉の火が——揺れていた。


イルナ村の夜は、静かだった。


声は——あった。


出ていた。


ただ——届かないだけだった。


ジンは——眠れなかった。


暖炉の火を——見ていた。


手のひらを——膝の上に、置いていた。


木の根元に触れた手を——まだ、感じていた。


「……もう少し、だった」とジンが、小さく、言った。「あと——もう少し、だった」


炉の火が——穏やかに、揺れた。


―――


ルルが——目を、細めた。


鼻先を——村の方角に、向けていた。


「……においが——また、積み重なってきてる」とルルが、静かに、言った。「でも——昨日と、違う。昨日は——重かった。今日は——軽い。道筋が一度動いたから——積み重なり方が、違う。同じにおいだけど——重さが、違う」


「軽くなってる——というのは」とジンが聞いた。


ルルが、少し、考えた。


「……動き始めたにおいがする」とルルが言った。「昨日、端が伸びたから——今度は、別の方向からも、近づいてきてる。こっちが聞こうとしたのを——向こうも、覚えてる。だから——今日は、昨日より、楽に、動ける。そういう——においだ」


ジンが——手のひらを、見た。


「……覚えてる、か」とジンが、低く、言った。


「……ちゃんと——覚えてる」とルルが言った。


―――


ノアが——暖炉の前に、しゃがんだ。


火を——しばらく、見ていた。


「……夢を、見た」とノアが言った。声が——静かだった。


全員が——ノアを、見た。


「今朝は——どんな夢だったか」とエリナが、手帳を開きながら、聞いた。


ノアが、少し、間を置いた。


「……声が——はっきりしてた」とノアが言った。「昨日は——届こうとしてた。今日は——届こうとしてるのが、もっと、近かった。夢の中で——手が、届きそうなところまで、来てた。でも——まだ、触れられなかった。あと少し——あと少しで、触れられた」


しばらく——誰も、何も、言わなかった。


「……今日、繋がる」とノアが、静かに、言った。「そういう——夢だった」


ジンが——ノアを、見た。


何も——言わなかった。


ただ——頷いた。


―――


カインが、写しを、広げた。


「……昨夜から、もう一度、記録を読み返しました」とカインが言った。「道筋について——手がかりが、ありました」


全員が——カインを、見た。


「……アル・ヴェリアの記録には——こうあります」とカインが言った。「『道筋が初めて動いた翌日に——声は最も届きやすい。断ち切られた部分は、一度端が触れた場所を、覚えている。翌日は——その記憶が、道筋を引き寄せる』」


ルルが——少し、目を、細めた。


「……においが——それだ」とルルが言った。「道筋が、昨日の場所を、覚えてる。だから——今日は、そこから、もっと早く、動ける。積み重なり方が——軽いのは、そういうことだ」


「道筋が——記憶を持つ、ということか」とジンが、低く、聞いた。


「……そうです」とカインが言った。「ものの道筋は——一度触れた場所を、忘れない。昨日、端が伸びたことを——道筋が覚えている。だから、今日は——最初からではなく、昨日の続きから、始められる」


―――


セレクが、静かに、口を、開いた。


「……教会の記録にも——この一行が、あります」とセレクが言った。「『声の道は、聞かれるたびに、太くなる。一度聞かれた道は——次に聞かれる時、より多くを通せる』」


「太くなる——か」とジンが、繰り返した。


「……そうです」とセレクが言った。「昨日は——細い端が、少し、伸びただけだった。今日は——その端が、昨日より太く、なっているはずです。より多くの声が、通れるようになっている」


「より多くの声が——通れる」とノアが、静かに、言った。「村の人たちの声が——通れる」


「……そうです」とセレクが言った。


ノアが——手のひらを、見た。


「……昨日の夢の声が——そういうことだったのか」とノアが言った。「夢の中で、近くまで来てた声——それが、今日は、届く」


しばらく——誰も、何も、言わなかった。


炉の火が——穏やかに、揺れた。


―――


シアが、空間を、静かに、探った。


「……見える」とシアが言った。「昨日より——はっきり、見える. 音を運ぶ道が——形を取り戻してきてる。昨日は——輪郭だけだった。今日は——もう少し、厚みが、ある」


