1.6 吼える
交易の中心地として栄えたユスティシアは、代々世襲制で続いてきた君主国だ。
近年では軍事力も伸ばそうと勢いをつけ、周辺国から警戒視されている。
そんな誇り高き王家に、低俗な貧民の血が混じることなど許されるはずがない。
__なぜ移民街の貧民が王家の側室に選ばれたのか、疑問を持たなかったのか?
あの日からずっと考え続けた。
幾度も思い返したあの言葉。
蓮華の一族。
____君の妹はあんなふうに死ななくてもよかったのさ
" 厄災 " が脱獄し、何日目かわからない朝。
重い金属音と共に衛兵が入ってくると、木製の錠をかけられ、派手に開けられた穴を横目に独房を追い出された。
今、厄災はどこを旅しているのだろうか。
簡素な死刑台は街の広場に設置されていた。
気持ちよく晴れた夏日だ。生暖かい風が吹く。
こんな天気の日は、カレンが外で昼飯を食べようと誘ってくれた。
使用を許されていた場所は、花が一本も咲いていない所々禿げた芝生の隅。庭園の中心では涼しい風が吹くガゼボの下で、貴族たちがこだわりのお茶を楽しんでいたっけ。
ギロチンの前に膝をつくと、側に立つ役人が罪状を読み上げ始めた。
逆賊を一目見ようと集まった民衆は多く、血飛沫がかかるのではと懸念するほど近くまで押し寄せ、黙したまま蓮慕の死刑執行を眺めていた。
名も知らぬ男の死は、彼らの退屈しのぎに過ぎない。
正面にそびえる建物のベランダ。赤いベールのカーテンに隠された1席が処刑台をオペラグラスで覗いていた。装飾をあしらえた大きな椅子の後ろには、もう一人男が立っていた。
