11 アイエン祈願
わたしが出発してから既に三日が経った。めぼしい観光名所ほっぽって、博物館と神社仏閣を重点的に攻めてはみたが、本当に全く何の収穫もなかった。ホテルに戻ってスマホで検索をかけても、いまいちこれだというものにたどり着かない。正直に言えば焦っていた。自分を見つけてくるとか、謎の啖呵を切っておいてなんだが、脳内は一刻も早く神様に繋がる何かを見つけなければという思いでいっぱいだった。
だって、そうしないと。
博物館もネット検索も有名な神社もダメ。ならもうあとは専門家に頼るしかなくないか、とまで追い込まれた時に祖父の顔を思い出した。わたしの祖父は民族学の大学教授をしていると小さい頃に聞いた気がする。急いで祖父に連絡を取ろうとするが、その大事な連絡先は自分でとうの昔に消していた。
昔の自分を殴って海に沈めてやろうと思いながら、介の連絡先を押した。
『姉ちゃんが俺の連絡先消してなかったの奇跡じゃね?』
返信の一行目がこれってなんだ。うるさいな。弟に連絡することがそんなにおかしいか。何か釈然としないものを感じる。
『俺、姉ちゃんがじーさんたちとあの人たちの連絡先、引っ越してから真っ先に消したの知ってからね』
痛いところを突かれた。実際にやったことなので何も言えないが、聞けば介はわたしが音信不通になって帰ってこないことも想定していたらしい。お前の中でのわたしはどう映っていたんだよ。今度帰ったら問い詰めてやろうかな。
介がわたしの出発直前に頼んでいたゲームはまだ来ないそうで、だから保険もまだ続いているらしい。いや、意味が分からない。
なんやかんやとぐだぐだ話して、やっと祖父の連絡先を教えてもらった。心配してたから、電話したらと電話番号しかよこさなかったが。
祖父とは夜逃げのような引っ越しの時以来で、その時もわたしは化けていたからまともに話したのはそれこそ幼少期以来だろうか。
自分の要求を言う、頼みごとをする。今までそれをしないように振舞ってきたからか、考えるだけでばくばくと呼吸がおかしくなっていくのを感じる。でも、もう頼みの綱が祖父しかいない。
早くしないと。大丈夫、祖父は助けてくれた人だから。怖くないから。
通話のボタンを押して声の出し方を思い出す前に、ワンコールで祖父が出た。
「ゆうちゃん?どうした」
懐かしいと思った。無条件に可愛がってくれて、助けてくれた人の声。大丈夫な人の、声。
だめ。だめ。ちゃんと、声を。出して。お願い。お願いだから。
「おじいちゃん、たすけて。かみさまが、きえちゃうの」
堪えた喉が焼け付くように痛い。目の奥が熱い。ああ。また泣いている。
わたしは今後何度、この感覚に耐えなければならないのだろう。
わたしが何かを訴えて助けを求めたところまでは届いたようだ。しかし詳細が当然のごとく泣きじゃくっている電話越しの音声と、自分が泣いていることにさらにパニックになったわたしの支離滅裂な説明のせいで何も伝わらなかったらしい。本当に申し訳ない。わたしだって祖父の声を聞いた瞬間に自分が泣き出すとは思わなかった。何を話したか会話がおぼろげだが、とりあえず詳しい話をするのとわたしの現状が心配だということで、一度祖父母の家に行くことになった。あんまりにもわたしがあんまりなので、気遣ってくれた祖父母がわたしの滞在先へ来てくれるというような話になりそうになった時は、必死に止めた。
電話を終えた後は二時間ほど放心状態だったが、すっきりした気がした。なんだろう、神様といい、介といい、祖父といい。泣いて恥をさらした相手にはもう化けるも何もない気がして、嫌われることがない相手とみなして今までの過緊張を緩めて接することができている気がする。
違うか。嫌われることがない相手なんていない。わたしを見ようとして向き合ってくれる相手にわたしは安心して、中身を打ち明けられるのか。きっかけは見返りを求められずに与えられる安心感だということは確かだとは思うが。
だとすると、今のわたしは、今の泣いて駄々をこねるわたしは、あの両親のお眼鏡には叶わないのだろうな。化けること、神様の言葉を使うならば、仮面をつけることは防衛手段だと言っていた。ならば、わたしが私を増やし続けたという選択もきっとその時のわたしにとっては必要で、大事な盾だったのだろうか。つまりは、わたしはあの両親に自分の中身を出すほどの安心感は抱いてはいなかったようだ。納得したような、それでも認めることに抗いたいような、意味の分からない矛盾を感じた。
久しぶりに会った祖父母の前でまた泣いて恥をさらし、もはや遠い目をしながら祖父の書斎に来ている。顔を見た瞬間泣くのはもはや失礼に値するのでは。神様がわたしがよく泣くと言ったことは事実だったらしい。これは気づきたくなかった。
祖父は幼少期からいろんなことを教えてくれた人だった。
なんで、なんでと、ひたすら繰り返すわたしに、一つ一つ丁寧に付き合ってくれたものだ。あとは、やたらと餌付けをされたような。
今になって会った祖父は、幼少期の頃よりかは年を重ねてはいてもしゃきりと背を伸ばし、賢人の風格はあるものの年の離れた友人のような気さくさを持つ人だった。
どうしてわたしは、この人との縁を断ち切ろうとしてしまったのだろうか。あの時のわたしは何を思っていたっけ。何を、誰を、見ていたのだろう。
祖父の書斎はさすが、大学教授というか、とにかく書籍や紙束の史料でいっぱいだった。雑然として入るが散らかってはいない。静かで暖かな部屋の温度に息をつく。
ふと目に入った鈍器のような学術書の値段に一時、凍り付いたが。