「厚みが——ある」とジンが聞いた。


「……昨日は、細い糸のようだった」とシアが言った。「今日は——もう少し、太い。まだ繋がってない。でも——繋がる前の形に、近づいてる。道が——道らしくなってきてる」


「繋がる前の形——というのは」とエリナが、ペンを持ったまま、聞いた。


シアが、少し、考えた。


「……昨日は、端と断ち切られた場所の間に——空白があった。今日は——その空白が、縮まってる。まだ、つながっていない。でも——縮まってる。もう少し——もう少しだけ」


ジンが——シアを、見た。


「……今日、縮まりきるか」とジンが聞いた。


シアが、少し、間を置いた。


「……そうだと、思う」とシアが言った。「昨日の端の動きが——今日に引き継がれてる。空白が——もう少し、だ」


―――


荷物を——置いたままにした。


今日は——動かない日だ、とジンは思った。


今日は——ここにいる日だ。


「……行くか」とジンが言った。


全員が——頷いた。


一行は——広場へ、歩いた。


朝の空気が——静かだった。


鳥の声が——なかった。


風の音が——なかった.


子どもたちの声が——なかった。


でも——


村は、あった。


人は、いた。


声は——ちゃんと、出ていた。


―――


広場に——着いた。


枯れた木が——あった。


昨日と——同じ場所に、立っていた。


変わっていなかった。


でも——


ルルが、息を、止めた。


「……においが——昨日と、違う」とルルが言った。「昨日は——積み重なってるだけだった。今日は——動こうとしてる。端が——もう、動き始めてる。私たちが来たのを——気づいてる。昨日の記憶が——ある。昨日、来た人たちが、また来た——って、わかってる」


「わかってる——か」とジンが、低く、言った。


「……ちゃんと——わかってる」とルルが言った。


ジンが——木の根元に、近づいた。


地面を——しばらく、見た。


それから——膝を、ついた。


根元に——手を、当てた。


―――


昨日とは——違う感触だった。


昨日は——積み重なった何かが、ぎっしりと、あった。


今日は——その積み重なりが、少し、解けていた。


動いていた。


端が——自分の方へ、向かっていた。


「……聞こえてる」とジンが言った。「昨日より——ずっと、近い。端が——こっちに、向かってきてる。昨日、俺たちが来たことを——覚えてる。また来た、って——わかってる」


ルルが、息を、止めた。


「……においが——また、動いた。ジンが触れたら——端が、また、伸びた. 昨日の続きから——伸びた。昨日より、速い。昨日より——力強い」


―――


村長が——広場に、出てきた。


昨日と——同じ場所に、立った。


こちらを——静かに、見ていた。


口が、動いた。


ルルが、息を、止めた。


「……また来てくれた——って、言ってる」とルルが言った。「昨日も来て、今日もまた来た。それが——嬉しいって, 言ってる。疲れてるけど——今日は、違う気がする、って、においがする。昨日と——何かが、違う、って」


ジンが——村長を、見た。


「……違う」とジンが言った。「今日は——違う。道筋が——昨日の続きから、動いてる。記録には——最初に動いた翌日が、最も届きやすいとある。今日——必ず、繋ぐ」


ルルが、息を、止めた。


「……信じてくれてる」とルルが言った。「昨日より——もっと、信じてる。今日は、繋がる、って、においがしてきた」


―――


子どもが——広場に、来た。


昨日の——子どもだった。


まっすぐ——木の根元に、来た。


ジンの隣に——しゃがんだ。


根元に——小さな手を、当てた。


昨日と——同じ場所に。


ジンが、子どもを、見た。


「……来たな」とジンが、小さく、言った。


子どもが——ジンを、見た。


口が、動いた。


ルルが、息を、止めた。


「……また来た——って、言ってる」とルルが言った。「昨日、ここに来て、手を当てたら——何かが、動いた。今日も、やる——って、においがする。子どもなのに——ちゃんと、わかってる。昨日と、今日が——繋がってることを、わかってる」


