1.8 形見
「母上?」
それまで活気のあった男たちも、皆黙りこくって暗い顔をしている。
「お前 レンヨウの息子だったのか!確かに名前も似てるなあ
よく見ると顔もそっくりだ!」
アーラは明るい声を酒場に響かせ、蓮慕の肩を叩いた。
きゅ、と店主が拭いているグラスの音が響いた。
アーラはその静けさに酒場を見回す。皆が蓮慕から目を逸らすように、席に戻っていった。
「なんだ?みんなして」
蓮慕は眉間に皺を寄せて呟いた。
「死んだ。13年前だ」
席に戻った客たちは、何事もなかったように会話を再開するが、その意識は蓮慕たちの席へ向けられているようだった。
アーラは「え」と調子外れな声をあげると、蓮慕の形を揺さぶった。
「ど、どうやって?何があったんだ?」
店主はアーラの前につまみを置き、カウンターの端を指差した。
「常連だったよ。その席に座ってたな」
蝋燭の炎は部屋の隅を避けて満ちている。そこには小さなポットが置かれ、今にも花が咲きそうな蕾が膨らんでいる。スツールには埃ひとつなく、隅まで掃除が行き届いていた。
「まだ幼い子供2人を連れて居座って、酒も飲まない迷惑な客だった。
子供が客と遊んでる間、自分は1人、そこで見守ってるんだ」
「………」
蓮慕の顔には懐かしさも寂しさもなく、ただ、口を真一文に結んでいた。
「今思えば、子供たちに人と関わりを持って欲しかったのかもしれない。まあ企みは成功して、こうやって大きくなったお前をみんなで迎えてるわけだ」
蓮慕は詰まった息を抜くかのように息を吐き、少し笑った。
店のドアが開くと、アーラの見つめていたポットの蕾が少し揺れた。
「知らなかったとは言え、すまん。亡くなってたんだな」
「いや、良いんだ。まさかお前が探してたのが母上だったとは」
店主は次のグラスを手に取る。水垢のないグラスに店主の顔が映った。
「これも何かの縁だな。ちなみにお前さん、蓮耀とどんな関係だったんだ?」
「ああ……なんつーか、友達だったかな」
「友達?」
「この街で落ち合う予定だったんだよ」
それを聞いた店主は、ハッと何かを思い出して店の奥へ行ってしまった。
蓮慕は呆れた顔でアーラを見た。
「落ち合うって、いつの約束だ?母上は13年前に死んでるんだぞ」
「ずいぶん昔のことだ。あいつに子供すらいなかった時だ」
蓮慕はフード越しのアーラをまじまじと見つめた。華奢な身体、低い背、幼い言動。カレンと同じくらいの年か、それより少し上。そう思っていた印象が少し揺らいだ。
アーラは口をへの字にして頬杖をついた。
「まあ、いないのなら仕方ねえ」
「落ち合う予定って__」
大男が蓮慕の横にどかっと腰を下ろした。振り向くと、頭に大きな角を持った恰幅のいい男が、蓮慕に笑みを向けていた。
「ガトネグロさん!久しぶりだ」
「ああ、蓮慕。すっかり大人になっちまって。
カレンは元気にしてるか?」
蓮慕の喉に風が通った。うまく言葉が出てこない。
その間を感じ、アーラもちらりと視線を向けた。
「うん。元気に決まってるだろ」
アーラはそんな返事を横目につまみを口に入れた。ぼりぼりという音が蓮慕の頭に響いた。
ガトネグロは一瞬何かを言いかけたが、白い大きな牙を見せて笑い、手に持っていた紙束を蓮慕に押しつけた。
「これは?」
「ここら辺の地図だ」
「ち、地図!?」
アーラが蓮慕の背中から目を輝かせる。
「他のやつから聞いたぞ。国を出るって。いいから持ってけ!」
「見せろ!オレこの周辺の地形わからなくて困ってたんだ!」
「お、おい」
アーラはぱらぱらと紙束をめくる。使い古された地図はところどころ汚れていて、折り畳まれた皺が重なっている。
「ガグネロト?ありがとうな!」
「ガトネグロさんだってば」
アーラは屈託のない笑みを見せた、ようだった。完全に覆われたマスクの下からは表情が読み取れないが、持ち前の明るさは布越しにでも伝わっていた。
「相棒と冒険か。ロマンがあっていいな」
