第11話「選択肢と、その裏と、エリナの仕事」
朝の4時50分です! 完全未告知のゲリラサプライズ更新です!
あと10分でワールドカップの日本戦が始まりますね!
どうせみんなテレビの前でソワソワして起きてるんでしょ!ということで、キックオフまでの貴重な10分間の待ち時間にサクッとどうぞ!
さあ、応援の準備はいいですか? がんばれ日本!
正午の鐘が鳴り終わった頃、セレク・ヴァインはギルドの扉を開けた。
白い法衣。従者なし。手ぶら。笑顔。
一ヶ月前に初めて見た時と、何一つ変わっていない。変わっていないというより——変えない、という意志がある、とエリナは思った。
「エリナ・フォルスさん。お時間を取っていただき、ありがとうございます」
「どうぞ」
エリナは会釈を返し、応接室へと案内した。後ろに三人がいる。ジンは言われた通り口を閉じている。シアは無表情だ。ルルは小さな足音で、しかし鼻をかすかに動かしながら歩いている。
―――
応接室は狭い。テーブルを挟んで向かい合う形になる。
エリナが正面に座った。セレクが向かいに座った。ジン・シア・ルルは、エリナの少し後ろに並んで立った。椅子は勧めなかった。これは儀礼ではなく、仕事だから。
「先日の照会の件、ご回答はいただきましたか」セレクが穏やかに切り出した。
「開示できる範囲でお答えしました」エリナは書類を一枚テーブルに置いた。「ジンさんの登録日、暫定ランク、依頼の履歴。これが全てです」
セレクは書類を一瞥した。
人間が文字を追う速度ではない。まるで紙面の情報を、そのまま脳裏へ写し取っているかのような、異常な速さ。
応接室の空気が、わずかに冷える。
「……魔力測定の結果は?」
「測定不能と記録されています」
「その理由の記載は?」
「測定器の限界超過、と記録されています」
——静寂。時計の針の音だけが、かすかに響いた。
セレクが顔を上げた。感情の抜け落ちたガラス玉のような瞳が、笑顔の奥からエリナをじっと見つめていた。
「それ以上の記録は、ないと」
「ないと、記録されています」
一拍の間。
セレクが「なるほど」と言った。責めるでも疑うでもなく、ただ、事実として受け取る声だった。
―――
「では、本題に入らせていただきます」
「どうぞ」
「ジンさんに、選択肢を提示したいと思っています」セレクはジンの方を見た。「直接、お伝えしてもよいですか」
エリナが「私を通してください」と言った。間を置かずに。
セレクの視線が戻ってきた。一瞬だけ、笑顔の奥の何かが動いたように見えた。見えたが、すぐに消えた。
「——失礼しました。では、フォルスさんへ」
「はい」
「教会は、ジンさんの存在を脅威とは見ておりません。ただ——規格外の力を持つ方が、管理されていない状態で行動することへの懸念があります。ギルドのFランク登録は、その力を正しく評価するためのものではない」
「適切な管理体制、と仰るのであれば、ギルドがその役割を担っています」
「ギルドは、冒険者の活動を管理する機関です。ジンさんが持つような——世界の均衡に関わりうる力を、管理する権限はない」
エリナは少し間を置いた。
「世界の均衡」
「はい」
「具体的に、どういう意味でしょうか」
セレクが、初めてわずかに目を細めた。
「ラングレイ周辺に、古代の封印の痕跡が複数存在することは、教会も把握しています。それらに関わる活動が続くようであれば——教会としては、看過できない状況になる」
部屋が静かになった。
後ろでルルが、ほんの少しだけ動いた気がした。エリナはそれを視界の端で捉えたが、顔には出さなかった。
―――
「選択肢を、提示すると仰いましたね」エリナは言葉を選んだ。「内容を聞かせていただけますか」
「二つあります」セレクが指を立てた。一本。「一つ目。ジンさんが、教会の監察を受け入れる。これは強制ではなく、任意です。ただし任意に応じていただければ、教会としても必要以上の干渉はしません」
「監察の内容は?」
「月に一度、活動報告の提出。および、教会が必要と判断した場合の、任意の同行要請」
「任意の同行要請を断った場合は?」
「その時点で任意への協力が成立しない、と判断します」
言い換えれば、断れない。エリナはそれをきちんと受け取った。
「二つ目は」
セレクが二本目の指を立てた。
「ジンさんが、封印に関わる活動を停止する。これを選んでいただければ、教会はこれ以上干渉しません。ジンさんは冒険者として、普通に暮らしていただけます」
「封印への関与をやめる、ということですね」
「そうです」
「その選択が守られているかどうかの確認は、どうなさるつもりですか」
セレクが少し間を置いた。
「それは——信頼、です」
エリナは何も言わなかった。
代わりに、書類を一枚、テーブルの上で揃えた。手のひらで押さえた。動じない手で。
―――
「回答をいただけますか」セレクが穏やかに言った。
「確認させてください」エリナが言った。「この選択肢は、今日中に決める必要がありますか」
