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無詠唱の魔王  作者: Dちゃん
第七章「揃いが傍らにある話」

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第109話「行く、というジンの声と、前を向いてる、というルルの声と、記憶が重みになる、というシアの声と、場所を離れる朝」

朝が、来た。


場所の朝は——静かだった。


でも——


昨日と、違った。


何かが——また、変わっていた。


昨日は、場所が問いを持った夜だった。


今日は——


答えを、出す日だった。


足で——出す日だった。


それだけで、十分だった。


―――


ジンが、目を覚ました。


すぐに——地面の方角に、手を、向けた。


地面を——通して、聞いた。


何かが——あった。


昨日とは——また、違った。


昨日は——「場所が問いを持った」という感触だった。


でも今日は——


「揃いが、前を向いている」という感触だった。


「……前を向いてる」とジンが、小さく、言った。「揃いが——前を向いてる。傍らにある——揃いが。仕事がない——揃いが。でも——前を向いてる。消えてない。軽いまま——前を向いてる。昨日、場所の問いを受け取って——揃いも、一緒に聞いてた。一緒に聞いてたから——一緒に、前を向いてる。そういう感触だ。行く——という感触だ。揃いが——行く、って向いてる。そういう感触だ」


地面の奥から——返事は、なかった。


でも——揃いが、そこに、あった。


傍らに——前を向いて、あった。


軽くて、温かな——揃いが。


仕事を終えて——穏やかに、あった。


―――


ルルが、目を覚ました。


すぐに——鼻を、向けた。


後ろ——山の方角。越えてきた。遠い。


前——場所の方角。


そして、もっと前——場所の、その先。


ルルが、息を、止めた。


「……においが——した」とルルが言った。「また——違う。昨日の、場所の問いのにおいの、次のにおいだ。場所のにおいが——今日は、違う。昨日まで——場所のにおいは、こっちに向いてた。今日は——向いてない。今日の場所のにおいは——ジンの方を向いてない。ジンが行く方を——向いてる。場所が——ジンを送り出す方を向いてる。そういうにおいだ」


ジンが——少し、間を置いた。


「……送り出す方を——向いてる、か」とジンが言った。


「……うん」とルルが言った。「向いてる。場所が——行く方を向いてる。引き止めてない。引き止めてない——においだ。刻まれたものたちが——引き止めてない。向こうの二つが——引き止めてない。全部が——行っていい、って向いてる。そういうにおいだ。揃いが前を向いてるのと——同じ方を、場所も向いてる。揃いと場所が——同じ方を向いてる。そういうにおいだ」


「揃いと場所が——同じ方を、か」とジンが、静かに、言った。


「……うん」とルルが言った。「同じ方。揃いが傍らにあるから——場所も、揃いと一緒に見てる。揃いが前を向いたから——場所も、その先を向いた。揃いが傍らにあるということは——場所も一緒に、ジンの隣にいるということだ。そういうにおいだ」


―――


カインが、写しを、広げた。


「……記録には——こうあります」とカインが言った。「『場所を離れる日、揃いを持つ者は刻まれた全部と別れるのではない。刻まれたものは場所に残る。しかし——記憶は共に行く。刻まれたものを知る者が歩き出す時、刻まれたものは「知られていた」という事実になる。その事実が——次の声への、揃いが傍らにある者だけが持てる、最初の重さになる』とあります」


全員が——カインを、見た。


「……続きには——こうあります」とカインが言った。「『揃いが傍らにある者の旅は、これまでの旅と根本から異なる。これまでは揃いが道を示し、聞き手はそれに従った。これからは——揃いは道ではない。揃いは傍らにある。傍らにある揃いと共に歩く者は、自らの重さで道を作る。刻まれたものたちの記憶が、その重さの最初の部分になる』とあります」


しばらく——誰も、何も、言わなかった。


「自らの重さで——道を作る、か」とジンが、低く、繰り返した。


「……そうです」とカインが言った。「これまでは、揃いが先に道を知っていました。揃いが感じて、ジンが従った。でも今は——揃いも、ジンも、同じように前を向いてる。どちらが先でもない。一緒に——前を向いてる。それが、揃いが傍らにある、ということです。そういう記録です」