ジンが——根元に、もう一度、手の力を、込めた。


「……聞こえてる。お前の声も——ちゃんと、聞こえてる。昨日より——近い」


―――


ノアが——木の根元に、近づいた。


昨日と——同じ場所に、しゃがんだ。


根元に——手を、当てた。


「……夢の中で、近くまで来てた」とノアが言った。「今朝——あと少しで、触れられた。今日は——触れる」


ルルが、息を、止めた。


「……においが——また、動いた。ジンと子どもと、ノアが——三人、一緒に聞こうとしてる。端が——また、伸びた。昨日より——ずっと、はっきりしてる。断ち切られてた場所と、端の距離が——もう少し、もう少しだけ」


シアが、空間を、探った。


「……見えてきた。音を運ぶ道が——形を取り戻してきてる。積み重なってたものが——少しずつ、出口を、見つけてる。道が——もう少し、で、繋がる。もう少し——もう少しだけ」


―――


村人が——また、集まってきた。


昨日と——同じように。


でも——今日は、違った。


昨日は——ただ、来ていた。


今日は——来ることに、意味があるとわかって、来ていた。


みんな——口が、動いていた。


みんな——声は、届かなかった。


でも——


ルルが、少し、目を、細めた。


「……においが——全員から、する。昨日と、同じにおいだ。届けたくて、届かなくて、困ってる。でも——昨日より、違う。昨日は——届くかもしれないって、思い始めてた。今日は——届く、って、思ってる。そういう——においに、なってきた」


「届く——って、思ってる」とジンが、根元に手を当てたまま、言った。


「……うん」とルルが言った。「みんな——今日、届く、って、思ってる」


―――


五本目の糸が——ゆっくりと、前を向いた。


ルルが、少し、顔を上げた。


「……アルトが——前を向いてる」とルルが言った。「台地の方角から——前を向いてる。道筋が動いてるのを——感じてる。名前が届いた時と——同じ向きだ。あの時、道筋が繋がった。また——繋がろうとしてる。一緒に——前を向いてる」


「アルト——わかってるか」とノアが、小さく、聞いた。


ルルが、少し、考えた。


「……わかってる」とルルが言った。「自分が届かなかった時のことを——覚えてる。ノアが名前を呼んでくれた時のことを——覚えてる。あの時と——同じ揺れ方だ。今日、繋がる、って——アルトも、知ってる」


ノアが——少し、目を、細めた。


「……アルトと——一緒に、待ってるんだな」とノアが言った。


「……ずっと」とルルが言った。「最初から——ずっと」


―――


カインが、写しを、開いた。


「……記録には——こうあります」とカインが言った。「『道筋が繋がる時——最後の端が届く直前に、積み重なっていたものが一気に動く。それが——道が開く合図だ』」


「積み重なっていたものが——一気に動く」とジンが、繰り返した。


「……そうです」とカインが言った。「灰の台地の時と——同じです。最後の一押しの前に——それまで溜まっていたものが、大きく動いた。今日も——同じことが、起きるはずです」


シアが、空間を、探った。


「……感じてきた」とシアが言った。「音の積み重なりが——少し、大きく、動き始めた。出口を探してたものが——一か所に、向かって、動いてる。道の端に——向かって、動いてる」


「動いてる——か」とジンが言った。


「……うん」とシアが言った。「もう少し——もう少しだけ」


―――


村人たちが——木の周りに、近づいてきた。


誰も——声に出さなかった。


正式——みんなが、感じていた。


今日は——違う、ということを。


今日が——その日だ、ということを。


子どもが——根元に当てた手を、もう少し、強くした。


ジンが——子どもを、見た。


「……わかってるな」とジンが言った。


子どもが——頷いた。


声は——届かなかった。


でも——頷きは、届いた。


「……見てるか」とジンが、根元に向かって、言った。声を——少し、張った。「みんなが——ここにいる。昨日も、今日も——ここにいる。聞こえてる。全員の声が——ここにある。届かないままで、積み重なってる。でも——ちゃんと、ある。ちゃんと——聞こえてる」


―――


ルルが——息を、止めた。


「……動いた」とルルが言った。声が、少し、震えていた。「道筋が——大きく、動いた。積み重なってたものが——一気に、端に向かって、動いてる。カインさんが言ってたやつだ。最後の前の、大きな動きだ。道が——開こうとしてる」


