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無詠唱の魔王  作者: Dちゃん
第六章「二つで一組の話」

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第103話「山が、近い、というルルの声と、輪郭が、来た、というシアの声と、何者か、というジンの声と、山へ向かう道」

朝が、来た。


山への道の朝は——静かだった。


でも——


昨日と、違った。


何かが——また、変わっていた。


昨日は、山の向こうを特定した夜だった。


今日は——


山が、近くなっていた。


揃いが——昨日より、強く、山の向こうを向いていた。


それだけで、十分だった。


―――


ジンが、目を覚ました。


すぐに——地面の方角に、手を、向けた。


地面を——通して、聞いた。


何かが——あった。


昨日とは——また、違った。


昨日は——「揃いが山の向こうを指している」という感触だった。


でも今日は——


「揃いが指している先に、何かの輪郭がある」という感触だった。


「……輪郭が——来た」とジンが、小さく、言った。「昨日は——形がなかった。今日は——少し、ある。何かが——いる。何者かが——いる。遠い。でも——いる。揃いが強くなってるから——見えてきた。そういう感触だ」


地面の奥から——返事は、なかった。


でも——何かが、そこに、あった。


揃いの重さと速さと静けさの、さらに向こうに——


何者かの輪郭が、薄く、あった。


―――


ルルが、目を覚ました。


すぐに——鼻を、向けた。


後ろ——集落の方角。遠くなっていた。でも、揃いのにおいは——まだ、ある。


前——山の方角。


ルルが、息を、止めた。


「……においが——した」とルルが言った。「山が——近い。昨日より——ずっと、近い。歩いてるから——近い。揃いのにおいが——また、強くなってきてる。でも——それだけじゃない。揃いの向こうに——また、においが、した。昨日は薄かった。今日は——少し、濃い。昨日とは——また、違うにおいだ。形が——ある。昨日は形がなかった。今日は——少し、形がある。何者かの——においだ。誰か——いる。遠い。でも——いる。そういうにおいだ」


ジンが——少し、間を置いた。


「……何者か——いるか」とジンが言った。


「……うん」とルルが言った。「いる。揃いの向こうに——いる。揃いとは——また、違うにおいだ。揃いは知ってる。でも、向こうのにおいは——知らない。これまでに——嗅いだことのない、においだ。でも——いる。何者か——いる。そういうにおいだ」


「昨日とは——また、違う、か」とジンが、低く、言った。


「……うん」とルルが言った。「昨日は——形がなかった。今日は——少し、形がある。山が近くなるほど——形が出てきてる。近づいてるから——形が出てきてる。揃いの確信が強くなってるから——形が出てきてる。そういうにおいだ」


―――


カインが、写しを、広げた。


「……記録には——こうあります」とカインが言った。「『揃いの確信が場所に達した後、聞き手が場所に近づくほど揃いの確信はさらに強まる。揃いを通して届く次の声は、距離が縮まるにつれて初めて「何者か」の輪郭を帯びてくる。輪郭が来た時——驚かない。受け取る。それが、揃いを持って近づく者への、次の声からの最初の挨拶だ』とあります」


全員が——カインを、見た。


「……続きには——こうあります」とカインが言った。「『輪郭とは、声の形ではない。声が来る前の——声の主の形だ。名前でも言葉でも重さでもない。ただ——何者かが、そこにいる、という形だ。輪郭を受け取ることは、声を受け取ることではない。声の主を——先に知ること、だ。先に知ることで、声はより届きやすくなる』とあります」


しばらく——誰も、何も、言わなかった。


「輪郭を——受け取る、か」とジンが、低く、繰り返した。「何者かが——いる。その形を——先に受け取る。声が来る前に——形だけ、受け取る」


「……そうです」とカインが言った。「声よりも先に、主が来る。順番が——これまでと違います。これまでは、声を聞いてから主を知った。でも揃いの後は——主の輪郭が先に来て、声がその後に続く。声が来る前に主を知っているから——声は迷わず届く。そういう記録です」


