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無詠唱の魔王  作者: Dちゃん
第一章「辺境から始まる話」

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第3話「銀髪の魔法使いは口が悪い」

読んでくださったみなさんありがとうございます。


今日はさらに頑張って【14時】と【17時】と【20時】の3回更新でお届けします!


楽しんでいただけたら、ブックマークなどで応援よろしくお願いします!

 ラングレイの宿屋「灰色の鷹亭」には、旅人が立ち寄る小さな酒場が併設されている。


 ジンがそこに顔を出したのは、本当にたまたまだった。


 飯の時間に合わせて宿に戻ると、一階の酒場が妙に騒がしい。


 カウンターの丸椅子の上に立ったルルが、短い指で奥のテーブルを指差していた。


「ジン、あそこの人、さっきから変なことを言ってる」


「変なこと」


「ジンのこと」


 ジンは視線を向けた。


 奥の席に、一人の女がいた。


 年は十九か二十くらい。銀色の長い髪が背に流れ、細い指で酒杯を持っている。冒険者というより魔法使いに見えた。白いローブの胸元には、抹消されたような痕跡がある——どこかの紋章を剥がした跡だろうか。


 普段ならフードを目深に被り、気配を薄めて行動しているはずの女が、今夜は何も纏わず素顔を晒している。それほどまでに、ジンの噂は彼女の計算を狂わせていた——らしかった。


