第4話「地下には何かが潜んでいる」
水路の調査依頼は、ラングレイ東区画の地下水路に異物が詰まっているかもしれない、というものだった。
詳細は不明。原因も不明。ただ「最近、排水の流れが悪い」という住民の声があった。
ジンはその紙を受け取って、「まあなんとかなるんじゃないかな」と思った。
東区画の入口は、古い石畳の路地の奥にある。鉄格子の扉に古びた鍵がかかっていたが、管理人から預かった鍵で開く。
ジンが扉を押し開けると、じっとりとした暗闇と、かすかな臭いが漂ってきた。
「くさい」
ルルが短い手を伸ばして鼻を押さえる。
「松明、いりますか」
「なくてもいい」
「なぜですか」
「なんとなく見えるから」
「……は?」
シアが眉根を寄せた。「光魔法も使えるのか」
「魔法じゃないと思う。目がよくなった感じ?」
「……あり得ない」
「でも見えてる」
シアは一瞬黙ってから、自分の手のひらに小さな光球を灯した。詠唱なし、一瞬で。エリナから聞いていた話通り、この女も相当なものだ、とジンはぼんやり思った。
地下水路は思ったより広かった。
大人が二人、並んで歩けるくらいの石造りの通路が続いている。水は壁際の溝を流れていて、今は確かに流れが遅い。澱んでいる。
ルルがジンの服の裾を掴んで歩いている。怖がっているというより、単純に暗い場所が好きではないらしい。
「どのくらい続くの」とジンが聞いた。
「地図では東側の外壁まで、百五十メートルほどのはずだ」とシアが答えた。
「シア、地図も持ってきたの」
「当然だろう。調査依頼なら現場の構造を把握するのが基本だ」
「俺は持ってない」
「知っている」
五十メートルほど進んだところで、シアが立ち止まった。
光球を前方に向ける。
通路の壁に、引っかき傷があった。
石を削ったような、深い爪痕。高さは人間の腰から胸のあたり。一本ではなく、複数の爪が並行して走っている。
「……魔獣の痕跡だ」
シアの声が低くなった。
「でかい?」
「この爪幅と深さなら、Bランク相当以上。水路に今も潜んでいるとすれば――」
シアの緊張を余所に、ジンはもうスタスタと歩き始めていた。
「……おい。ちょっと待て、聞いていたか」
「聞いてた。でかいやつがいるんでしょ」
「それだけか、お前の反応は!」
「まあ見てから考える」
シアは一度だけ爪痕を振り返った。Bランク以上の魔獣が水路に棲んでいたはずなのに、痕跡しかない。どこへ消えた。——その疑問は、胸の奥にしまっておく。
さらに進むと、通路が少し広くなった。
床に水が溜まっている。流れが完全に止まっている。ルルが「ここ、変なにおいがする」と言った。
「魔獣のにおい?」とジンが聞く。
「ちがう。もっと、古いにおい。石のにおいと、なんか……眠ってるものの、におにょ……」
ルルの語尾がゆるゆると崩れた。眠いのか、と思ったが、見ると目がきちんと開いている。ただ、何かに引っ張られるように、ゆっくりと奥の方を向いていた。
「ルル」
「……ん」
「どこ見てる」
「あっち。なんか、ある」
シアが光球を強くした。
通路の奥——水溜まりの向こうに、壁がある。いや、壁ではなかった。壁に見えていたものが、近づくと扉だとわかる。
石造りの、アーチ型の扉。鉄の枠が錆びて、蔓のような模様が彫り込まれている。鍵穴はない。押しても引いても動かなそうな、頑丈な佇まい。
「ギルドの地図に、これはない」とシアが言った。
「古そうだね」
「ラングレイの建設は二百年前。だがこの石の加工は、それより古い様式だ。三百年以上——いや、もっと前かもしれない」
ルルが扉に近づいて、表面をぺたぺたと触り始めた。
「ルル、触るな、罠がある可能性が——」
がこん、と音がした。
扉が少し動いた。
シアが短く息を飲んだ。
「……ルル、いまなにをした」
「さわっただけ」
「さわっただけで」
「なんか、開けていいってきがした」
シアはルルを見て、ジンを見て、また扉を見た。
「この子は何なんだ」
「わかんない」とジンは答えた。「俺も知りたい」