「声より——形が先、か」とノアが、静かに、言った。


「……そうです」とカインが言った。「揃いを通してだから——できることです。揃いの前には、輪郭は来ない。揃いの後だから——形が先に届く。揃いの贈り物の続きです」


―――


セレクが、静かに、口を、開いた。


「……教会の記録に——こうあります」とセレクが言った。「『輪郭を受け取った聞き手は、次の声の主が何者であるかを問うことができる。問うとは、言葉で聞くことではない。揃いを通して——ただ、向く、ことだ。向いた時、輪郭は揺れる。揺れ方が——答えだ。揺れ方を受け取ることで、聞き手は声が来る前に主を知り始める。焦って言葉を引き出そうとしてはいけない。輪郭は言葉を持たない。揺れだけを持つ。揺れを——受け取る』とあります」


「揺れを——受け取る、か」とジンが言った。


「……そうです」とセレクが言った。「揺れ方は、その者がどんな者かを教えてくれます。重い揺れ方をするのか、速い揺れ方をするのか、静かな揺れ方をするのか。揺れ方を受け取ることで、声が届いた時に聞き手は驚かずに済む。準備ができている状態で——声を迎えられる。そういう記録です」


「……わかった」とジンが、低く、言った。「輪郭を——受け取る。揺れを——受け取る。驚かない」


「……はい」とセレクが言った。「ただ——一つだけ、覚えておくことがあります」


「一つ——か」とジンが言った。


「……輪郭が来た時、揃いは一度だけ、大きく揺れます」とセレクが言った。「揃いそのものが——主の輪郭を感じて、揺れる。その揺れは、揃いが『知った』という合図です。揃いが知ったということは——主と揃いの間に、初めての繋がりが生まれた、ということです。その繋がりが——声を呼び込む最後の道になる。そういう記録です」


―――


一行は——山へ向かって、歩いた。


道が——上りになっていた。


木が——多かった。


空気が——変わっていた。


昨日と——また、違った。


ジンが——揃いを、感じながら、歩いた。


「……ある」とジンが、小さく、言った。「輪郭が——ある。歩くたびに——少しずつ、濃くなってきてる。形が——出てきてる。何者かが——いる。重いのか速いのか静かなのか——まだ、わからない。底も——いる。確かに——いる。そういう感触だ」


ルルが、鼻先を、山の方角に向けた。


「……においが——してる。ずっと——においがしてる。歩いてる間——ずっと。揃いのにおいと、向こうのにおいが——一緒に来てる。向こうのにおいが——昨日より、濃い。だいぶ——濃い。歩いた分——濃くなってる。形が——出てきてる。重くも速くも静かでも——ない。違う。これまでのにおいとは——また、違う。でも——ある。ちゃんと——ある。そういうにおいだ」


「重くも速くも静かでもない——か」とジンが言った。


「……うん」とルルが言った。「全部——違う。揃いの重さとも違う。揃いの速さとも違う。揃いの静けさとも違う。揃いとは——全部、違うにおいだ。でも——揃いの向こうにいる。揃いが繋がったから——嗅げる、においだ。揃いとは違う。でも、揃いがないと——嗅げなかった。そういうにおいだ」


―――


シアが、空間を、静かに、探った。


「……見えてきた」とシアが言った。「揃いの道の先に——形が、見えてきた。昨日とは——また、違う。昨日は薄かった。今日は——輪郭がある。はっきりした輪郭じゃない。でも——輪郭だ。形がある。何者か——いる。遠い。でも——いる。揃いが強くなってるから——見えてきた。揃いの光が届いてる先に——輪郭がある。そういう見え方だ」


「輪郭が——見えてきた,か」とジンが言った。


「……うん」とシアが言った。「見えてきた。重い糸とも違う。速い糸とも違う。古い糸とも違う。これまで——見たことのない糸だ。糸というか——輪郭だ。まだ糸になってない。なる前の——輪郭だ。でも、ある。揃いの光が届いてる先に——ある。そういう見え方だ」