「本当に執行するので?」
男は軍帽の下から椅子の足元を盗み見た。
肘掛けにもたれた太った男は「ふふ」と鼻で息をした。
「お前が言うように、本当に蓮華の血を継いでいるのなら…
あの若者は脅威じゃないか。俺たちはあいつの妹を殺したんだろう。どう飼い慣らすんだ」
「妹を殺したのは王子…ヴェト様です。その復讐心を利用して飼うのですよ」
「ならん」
「ですが蓮華の一族などもう二度と」
「ならん。王家が危険に晒される」
ため息をついた宰相は、一歩前に出て、国王に向き直った。
「陛下。私はきっと彼をすごい兵器にしてみせますよ。
今各国から鋭い眼光で睨まれているユスティシアの盾にするのです」
役人が長い文書を読み上げ、後ろへ下がった。執行人が2名前に出てくると、妙な緊張感が漂った処刑場で群衆はお互いに声を大きくし、だんだんと喧騒に飲まれていった。
大きな鼻から長い息を吐いた国王は、処刑代のギロチンの上に止まった小鳥をぼうっと見つめていた。
「まあ…蓮華の一族はギロチンなんて屁でもないだろうさ」
「それで、処刑は止めないので?」
「本物なら、こんな試練乗り越えるべきだと言っているんだ」
宰相は生唾を飲んだ。艶やかな瞳が処刑台の上の蓮慕を捉える。
降り注ぐ太陽に照らされる体から汗が吹き出し、シャツに滲んでいた。
「何か言い残すことは」
執行人の抑揚のない声は蓮慕の耳を通り越し、そのまま麗らかな空を仰いだ。
久しぶりに浴びる太陽が全身に沁みる。
…そういえばカレンには夢があった。
今日のような麗らかな日には、よく言っていたっけ。
_____太陽は世界のどこでも輝いていて暖かいの。世界中の人が同じ太陽を見てるのよ!
私も遠くの地へ行って、たくさんの人に会って、いろんな景色を見てみたい……
いつか城を抜け出すことができたら___
死刑台の上、爛々と降り注ぐ夏。
その日差しは鋭く、皮膚の熱を煽り、視界を奪うほどに眩しい。
きっといつか。
世界の全てを包み込む母のよう。
___虹でできた空、水面に立てる海……
_____永遠の夜が続く大地
「太陽が……見えない地もあるのか…」
喉の奥が焼けるように渇く。
遥か彼方からユスティシアに降りかかる日差しは、小鳥すら紛れ込めない独房の中まで突き抜け、闇の奥底にまで満ち渡る。
拒み、闇に隠れ、朝を望まぬ者すら容赦なく照らす。
そんな太陽が届かない場所が、この世界にはある。
膨む肺に入り込んだ初夏の空気は、心臓を揺さぶって血流を巡らせる。
沸るような熱が四股の先まで駆け抜けた刹那。
「気になるか?」
群衆の最前列には、見覚えのある白いローブ。
フードの下から蓮慕を見射る琥珀色の瞳は、太陽のように光を放った。
「お前……どうしてこんなところに」
「ユスティシアは美味い食べ物が多いな!数日じゃ回れねえよ」
二人の声は、群衆の声にかき消された。
「見たいか? ”永遠の夜が続く大地” を………」
喉に力が入り、唾がうまく飲み込めない。
息の塊が舌の上に残っている。
「本当に、あるのか?」
「さあ。オレだって見たことねえ。だけど……オレは行くぜ」
__世界中の人が同じ太陽を見てるのよ!
背後でカレンの声がした。あの時、俺にとっての太陽はお前だけだと、そう伝えればよかった。俺の生きる理由だったと、お前のためならなんでもできた、と。
いつしか王宮で見かけた妹の後ろ姿をはっきりと覚えている。若い侍女がカレンの前を堂々と歩き、カレンはゆっくりと鉄球を引きずっていた。その瞳はいつものように希望に満ちたものではなく、くすんだ影が落ち、王宮のベールの絨毯が映っていた。
俺は知っていた。
カレンがどんな気持ちで王宮にいたか。
野原を駆け回ることも、友達と笑い合うことも、街で買い物をすることも知らない少女は、王宮の壁の隙間から見上げた太陽に憧れたのだ。
少女にとって、それが『夢』だった。
他の人にも話していたのだろうか。
執行人が蓮慕の首を掴み、処刑台へ押し倒すと同時に、群衆は息を呑んだ。
顔を上げると、蓮慕を見射る琥珀色の瞳に吸い込まれた。
その輝きは衰えを知ることがないような、何億年も燃え続けているような熱を秘め、蓮慕の心臓を炙った。
「太陽だ」
突然の逆賊の言葉に、広場はしんと静まり返った。
「俺は、お前が見る景色が見たい」
死刑台を見上げ、マスクの下で低く嗤う。
群衆の沈黙を前に、執行人がレバーに手を伸ばした。
「オレの見てる景色か…悲惨だぜ?」
「今更だ」
身体中の血管が熱くなる。
駆け巡る熱が爪先まで突き抜けると、全身が赤い血のような猛火が吹き出した。
轟音とともに、死刑場は悲鳴に包まれた。
兵士たちは思わず後ずさり、蓮慕の手にかけられた縄は瞬く間に焼き落ちた。柱が崩れると同時に、大きな刃を釣っていた糸は切れ、勢いよく処刑台に降ってきた。バランスを崩した柱に釣られ、落ちてきたギロチンは処刑台はバラバラに砕き、風に煽られて勢いよく燃えた。
「オレの名は アーラ!!!」
雑踏の中から崩れ落ちる死刑台に飛び乗った影。
燃え盛る熱風に吹かれたフードは、その姿を顕にした。
それはまるで降り注ぐ灼熱の光。
絹のように光を纏った金髪、火の粉が煌く琥珀の瞳。
褐色の肌は熱を躊躇することなく、炎に包まれた蓮慕に手を差し出す。
「行こう!」
蓮慕は炎に包まれたまま手を取った。
風に吹かれた炎の影は、騒ぐ民衆の中を駆け抜け、広場を出て市街地へ消えていった。




