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無詠唱の魔王  作者: Dちゃん
第五章「灰の下に眠るものの話」

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第67話「音が止まっている、というカインの声と、違う種類の、困っているにおいだ、というルルの声と、また、聞く、というジンの声と、次へ向かう平原の朝」

挿絵(By みてみん)

朝が、来た。


カルネア平原の草が——風に、揺れていた。


昨日までとは——違う風だった。


台地の方角から来る風が——穏やかに、平原を、渡っていた。


ジンが、目を覚ました。


すぐに——台地の方角を、見た。


灰色の大地が——遠く、あった。


しばらく——何も、言わなかった。


それから——ゆっくりと、息を、吸った。


「……行ってきた」とジンが、ぽつりと、言った。「ちゃんと——行ってきた」


―――


ルルが、目を覚ました。


すぐに——二つの方角に、鼻を、向けた。


一つは——台地の方角。


もう一つは——もっと遠い、どこか。


しばらく——何も、言わなかった。


それから——ルルが、静かに、目を、細めた。


「……台地のにおい、まだある」とルルが言った。「遠くなったけど——消えてない。ちゃんと——ある。アルトが、台地から、こっちを見てる。穏やかに、見てる」


「もう一つの方角は」とジンが聞いた。


ルルが、少し、間を置いた。


「……違う種類の——困っているにおいだ」とルルが言った。「台地とは——全然、違う。でも——困ってる。ちゃんと——困ってる」


―――


ノアが、静かに、起き上がった。


平原の草が、風に揺れているのを、しばらく、見ていた。


「……夢は、なかった」とノアが言った。「今日も——なかった。ただ、静かだった」


「それでいい」とジンが、静かに、言った。


ノアが、少し、頷いた。


「……そうだな」とノアが言った。「それで——いい」


―――


カインが、地図を、広げた。


昨日から——何度も、見ていた地図だった。


アル・ヴェリアの写しに記された、次の目的地。


指で——一点を、押さえた。


「……改めて、説明します」とカインが言った。「次の封印地についての記録を——昨夜、もう一度、整理しました」


全員が——カインを、見た。


「……アル・ヴェリアの写しには——こうあります」とカインが言った。「『次に向かう者よ——止められた声を、また、聞け。灰の下で聞いた音を——忘れるな。声を持たないものに、声を返す旅は——まだ、続く』」


しばらく——誰も、何も、言わなかった。


「声を持たないもの——というのは」とエリナが、ペンを持ったまま、聞いた。


カインが、写しを、もう一枚、開いた。


「……灰の台地では——火が止まっていた。声になろうとする震えが、止められていた」とカインが言った。「次の場所では——それとは別の意味で、声が、止まっています」


「別の意味で」とジンが、低く、聞いた。


カインが、少し、間を置いた。


「……声を出そうとして、出せないのではなく——最初から、音そのものが、届かない場所、です」


―――


セレクが、静かに、口を、開いた。


「……教会の記録にも——この場所についての記述が、あります」とセレクが言った。「『水でも火でも灰でもない場所。そこには——音が、止まっている』」


「水でも火でも灰でもない——というのは」とノアが、少し、顔を上げて、聞いた。


セレクが、少し、考えた。


「……灰の台地は——火と変化の流れが, 止められていた。この場所は——それとは異なる種類の流れが、止められています。教会の記録には——『音が世界に触れるための道筋が、断ち切られた場所』とあります」


「道筋が、断ち切られた」とジンが、繰り返した。


「……音は、出ている。でも——届かない」とセレクが言った。「声は、ある。でも——世界に、触れられない」


しばらく——誰も, 何も、言わなかった。


「……それは」とノアが、小さく、言った。「ずっと——叫んでいるのに、誰にも聞こえない、ということか」


セレクが、少し、頷いた。


「……おそらく」


―――


ルルが、ふと——鼻先を、向けた。


「……においがする」とルルが言った。「さっきより——はっきりしてきた。台地とは違う。全然、違う。台地は——燃えたくて、困ってた。でも——今度のは」


ルルが、少し、止まった。


「……届けたくて——困ってる。出しているのに——届かなくて、困ってる。そういう——においだ」


ノアが、目を、少し、伏せた。


「……届けたくて、届かない」とノアが、静かに、繰り返した。


誰も——何も、言わなかった。


風が、穏やかに、通った。


―――


シアが、空間を、静かに、探った。


「……ここからでは——まだ、感じられない」とシアが言った。「でも——台地に入った時のことを、思い出す。最初は、静かすぎた。魔力の動きが——なかった。今度の場所は——逆かもしれない」