ジンが——揃いを、静かに、向けた。


「……向く」とジンが、小さく、言った。「揃いを通して——向く。言葉で聞くんじゃない。ただ——向く。揺れを——受け取る」


―――


揃いが——一度、大きく、揺れた。


ルルが、息を、止めた。


「……揺れた」とルルが言った。「揃いが——揺れた。大きく——揺れた。揃いが——知った。向こうにいる何者かを——揃いが、知った。揃いが知ったから——揺れた。そういうにおいだ。揃いの揺れの向こうに——また、においが、した。違うにおいだ。揃いとは——全部、違うにおいだ。でも——揃いが知ったから、においが、した。揃いと——繋がった。初めての繋がりが——生まれた。そういうにおいだ」


「揃いが——知った、か」とジンが言った。


「……うん」とルルが言った。「知った。揃いと——向こうの何者かの間に、初めての繋がりが生まれた。繋がったから——においが来た。揃いを通して——においが来た。揃いが知ったから——においが届いた。そういうにおいだ」


シアが、空間を、急いで、探った。


「……変わった」とシアが言った。「揃いが揺れた後に——輪郭が、変わった。さっきまでより——はっきりしてきた。揃いが知ったから——輪郭がはっきりしてきた。形が——出てきた。まだ糸じゃない。でも——輪郭だ。はっきりした輪郭だ。何者か——確かに、いる。揃いの向こうに——確かに、いる。そういう見え方だ」


―――


五本目の糸が——穏やかに、大きく、山の方角を向いた。


ルルが、息を、止めた。


「……アルトが——揺れてる」とルルが言った。「台地から——大きく、揺れてる。揃いが揺れたのを——感じてる。揃いが向こうの何者かを知ったのを——感じてる。自分の時を——思い出してる。自分は——ノアが来るのを待ってた。向こうにいる何者かも——誰かを待ってるかもしれない。そういうことを——感じてる。静かで——でも、前のめりな揺れ方だ。誰だろう——って揺れ方だ。早く会いたい——って揺れ方だ」


「アルト——」とノアが、空に向かって、静かに、言った。「見えてるか。揃いが——知った。向こうにいる何者かを、揃いが——知った。輪郭が来てる。揺れを——受け取ってる。もうすぐ——わかる」


五本目の糸が——穏やかに、ジンたちの前方を、しっかりと、向いたまま、あった。


―――


昼が——来た。


一行は——道の途中の、開けた場所で、立ち止まった。


山が——大きく、見えた。


昨日より——ずっと、近かった。


ジンが——地面に、手を、当てた。


「……ある」とジンが、小さく、言った。「揃いが——ある。確信が——ある。輪郭も——ある。揺れも——受け取った。朝より——全部、強くなってる。歩いた分——全部、強くなってる。向こうの何者かが——何者なのか。まだ、わからない。でも——揺れは受け取った。揺れを——受け取ってる」


カインが——写しを、手に取った。


「……記録には——こうあります」とカインが言った。「『輪郭の揺れを受け取り続けると、聞き手はやがて揺れの「向き」を感じるようになる。向きとは、輪郭が誰に、あるいは何に向いているかだ。輪郭が向いている先を知ること——それが、声の主を知る最後の一歩となる。向きを知った時、聞き手は声が来る前にすでに主と向き合っている』とあります」


「揺れの——向き、か」とジンが言った。


「……そうです」とカインが言った。「輪郭は、ただそこにいるだけではなく、何かに向いている。向いている先がわかれば——その者が何を待っているのか、何を求めているのかが、声が来る前にわかる。声を受け取る前に——主のことを知っている。それが揃いを持つ者だけの聴き方です」


