1.7 移民街
ユスティシアの移民街。
それは色々な種族が集う外れ者の街。
世界各地との交易と共にユスティシアに流れ着いた移民たちは、職を求めて集い始め、やがて中心街の外れは「移民街」と呼ばれた。
外れ者たちは貧しいながらも団結を固め、近年ではユスティシアに広がるスラムとして国中から問題視されるようになっている。
「この数日観光してたが、移民街にはまだ行ってないな」
そう言いながら魚の串焼きを頬張るアーラ。
二人ともフードを深く被り、路地裏で身を潜めていた。
「いろんな見た目の種族がいる。"厄災" が潜むにはうってつけかもな」
「そうか!隠れるにはちょうどいいな」
蓮慕はあまりに緊張感のないアーラに呆れ、ため息をついた。
自身の熱のこもった右手に視線を落とす。シャツは焼けこげ、錠の跡が黒く残っている。
前回のように、火傷は負っていない。拳を握っても、痺れもなかった。
「逃亡犯になっちまったっていうのに…能天気だな」
「陽気なのがオレの長所だ」
すぐ隣の大通りで、兵士が騒ぐ声が聞こえた。" 厄災 " 襲来と死刑囚脱獄の噂は瞬く間に国中に広がったようだ。
「オレ、探してる人がいるんだ」
「探してる人…?」
「ああ。そいつがユスティシアの移民街にいるって聞いて、この国に来た」
アーラは晴れた顔で蓮慕に笑いかけた。
「会いに行こう」
2人は市場の路地裏を潜り抜け、兵士と出会さないように注意しつつ、移民街までの道を辿った。
城下街とは打って変わり、進むほど街の石畳は崩れが目立ち、ガラの悪い男たちが暗い顔をしてすれ違っていく。
ユスティシアの背後に聳える大きな山の影が差し掛かり、城下町よりも湿った空気が流れる。
アーラはマスクを深く被り、身体を隠して進んだ。
「情報を集めたいなら、ここだ」
石塊の家屋が密集する路地裏。
昼でもほのかに灯ったランプの周りに虫が飛び、扉の塗料は剥がれかけている。
掲げられた看板には何も書かれていない。
アーラがドアノブを引くと、大きくずれた蝶番が悲鳴のように軋んだ。
「…久しぶりだ」
中に足を踏み入れると、こぢんまりとした部屋の中は薄暗く光る蝋燭で満ちていた。カウンターの壁は無数の瓶で埋め尽くされ、低い天井には様々な国旗や紋章が描かれた旗が吊るされている。
「埃っぽいな。酒場か」
「移民街の酒場はここだけなんだ」
テーブル席に座っていた客たちは話すのをやめ、昼間の酒場に不相応な若者二人を舐め回すように見ている。
アーラはその視線に物怖じせず蓮慕の手を引いて、カウンターの真ん中の席に腰掛けた。
その中から数名が立ち上がり、突然蓮慕の胸ぐらを掴んだ。
「見ねえ顔だな。ここに何しに来た?」
「ガキが酒場に来るんじゃねえ」
眉間に刻まれた皺には老いが滲み、鍛えられた腕の血管が膨れる。
アーラはその男に少し警戒を向けたようだったが、蓮慕の表情は柔らかかった。
「何笑ってんだ!舐めてんのか!!」
その時、側にいた1人が口を開いた。
「待て。こいつ…蓮慕じゃねえか?」
酒場の視線は一斉に2人に向けられ、鋭い視線を向けていた客たちも駆け寄る。
「蓮慕…?本当にあの蓮慕なのか!」
「ずいぶん大きくなったなあ!」
ギロチンを目の前に逃亡した囚人の話は、移民街には届いていないようだった。気がつくと蓮慕の頬は緩み、幼い子供のように笑みが溢れていた。
「ひ、久しぶり。みんな」
「この連れは? 友達か?」
客の1人が隣に座るアーラの顔を覗き込んだ。
白いローブに身を包んだその姿は、多様な種族がいるこの街でも目立っていた。
「そのローブ外していいんだぜ。どんな風貌も、ここじゃただの人だ。
俺たちは自由に生きたくてここにいるんだからな」
アーラは深く被ったフードの下から周囲の客を見回した。
移民街の中心に潜むこの酒場は、訪れる客も様々。
牛のような角を持つ大男、鱗で体を覆った女性、頭から蔦を生やした老人。
「……そうだな」
少し笑いをこぼし、フードの裾を摘まんだ瞬間、カウンターの向こうから飛び出した腕がアーラを止めた。年老いた白髪の店主が、周囲に聞こえないくらいの声で呟く。
「やめておけ。お前さんの首は金になる」
アーラは動揺を見せず、視線だけを店主に向ける。
「ここは貧民の街だ…いくら自由を謳っても、揺らぐ奴は出る」
その言葉にフードから手を外し、目の前に置かれたジョッキを手に取った。
中には色のついた甘い水が注がれており、酒では無いことが一口目でわかる。
「……助かった」
店主は目を合わせて力強く頷き、しゃがれた声で蓮慕に目をやった。
「なんでわざわざ移民街に戻ってきた?」
客たちは先ほどとは打って変わり、親のような温かい目で蓮慕を見つめていた。
「俺はもうすぐこの国を出るんだ。挨拶でもしとこうかと思って」
蓮慕がアーラに目配せをすると、アーラは姿勢を正し、客たちに向き直った。
「オレ、探してる人がいるんだ!」
「おお。どんなヤツだ?」
「えっと…女だ。おとなしくて、か弱そうな。名前はレンヨウ」
二人を囲んでいた馴染みの客たちは、突然黙り込んでしまった。
沈黙が広がった酒場に、アーラの陽気な声が響く。
「カラスみたいに黒い髪で、でも鶴みたいに綺麗な女だ。普段は優しいのに怒るとすっげえ怖いんだぜ」
「………」
口を開けたままアーラを見つめる店主に、アーラはきょとんとして聞いた。
「なんだよ。みんなどうした?」
「母上だ」
「え?」
蓮慕が重く低い声で呟いた。
「俺の、母上の名だ」