 その女は、隣のテーブルの男たちと話していた。


「……だからあの力は危険だと言っている」


 声は低くて、感情が薄かった。「危険」という言葉に、怒りも恐れもなく、ただ断定だけがある。


「無詠唱で、あれだけの範囲魔法を一瞬で。ランク測定もできない。どこかの国が動く前に、早急に——」


「俺のこと?」


 ジンが声をかけた。


 女が顔を上げた。


 目が合った。灰色がかった紫の瞳だった。


 一拍の沈黙。


「……そこで聞いていたのか」


「ルルが教えてくれた」


「……」


 女はジンをじっと見た。上から下まで。何かを確認するような目だった。


「あなたが、コボルト十七頭を一瞬で眠らせた、と噂の」


「昨日の話ね」とジンは言った。「誰に聞いたの」


「ギルドにいた冒険者から。詠唱なし、術式なし、発動まで一秒もかからなかった、と」


「そうだったかな」


「記憶がないのか?」


「ちょっとやっただけだから」


 女の目が、わずかに細くなった。


「……口をつぐめない馬鹿か、それとも本気でそう思っているのか」


「本気」とジンは答えた。「座っていい?」


「断る」


 ジンはその隣の席に座った。


「断るって言った」


「聞こえてた。ご飯を頼もうとしたら、ここが一番空いてたから」


 女はしばらく無言でジンを見た。それから、小さく鼻を鳴らした。


「……好きにしろ」


 ルルがジンの隣にするりと滑り込んだ。女をじっと見上げる。


「おねえさん、なんか面白いにおいがする」


「……においって何だ」


「ふしぎな感じのにおい。大きくて、古くて、でもちょっと寂しい感じ」


 女が眉根を寄せた。


「意味がわからない」


「ルルもよくわかんない」


 ジンは肉のシチューを注文した。ルルはパンを二個。女は追加の酒を頼んだが、給仕が来たとき、自分の分を先に払ってしまった。


「割り勘にしなくていいの?」とジンが聞いた。


「お前の飯まで払う義理はない」


「そりゃそうか」


 しばらく沈黙があった。隣のテーブルの男たちはいつの間にかいなくなっていた。


「名前は」と女が言った。


「霧島ジン。ジンでいい」


「……変な名前だな」


「外国由来」


「どこの」


「遠いとこ」


 女はもう聞かなかった。


「シア・ルーナだ」とだけ言った。「聞かれてもいないが、名乗らないのも礼儀を欠く」


「シアか。よろしく」


「よろしくするつもりはない」


「そうか」


 ジンはシチューを食べた。美味かった。


 シアはまた酒を飲みながら、ときどきジンの方を見た。見るたびに何か言おうとして、やめる、というのを繰り返した。ジンはそれに気づいていたが、特に何も言わなかった。


「……一つだけ聞いていいか」


 しばらくして、シアが口を開いた。


「どうぞ」


「あの魔法、無属性か」


「たぶん」


「たぶん、とは」


「誰かにそう言われた。自分ではよくわかってない」


 シアの指が、酒杯の縁をゆっくりなぞった。


「魔法を使う時、何かを意識するか」


「なんか、こうなってほしいな、みたいな感じ?」


「詠唱は?」


「ない」


「術式の構成は?」


「何それ」


 シアが黙った。


「……理論が何もない状態で、それだけの規模の魔法を発動しているということか」


「そうなのかな」


「あり得ない」


「でもやってるよ」


 シアはジンをまた見た。さっきより長く。


 ジンは気にせずシチューの最後のひと口を食べた。


「……お前は」とシアが言った。「自分がどれだけ規格外なことをしているか、わかっているか」


「あんまり」


「そうだろうな」


 シアは酒を飲み干した。空になった杯をテーブルに置く。少しだけ、重い音がした。


「私はかつて、勇者パーティにいた」


 ジンは何も言わなかった。聞いている、という顔だけしていた。


「その中でも、私は魔法の扱いにおいて一番だったと自負していた。詠唱速度、術式精度、出力——どれも他の追随を許さなかった。少なくとも、私はそう思っていた」


 シアは自嘲気味に口元を歪め、言葉を続けた。


「だから、昨日の話を聞いた時は作り話だと思った。誰かが誇張したか、勘違いしたか。でなければ、人を騙そうとしているかのどれかだ、と」


「嘘じゃないけど」


「わかってる。今は」


 シアはジンの目を見た。


「お前のやっていることは、魔法の概念を外れている。術式も詠唱も必要とせず、意思だけで世界に干渉している。理論で説明がつかない。それは——」


 一拍。


「——正直、気に食わない」


「そっか」とジンは言った。


「それだけか」


「怒ってる?」


「怒ってない。ただ認めたくない」


「正直だね」


「嘘をつく意味がない」


 ルルがあくびをして、ジンの腕にもたれかかった。眠くなってきたらしい。


「帰る」とジンが立ち上がった。「シア、話してくれてありがとう」


「お前に礼を言われる筋合いはない。私は一方的に話しただけだ」


「そうでも、ありがとう」


 シアは何も言わなかった。


 ジンはルルを半ば担ぎ上げるようにして、階段を上がっていった。


 シアは空の酒杯をしばらく見ていた。


(……気に食わない)


 心の中で、もう一度繰り返した。


 でも——勇者パーティを出てから、初めて自分から名乗った。


 それに気づいたのは、部屋に戻ってからだった。


  ―――


 翌朝、ギルドに来るとエリナが血相を変えて出てきた。


「ジンさん、昨日の宿屋でシア・ルーナと話したって本当ですか」


「うん」


「……あの人が誰か、知ってますか」


「魔法使い。元勇者パーティ」


「そうです。それも、勇者直属の——大陸最高位の魔法使いです。ランクはSSS、測定値は歴代最高。Aランク以上の冒険者なら誰でも名前を知っている人です」


「へえ」


「『へえ』じゃないです! なんでそんな人と接触してるんですか!」


「席が空いてたから」


 エリナがこめかみを押さえた。


「……シア・ルーナは半年前に勇者パーティを抜けています。理由は不明。その後ラングレイ周辺に滞在しているという情報があって、ギルドとしても動向を把握しきれていなくて——普段は姿を隠すように動いているようで、目撃情報がほとんどないんです。それなのに昨夜は——」


「エリナ」


「なんですか」


「俺、今日も依頼受けていい?」


 エリナは一瞬言葉を止めた。


「……Fランクの白い紙の依頼ですよね」


「それ以外は受けないよ」


「…………」


 エリナはため息をついた。それから掲示板を指差した。


「今日は薬草採取が二枚と、街の水路の詰まりの調査が一枚です」


「水路の詰まり、何が詰まってるかわかってる?」


「調査依頼なのでわかっていません」


「じゃあ行ってくる」


 ジンが薬草採取の紙一枚と水路の紙を手に取った瞬間、ギルドの入口の扉が開いた。


 朝の光を浴びて、眩いほどの銀髪を揺らす女がそこに立っていた——シアだった。


 彼女はジンと目が合った瞬間、わずかに目を見開いた。視線が一瞬だけ泳ぐ。しかしすぐに、いつもの冷徹な表情を取り繕った。


「……お前、なぜここにいる」


「ギルドだから」


「そうか」


 シアは視線をエリナに移した。


「一つ依頼を受けたい。報酬は不要だ、条件がある」


「は、はい、どのような……」


「そこのFランクと同行させろ」


 沈黙。


 エリナがジンを見た。ジンがシアを見た。シアが天井を見た。


「……理由を聞いていいですか」とエリナが恐る恐る聞いた。


「興味がある。ただそれだけだ」


「興味」


「同行して観察する。危険があれば対処する。報酬は求めない。問題があるか」


 エリナはもう一度ジンを見た。ジンは特に反対する顔をしていなかった。


「……ジンさんが構わなければ、規則上は問題ないんですが」


「構わないよ」


「本当に?」


「別にいい」


 シアがまたジンを見た。今度は少し短く。


「……感情がないのか、お前は」


「ある。ただ今はお腹が空いてる」


「……それで全部解決するな、お前の世界は」


「だいたいね」


 ルルがシアの腕をつんと突いた。


「おねえさんもくる?」


「……ついてくるだけだ。仲間ではない」


「ふうん」ルルはにこにこした。「でも来るんだ」


 シアは答えなかった。


 エリナは報告書の備考欄に何と書くべきか頭を悩ませながら、三人を見送った。


 今日も難問だった。


— 第3話・了 —


次話予告:水路の詰まりの調査は、予想外の方向へ転がった。シアが「これは魔獣の痕跡だ」と呟いた瞬間、ジンはもうそこにいなかった。——街の地下に潜む「何か」の正体とは。


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