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無詠唱の魔王  作者: Dちゃん
第一章「辺境から始まる話」

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第2話「Fランクには似合わない依頼」

翌朝、ジンはまたギルドにいた。


昨日の報酬で宿に一泊できた。ベッドで寝るのは異世界に来てから初めてのことだが、特に感慨はない。寝られれば地面でも同じだ、とジンは思っている。


ルルは当然のような顔で同じ部屋に転がり込んでいた。昨夜、宿に戻ったところで「行くとこない、おなかすいた」と袖を引かれ、ジンが「じゃあ飯食ってここで寝れば」と適当に部屋へ入れたのだ。追い出す理由もないので放っておいたが、朝になっても布団から出てくる気配がなかった。


「ルル、飯」


「……ん゛」


それだけで起きてきた。食欲は正義だ、とジンは思った。


ギルドに着くと、エリナが書類の山と格闘しているのが見えた。昨日と同じ光景だが、今日は山の高さが倍くらいある。


「おはよう」


「おはようございます。……あの、昨日の方ですよね」


「そう」


「ジンさん、でしたっけ」


「うん」


エリナは書類から目を上げて、ちらりとルルを見た。ルルはジンの背中にくっついて、大きな目でカウンターを眺めている。


「その子も一緒なんですか」


「腹減ってるって言って離れない」


「お姉ちゃんきょうもきれい」とルルが言った。


エリナが少し赤くなった。昨日もそれをやられた。


ジンは掲示板を確認した。白い紙の依頼は今日も三枚。薬草採取がまた一枚、それから荷物運び、もう一枚は——


「……魔獣の巣の掃討?」


紙を手に取って読んでみる。街から二時間ほどの森の奥に、コボルトの群れが巣を作っているらしい。数は十五から二十。市民への被害が出る前に処理してほしい、という依頼だ。報酬は金貨一枚。


「これ、もらっていい?」


エリナがすっ飛んできた。


「ダメです」


「なんで」


「Fランクが受ける依頼じゃないからです!」エリナが声を張り上げた。「コボルトは成体で一頭でもCランク相当なんです。十五頭以上の群れ、普通はBランクパーティで対応する案件で、誰かが間違えて掲示板に……」


言いながら、エリナはジンの顔を見た。


ジンはきょとんとしていた。


「コボルトって強いの?」


「……知らないんですか」


「来たばっかりだから」


エリナはしばらく黙った。昨日の測定器のことを思い出した。数値が出なかった。棚の小物が全部天井に張り付いた。あの時の、部屋の空気が変わった感覚。


彼女は頭の中で何かを計算するように目を細めて、それから小さくため息をついた。


「……一つだけ聞かせてください。昨日の測定で何かした自覚は?」


「ない」


「本当に?」


「触っただけ」


間があった。


「……受けてみてもいいですが、私も同行します。勝手にこんな高ランク依頼を掲示板に出したギルド側の落ち度もありますし……それに、緊急時の安全確認義務がありますから」


「エリナも来るの?」


「監視です。監視」


ルルがにこにこしながら手を上げた。「ルルも行く!」


森に入ってから一時間。コボルトの巣は思ったより早く見つかった。ルルが「あっちにいっぱいいる」と言った方向にずんずん歩いていったら着いた。


エリナは短剣を抜いて構えた。冒険者ではないが、ギルドの窓口担当として最低限の護身術は習得している。


巣の前には番のコボルトが二頭。奥の暗がりには気配がたくさんある。


「ジンさん、策は?」


「まあ」とジンは言った。「なんとかなるんじゃない」


「その根拠は」


「なんとなく」


番のコボルトがこちらに気づいて、低い唸り声を上げた。一頭が飛びかかってくる。エリナが短剣を構えた瞬間——


ぐ、と空気が沈んだ。


コボルトが地面に叩きつけられた。跳躍の途中で、まるで見えない手に押さえ込まれたみたいに。


もう一頭が吠えた。巣の中から残りが一斉に出てくる。ジンはポケットに手を突っ込んだまま、特に構えもせず、少しだけ顔を上げた。


——次の瞬間、コボルトの群れが全員、一斉にドサドサと倒れた。


十七頭。一秒もかからなかった。


エリナは短剣を握ったまま固まっていた。


「……いま、何をしたんですか」


「重くした」


「重くした」


「そう。なんか、重力ってやつ? ちょっと増やした」


「ちょっと」


「意識失ってるだけだから、死んではないよ」


エリナはコボルトの群れを見た。全員、均等に地面に伏せている。まるで示し合わせたみたいに同じ姿勢で。傷一つない。


魔法使いが詠唱なしに、これだけの範囲に、瞬時に。


「……詠唱は」


「してない」


「術式の展開は」


「何それ」


エリナは短剣をゆっくり下ろした。頭の中が、うまく整理されなかった。


冒険者ギルドで八年働いている。それなりの場数は踏んできたつもりだった。


でも。


「……ジンさん」


「何」


「あなた、本当に昨日登録したばかりの人ですか」


「そうだけど」


ジンはきょとんとした顔で答えた。嘘をついている気配は欠片もない。


ルルが転がっていたコボルトの一頭に近づいて、ぺたぺた触っている。「おっきい犬みたい」と言った。


帰り道、エリナはジンの隣を歩きながら、ずっと考えていた。


無詠唱。無術式。範囲魔法を一瞬で、しかも十七頭に対して同時に。


属性が何かも不明で、本人も仕組みを理解していない。


ギルドのマニュアルには、こういうケースの対応は書いていない。


「ジンさん」


「うん」


「これからもここで活動するつもりはありますか」


「飯食えてれば別にどこでもいいけど、しばらくはここかな」


「……わかりました」エリナは少し間を置いた。「なるべく、目立つことはしないでください。昨日のことも今日のことも、報告書には最小限しか書きません。あなたが変に注目されると、ギルドとして対応しきれなくなるので」


「なんで心配してくれるの」


「……仕事です」


ジンは「そっか」と言って、それ以上は聞かなかった。


ラングレイの街に戻ると、夕方の市場が賑やかだった。ルルが焼き串の匂いに引き寄せられて走っていく。ジンがのんびりとそのあとを追う。


エリナは二人の後ろ姿を見て、少しだけ眉間の力を抜いた。


報告書、どう書こうか。


それだけが、今日唯一の難問だった。


— 第2話・了 —


次話予告:ラングレイに流れ着いた旅人が、ジンのことを「あの力は危険だ」と漏らした。その人物の正体は——かつて、勇者パーティにいた者だった。


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