「一緒に——前を向いてる、か」とノアが、静かに、言った。


「……そうです」とカインが言った。「一緒に。揃いは道ではなくなった。羅針盤でもなくなった。でも——一緒に前を向いてる。仕事のない揃いが、一緒に前を向いてる。それが——これまでとは全く違う旅の始まりです。そういう記録です」


―――


セレクが、静かに、口を、開いた。


「……教会の記録に——こうあります」とセレクが言った。「『刻まれた場所を離れる時、揃いを持つ者は一度だけ場所を振り返っていい。振り返ることは、弱さではない。刻まれたものたちに「行く」と告げることだ。告げた瞬間、刻まれたものたちは「知られていた」という事実になる。その事実が、揃いを持つ者の足を、これまでより一歩、重くする。重くなることは、遅くなることではない。重さが、次の声を呼ぶ』とあります」


「一度だけ——振り返っていい、か」とジンが言った。


「……そうです」とセレクが言った。「一度だけ。大して——告げる。「行く」と、告げる。それだけで、刻まれたものたちは、ただの刻まれたものから——「知っていてもらえたもの」になる。知っていてもらえたものは——消えない。知られていたから——消えない。そういう記録です」


「……わかった」とジンが、低く、言った。「一度——振り返る。「行く」と——告げる。それから、歩く。揃いが——一緒に来る。それだけだ」


「……はい」とセレクが言った。「ただ——一つだけ、覚えておくことがあります」


「一つ——か」とジンが言った。


「……歩き出した後で」とセレクが言った。「揃いが——また、何かを感じ始めます。傍らにある揃いが、何かを感じる。それが——次の声への、最初の兆しです。揃いが傍らにあるから——揃いが感じたものを、ジンも感じられる。今度は揃いが道を示すのではなく——揃いと一緒に、感じる。そういう記録です」


―――


一行は——場所の中に、最後の時間を、過ごした。


風が——穏やかに、あった。


揃いが——傍らに、軽く、温かく、あった。


感謝の道が——細く、確かに、あった。


刻まれたものたちが——全部、静かに、あった。


シアが、空間を、静かに、探った。


「……見える」とシアが言った。「四本の道が——見える。揃いの道と——重い道と——速い道と——感謝の道。全部——ある。深い。これ以上深くならない——深さで、ある。それと——もう一つ」


シアが——少し、間を、置いた。


「……もう一つ——か」とジンが言った。


「……うん」とシアが言った。「四本の道の——上に、何かが、乗ってる。昨日から——乗ってる。記録が——乗ってる。刻まれたものたちが、乗ってる。向き合ったことが、乗ってる。名前が、乗ってる。「今」が、乗ってる。時間が、乗ってる。返礼が、乗ってる。全部が——四本の上に、乗ってる。重くなってる——じゃない。でも——確かに、乗ってる。ジンが歩き出す時——この乗ってるものが、ジンと一緒に行く。道には残る。でも——ジンの中にも、行く。そういう見え方だ」


「道には残って——ジンの中にも、行く、か」とジンが言った。


「……うん」とシアが言った。「両方に、ある。道の上に残った記録と——ジンの中に行く記録と。同じものが——両方に、ある。それが——「知られていた」ということだ。知った方も知られた方も——同じものを持つ。そういう見え方だ」


―――


ジンが——立ち上がった。


荷物を——整えた。


一行が——静かに、ジンの後ろに、並んだ。


ジンが——場所の、中心に向かって、歩いた。


最後に——もう一度、地面に、手を、当てた。


「……行く」とジンが、場所に向かって、静かに、言った。「行くことを——告げる。刻まれたものたちに——告げる。向き合ったことに、告げる。名前に、告げる。「今」に、告げる。時間に、告げる。返礼に、告げる。感謝の道に、告げる。全部に——行く、と告げる。消えない。全部——消えない。ここに——ある。ここに——残る。俺の中にも——行く。両方に——ある。それでいい。それが——全部だ」


地面から——返事は、なかった。


でも——感謝の道が、細く、静かに、揺れた。


ルルが、息を、止めた。


「……揺れた」とルルが言った。「感謝の道が——揺れた。受け取った。「行く」を——受け取った。刻まれたものたちが——受け取った。「知られていた」になった。「知られていた」が——今、なった。においが——変わった。刻まれたものたちの——においが、変わった。ジンが告げたから——変わった。知られていたものに——なったから、変わった。そういうにおいだ」