シアが、空間を、探った。


「……見えてきた」とシアが言った。「音を運ぶ道が——繋がろうとしてる。端が——断ち切られてた部分に、あと少し。あと——少し」


「あと少し——か」とジンが、低く、言った。


「……そうです」とカインが言った。「記録には——『最後の一押しは、こちらからの声だ。道筋が開く寸前、聞く者が声を出すことで——道が完成する』とあります」


ジンが——顔を上げた。


村人たちを——見た。


子どもを——見た。


村長を——見た。


全員を——見た。


―――


ジンが——口を、開いた。


根元に手を当てたまま。


声を——張った。


「……聞こえてる」とジンが言った。「全員の声が——ここにある。昨日から——ずっと、ここにある。今日も——ここにある。届かないままで、積み重なって——でも、消えずに、ここにある。ちゃんと——聞こえてる」


一拍。


「……道筋を——繋ぐ。今日——繋ぐ。お前たちの声が——世界に触れられるように。ちゃんと——届くように。お前たちの声が——お前たちの声として、世界に、届くように」


―――


ルルが——息を、止めた。


「……動いた」とルルが言った。「道筋が——また、動いた。ジンの声に——引き寄せられてる。端が——もっと、伸びた。断ち切られてた部分に——もうすぐ、届く」


シアが、空間を、探った。


「……見えてきた。道が——繋がろうとしてる。あと少し——本当に、あと少し」


ノアが——根元に、もう一度、力を込めた。


「……お前の声が——今日、届く」とノアが、静かに、言った。「ずっと、待ってたんだろう。ずっと——届けたかったんだろう。今日——届く。ちゃんと——届く」


地面の奥から——


昨日より、はっきりとした——


震えが、来た。


震え——というより。


動き——というより。


何かが、解けていく、感触。


長い間、閉じ込められていたものが——


出口を、見つけた、感触。


―――


ルルが——大きく、息を、吸った。


「……動いてる」とルルが言った。「道筋が——動いてる。端が——断ち切られてた場所に、届いた。届いた——届いた。繋がろうとしてる。繋がろうとしてる。あと——もうすぐ」


シアが——空間を、強く、探った。


「……見える。道が——見える。音を運ぶ道が——繋がろうとしてる。積み重なってたものが——動いてる。あと——本当に、もうすぐ」


子どもが——根元に当てた手を、震わせた。


ジンが——子どもを、見た。


「……わかってるか」とジンが言った。「もうすぐだ」


子どもが——頷いた。


口が——動いた。


声は——まだ、届かなかった。


でも——


ルルが——息を、止めた。


「……においが——変わった」とルルが言った。「届けたくて、届かなくて、困ってたにおいが——変わり始めた。届こうとしてる。本当に——届こうとしてる。もうすぐ——もうすぐ、届く。そういう——においに、なってきた」


―――


五本目の糸が——大きく、前を向いた。


ルルが、小さく、呟いた。


「……アルトが——激しく、揺れてる。台地の方角から——激しく、揺れてる. 道筋が繋がろうとしてるのを——感じてる。名前が届いた時と——全く同じだ。あの時——繋がった。今度も——繋がる。アルトが——繋がる、って、知ってる。一緒に——前を向いてる」


ジンが——根元に、もう一度、力を込めた。


「……聞こえてる。道が——繋がろうとしてる。もうすぐだ」


ノアが——目を、閉じた。


「……もうすぐだ」とノアが、静かに、言った。「お前の声が——もうすぐ、世界に触れる。ちゃんと——触れる」


地面の奥から——


震えが——来た。


昨日とは——違う震えが。


もっと大きく。


もっとはっきりと。


道が——


動いた。


―――


その瞬間——


子どもが——声を、出した。


声が——


届いた。


ルルが——息を、止めた。


目を——大きく、開いた。


「……届いた」とルルが言った。声が——震えていた。「道筋が——繋がった。子どもの声が——届いた。においが——変わった。届けたくて、届かなくて、困ってたにおいが——消えた。届いたにおいが——した。ちゃんと——届いたにおいが」


