10 ミズサキ案内人
明らかに泣いています、という顔のまま家に帰るのは憚られたがもう深夜なので仕方がない。兄弟はもう寝ているだろうし、その間に荷物まとめて神様の言っていたところに行ってみようかな。いつまで行っていればいいのだろう。神様の源流とやらを見つけたら帰ってこようかな。
ならニ、三日の旅行くらいでいいか、なんてごそごそしていたら、おかえりと後ろから声をかけられた。
「うん。ただいま。うるさかった?」
「いや?ゲームしてたから起きてた。どっか行くの?」
兄弟が私の荷づくりを見てそう尋ねる。しまった、泣き顔を見られないようにするのに必死で言い訳考えてなかった。えーと。
さっきまで泣きまくっていたために頭が上手く回らなくて言い淀んでいるうちに、何を思ったのか兄弟は待っててと言って自室へ行き手に何かをもって戻ってきた。
「はいこれ」
差し出されたのはクレジットカードで、意味が分からずとっさに顔をあげてしまった。
「息抜きの旅行でも、引っ越すでもこのお金は姉ちゃんの好きにしていいよ。じーさんとばーさんからと、その二人があの両親から徴収した金と姉ちゃんが俺にくれた分の金プラス少し、まとめて入ってるから」
なんで。何をしているのこの子は。意味が分からなくて、今まで兄弟に見せたことがなかったひどい泣き顔を晒していることにも気づかない。
「昔から姉ちゃんが無理をしてるのは知ってたよ。俺もそれに甘えてたとこあるけどさ。じーさんたちとも相談して、姉ちゃんを逃がそうって思ったんだ。ここからも。誰からも。恩の返し方としてこれしか思いつかなったのは許してほしいけど。姉ちゃん。もういいんだよ。誰も、姉ちゃんの邪魔なんてしないから。いってらっしゃい。今までずっと俺を守ってくれて、ありがとう」
わたしを見てくれてた人って神様以外にもいたのか。もしかしたら、わたしの方が弟をちゃんと見ていなかったのかもしれないな。こんなものいつの間に用意してたの。そういえば、両親から離れるときに祖父母に根回ししていたのも弟だったっけ。
ねえ。神様。
いたよ。灯台下暗しなんて比じゃないくらい近くにいた子が、わたしを見ていてくれた。
このことを一番に伝えたい人にもう会えない痛みと、思いがけない弟からの気遣いに視界がぶれる。神様の前で枯らしたと思っていた水分が自分の中から溢れそうなのを感じて、必死に押しとどめようとしたがひりつく喉が嗚咽と共に呼吸を欲した。呼吸をするたびに不快でしかない水滴が頬を伝っていくのが煩わしくて仕方がない。せめてもの意地で顔を伏せたけれど弟の介の前で本気で泣くという恥をさらしてしまった。姉の体裁もあったものでは無いけれど、介は何かほっとした顔してるしいいか。と思ったら、今からじーさんたちに通話繋げるとかほざきだしたから一発入れといた。
時計見て。せめて明日にしろ阿保。
「どうせ別バージョンで遊ぶから、セットパック予約していい?設定資料集ついてくるんだけど」
「はいはい。お好きに」
「毎作姉ちゃん寒色系選ぶでしょ。承知してっから。あ、いってらっしゃい」
「雑」
わたしとしてはかなり思い切った遠出なのだけれど、そんな翌日の朝に玄関で交わされる会話が緩すぎる。おい。今ポチんな。なんで今サイト開いた。
「んー。保険?」
「今から何に入るの」
「入らなくてもいいし、掛け捨てみたいなもんだけど」
何を言ってるんだこの子は。介はなんだかんだ状況と周囲をよく見て先を読める子だけれど、言動が突発的なのと性格が雑だからな。まあいいか。
「じゃあ、いってくるから。鍵よろしく」
「はいよ」
ばたんと扉を閉めたときに、か細く元気でねと聞こえた。さっきのゆるさと比べて大袈裟だなと思いながら、駅への道を急いだ。
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詰んだ。
何って、当然のごとく何の手がかりも無いままにふらりと言われたままに出てきてしまったからだ。やっぱり体よく追い出されたんじゃないのか。そのままあの時の神様の勢いに押されて、大人しく言うことを聞いてしまったわたしの落ち度ではない。断じて。そう、本当に神様から出禁をくらったことが辛すぎて頭が真っ白になった結果の、計画を立てるはずの頭が無意識の逃避言動に先走りされて追いついていないとかそんなのではない。決して。
だいたい、神様も神様で悪いだろう。とりあえず出ていけ。もう来るな。そして唯一のヒントが長野県だけってなんだ。長野県って。いや別に長野県の何が悪いとかはないけれども、長野県のどこで何を指標にしたらいいんだ。
源流。とはいっていたか。
神様の源流。それが水神らしき神様のもとの生息地があると仮定したときの、それこそ地理的な源流、つまりは水源のことを言っているのか。それとも、あの神様という存在自体がこの世に発現した際の大本の概念的なことを言っているのか。はたまた別の比喩なのか。全く持って現時点では見当がつかない。
だから詰み。
ふーっと深く息を吐いてキャリーバッグを足で軽く抑えながら駅のホームの柱にもたれかかる。介に見送られた時は晴れていたのに、今は雨だ。新幹線を使ったからそこまで時間はかかってないと思うのだけれど、と出発地点の現在の天気を調べればまだ晴れていた。
雨が降っているのは、わたしがいるここだけ。なんとなくだけれど、そんなほんの僅かなことだけで自分が遠くに来れたのだと、やっとあそこから出られたのだと安堵した。
安堵。どうして。
いつものように思考をそのままにノートに書いていく。なぜ今、わたしは安堵した。神様はあちらにいるのに。遠くに来て、知らない土地で、知らない人の中で、ひとりでいるのに。
ひとしきり書いたところで伸びをして、とりあえずホテルへ向かう。駅から徒歩で行けるけれど、少し遠いから傘が必要か。半ば放心状態で泣きながら準備していたからか折り畳みも忘れた。買わないと。駅の比較的大きな売店には、雨が降っているからだろうが専用の傘のコーナーが特設で設けられていた。傘を買っていく大半の人がビニール傘を買っていく。まあ、そうか。きっと今日だけ、今だけわすれたから必要なだけだし。一番コスパいいのを選ぶか。
だから私もビニールの傘にしようと手を伸ばして、やめた。
隣の真っ白な傘が目に入ったから。白。神様はわたしが白が好きでは、と言っていた。本当にそうかとそのまま割と大きくスペースがとられた傘のコーナーを端から見ていく。
白、黒、紺。無地の物、大きい物、スリムなもの。そしてビニール傘。他にも色々。
買った傘を開いて足元の不快感より、撥水された布地をたたく雨音と少し目線を上げた先の傘の内側を見る。日傘のように特殊な加工をしているものでは無いから、少しだけ外側の色と柄が見える。
わたしが買ったのは、薄い水色に白い波紋の模様が少しだけ見える傘だった。




