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無詠唱の魔王  作者: Dちゃん
第一章「辺境から始まる話」

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第1話「ラングレイの朝と、ちょっとした問題」

空が白んできた頃、霧島ジンは路地裏のゴミ捨て場で目を覚ました。


「……あ、朝か」


 起き上がり、首をぐるりと回す。どこかが痛いとか、寒いとか、そういう感覚はなかった。異世界に飛ばされてから三日が経つ。その間に覚えたことといえば、この街の名前がラングレイで、お金がないと飯が食えない、それだけだ。


――それから、どうやら自分は魔法とやらが使えるらしい、ということも。

 ジンは右手を軽く上げた。念じる、というほどでもなく、ただ「持ち上がれ」と思った瞬間、近くの空き缶がふわりと浮いた。


「……よっと」


 缶を軽く掴み、また放す。空中にとどまった缶を見て、少しだけ首を傾げた。


「なんでこんなことできんのかな、俺」


 誰に言うでもなく呟いて、立ち上がった。腹が減った。それが今日の最優先事項だった。

---

 ラングレイの冒険者ギルドは、朝の七時から開いている。


 ジンが扉を開けると、受付カウンターに茶髪の女性が一人、分厚い書類の束と格闘していた。年は二十代前半。きりっとした目元に疲れが滲んでいたが、ジンが入ってきた瞬間、ぱっと顔を上げてにっこりとした。仕事の顔だ、と思った。


