2.3 シチュー
村の外れの家へ帰ると、暖かな匂いが充満していた。
蓮慕のお腹が反射的に鳴ってしまう。
台所から顔を出した老人が、朗らかな笑顔でシンシアに笑いかけた。
「シンシア。今日はこっちに泊まるのかい?」
「うん! もっとアーラと遊ぶんだ!」
4人がけのテーブルにはシチューとパンが用意されていた。
ほかほかと漂う湯気が蓮慕の鼻に吸い込まれていく。
「今日もらった芋を使った。美味いぞ」
「何から何まで悪いな。世話になる」
嬉しそうな金切り声をあげて、シンシアがテーブルにつく。
老人はその隣に座ると、フードを被ったままのアーラを見上げた。
アーラはテーブルの前に立ち尽くして動かない。湯気の立つシチューを見つめ、ゆっくり口を開いた。
「オレを匿ったのはお前か」
シンシアはアーラの真剣な眼差しに驚き、きゅっと目を瞑った。
「おじいちゃん……アーラは " 厄災 " なの?」
静まり返った部屋で、シチューの湯気が揺れる。窓の向こうに見える森で、ガサガサと木の葉が擦れる音がした。
「そうだ」
老人の声は低かった。シンシアははっとしたように老人の顔を見て、また俯いた。
「でも……でも、アーラは一緒に遊んでくれた。
悪いことなんて何もしてないよ。なのにみんなが、アーラは悪魔だって……」
シンシアの膝でぽとぽとと小さな涙が弾け、真っ赤な鼻から鼻水が垂れる。
蓮慕は思わずシンシアの頭に手を近づけたが、引っ込めるしかなかった。
老人はスプーンを手に取り、シチューを掬った。
「蓮慕。ここから出るぞ」
「お、おい」
アーラはベッドの下に散らばった装備を腰につける。重いリュックから飛び出した道具を無理やり押し込むアーラを見て、老人はため息をついた。
「……太陽のような瞳、か」
アーラは手を止め、老人を振り返った。
老人はシンシアに向き直り、かすかに微笑んだ。その皺には悲しさが刻まれているようだった。
「この土地が人の住む場所じゃなかった時のことだ。
あんたそっくりの見た目をした男が、井戸や畑を作ってくれた。
それからここは少しづつ発展し続けた」
「アーラそっくりの見た目?…?」
蓮慕はフードの下からきらりと除く瞳を見逃さなかった。夢を語るアーラの瞳は熱く燃えるようだが、今は部屋の照明の影でひんやりとしている。
「ああ。男はこの土地へやって来た人々を先導した。
男には知識があり、器量があり、その神々しい瞳で人間と真摯に向き合った。
土地が村と呼べるほど軌道に乗ると、男は突然消えてしまった。
それから村では太陽を、あるいは太陽のような瞳を持つ人々を崇め、慕った」
老人はスプーンで意味もなく皿をかき回す。
蓮慕は思わず前のめりになり、老人を問いただした。
「なら一体なぜあんなに…」
「あんた、学校へ行っていないな?」
言葉が詰まる。自分の知らない何かに、心臓をすとんと突かれた気がした。
「それかまともに授業を聞いてないかだ」
「…前者だ」
老人はスプーンでシチューの中の根菜をすくい、シンシアの口に入れた。ばりばりと音が響く。頬から伝った塩味に、シンシアは急いでコップの水を飲み干した。
「ある時から、世界中でその身体的特徴が禁忌とされ、問答無用で大罪人とみなされた。
大国の噂がこの村にも根付き、村を築いた男の伝承は忌み嫌われる怪物にすり替わった。
恐怖が史実を上書きしたのさ。
感謝より恐怖の方が人の心には残る」
シンシアの咀嚼音がこだました。
アーラは俯いて動かない。
「それを覚えている人はもう少ないが……だからこそ私は子供たちに伝えるよ」
シンシアが潤った瞳で祖父を見上げると、祖父はナプキンを手にして、シンシアの口元についたシチューを拭った。
「悪魔かどうかは自分で見極める。人は都合の悪いものを悪魔と呼ぶんだ」
大きな芋の塊をごくりと飲み込むとシンシアは笑った。
今の話をまだ幼いシンシアが理解したかはわからないが、祖父の弛んだ表情に安心したのか、パンをちぎってシチューにつけ、嬉しそうに食べ始めた。
「その村を作った男ってのは…アーラと同じ人種なのか?」
人種、という言い方が正確かはわからない。
蓮慕もスプーンを手に取った。ふわりとハーブの香りが広がり、肉の旨みが染み込んでくる。
「美味い」
「さあな、口頭で伝わった伝承だ。確かじゃないことも多いが……」
老人は動かないアーラに向かって、空席に置かれた皿を少し寄せた。
「食べないことには、明日は生きていけないんだ。
何かを知りたければ長生きすることだな」
アーラはゆっくりとローブを脱ぎ、素直に席に座る。
蓮慕はその様子に、数日前の自分を重ねた。冷たい石床、埃の舞う小窓。生きるということに何の意味があるのか、蓮慕はまだ確かではなかった。
シチューの表面には油が浮かび、アーラは一瞬ためらったが、ゆっくりと口に入れた。
「………うめえ」
老人はふっと笑って椅子の背にもたれる。
シンシアが少し目が腫れたアーラの顔を覗き込み、電球をつけたように笑った。
「わあ、綺麗な目ね!」
スプーンを止めてシンシアを見つめる目は丸く開かれ、テーブルの真上に釣られた照明を吸い込むように光った。
くすくすと笑うシンシアを老人は優しく撫で、蓮慕は気まずそうにシチューを食べ続けるアーラを見て吹き出した。
「ああ。まるで太陽だ」