「まだ——向きは、わからないな」とジンが、山を見ながら、言った。


「……うん」とルルが言った。「まだ。でも——山を越えたら、わかると思う。近くなれば——わかる。揃いの確信が強くなれば——わかる。そういうにおいだ」


―――


午後が——来た。


一行は——また、歩いた。


山が——もっと、近くなっていた。


道が——急になっていた。


木の間から——空が、見えた。


ジンが——揃いを、感じながら、歩いた。


「……揺れが——また、変わった」とジンが、小さく、言った。「向きが——少し、見えてきた。何かに——向いてる。誰かに——向いてる。重い方角でも速い方角でも静かな方角でも——ない。揃いの方角——こっちを向いてる。揃いを——向いてる。揃いが来たから——揃いを向いてる。そういう感触だ」


ルルが、息を、止めた。


「……においが——した。揺れの向きが——見えてきた。揃いを——向いてる。向こうの何者かが——揃いを向いてる。揃いが来たから——揃いを向いてる。待ってた。揃いを——待ってた。揃いが繋がったから——向けるようになった。揃いが繋がる前は——向けなかった。揃いが繋がったから——ようやく向けた。そういうにおいだ」


「揃いを——待ってた、か」とジンが、低く、言った。


「……うん」とルルが言った。「待ってた。揃いを——待ってた。揃いが来るのを——ずっと、待ってた。揃いが来たから——向けた。向けたから——においが、した。長い時間——待ってた。そういうにおいだ」


「長い時間——か」とジンが、静かに、言った。


「……うん」とルルが言った。「長い。すごく——長い。揃いより——古い。揃いが繋がる前から——待ってた。揃いが繋がるのを——ずっと、待ってた。揃いがないと——向けなかったから、待ってた。そういうにおいだ」


―――


シアが、空間を、静かに、探った。


「……また、変わってきた」とシアが言った。「輪郭の向きが——見えてきた。こっちを——向いてる。揃いを——向いてる。はっきり——こっちを向いてる。輪郭の向きが、わかった。こっちだ。揃いを——待ってた者が、こっちを向いてる。そういう見え方だ。それと——もう一つ」


シアが——少し、間を、置いた。


「……もう一つ——か」とジンが言った。


「……うん」とシアが言った。「輪郭の——近くに、また別の輪郭が、ある。薄い。すごく——薄い。でも——ある。一つじゃない。二つ——ある。揃いを向いてる輪郭の、近くに——もう一つ、薄い輪郭がある。繋がってる。繋がってるけど——別だ。二つが——一緒にいる。そういう見え方だ」


全員が——シアを、見た。


「二つ——か」とジンが、静かに、言った。


「……うん」とシアが言った。「二つ。一緒に——いる。揃いを向いてるのは——一つだ。でも、その隣に——もう一つある。薄い。でも——ある。二つで——いる。そういう見え方だ」


―――


カインが——写しを、静かに、折り畳んだ。


「……記録には——こうあります」とカインが言った。「『揃いを待っていた者は、一人ではないことが多い。揃いを待つとは——揃いが来るまで、共に待つ、ということだ。一人で待つには——あまりに長い時間だからだ。揃いを待つ者の隣には、常に、もう一つの輪郭がある。その二つで一組が——揃いの次の仕事だ』とあります」


しばらく——誰も、何も、言わなかった。


「二つで——一組、か」とノアが、静かに、言った。


「……そうです」とカインが言った。「揃いの向こうにいる者は——また、二つで一組です。でも——これまでの集落で出会ってきた二つで一組とは、違います。これは——揃いを待っていた一組です。揃いが来るから——ここにいた一組です。揃いが繋がったから——初めて向けた一組です。揃いの贈り物の——本体です。そういう記録です」


「揃いの贈り物の——本体、か」とジンが、低く、言った。


「……そうです」とカインが言った。「揃いが繋がったことで見えてきた——次の声。その声の主は、揃いを長い時間待っていた、二つで一組の存在です。揃いが来るのを——一緒に待っていた。一緒に待ったから——今日まで、いられた。そういう記録です」