シアが——空間を、探った。


「……繋がった」とシアが言った。「道が——繋がった。音を運ぶ道が——完全に、繋がった。積み重なってたものが——全部、動いてる。全部——出口を、通ってる」


―――


村長が——口を、動かした。


声が——届いた。


ルルが——息を、止めた。


「……聞こえる」とルルが言った。「においじゃなくて——声が、聞こえる。村長さんの声が——聞こえる。ありがとう——って、言ってる。ずっと、待ってた——って、言ってる。やっと——届いた、って」


ジンが——村長を、見た。


村長の口が——また、動いた。


今度は——声として、届いた。


しわがれた、でも——温かい声だった。


ジンは——何も、言わなかった。


ただ——頷いた。


―――


広場に——声が、満ちた。


一人が——声を出した。


また一人が——声を出した。


また一人が——声を出した。


みんな——口を動かしていた。


みんな——届いていた。


ルルが——少し、目を、細めた。


「……においが——全員から、変わった」とルルが言った。「届けたくて、届かなくて、困ってたにおいが——全員から、消えた。届いたにおいが——全員から、する。全員——届いてる。全員の声が——ちゃんと、届いてる」


声が——重なった。


みんなの声が——重なった。


それは——賑やかな声ではなかった。


ただ——声が、あった。


届く声が——あった。


それだけで——十分だった。


―――


五本目の糸が——穏やかに、揺れた。


ルルが、小さく、呟いた。


「……アルトが——揺れてる. 激しくじゃない——穏やかに、揺れてる。道筋が繋がったのを——感じてる。安心してる。名前が届いた後と——同じ揺れ方だ。あの時——全部が、落ち着いた。今度も——落ち着いてる。良かった——って、揺れてる」


ノアが——少し、目を、細めた。


「……アルト——見てたか」とノアが、小さく、言った。「また——届いたぞ」


五本目の糸が——穏やかに、前を向いた。


―――


エリナが、手帳を、開いた。


ペンを、走らせた。


今日のこと——朝、ジンが「もう少し、だった」と言ったこと、ルルが「においが昨日より軽い、道筋が記憶を持っている」と言ったこと、ノアが「今日、繋がる」という夢を見たこと、カインが「最初に動いた翌日が最も届きやすい」という記録を読み上げたこと、セレクが「声の道は聞かれるたびに太くなる」という記録を引いたこと、シアが「昨日より道が見える」と言ったこと、子どもが今日も隣に来て一緒に手を当てたこと、ジンが「全員の声が聞こえてる」と言ったこと、積み重なっていたものが一気に動いたこと、子どもの声が最初に届いたこと、村長の声が届いたこと、広場に声が満ちたこと、アルトが穏やかに揺れたこと。すべてを、書いた。


書き終えて、ペンを止めた。


それから——もう一行、追加した。


『今朝、ノアさんが「今日、繋がる」と言いました。夢の話でした。でも——確信がありました。その確信が、正しかった。子どもが最初に声を出しました。届きました。それだけで——私は、ペンを止めてしまいました。書けなかった。しばらくしてから、書き始めました。村長さんの声が届いた時、ルルさんが「においじゃなくて声が聞こえる」と言いました。私も、聞こえました。しわがれた声でした。でも——温かかった。ジンさんは何も言わなかった。ただ、頷きました。それだけで——十分でした。道筋は、一度触れた場所を覚えていたと、カインさんは言いました。昨日、ジンさんたちが聞こうとしたことを——道が覚えていた。そして今日、続きから動いた。聞こうとすることは——消えない、ということだと思いました。昨日の続きが、今日になる。今日の続きが、明日になる。それが——道を太くしていくのだと思いました。エリナ・フォルス談。自分で書いておく』