―――


ジンが——立ち上がった。


地面から——手を、離した。


前を——向いた。


一行が——ジンの後ろで、静かに、並んでいた。


ジンが——一度だけ、後ろを、向いた。


場所が——静かに、そこに、あった。


揃いの道が——あった。


重い道が——あった。


速い道が——あった。


感謝の道が——あった。


真ん中の糸が——あった。


刻まれたものたちが——全部、あった。


向こうの二つが——そこに、いた。


温かく——そこに、いた。


「……行く」とジンが、もう一度、小さく、言った。


場所が——静かに、あった。


でも——


引き止めなかった。


行っていい——と、あった。


ジンが——前を向いた。


歩き始めた。


―――


五本目の糸が——大きく、温かく、穏やかに、揺れた。


ルルが、息を、止めた。


「……アルトが——揺れてる」とルルが言った。「台地から——大きく、温かく、揺れてる。ジンが歩き出したのを——感じてる。場所が送り出したのを——感じてる。感謝の道が揺れたのを——感じてる。自分の時を——思い出してる。自分も——ノアが歩き出してくれた。足で——答えてくれた。向こうの二つのために——ジンも、歩き出した。同じだ——って揺れてる。知ってた——って揺れてる。歩き出したことが——次の重さになる。それを——知ってる。それと——もう一つ。一緒に行く——揺れ方だ。台地の風として——一緒に行く、揺れ方だ。見送るんじゃない。一緒に——行く。そういう揺れ方だ」


「アルト——」とノアが、空に向かって、静かに、言った。「見えてるか。歩き出した。場所を——離れた。刻まれたものたちに——告げた。「知られていた」が——できた。それから、歩いた。お前が台地で見送ってくれたみたいに——場所も、見送ってくれた。よかった。本当に——よかった。一緒に——行こう」


五本目の糸が——穏やかに、温かく、歩く一行の、傍らを、包んでいた。


―――


しばらく——歩いた。


山の方を——離れた。


場所が——遠くなった。


遠くなっても——消えなかった。


遠くなっても——あった。


ジンが——歩きながら、揃いを、感じた。


「……ある」とジンが、小さく、言った。「揃いが——ある。傍らにある。歩いてる——傍らにある。仕事がなくても——ある。仕事がなくても、傍らにある——揃いが。前を——向いてる。俺と同じ方を——向いてる。一緒に——歩いてる感触だ。これまでとは——違う感触だ。揃いに従って歩いてたんじゃない。一緒に——歩いてる。そういう感触だ」


ルルが、鼻先を、前に向けた。


「……においが——した。揃いのにおいだ。傍らにある——揃いのにおいだ。歩いてる——においだ。揃いが歩いてる。ジンと——一緒に歩いてる。揃いが何かを——感じ始めてる。まだ——形じゃない。でも——感じ始めてる。傍らにある揃いが——何かを、感じてる。そういうにおいだ。遠い。まだ——遠い。微かに——ある。そういうにおいだ」


「何かを——感じてる、か」とジンが言った。


「……うん」とルルが言った。「感じてる。まだ——わからない。形がない。でも——揃いが、前の方で、何かを、感じてる。傍らにあるから——一緒に感じられる。揃いが感じてるものを——ジンも、感じ始めてる。そういうにおいだ。遠い。まだ——遠い。でも——ある。そういうにおいだ」


―――


シアが、空間を、静かに、探った。


「……見える」とシアが言った。「揃いの糸が——ある。傍らにある——揃いの糸が。細い。これまでより——細い。仕事がないから——細い。でも——切れてない。傍らにあって——切れてない。それと——もう一つ」


シアが——少し、間を、置いた。


「……もう一つ——か」とジンが言った。


「……うん」とシアが言った。「揃いの糸の先に——何かが、ある。見えてるわけじゃない。でも——糸の先が、何かに向かってる。向かってる——形だ。まだ形じゃない。でも——向かってる。揃いが——何かの方を、向き始めてる。傍らにある揃いが——次の声の方を、向き始めてる。そういう見え方だ」