祖父はわたしの子供の頃からの神様との話を茶化さずに、最後まで真剣に聞いてくれた。なぜわたしの言うことを妄言と捉えずに聞いてくれたのかと尋ねると、研究過程で様々な場所に赴き、数えきれない程の人からも資料を集める中で不可思議な体験談はよく聞くものだという。もちろん、そのまま鵜呑みにするわけにはいかないから、文献も含めた精査は必要だが。その上で教えてくれたのは、信濃川にまつわる水神の話。
広大な水量と流域面積を持ち、日本で最も長い川としてあまりにも有名すぎる川。そんな大きい川だからこそ、本流から分かたれた分流がいくつもある。それこそ昔から、小さいもの、消えたものを合わせれば数えきれないくらいに。
消えたもの。消えた分流。もはや死んだ川。
わたしが会った神様はその消えた川の神なのではと祖父は仮説を立ててくれた。川に神を据えるのは水難事故を防ぐためであり、その主な被害者の多くは幼子だった。神様がやたらとわたしを子ども扱いするところや、溺れないように細心の注意を払っているところからもその仮説は頷ける。しかしここまでだ。これ以上は祖父でも現段階では明確なことが言えない。むしろわたしだけでは何も届かなかった情報を、ここまで出してくれた祖父の博識さに感服するほかない。が、これではまだ届かない。
神様の名前も、源流も、わからない。
限界で、今度こそ詰みだった。
「ゆうちゃん。大学で研究する気はあるか」
意気消沈して昏い目をしているだろうわたしに、祖父が投げかけた言葉は思ってもみないことだった。高校の時はさすがに大学受験の勉強をしていたから、大学に入る気ではいたのかもしれない。
私は。
その後にそれどころではなくなってしまったが。
では今のわたしは?
わたしもう二十歳なんだよ。きっと同じ学年の子とも年違うだろうし。そもそも今更大学に行ってどうするの。別に大学行ってまで取りたい資格なんてないよ。それにお金とかさ。あのクレカ一応預かったけれど、流石に弟名義のものなんて使えるわけないでしょ。なら、働いた方がよくないか。まあ、介のように就職ではなくて、バイト先を転々と変えて違う私に化け続けている奴が言えたことではないけれど。
「ゆうちゃんが電話してきたとき、なんて言っていたか自分で覚えてるかい」
もちろん覚えている。わたしのことも神様のことも分からないままな状態にひどく焦って取り乱した結果があの電話だ。早く何かを見つけなければ、神様が消えてしまうと思ったから。
「今までたくさんの学生を見てきたけれどね。皆、案外自由で適当に好きにやってるんだよ。歴史が好きだから史学部に入った。病院でお世話になった人にあこがれたから看護学部に入った。働く前に遊ぶ時間が欲しくてとりあえず入った。大学に入ることについては深く考える必要はないよ。大きな選択ではあるが、選択肢は無数にあるし、その後のやりようはもっとある。でも皆、まず自分がしたいことを考えるんだよ。その結果で大学を選んだだけなんだ。今、ゆうちゃんが一番したいことは何か言えるかい」
なんでだろう。わかんない。わかんないっていうのは、どうして自分の中身を言おうとすると息が詰まって熱くなって。泣きたくなってしまうのかが、未だにわからない。
今一番やりたいことは、ちゃんと頭に浮かんだのにそれを口にするまでがとてつもなく苦しい。
「かみさまの、なまえがしりたい」
祖父曰く、死んだ神であっても正しい名前を見つけることができれば途絶えた信仰が戻ることがあるそうだ。そして、詳細な調査をしていない少々専門から外れた箇所とはいえ、民俗学の教授である祖父がある程度の仮説しか立てられない状況であるならば、やはりより専門的な研究ができる大学に行くことが望ましいと言われた。お金が心配であるならば、働きながら通信の大学にすればいいとも。これならば祖父母の家にいてもいいし、介との家にも戻れる。神様へのなんとなくの道筋は見えてきたが、それでも二の足を踏んでぐだぐだと決めあぐねる。
祖父の言っていたことは正論であるし、神様の名前を知るためにはそれしかないのだろう。
だが、一番の問題は時間がかかること。祖父母は若いのだからゆっくりでいいと言ってはいたが、神様の名前を見つける前に神様の方でどうにもならない状況になってしまったら、それこそわたしがしようとしていること、全てが無駄だ。ただでさえ、溶けて消えてしまいそうな蛇神様なのに。
わたしはもう一度、神様に会いたいだけ。
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御百度参り。
同一の神社仏閣に、百度参拝し同一の願いを込めて参拝すること。
最終手段というか、もうそれしか思いつかなかったわたしは御百度参りに縋ることにした。わたしの神様が信濃川の支流であるならば、本流、つまりは神様が言うところの源流の神様に祈願すればいいのでは。甲武信ヶ岳あたりに水源の神様の社が確かあった。神様の上司の神様にお願いするという考えなわけだけど、祖父に話したらなんかずれてることをしていると言われそうだから言わない。
それに、本当の願いは他人には言わない方いい気もする。内圧が削がれるというか。
祖父は神様に消えないでいてほしいことが、信仰の復活がわたしの望みだと思っているだろう。だから神様のことを知りたいと。
けれど本当は、ただ、会いたいだけ。
あのとぐろの中にまた入れてもらいたい。今度こそ溺れないようにするから、また水の中に連れてって。わたしだけではまだ水の中も外も苦しいの。だから。だから。
消えてほしくない、だけだときっと届かない。
会いたいと、消えてほしくないは、違うでしょう。
ねえ。神様。