―――


夕暮れが——近かった。


山が——目の前に、あった。


今日中には——越えられなかった。


一行は——山の麓の、木々の中に、場所を、決めた。


ジンが——地面に、手を、当てた。


「……ある」とジンが、小さく、言った。「輪郭が——ある。二つとも——ある。向きも——わかった。揃いを——向いてる。長い時間——揃いを待ってた。一緒に——待ってた。二つで——一組だ。山の向こうに——二つで一組の者が、待ってる。揃いが来るのを——ずっと、待ってた。来た。揃いが——来た。届いてる。届いてるから——向いてる。そういう感触だ」


ルルが、鼻先を、山の向こうに向けた。


「……においが——した。二つとも——においが、した。一つは——揃いを向いてる、はっきりしたにおいだ。もう一つは——薄い。でも、ある。二つで——一緒にいる。一緒にいるから——においが、混ざってる。混ざってるけど——別だ。二つが——一緒にいる。長い時間——一緒に待ってた。そういうにおいだ。揃いが来たから——においが、した。揃いが来る前は——においがしなかったかもしれない。揃いが来たから——においが届いた。そういうにおいだ」


「長い時間——一緒に待ってた、か」とジンが言った。


「……うん」とルルが言った。「長い。すごく——長い。でも——一人じゃなかった。二つで——一緒に待ってた。だから——今日まで、いられた。一人だったら——消えてたかもしれない。二つで待ってたから——いられた。そういうにおいだ」


「二つで——いられた、か」とノアが、静かに、言った。


「……うん」とルルが言った。「二つで——いられた。一緒にいたから——いられた。揃いを待ちながら——一緒に、いられた。そういうにおいだ」


―――


シアが、空間を、静かに、探った。


「……また,変わってきた」とシアが言った。「二つの輪郭が——また、はっきりしてきた。山が近いから——はっきりしてきた。揃いの確信が強いから——はっきりしてきた。一つは——はっきり、揃いを向いてる。もう一つも——こっちを向き始めてる。さっきまでは薄かった。今は——少し、濃い。二つとも——こっちを向いてきてる。揃いが来たから——二つとも、向いてきてる。そういう見え方だ。明日、山を越えたら——もっとはっきりする。そういう見え方だ」


「明日——越える」とジンが、静かに、言った。


「……うん」とシアが言った。「明日。越えたら——もっとはっきりする。二つの輪郭が——もっとはっきりする。揺れの向きも——もっとわかる。声が来る前の——最後の準備ができる。そういう見え方だ」


―――


五本目の糸が——大きく、穏やかに、山の向こうを、向いた。


ルルが、息を、止めた。


「……アルトが——揺れてる」とルルが言った。「台地から——大きく、揺れてる。二つの輪郭が——向いてきてるのを、感じてる。揃いを待っていた者が——二つで一組だったと知って、感じてる。自分とノアを——思い出してる。自分たちも——二つで一組だった。400年——一組だった。向こうの二つも——長い時間、一組で待ってた。同じだ——って、揺れ方だ。知ってる——って、揺れ方だ。会いに行けない自分の代わりに——ジンたちが会いに行ってくれる。そういう揺れ方だ。大きい——揺れ方だ。全部を——任せた、って揺れ方だ」


「アルト——」とノアが、空に向かって、静かに、言った。「見てたか。二つで一組だ。向こうも——二つで一組だった。揃いを——一緒に待ってた。お前と私みたいに——一緒に、待ってた。明日——山を越える。会いに——行く」


五本目の糸が——穏やかに、確かに、山の向こうを向いたまま、強く、あった。


―――


エリナが、手帳を、開いた。


ペンを、走らせた。


今日のこと——朝,ルルが「形がある、何者かいる」と言ったこと、カインが「輪郭は声の主の形だ、先に形を知ることで声は迷わず届く」という記録を読み上げたこと、セレクが「揺れを受け取る、揺れ方が答えだ」という記録を示したこと、揃いが大きく揺れて輪郭と初めての繋がりが生まれたこと、ルルが「揺れの向きがわかった、揃いを待ってた」と言ったこと、シアが「二つの輪郭がある、二つで一緒にいる」と言ったこと、カインが「揃いを待つ者は一人ではない、揃いの贈り物の本体だ」という記録を示したこと、ノアが「二つで——いられた」と繰り返したこと、アルトが「全部を任せた」という揺れを見せたこと。すべてを、書いた。