「冒険っていうか…」
逃亡。そう言いかけて踏みとどまる。移民街は国の中でも隔離されたスラムであり、情報がすぐには入ってこない。ガトネグロたちが自分の死刑判決を知ったらどう思うか、と迷いが頭をよぎった。
「蓮慕、蓮慕」
店の奥から店主が小走りに駆けて来た。その手には、小さな青いビロードの箱。
「これは……?」
「お前の母が遺したものだ」
「!!」
アーラと蓮慕はお互いに顔を見合わせた。
「死ぬ少し前に俺に預けていったんだ。自分に何かあったら、お前に渡してくれと……。だが渡す暇もなくすぐ軍に行っちまって、すっかり忘れていたよ」
蓮慕が青いビロードの箱を開けると、中には小さな菱形の首飾りが入っていた。不思議な石でできており、少し重く、蝋燭の火が揺れた。なんの模様も飾りも無い、真っ白なペンダントだった。
アーラは眉をひそめると、蓮慕の顔を覗き込んだ。
「なんだ、これ……?」
「形見…かな」
二人がペンダントを見つめて固まっていると、ガトネグロが蓮慕手からビロードの箱をひょいと取り上げた。
「これ、お前の母さんがいつも身に付けてたやつだぜ」
「え?」
「いつもは服の中にしまっていたんだがな。一回盗賊に盗られちまったのを、俺が取り返してやったことがあるんだ」
蓮慕はポツリと呟いた。
「大事なものだったのか」
ガトネグロは軽快な笑みを見せると、蓮慕の頭を子供にするように撫でた。
ごつごつした手のひらが、蓮慕の頬に暖かさを伝えた。
「きっとそうだ。だからお前に持っていて欲しいんじゃねえかな」
「………」
目に涙がたまる蓮慕を横目に、アーラは店主に向かって口先を尖らせた。
「オレの用事はわからないままだな」
「そうだな。本人がいなくなったんじゃあ、しょうがない」
菱形の土台に嵌められた白い石は、さらりとしていて鏡のようで、酒場の蝋燭も外の光も全て吸い込んでいくようだった。銀色の細いチェーンは母の肌を思い起こさせるようで、蓮慕の背中に誰かの体温がじわりと滲んだ気がした。
アーラと蓮慕がペンダントを見つめていると、突然酒場の扉が開いた。
「王国軍が来てる!!」
その声に飛び跳ねるように2人は立ち上がった。店主は2人が飲んでいたジョッキをさっと片す。
「王国軍?なんでこんなところに」
「これ見ろ!」
店に入って来た男は、驚く客たちを掻き分け、蓮慕に破れかけた紙をみせつけた。
アーラが背後から顔を覗かせる。
「「指名手配書!!」」
そこには蓮慕と思われる似顔絵と、懸賞金の額とともに特徴が箇条書きに連ねられていた。
「そこの路地に貼ってあったのをちぎって来たんだ。蓮慕、王国軍がお前を探してる!」
「ぶはは、似てねえ!」
「うそだろ……」
アーラは腹を抱えて大笑いし、蓮慕は紙をぐしゃぐしゃに丸め、カウンターに置いた。
店主がそれを丁寧に広げなおし、はあ、とため息をついた。
「全く…二人揃って」
「お前ら、一体何をしたんだ…?」
冷や汗をかくガトネグロに、蓮慕は気まずそうに笑みを見せた。
アーラはガトネグロからもらった地図を丁寧に丸め、得意げにニヤリと笑った。
「蓮慕!心の準備はいいか」
「……ああ。行こう」
蓮慕はまっすぐアーラを見つめる。フード越しに、琥珀色の瞳がきらりと光った気がした。
ガトネグロが力強く蓮慕の背中を叩く。
「行ってこい」
それに連れられて、酒場の馴染みたちは2人に声をかけた。
「風邪ひくなよ、坊主ども!」
「世界中でいろんなもの見てくるといい」
「すぐそこにある港から出ろよ!」
「そりゃあ名案だ!まさか王国軍も、ガキが貿易港から逃げるとは思わんだろう」
蓮慕は耳に熱が伝わるのを感じ、酒場の扉を開けて振り返った。
「行ってきます!」
2人は移民街を走り抜ける。
薄汚れた石造りの街並みが明けると、太陽が水面を照らし尽くす港が広がっていた。
「これがユスティシアの港か! 貿易国家は伊達じゃねえな」