「早いほど、双方にとって良いとは思います」
「ただし、期限はない」
「今のところは」
エリナは頷いた。
「では、三日以内にご回答します。ジンさんご本人の意思を確認する時間が必要です」
「……わかりました」セレクが立ち上がった。「フォルスさん、一つだけ」
「はい」
「あなたは、賢い方ですね」
エリナは表情を変えなかった。
「仕事ですから」
セレクが、かすかに——本当にかすかに——苦笑に近い何かを浮かべて、会釈した。それから部屋を出た。
―――
足音が廊下を抜け、ギルドの外へ消えた。
しばらく誰も何も言わなかった。
ルルが先に口を開いた。
「……においが変わった」
「変わった?」とジンが聞いた。
「最初と、最後で。最初は——決めてきた人のにおい。でも最後は——少しだけ、違った」
「どう違った」とシアが言った。
ルルが少し考えた。
「……予定通りじゃなかった人のにおい、かな。なんか、ちょっとだけ、想定と違うことが起きた人の感じ」
シアがエリナを見た。エリナは手帳を開いていた。何かを書き留めている。
「エリナ」
「……ジンさんが返事をしなかったことと、私が全部遮断したこと——どちらかが、想定と違ったんだと思います」エリナは手帳から目を上げた。「どちらかというと、後者かもしれません」
「なぜ」
「ジンさんは——」エリナが少し口ごもった。「こういう場合、普通は本人が直接話す方向へ持っていこうとします。本人の言質を取るために。それを最初から塞いだのは、おそらく想定外だった」
ジンが「俺が話した方が良かった?」と聞いた。
「いいえ。今日は、話さないで正解でした」
「そっか」
「よく我慢できましたね」
「まあ」ジンは少し間を置いた。「エリナが全部やってたから、邪魔したくなかった」
エリナが手帳を閉じた。少し、閉じるのに時間がかかった。
―――
四人は小部屋に移った。
シアが腕を組んで言った。「選択肢の中身を整理する。一、教会の監察を受け入れる。二、封印への関与をやめる」
「どちらも選ばない、は?」とジンが言った。
「今すぐ選ばなくていい、とは言っていた。ただし、今のところは、という留保付きで」
「どちらも選ばないと、次の手が来る?」
「おそらく。王室経由の正式介入か——封印の点そのものへの干渉か」
エリナが手帳を開いた。
「一つ確認させてください。セレクが二つ目の選択肢で言った——封印への関与をやめれば、それ以上干渉しない——という言葉。これは、教会がすでに封印の点を把握していて、そちらは自分たちで管理する、という意味だと思います」
「……そうとも読める」
「つまり、封印を手放せば、教会が全ての点を掌握する。私たちには何も残らない」
「そうなる」
ジンが「それは嫌だ」と言った。
全員が少し、ジンの方を見た。
「なんか、嫌。アル・ヴェリアが守ろうとしたものを、教会に渡すのは」
「理由は?」とシアが聞いた。
「わかんない。でも——石板に書いてあったじゃん。重さを知る者へ、って。俺が重さを知る者かどうかはわかんないけど、教会がそれじゃない気がする」
沈黙。
シアが「……根拠なし」と言った。
「うん」
「だが——」シアは少し間を置いた。「方向は正しい、と思う」
ルルが「ジンの言う通りだよ」と言った。「においが、そう言ってる」
エリナが手帳に何かを書き込んだ。それから顔を上げた。
「では、方針は——どちらも選ばず、三日の猶予の間に残りの点へ動く。ということでいいですか」
「それで行こう」とジンが言った。
「急ぐ、ということですね」
「急ぎすぎず、でも止まらず——ってジンが言ってたやつ」とルルが言った。
「俺が言ったの昨日だったっけ」
「うん」
「ちゃんと覚えてるんだ」
「えへへ」
シアが「余計なことを言うな」と言ったが、声に力がなかった。
―――
火に関わる場所を探す。それが次の課題だった。
エリナが古い地図と台帳を広げ、ラングレイ周辺の地名と地形を洗い始めた。ジンは隣でぼんやりと地図を見ていた。シアは配置図の写しを取り出して、残りの点の方位を再確認していた。ルルは机の端に腰かけて、林檎をかじりながら天井を見ていた。
「火に関わる地名」エリナが指でなぞった。「炎ノ丘、焦土原、熔岩台地——ラングレイの半日圏内に、それらしい地名は今のところ見当たりません」
「火を使う場所、じゃないのかな」とジンが言った。
「鍛冶場や窯場は複数あります。ただ、それが封印の点になりうるかどうか——」
「昔、火を使ってた場所、かもしれない」
「昔?」
「今は使ってないかもしれない。水源みたいに」
エリナが少し止まった。それから古い地図の方を引き寄せた。今使っている現行の地図より、百年以上前のものだ。紙が黄ばんでいて、端が破れている。
「……ある」
「何が」
エリナが指で一点を押さえた。「古い地図には、ラングレイの北に『焼祭の台』という地名があります。現行の地図にはない。百五十年前を境に、記載が消えている」
「焼祭の台」