「逆——というのは」とジンが聞いた。


シアが、少し、考えた。


「……台地は——動くべきものが、動いていなかった。次の場所は——出ようとするものが、出られないまま、溜まっているかもしれない。音が——どこにも触れられないまま、閉じ込められている」


カインが、地図を、もう一度、見た。


「……記録には——こうもあります」とカインが言った。「『音が止まった場所では——最初の音を聞いた者だけが、次の音を引き出せる』」


ジンが、カインを、見た。


「……俺たちが——灰の台地で、最初の音を聞いた」とジンが言った。


「……そうです」とカインが言った。「灰の下で聞いた音を——忘れるな、というアル・ヴェリアの言葉は、そういう意味だと思います。あの音を——聞いたことが、次の場所への鍵になる」


―――


エリナが、手帳を、開いた。


ペンを、走らせた。


「……一つ、聞いていいですか」とエリナが言った。「音が届かない場所で——私たちは、どうやって聞くんですか」


しばらく——誰も、答えなかった。


カインが、写しを、静かに、めくった。


「……記録には——『届かない音を聞くには、音の道筋に触れなければならない』とあります。どうやって触れるのか——書かれていません」


「書かれていない」とジンが、低く、言った。


「……はい」とカインが言った。「ただ——こうも、あります。『道筋は、そこにいる者が、見つける』と」


ジンが、少し、目を、細めた。


「……俺たちが——見つける、か」


「……そうです」とカインが言った。


―――


五本目の糸が——ゆっくりと、揺れた。


ルルが、息を、止めた。


「……アルトが——こっちを見てる」とルルが言った。「台地から——こっちを、見てる。一緒に、来てる。台地にいるけど——一緒に、来てる」


「何を——感じてるか、わかるか」とノアが、小さく、聞いた。


ルルが、少し、考えた。


「……応援してる」とルルが言った。「次も——頑張れ、って。でも——急かしてるわけじゃない。ただ——一緒に、いる、って言ってる。そういう——揺れ方だ」


ノアが、少し、目を、細めた。


「……そうか」とノアが言った。「なら——七人で行くか」


「七人で」とジンが、静かに、繰り返した。


全員が——頷いた。


―――


荷物を——まとめた。


炉の火を——消した。


平原の朝が——来ていた。


草が、風に、揺れていた。


「……行くか」とジンが言った。


全員が——頷いた。


一行は、歩き始めた。


台地の風が——背中に、あった。


―――


カルネア平原を——歩いた。


しばらく——誰も、何も、言わなかった。


それは——静かさだった。


でも——空っぽの静かさでは、なかった。


台地で過ごした日々が——全員の胸の中に、あった。


アルトが——一緒にいた。


「……ルル」とジンが、ふと、聞いた。「次の場所の——においは、どっちだ」


ルルが、鼻先を、少し、上げた。


しばらく——何も、言わなかった。


それから——少し、眉を、寄せた。


「……北の方角だ」とルルが言った。「まだ——遠い。でも——確かに、ある。届けたくて、届かなくて、困ってる。そういう——においが、ちゃんと、ある」


ジンが、北の方角を、見た。


平原の草が——風に、揺れていた。


その先に——何かが、あった。


「……また、聞く」とジンが、低く、言った。


誰も——何も、言わなかった。


でも——全員が、頷いた。


―――


エリナが、歩きながら——手帳を、開いた。


ペンを、走らせた。


今日のこと——朝、ジンが「行ってきた」と言ったこと、ルルが「違う種類の、困っているにおい」を感じたこと、カインが「音が止まっている場所」について記録を読み上げたこと、セレクが「届けたくても届かない声が閉じ込められている場所」と説明したこと、カインが「灰の台地で最初の音を聞いたことが次の鍵になる」と言ったこと、アルトが五本目の糸の向こうから「一緒に来ている」とルルが感じたこと、ジンが「また、聞く」と言ったこと、全員が頷いたこと。すべてを、書いた。