「次の声——か」とジンが言った。


「……うん」とシアが言った。「次の声だ。揃いが——感じてる。傍らにある揃いが、先に感じてる。道じゃないのに——感じてる。仕事がないのに——感じてる。揃いは仕事がなくても——感じることは、できる。傍らにいるから——感じる。傍らにいるまま——感じてる。そういう見え方だ」


―――


カインが——写しを、静かに、折り畳んだ。


「……記録には——こうあります」とカインが言った。「『揃いが傍らにある者が歩き出した後、揃いは最初の声を感じ始める。この声は、これまでジンが聞いてきた声とは、一点だけ異なる。これまでの声は——止まっていた。揃いが傍らにある者が次に聞く声は——止まっていない。止まっていない声を、傍らにある揃いと共に聞く。これが、揃いが傍らにある者だけが持てる、最初の仕事だ』とあります」


「止まっていない——声、か」とジンが、静かに、言った。


「……そうです」とカインが言った。「これまでは、止まった声を聞いてきました。止まっていたから——留まって、受け取った。でも次は——止まっていない声です。止まっていない声は、来ては行く。ただ——揃いが傍らにあれば、来た時に感じられる。傍らにある揃いが、先に感じて、ジンに知らせる。その形が——次の聞き方です。そういう記録です」


「止まっていない声を——聞く、か」とノアが、静かに、繰り返した。


「……そうです」とカインが言った。「揃いの旅が終わりました。でも——揃いが傍らにある旅が、始まりました。これまでの旅と、根本から、違います。これが——第七章の始まりです。そういう記録です」


―――


夕暮れが——近かった。


野営の場所を——選んだ。


火が——穏やかに、揺れた。


揃いが——傍らに、静かに、あった。


ジンが——地面に、手を、当てた。


「……ある」とジンが、小さく、言った。「揃いが——ある。傍らにある。歩いた——傍らにある。場所から——離れた。刻まれたものたちは——向こうにある。でも——俺の中にも、ある。「知られていた」が——俺の中に、ある。その重さが——足の下にある。歩くたびに——重さが、ある。遅くない。でも——確かに、ある。これが——最初の重さだ。揃いが教えてくれた重さだ。そういう感触だ」


ルルが、鼻先を、前に向けた。


「……においが——した。歩いた一日の——においだ。場所を離れた——においだ。「行く」を告げた——においだ。揃いが傍らにある——においだ。揃いが何かを感じ始めてる——においだ。全部が——今日の、においだ。遠い——においが、少し、ある。まだ形じゃない。でも——ある。揃いが感じてる——遠いにおいが、少し、ある。明日も——歩けば、近くなる。揃いが傍らにあるから——近くなる。そういうにおいだ」


「近くなる——か」とジンが、静かに、言った。


「……うん」とルルが言った。「近くなる。歩くたびに——近くなる。揃いが傍らにあるから——感じられる。揃いが道じゃなくても——感じられる。傍らにあるから——感じられる。一人じゃないから——感じられる。そういうにおいだ。今日は——いい日だった。そういうにおいだ」


―――


エリナが、手帳を、開いた。


ペンを、走らせた。


今日のこと——朝、ジンが「揃いが前を向いてる、一緒に前を向いてる」と言ったこと、ルルが「場所が送り出す方を向いてる、揃いと場所が同じ方を向いてる」と言ったこと、カインが「記憶は共に行く、刻まれたものたちが知られていた事実になる、それが最初の重さになる」という記録を読み上げたこと、セレクが「一度だけ振り返って告げる、告げたものが知られていたものになる」という記録を示したこと、シアが「刻まれたものたちが道の上に乗ってジンの中にも行く、同じものが両方にある」と言ったこと、ジンが場所に「行く」と告げたこと、感謝の道が揺れたこと、ジンが一度後ろを向いて、それから歩き出したこと、アルトが「一緒に行く」という揺れを見せたこと、歩きながら揃いが何かを感じ始めていること、カインが「止まっていない声を聞く、それが次の聞き方だ」という記録を示したこと。すべてを、書いた。


