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1. ユスティシア

木剣が宙に舞う。

蒼穹の空の下、強い日差しが砂埃と共に降り注いでいた。


「勝者、レンボ!」


判定が訓練場に響く。

皆が呆気に取られて見つめる中心には、尻餅をついた兵士。

鼻先に突きつけられた剣先を見つめ、眉間に(しわ)を寄せた。


「午後の訓練はここまで。解散だ」


兵士たちはお互い顔を見合わせ、引き()った笑みを浮かべた。


「レンボとの稽古はつまらんな」

「ああ、誰も勝てっこねえ」


座り込んでしまった兵士はその声に歯を食いしばると、手元に落ちている木剣を手繰(たぐ)り寄せた。


「くそっ!」


目の前に差し伸べられた手を振り払い、相手に一瞥(いちべつ)もくれず日陰へと走っていく。声をかけた兵士の1人が、その汚れた背中をはたいていた。


兵士たちは雑談を交わしながら兵舎へと戻っていく。

勝者を讃える者は一人もいない。

鳥のさえずりが響く砂場に立ち尽くした青年は、太陽を避けるように階段下のベンチへ腰掛けた。

日差しが舞い上がる砂を照らし、光があちこちに散乱する。

青年は額に(にじ)んだ汗を袖で拭った。


「お兄様!」


その声に思わず顔をあげると、階段の上から少女が顔を(のぞ)かせていた。

所々レースのほつれが伺えるクリームイエローのドレスは、雲一つないコバルトブルーの空には不釣り合いだ。

胸元のコサージュはしなびていて質素だったが、朝日のような笑顔が輝いていた。


「カレン…また()りずに来たのか」

「この時間だけは気が休まるの! 一日中お勉強なんて疲れちゃうわ」


レンボのそばに駆け寄ったカレンの足元から、がちゃりと音を立てて足枷(あしかせ)が覗いた。

毎日この重い(かせ)を引きずり、唯一の肉親であるレンボに会うために練習場にやってくる。

カレンが来た道に、そして帰る道にも、鉄球を引きずった跡が残る。


「お兄様。今日もお疲れさま」


「ああ。カレンも毎日大変だな」

「本当に疲れるわ!でも、お兄様が頑張ってるから、私も頑張れてるのよ」


暗い影が潜む階段下はカビが生えるほど陰湿だというのに、カレンの笑顔は(いつく)しみに溢れ、美しいブラウンの瞳が潤って輝いた。動くたびに揺れる猫っ毛は春風に包まれている。

そこだけが雪解けの初春へと逆行しているようだった。

レンボはその暖かさに思わず笑みを溢した。


「……なあ。その『お兄様』っていうの、やっぱりやめないか?」

「どうして。お行儀が良くて素敵な響きでしょう?」

「確かに行儀はいいけど、お前らしくないよ」


訓練場の向こうで、忙しく夕食の準備を始める男たちの声が聞こえた。


「あ、そういえばこの後 お医者様がお見えになるんだった」

「医者?どこか悪いのか?」


レンボは思わず妹の背中を()でた。カレンは日に日に痩せているようで、ドレスの胸元からくっきりと浮き出た鎖骨が目立っている。


「心配しないで。いつも定期的にいらっしゃっているの。

…もう行くね。お兄様」


カレンは微笑んで立ち上がり、来た道を戻って行った。

ドレスの(すそ)砂埃(すなぼこり)で少し汚れていた。

レンボはその片足から響く鉄球の音が聞こえなくなるまで空を見上げていた。



カレンがユスティシア国の第二王子と婚姻を結び、10年目になる。

しかし本妻と呼ぶにはあまりに酷い扱いで、民衆には恋愛結婚を装い、王宮では蝶を檻に閉じ込めるように鎖に繋がれていた。

王城の影では、移民街出身のカレンが王家に迎え入れられたのは何か裏があると、誰もが疑義の念を抱いていた。


レンボが王国兵士として任に着いているのも、そんなカレンの側にいるためである。


二人で、どこか遠くへ行けたら。

名誉も金もいらない。自由が欲しい。

小窓から降り注ぐ麗らかな陽を浴びて、街で普通に働き、夜は妹と食卓を囲む──


今の二人には遠い夢だった。

しかし、遠く平凡な夢が、二人を今日まで生き永らえさせていた。


きっといつか。


その言葉が、魔法の言葉のように胸に沈むこむ。



「レンボ様!」


夕暮れ時、兵舎へ向かうレンボの前に現れたのは、痩せ細った老婆だった。

白髪混じりの髪はきちんと整えられている。装飾品のない質素な出立ちを見て、レンボはこの老婆がカレンに付いている侍女であることを思い出した。


その脂汗が、何かよくない知らせを告げていた。

老婆の腕には爪で引っ()かれたように跡がつき、うっすらと血が(にじ)んでいる。


「今すぐカレン様のお部屋へ」


声は震えていた。

レンボは言葉を飲み込み、無言で走り出した。


忙しく働き回る使用人たちの間を駆け、何度もぶつかりそうになりながらも、ただ一刻も早く妹の元へと急いだ。


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