書き終えて、ペンを止めた。


それから——もう一行、追加した。


『今朝、ジンさんが台地の方角を見て「行ってきた」と言いました。それだけの言葉でした。でも——十分でした。カインさんは「届かない音を聞くには、音の道筋に触れなければならない。道筋はそこにいる者が見つける」と言いました。どうやって見つけるのかは、書かれていない。でも——私たちは、台地でも、祠でも、そうやってきた。ルルさんが「届けたくて、届かなくて、困ってる」と言いました。台地の「燃えたくて、困ってる」とは——違うにおいだと言いました。でも、困っている。ちゃんと、困っている。それだけで——十分だと思いました。また、聞きに行く。また、そこにいる。それが——私たちの旅だと、今日、改めてわかりました。エリナ・フォルス談。自分で書いておく』


台地の風が——まだ、背中に、あった。


―――


ルルは、歩きながら——二つの方角を、感じ続けていた。


後ろ——台地の方角から、穏やかな温かさ。


前——遠い北の方角から、届かないまま、溜まり続ける何かの気配。


「……違う」とルルが、小さく、呟いた。「台地とは——全然、違う。でも——待ってる。誰かが来るのを——待ってる」


地面の奥から——返事は、なかった。


底——北の方角から、ごく小さく——何かが、震えた、ような気がした。


ルルは、それを確かめて、歩いた。


―――


夕暮れが——来た。


平原の端に——野営地を、作った。


炉に、火を、つけた。


火が、揺れた。


カインが、地図を、広げた。


「……明日——もう少し、進めば」とカインが言った。「次の封印地に近い、村に、着きます。そこで、情報を集めながら——目的地を、絞っていく予定です」


「村の人たちは——何か、知っているのか」とジンが聞いた。


カインが、少し、考えた。


「……わかりません」とカインが言った。「でも——灰の台地の近くのカルネア平原の人々が、台地のことを薄々感じていたように——その場所の近くに住む人々も、何かを感じているかもしれない」


「届かない音を——感じている、かもしれない」とノアが、静かに、言った。


「……そうです」とカインが言った。


―――


炉の火が——揺れていた。


ルルが、台地の方角を——振り返った。


もう——見えなかった。


でも——台地の風は、まだ、あった。


「……アルト」とノアが、小さく、呟いた。「俺たちの旅——見ててくれ」


台地の方角から——風が、来た。


炉の火が——揺れた。


それが——返事だった、ような気がした。


―――


夜が、深くなった。


炉の火が、揺れていた。


北の方角には——まだ、遠い、何かがあった。


届けたくて——届かないまま。


声を持ちながら——声が届かないまま。


それでも——待っていた。


誰かが、来ることを。


音の道筋に——触れてくれる者が、来ることを。


待っていた。


台地の風が——平原を、渡った。


炉の火が——揺れた。


一行の背を——押した。


―――


―第67話・了 ―


―――


次話予告:


翌朝、一行は平原を北へ進む。ルルが「においが——少し、強くなってきた」と言う。カインが地図の一点を指す。「この先に——小さな村があります。名を『イルナ』といいます。記録には——この村の周辺で、長い間、奇妙なことが続いているとあります」。セレクが静かに言う。「教会の記録には——この村について、こうあります。『そこに住む者たちは、眠るたびに夢を見る。しかし——夢の中の声が、目覚めた後には、何も残らない』」。ノアが、北の方角を見る。「……声が——届かない」。ルルが鼻を向ける。「においが——変わった。近づいてる。あっちが——こっちに気づいてる。届けようとしてる。でも——届かない。そういう、においだ」。ジンが、静かに、言う。「……行こう」。全員が、頷く。五本目の糸が——穏やかに、前を向く。

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