扉の奥は、小さな空間だった。
水路とは繋がっていない。乾燥した石の床に、古い台座が一つ。台座の上に、石板が乗っている。
手のひらほどの大きさ。表面に文字が刻まれているが、シアが見ても読めない。
「これ、古代語か?」
「そう見えるが、私が知っている古代語とも違う。もっと——根源的な何かに近い」
ルルが台座の前に立って、石板を覗き込んだ。
「ルル、読める?」
「……ちょっとだけ」
「教えて」
ルルは少し考えるような顔をして、それから言った。
「『目覚めは、ここより始まる』って書いてある、たぶん」
シアが眉間に皺を寄せた。「目覚め」
「うん。あと、もう一個。『重さを知る者が来るまで、眠れ』」
シアが、ゆっくりとジンを見た。
ジンも石板を見ていた。特に驚いた様子はない。
「重さを知る者って、俺のこと?」
「そうとしか読めない」
「なんでここに?」
「知らない。だが——」シアは声を落とした。「この石板が三百年以上前のものなら、お前がここに来ることを、誰かが知っていたことになる」
沈黙。
ジンはしばらく石板を見ていた。
「へえ」
「『へえ』で済むことか」
「済む気がする。腹が減ってきた」
シアが深くため息をついた。
(——無詠唱の超重力魔法に、暗所での視力に、石板の言葉。一体、お前は何なんだ)
前を歩くジンの、何の緊張感もない背中を一瞬だけ見て、シアは認めたくない動揺を胸の奥に押し込んだ。
とりあえず石板を持って帰ることにした。
水路の詰まりの原因は、台座の周辺に積もった古い土砂が流れ込んでいたせいだ。扉が開いた衝撃で一部が崩れ、水が動き始めている。あとはギルドに報告すれば、専門の業者が対処するだろう。
調査依頼としては、完了だ。
地上に出ると、昼を少し過ぎた太陽がまぶしかった。
ルルが「おなかすいた」と言った。ジンも「俺も」と言った。シアは何も言わなかったが、足が二人と同じ方向——屋台通りの方へ、向いていた。
ギルドに戻ると、エリナが報告書を受け取りながら、石板を見て目を細めた。
「これは……」
「地下で見つかった。古代語っぽいやつが書いてある。シアが見ても読めなかった」
「シア・ルーナが読めないものを……」エリナが石板を裏返した。「わかりました。専門の鑑定士に回します。費用はギルド持ちで」
「ありがとう」
「お礼はいいですが——」エリナがジンを見た。「何かあったんですね。顔に出てませんけど、目が少し違う」
ジンは少し考えた。
「三百年前の誰かが、俺が来ることを知ってたらしい」
エリナが止まった。
「……えっ」
「石板にそう書いてあったって、ルルが言ってた」
「ル、ルルちゃんが読んだんですか、古代語を」
「なんとなくわかるって」
エリナはジンを見て、石板を見て、入口の方でルルが屋台の匂いに鼻をひくひくさせているのを見た。
報告書の備考欄に何を書けばいいか、また途方に暮れた。
その夜。
シアは一人、宿の部屋で窓の外を見ていた。
石板の言葉が頭から離れない。「重さを知る者が来るまで、眠れ」——その意味を、魔法使いとして考え続けていた。
誰かが、あの場所を作った。
三百年以上も前に。まるで、ジンのような規格外の男が現れることを知っていたかのように。
偶然か。それとも、仕組まれた運命か。
(――ザルヴァ)
勇者パーティにいた頃、教会の奥深くで、最高幹部たちが声を潜めて語っていた名を思い出す。
『この世界を管理する者』。
シアは窓枠を指先で叩いた。
わからないことが多すぎる。あの男のことも、あの子供のことも、石板のことも。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
——面白くなってきた。
その感覚が、勇者パーティを出て以来、初めて戻ってきていた。
— 第4話・了 —
次話予告:石板の鑑定結果が出た。「これは封印の起点だ」——ラングレイの地下に眠る何かが、ジンの到来で動き始めようとしている。そして教会から、一人の使者がラングレイに向かっていた。