盗めそうな船を探すアーラに戸惑いながら、蓮慕はあたりを見回した。
波は静かで天気もよく、風も吹いていない。だが港に人がいないどころか、船は全て岸につけてある。
「なんだ…? " 厄災 " の目撃で港も閉鎖してるのか?」
「おっ、これいいじゃん」
民間人が近海で使用するような二人乗りのボートだった。アーラは係船柱に括られていた紐をするすると解いた。何年も放ったらかしにされている気配が漂うあきらかな廃船だ。
「それ、今にも壊れそうだぞ」
「こういうのを趣があるって言うんだよ」
アーラは躊躇せずに乗り込むと、すのこが大きく軋み、ぐらりと上下に揺れた。蓮慕も急いで乗り込み、船内に放置されていた腐りかけのオールを手に取った。
二人で腕を動かし始めると、なかなかのスピードで岸から離れていく。港は不思議なほど静かであった。
「こ、こうかな」
蓮慕のオールがアーラにぶつかった。
「下手くそだな。こうだよ、オレの真似しろ!こう!」
今にも抜け落ちそうな船底に不安を感じ、蓮慕があっという間に離れてしまった岸に目をやると、移民街に続く路地から息を切らした兵士たちが駆けつけていた。
兵士は大きく手を振り、何か叫んでいるようだった。声は届くが、言葉はわからない。
「………何か言ってるな」
「見ろ、あの悔しそうな顔! 海に出たらもう追って来れないだろ! がははは!」
蓮慕はアーラのオールについていくのがやっとだった。
あっという間に小さくなってしまった岸では、兵士が騒ぐ後ろから少し遅れて、酒場にいた顔馴染みたちが走ってくるのが見えた。
「みんな……」
市街地から管轄外の移民街にまで来た兵士たちを、顔馴染みたちは面白半分で揶揄っている。蓮慕に思わず笑みが溢れた時、その頬の真ん中に雫が落ちた。
「……おい」
「ん?」
その声にアーラも空を仰ぐと、先ほどまでの麗らかな天気は一変し、怪しい雲が町を覆っていた。
暗く沈む雲の中には一瞬の光が走り、閉めかけた蛇口のようにぽたぽたと雫が垂れる。
進み続けるボートの周囲には波紋が広がっていく。
「この天気…まずいんじゃないか?」
岸には兵士が押し寄せている。漕ぎ出したボートが戻ることはない。
心配する蓮慕とは裏腹に、アーラは晴々と笑い蹴った。
「いい見送りの空だ。なあ、脱獄囚!」
雨はたちまちひどくなる。
雲の中に潜んでいた雷鳴はすぐ近くで響き渡り、ボートを揺らした。
「「うあああああ!!!」」
時を同じくして、移民街の路地裏。
客を引っこ抜かれて静かになった酒場では、店主が1人でグラスを拭いていた。
ドアチャイムが響いた。
「いらっしゃ……なんだ、お前さんか」
老人は小雨の降り注いだマントを外すと、カウンターの隅に腰掛けた。
「いつもの」
「おう」
突然荒れ出した空に隠れるように、店の中には雷鳴と雨の音が響いていた。
街近くの港での騒ぎを楽しもうと、移民街の住人たちは見送り関係なく岸へ走っていった。久しぶりの騒ぎに高揚した男たちの声が、あたりに響いていた。
「まったく、人騒がせな奴らだ」
店主は麦芽酒をたっぷり注いだジョッキを老人の前に置くと、またグラスを拭き始める。
「そういやあんたも、元は旅人だったらしいな。なんで移民街に?」
「……目を失ってね」
老人の目には薄汚れた包帯が巻かれている。白髪が薄くなった後頭部に巻き付いた端はめくれ、その薄汚れた身なりは移民街ではよく馴染む。老人の肌はひどく日に焼け、青年期の冒険を想起させた。
老人はそれ以上喋ることはなく、ジョッキについた水滴を指でなぞっていた。
「ああ、それは厳しいね…」
店主は再び手元に目を落とし、雨音に包まれる静かな店の中で、緩やかな時間に身を任せた。
店主は空瓶を持って店の奥へと消えた。
包帯にじわじわと涙が広がる。老人は、雨に紛れそうな小さい声で何度も何度も繰り返した。
「ああ、諦めないでいてくれてよかった…………
進め、進め………太陽が導く方向へ……」