「祭祀の跡だと思います。古い時代、火を焚いて何かを祀る場所だったのかもしれない。今は使われていない——だから地名が地図から消えた」
シアが顔を上げた。「北か」
「ラングレイの北——廃教会よりさらに北東、の手前あたりです」
シアが配置図の写しを見た。少し沈黙した。
「——方位が合う」
「本当に?」
「完全ではない。ただ、三点のうち残りの一点として、矛盾はしない」シアは写しをテーブルに置いた。「水源で水が北東を向いた。廃教会は北東にある。そしてさらに北——焼祭の台。道が繋がっている可能性がある」
ルルが天井を見ながら言った。
「においが、する気がする」
「この部屋で?」とジンが聞いた。
「違う。なんか、そっちの方角。すごく遠くの、うっすらとしたやつ」
シアがルルを見た。
「確度は?」
「五割くらい。でも——ゼロじゃないよ」
「五割の確度でルルが感じるなら、行く価値はある」
エリナが地図を折り畳んだ。「明日、向かいましょう。今日は三日の猶予の一日目です。残り二日で動ける限り動く」
「わかった」
「今日は早く寝てください。ジンさん」
「なんで俺だけ」
「昨日、夜遅くまで起きていたでしょう」
「どうしてわかるの」
「朝のスープを飲む速さが、いつもと違いました」
ジンが少し黙った。「……エリナ、観察しすぎでは」
「仕事ですから」
シアが「二度目だ、それ」と言った。
「二度あることは三度あります」
ルルが「えへへ」と笑った。
―――
夜。
エリナは一人で部屋に残って、手帳を開いた。
今日の面会の記録を書き直す。セレクが言ったこと、言わなかったこと、その順番、声の温度。記憶が鮮明なうちに言語化する。これはエリナの習慣で、ギルドに入った頃からずっとそうしてきた。
書き終えて、一度閉じた。それから、また開いた。
別のページに、短く書いた。
セレクが、最後にかすかに苦笑した。
想定外だったのなら、良かった。
それだけ書いて、また閉じた。
窓の外は静かだった。ラングレイの夜は、いつも静かだ。星が出ている。昨日シアが言っていた、雨上がりの星が多い空——今夜も変わらず、多い。
(明日、焼祭の台へ向かう)
セレクが知っているかどうかは、わからない。でも、今日の反応を見る限り——教会は、残りの点の場所を全て把握しているわけではない。それだけは読み取れた。
だとすれば、先に動く意味はある。
エリナは机の引き出しから、小さな封筒を取り出した。自分宛ではない。ギルドの中央本部宛だ。封は、まだしていない。
この三日、書いては止まり、書いては止まりを繰り返している手紙だった。
内容は——ただの相談、という名の反逆だ。
王室の権威を笠に着た教会の介入に対して、辺境ギルドの受付がどこまで裁量で突っぱねられるか。その限界線を探るための、必死の打診。
出せば、これまでのキャリアも、今の立場も失うかもしれない。規律を重んじる受付嬢として、やってはならない越権行為だと言われればそれまでだ。
手元の封筒が、夜の静寂の中で妙に重く感じられた。
それでも、エリナはこれを破り捨てることができなかった。
ペンを取った。続きを書いた。今度は、止まらずに書いた。書きながら、窓の外の星空をちらりと見た。ジンたちの笑い声が、まだ耳の奥に残っている。
(……これが、私の仕事だもの)
書き終えて、封をした。
封筒を机の端に置いた。明日、ギルドの伝令便に出す。
(届くかどうかはわからない)
そう思ったところで、ジンの言葉が頭に浮かんだ。届かなくてもいいから書いた、みたいな感じがする。
エリナは少し、苦笑した。
あの言葉は術者への言葉だったはずなのに、気づくと色々なところで引用されている。ジンはそういうことを言う。本人が意識しているかどうかは、怪しいが。
それで今夜は十分だ、と思った。
―――
翌朝、ジンが一階に下りると、三人全員がすでに食堂にいた。
珍しい。
「全員早い」
「お前が遅い」とシアが言った。
「ルルも早い」
「おなかすいてたから」
ジンは向かいの席に座った。エリナが「昨日、早く寝ましたか」と聞いた。
「寝た」
「よかったです」
スープが来た。パンが来た。ジンは一口飲んだ。
「……うまい」
「今日も同じ感想か」とシアが言った。
「うまいものはうまい」
シアが何も言わなかった。でも、何かを言いそうな顔をして、やめた。
ジンはそれに気づいたが、何も言わなかった。
ルルが「今日、行くんだよね」と言った。
「うん」
「焼祭の台」
「そう」
「においの方角、あってるかな」
「どうだろう」
「あってるといいな」
ジンは「そうだね」と言った。それだけだった。
食堂の窓から、朝の光が斜めに差し込んでいた。今日は曇りだ。雨にはならないかもしれない。なるかもしれない。
どちらにしても、行く。
それで、今日も始まった。
―――
— 第11話・了 —
次話予告:焼祭の台は、岩盤の上に黒く焦げた祭壇の跡として残っていた。碑文を見つけたその瞬間——シアが、凍りついた。そこに刻まれていた一つの名前が、彼女の過去そのものと交差する。