「おはようございます。ご依頼ですか、登録ですか?」


「登録」


 ジンは短く答えて、カウンターに近づいた。受付嬢——名札には「エリナ・フォルス」とあった——は書類を一枚取り出し、慣れた手つきで広げた。


「では、こちらに名前と出身地をご記入ください。魔力測定は奥の部屋で行います。測定値によってランクが仮決定されますので」


「わかった」


 名前を書く。出身地は少し迷って「遠方の村」と書いた。現代日本とは書けない。


 奥の部屋に通されると、水晶の球みたいなものが台の上に置いてあった。手を当てると光る仕組みらしい。前に試したことのある人が残したと思われる手形の跡がついていた。


「では、右手を置いて、魔力を解放してみてください」


 エリナが手順を説明する。ジンは言われた通りにしてみた。「解放」というのがどういう感覚かよくわからなかったので、ただ球に触れてみる。


 次の瞬間。


 部屋の空気が変わった。


 球が光った。最初は白く、それから青白く、それから色が消えた。正確に言えば、色を表現する語が存在しなかった。


――ぐ、。


 低い地鳴りのような音が、壁のどこかから響いた。


 次の瞬間、棚の上の小物が一斉に浮き上がり、天井へと張り付いていく。


「……え」

 エリナの声がひっくり返った。


「ちょっと待ってください、何ですかこれ、数値が……数値が出ない……」


「そう?」


「『そう?』じゃないです!」


 棚の小物が全部天井にくっついていた。ジンが球から手を離すと、ばらばらと落ちてきた。エリナが反射的に両手で顔を庇う。


 しばらく沈黙があった。


「……あの」とエリナが恐る恐る尋ねた。「今、何をしたんですか?」


「何もしてない」


「何もしてないのに測定器が限界超えてます」


「そうなんだ」


 ジンはきょとんとした顔でそう言った。嘘をついている様子ではなかった。エリナはもう一度測定器を確認して、それからジンの顔を見て、また測定器を見た。


「……暫定でFランクにしておきます」


「一番下?」


「測定不能なので仕方ないんです。規定上、測定できないと最低ランクから始めていただくことになって」


「あー、わかった。別にいい」


 ジンはあっさりと頷いた。エリナはどこか拍子抜けした様子だったが、すぐに事務的な表情に戻った。


「依頼はあちらの掲示板に貼ってあります。Fランクの方が受けられるのは白い紙の依頼のみです。主に薬草採取とか荷物運びとかになりますが……」


「ご飯食えるくらいは稼げる?」


「……なんとか」


「じゃあそれで」

---

 掲示板の前に立つと、白紙の依頼が三枚貼ってあった。薬草の採取、街の外れの小屋の修繕、迷子の猫を探すやつ。


 ジンは全部剥がした。


「全部持っていくんですか!?」


 後ろでエリナが声を上げた。


「一枚じゃ足りないかと思って」


「Fランクの方は基本一枚ずつなんですが」


「あ、そうなの。じゃあ」


 ジンは薬草採取の紙だけ残して、あとの二枚をカウンターに戻した。エリナが小さくため息をついた。


「……ちゃんと夕方までに戻ってきてくださいね。報告がないと報酬が出ないので」


「わかった。飯食ったら行く」


「食べてから行くんですか」


「腹減ってるから」


 完璧な返答だった。エリナはもう何も言わなかった。

---

 街の外れ、東門を出てしばらく歩いたところに、薬草が生えている草原があるらしかった。案内図を見ながら歩いていると、道の途中で変な声が聞こえた。


「ごはん……ごはん……」


 茂みの中から、小柄な少女がのそのそと這い出てきた。見た目は十三か十四くらい。銀に近い白い髪に、大きな目。着ているものはちぐはぐで、何日も洗っていないのか、少し土がついていた。


 少女はジンを見上げて、目をぱちくりした。


「……おにいちゃん、食べ物ある?」


「ない」とジンは言った。正直に。


 少女は少しだけがっかりした顔をしてから、ふんふんと鼻を鳴らした。


「でもなんか変なにおいがする。変な力のにおい」


「力のにおいって何」


「すごく、おっきいにおい。見たことない感じ」


 少女はそう言って、不思議そうにジンの周りをぐるりと回った。ジンは特に驚かず、ただ「ふーん」と呟いた。


「俺、薬草採りに行く。ついてくる?」


 少女の目がぱっと輝いた。


「行く! あと、お腹すいた!」


「採ってから考える」


「わかった!」


 こうして謎の少女が一人増えた。彼女は「ルル」と名乗った。それ以上のことは何も教えてくれなかった。ジンも特に聞かなかった。

---

 薬草採取は二時間で終わった。指定された草がどこにあるか、ルルが「なんとなくわかる」と言って全部案内してくれたおかげだ。


「便利だな」


「えへへ」


 ルルは誇らしそうに胸を張った。袋いっぱいの薬草を持って二人でギルドに戻ると、カウンターのエリナが目を丸くした。


「……その子は?」


「拾った」


「拾ったって言わないでほしいんですが」


「ルルっていう。腹減ってた」


 エリナはルルを見て、ルルもエリナを見た。ルルがにこっと笑う。


「お姉ちゃん、きれい」


「あ、ありがとう……」


 エリナが少し赤くなった。ジンは薬草の入った袋をカウンターに置いた。


「これで合ってる?」


「……はい、確認します」


 エリナが袋の中を検分する。しばらくして、微妙な顔をした。


「……依頼の三倍くらいあります」


「余ってたから全部採ってきた」


「依頼分だけで良かったんですが、まあ……買い取りはできます。合計で銀貨四枚になります」


「おお」


 ジンの顔が初めてちょっと明るくなった。エリナはそれを見て、少しだけ口元が緩んだのを自分で気づかないふりをした。

---

 夕暮れの屋台通りで、三人分のパンと肉のスープを買った。ルルは一口食べるなり「うまい!!」と声を上げ、ジンは黙って二口目を飲んだ。エリナはなぜか、仕事終わりだというのにジンの向かいの席に座っていた。


「なんで来たの」とジンが聞いた。


「……お財布も持たずに街を出ようとしたお馬鹿さんが、ちゃんとご飯を食べられているか心配だっただけです。ギルドの窓口担当として、登録初日の不届き者を野垂れ死にさせるわけにはいきませんから」


「財布、持ってたけど」


「黙ってください」


 エリナはそう言って、スープをひと口すすった。


 ラングレイの空に星が出てきた。ルルがスプーンで星を指差しながら何か楽しそうに喋っている。ジンはそれを聞いているのか聞いていないのか、ぼんやりした顔でスープを飲んでいた。


 特別なことは何もなかった。


 ただ、お腹が満たされた。それで今日は十分だった、とジンは思った。

---

*— 第1話・了 —*

---

> 次話予告:エリナから「もう少しまともな依頼を受けてほしい」と頼まれたジン。次の依頼は「魔獣の巣の掃討」——Fランクが受ける内容では、到底なかった。ていた。


初投稿です!

本日から日曜日までの3日間は、スタートダッシュとして【17時】と【20時】の1日2回更新でお届けします!

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