書き終えて、ペンを止めた。


それから——もう一行、追加した。


『今日、輪郭が来ました。揃いが揺れて、向こうにいる何者かと揃いの間に、初めての繋がりが生まれました。私はその瞬間を書きながら、揃いというものが道であり羅針盤であり、今日は初めて「呼びかける者」にもなったのだと思いました。揃いが向こうの輪郭を知って、向こうの輪郭が揃いを知った。声が来る前に、すでに出会っていた。そういう出会いでした。そして今日一番驚いたのは、輪郭が二つあったことです。カインは「揃いを待つには長すぎる時間だから、二つで待つ」と言いました。私はその言葉を書きながら、ノアとアルトのことを思いました。ノアとアルトも、400年——二つで一組でした。向こうの二つも、同じように、長い時間を二つで待っていた。待てたのは、二つでいたからだ。一人では待てなかった。二つだから、待てた。そういうことが、今日一番、深く残っています。揃いの次の仕事は、また二つで一組の救済です。でも今度は——揃いを待っていた一組です。これまでの集落で出会ってきた一組とは、また、違う。何が違うのか。明日、山を越えたら——わかるかもしれません。エリナ・フォルス談。自分で書いておく』


山の麓は——静かだった。


でも——


何かが、そこに、あった。


揃いの確信が——山の向こうを指したまま、強く、あった。


揃いを待っていた二つの輪郭が——こちらを向き始めていた。


穏やかに——そこに、あった。


明日——山を越えれば、もっとはっきりする。


ルルは、それを確かめて、眠った。


―――


ジンは——地面に、もう一度、手を、当てた。


地面を——通して。


「……輪郭が——ある。二つとも——ある。揃いを——向いてる。長い時間——一緒に待ってた。届いてる。揃いが——届いてる。届いたから——向いてきてる。明日——山を越える。会いに——行く。揃いが連れていってくれる。二つが——揃いを待ってたなら、揃いが——連れていく。揃いに——任せる。お前が指してくれるなら——行く」


地面から——返事は、なかった。


でも——揃いが、そこに、あった。


重くて、速くて、静かな——揃いが。


山の向こうを、指したまま。


穏やかに——そこに、あった。


目の前に——山が、あった。


その向こうに——二つの輪郭が、あった。


揃いを——待ち続けた、二つが。


暖炉の火が——穏やかに、揺れた。


山の外の風が——遠く、あった。


アルトが——見ていた。


一行の背を——押していた。


夜が——深くなった。


揃いが二つの輪郭を知った夜が。


穏やかに——深くなった。


―――


― 第103話・了 ―


―――


次話予告:


翌朝、一行は山を越え始める。ルルが鼻先を向ける。「……においが——した。越えるたびに——近くなってる。二つとも——近くなってきてる。一つは——はっきり来てる。もう一つは——まだ薄い。でも、ある。薄いけど——ある。薄い方が——揃いを待ってた時間、長かったかもしれない。そういうにおいだ。早く——届けたい。そういうにおいだ」。カインが写しを開く。「記録には——『揃いを待っていた一組に近づく時、揃いの確信は最大値に達する。その時、揃いは一度だけ全方角を向く。全方角を向いた揃いは、聞き手に「受け取る準備ができた」ことを告げる合図だ。その合図が来た後——聞き手はただ、向こうを向く。向くだけでよい。声は——揃いを通して、自ら来る』とあります」。ジンが山頂を越えながら、前を向く。「……揃いに——任せる。来てくれるなら——受け取る」。五本目の糸が——穏やかに、確かに、山の向こうへと、強く、伸びる。

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