書き終えて、ペンを止めた。


それから——もう一行、追加した。


『今日、歩き出しました。場所を離れました。ジンが「行く」と告げた時、感謝の道が揺れました。私はその揺れを見ながら、告げることと、刻まれることの関係について考えました。刻まれたものたちは、告げられることで「知られていた」ものになる。知られていたものは——消えない。ジンが告げたから、あの場所に刻まれたものたちは消えない。その順番が、今日の全部だったと思います。今日一番、深く残っているのは、ジンが一度後ろを向いた瞬間のことです。振り返った。場所を見た。それから——前を向いた。カインが「記憶は共に行く」と言いました。私は振り返るジンを見ながら、振り返ることは弱さじゃないと改めて思いました。振り返ることで、「知られていた」ができる。振り返らなければ、刻まれたものたちは「知られていた」にならない。知ることが、知られた側を守る。その事実が、今日の私には最も重かったです。それから——歩きながら、揃いが何かを感じ始めているという話がありました。傍らにある揃いが、次の声を感じ始めてる。これまでとは違う、止まっていない声の話。私はその話を書きながら、これまでの旅が全部変わったのだと思いました。留まることが仕事だった旅が、歩くことで感じる旅になった。揃いが道だった旅が、揃いが傍らにある旅になった。同じ揃いで、同じジンで——でも、根本から、違う。今日はその始まりの日でした。エリナ・フォルス談。自分で書いておく』


火が——穏やかに、揺れた。


揃いが——傍らに、静かに、あった。


場所の記憶が——ジンの中に、あった。


「知られていた」が——そこに、あった。


遠い何かを——揃いが、感じ始めていた。


ルルは、それを確かめて、眠った。


―――


ジンは——地面に、もう一度、手を、当てた。


地面を——通して。


「……歩いた。場所から——離れた。「行く」と——告げた。刻まれたものたちに——告げた。感謝の道が——揺れた。受け取ってくれた。「知られていた」が——できた。それから、歩いた。揃いが——一緒に来た。傍らに——来た。一緒に——前を向いた。揃いが何かを——感じてる。まだ形じゃない。でも——ある。遠い——何かが、ある。止まっていない——声が、ある。揃いが傍らにあるから——感じられる。一人じゃないから——感じられる。明日も——歩く。揃いと——一緒に歩く。傍らにある揃いと——一緒に、歩く。それだけだ。ありがとう。場所に——ありがとう。向こうの二つに——ありがとう。刻まれたものたちに——ありがとう。揃いに——ありがとう。傍らにいてくれて——ありがとう。これからも——ありがとう」


地面から——返事は、なかった。


でも——揃いが、そこに、あった。


傍らに——あった。


軽くて、温かな——揃いが。


仕事を終えて。


傍らに——前を向いて、あった。


「知られていた」という記憶が、あった。


最初の重さが、あった。


遠い何かの気配が、あった。


揃いが感じ始めた、その先が——穏やかに、あった。


暖炉の火が——穏やかに、揺れた。


野営地の風が——静かに、あった。


アルトが——見ていた。


一緒に行く——という顔で、見ていた。


台地の風として——一緒に歩いていた。


夜が——深くなった。


揃いが傍らにある、最初の夜が。


穏やかに——深くなった。


―――


― 第109話・了 ―


―――


次話予告:


二日目の朝、一行は野営地で目を覚ます。揃いが——傍らに、静かに、前を向いている。ルルが鼻先を向ける。「……においが——した。近くなってる。昨日より——近くなってる。揃いが感じてたもの——近くなってる。でも、形じゃない。形になってない。揃いが感じてるのに——形がない。止まってない声って——そういうものなのかもしれない。来ては行く。でも——揃いが傍らにあるから、来た時に感じられる。そういうにおいだ」。カインが写しを開く。「記録には——『止まっていない声は、形を持たない。形を持たないまま、来ては行く。揃いが傍らにある者は、来た瞬間だけ、それを感じる。感じた瞬間に——揃いが動く。揃いが動いた方向が、次に向かうべき方角になる。揃いを見るのではなく、揃いが動いた後の静けさを——感じる』とあります」。ジンが地面に手を当てながら、揃いを感じる。「……来たら——感じる。感じたら——揃いを見る。揃いが向いた方に——歩く。それだけだ」。五本目の糸が——穏やかに、温かく、確かに、一行の傍らを、しっかりと、包んでいる。

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