広場の声が——揺れていた。


届く声が——揺れていた。


―――


昼が——過ぎた。


広場に——まだ、人が、いた。


みんな——声を、出していた。


届く声を——確かめるように。


子どもが——ジンの隣に、来た。


口が、動いた。


声が——届いた。


「ありがとう」と——子どもが、言った。


ジンが——子どもを、見た。


「……こっちこそ」とジンが言った。「昨日も——今日も、来てくれた。一緒に——聞いてくれた」


子どもが——もう一度、口を動かした。


「また——来てくれますか」と——子どもが、言った。


ジンが——少し、間を置いた。


「……また、来る」とジンが言った。「お前たちの声が——ちゃんと届いてるか、確かめに、また、来る」


子どもが——頷いた。


笑った。


声は——届いていた。


―――


夕暮れが——来た。


村長が——食事を、用意してくれた。


昨日と——同じ、温かいスープだった。


でも——今日は、違った。


村長の口が——動いた。


声が——届いた。


「……長い間——待っていた」と村長が、言った。「何年も——待っていた。諦めなかった. 諦められなかった。声が——あったから。声は——ちゃんと、あったから」


ジンが——スープを、受け取った。


「……待っててくれた」とジンが言った。「だから——届いた。届けたくて、待っていた。それが——道を、動かした」


村長が——静かに、頷いた。


「……ありがとう」と村長が、言った。


その声は——ちゃんと、届いた。


―――


夜が、深くなった。


暖炉の火が——揺れていた。


広場は——静かになっていた。


風——


ルルが、鼻先を、少し、上げた。


「……においが——変わった」とルルが言った。「届けたくて、届かなくて、困ってたにおいが——なくなった。代わりに——別のにおいがする. 届いた後の——落ち着いたにおいだ. 台地の朝のにおいと——少し、似てる。止まってたものが、動き始めた後の——そういうにおいだ」


「落ち着いた——か」とジンが、静かに、言った。


「……うん」とルルが言った。「困ってるにおいじゃない。安心してるにおいだ。声が——届いたから。届くとわかったから——安心してる。そういうにおいだ」


ジンが——暖炉の火を、見た。


揺れていた。


穏やかに——揺れていた。


―――


五本目の糸が——穏やかに、揺れた。


ルルが、息を、止めた。


「……アルトが——こっちを見てる」とルルが言った。「台地の方角から——こっちを、見てる。一緒に、来てた。最初から——一緒に、来てた。今は——落ち着いた揺れ方だ。良かった——って、揺れてる。ノアが名前を贈った後と——同じ揺れ方だ」


「アルト——」とノアが、小さく、呟いた。「見てたか。また——届いたぞ。今度は——声が、届いた」


五本目の糸が——穏やかに、前を向いた。


その向きは——これからの方角だった。


―――


ルルは、暖炉の火を——見ていた。


においが——二つ、あった。


後ろから——台地の風のにおい. 穏やかな、温かいにおい.


前から——落ち着いたにおい. 届いた後の、安心したにおい.


ルルは、少し、目を細めた。


「……届いた」とルルが、小さく、呟いた。「声が——届いた。届けたくて、届けられなくて、困ってたものが——届いた。台地の時と——同じだ。止まってたものが、動いた。あの時と——同じにおいだ」


地面の奥から——返事は、なかった。


でも——広場の方角から、ごく小さく——誰かの声が、した、ような気がした。


ルルは、それを確かめて、眠った。


―――


ジンは——地面に、手を、当てた。


広場の——方角を、向いた。


「……届いた」とジンが、小さく、言った。「道筋が——繋がった。お前たちの声が——世界に触れた。ちゃんと——触れた」


地面の奥から——返事は、なかった。


でも——暖炉の火が、穏やかに、揺れた。


台地の風が——遠く、あった。


アルトが——見ていた。


一行の背を——押していた。


夜が——深くなった。


声が——届いた夜が。


穏やかに——深くなった。


―――


― 第70話・了 ―


―――


次話予告:


翌朝、村に留まる一行。カインが写しを開く。「記録には——『道筋が繋がった場所では、次の問いが生まれる。声が届くようになった者たちは——何を、届けたかったのかを、知る』とあります」。ルルが鼻を向ける。「……においが——また、変わってきた。届いたにおいから——次のにおいに、なってきた。もっと遠くに、届けたいにおいだ」。村長が広場に出てくる。口が動く。声が届く。「……あなたたちに——聞いてほしいことが、ある」。ジンが、静かに、言う。「……聞く」。子どもが根元に手を当てる。しばらくして——根元の奥から、ごく小さな、でも昨日より落ち着いた震えが返ってくる。ルルが、目を細める。「……道筋が——また、太くなってきた。昨日より——太い。声が通るたびに——太くなってる」。五本目の糸が——穏やかに、前を向く。

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