9 デキン放流
「それは、ならんよ」
一度は死んだ神だと言っていた。それをわたしが無意識のうちに境内を清めて居座って、安心感という名の信仰を向けていたからまた姿を現すことができたのだろう。
ならば、その唯一の信仰者のわたしがいなくなったら?きっとこの水神様はそれこそ水のように空気に溶けて消えていくのだろう。神様だってわかっている。だからここから離れるのは、神様に会えなくなるのは嫌なんだけどな。肝心の本人がな、頑固だからなもう。どうやって説得したらいいんだ。
「お前さん、今度は儂にまで面を被る気か。それは許さん。儂はもう死んだ身だと言ったじゃろう。死骸に泣きつくのはもう止めよ。せっかく己を見出したのに、また殺し直してどうする。先ほどのでわかったじゃろう。今の自身の状態を自覚したままお前さんをここまで追い詰めた根源にまみえてみろ。今度こそ本当にお前さんは壊れて消えるぞ……儂のようにはなってくれるな」
「……お願い聞いてくれないんだ。今まで全部聞いてくれてたのに。それにあの二人にはもう会わないよ」
「絶対はない。脅すつもりはないが、一度結ばれた縁はそう簡単に切れん。血縁のように強固であればあるほどな。それこそ、縁切りの神に縋り代償と引き換えに断ち切るしかない。それに、願いは聞いておるじゃろう。毎回の如くな」
「へりくつ」
「お前さん、散々儂に願いを乞うておいて、儂の願いは聞いてくれんのか」
「……神様の願いは、わたしがここから出ていくことなの」
「ああ。そうだな」
「……最悪。邪神なんじゃないの……」
抵抗の意として閉口たまま尾に強くしがみつくと、また笑われた。けれど、やっぱり悲しげに見ええて、わたしの方が悲しいのに何でそんな顔してるの。どうして急に追い立てることになったのかは知らないけれど、神様が願うならそうするよ。今までずっとわたしを守って願いを聞き続けてくれた神様からの、願いなら。だって、そんなことを言われてしまえば、聞き分けるしかないじゃない。すごく嫌だし納得したかといわれれば全くしていないけれど。どうせもうここには入れてくれないようだし、大人しく追い出されるしか選択肢はないようで。わたしのためのように言っといて、理不尽を押し付けられたような気もするけれど。でも。
「神様。絶対にまた会いに来るから」
わたしの神様。わたしだけの蛇神様。貴方の言う通り、貴方が見ていてくれたわたしをわたしも見つけに行くから、それまでどうか。消えないで。
抱き着いている尾に涙が落ちて鱗が濡れていく。このとぐろの中にも、もう入れてくれないのかもな。
結局、いつも帰る時間になっても涙は止まらなくて、神様から離れることもできなかったけれど刻限だと言ってぺしりとはたかれ尾がするすると離れていく。子供の時に泣いてた時は泣き止むまで見ててくれたのに。流れる涙を拭うのもだるくてそのまま恨みがましい目で神様を見ると、思いのほか穏やかな顔で見られていた。てっきり呆れていつものように遠くを見ているのかと思ったのに。
「今になってお前さんの休息所を奪ってしまって悪かったとは思っておるよ。お前さんにとっては泣くことも必要な過程じゃろう。いくら泣いたとて構わん。急に追い出した儂を呪うのもいいかもな」
「恨みはするけど呪うほどじゃない」
「やはりお前さんいい性格をしている。いや、皮肉ではない。言葉通りの意味じゃ。だからこそ、儂も原形でいられたのであろうよ」
「原形?」
「お前さんが儂に恩を感じているように、儂もお前さんに恩を感じているということじゃな」
なんだそれは。身に覚えがなさ過ぎて顰めた顔にまた笑われた。ツボが浅すぎるだろ。まあ、蛇も壺にはよく入ってるか。入っているというか、入れられているというか。壺に入れられた蛇ってどうされるんだろう。
「道程で泣くことは多々あろう。ただでさえよく泣くしな、お前さん。けれど、いつかは自力で泣き止まなければならない。そのことをゆめ忘れるな……どうか己の思うままに生きながらえておくれ。愚かで愛しい子」
行っておいで、と聞こえたときには木々も水音もなく。
別れを言う暇もなく、わたしは気づけば周りがコンクリートでしかない夜の歩道に立っていた。やっぱり呪っておこうかな。ずっとぼたぼたと落ちる不快な水を眺めながらそう思った。




