2.2 欠けたプロペラ
椅子で眠り込んでしまった蓮慕は、蛇口から水が流れ出す音で目が覚めた。
「おはよう」
朝日が窓から差し込み、少し冷たい風がカタカタと窓を揺らす。生い茂る密林は艶やかだ。
アーラは昨日と同じ体勢で、すやすやと眠っている。海水のついた髪は乾燥し、ボサボサになっていた。
老人はパンにチーズとハムを挟んで蓮慕に押し付けた。
「あ、ありがとう…」
「感謝してるなら、回診を手伝ってくれるか?」
「え?回診?」
「近くの村に行くんだよ。皆が待ってる」
老人はそう言って隅に置いてあったアタッシュケースを手にすると、忙しなく階段を降りていった。
蓮慕はサンドイッチを頬張ったまま、アーラの眠るベッドの前で立ち止まったが、すぐに老人の小さな背中を追った。
村はすぐ近くに佇んでいた。
密林を開いて作られた、家屋と畑だけの小さな集落。
すれ違う村人たちは老人に声をかけ、畑の恵みを分けてくれた。
それがこの村の暮らしだった。
「ところで先生、こいつは?」
蓮慕のことは度々尋ねられたが、老人は一貫して「知り合いだ」と答えた。
決して豊かとは言えない村だったが、村人たちは暖かい挨拶を交わし、お互いを支え合って穏やかに暮らしを営んでいるようだった。
「次の家が最後の回診だ」
小さい家屋が集まった村の中心には広く拓けた場所があり、そこにはユスティシアの公園のような噴水も遊具も無かったが、木陰に座ってうたた寝をする子供や、日向で元気に走り回る子供たちで溢れ、甲高い声が響き渡っていた。
それぞれの人形の髪を結う女の子たちが円になって座り、円の中には足取りのおぼつかない幼い子供がおもちゃで遊んでいる。
「おじいちゃん!」
木陰から飛び出してきた女の子が老人に手を振った。
老人も「シンシア」と答えて手を振り返した。
「孫か?」
「いや、孤児さ。懐かれているだけだ」
老人の声は冷たいが、表情は柔らかく、目尻の皺が深くなる。
広場に降り注ぐ太陽が子供達の笑顔を包む。
「孤児はみんなで育てる。シンシアに両親はいないが、
いろんな家で飯を食わせて子守唄を歌う」
シンシアは自分より小さな子供に歌を歌って見せていた。
きっとどこかの家で歌ってもらったんだろう、と蓮慕は思わず笑みが溢れる。
村は平和そのものだった。
子供たちは弾ける足取りで無邪気にはしゃいでいた。
その中で一際背の高い子供が年下たちを追いかけてはくすぐって遊んでいた。
「…ん?」
老人と蓮慕は思わず足を止め、目をこらす。
その顔に見覚えがあったのだ。
子供たちは甲高い声をあげて鬼から逃げ回る。
追いかけるのは、太陽に照らされる艶やかな肌。
「お前何してんだ!」
「あ、蓮慕!」
息を切らしながら蓮慕と老人の前に走ってきた。
アーラの顔色はすっかり回復していて、ベッドの上で眠りこけていたのが嘘のようだった。
「なんでここに?」
「起きたら知らない家だったから、お前をを探しに出たんだ。
そしたらこいつらが楽しそうに遊んでて…」
鬼のいなくなった広場から子供たちが押し寄せ、熱った頬で訴える。
「アーラ、まだ帰らないで!」
「もっと一緒に遊んでよ!!」
アーラは嬉しそうに笑うと、汗を拭って広場に駆けようとした。
蓮慕は慌ててその腕を掴む。
「お前なあ…! せめてフードを被ってくれ。わかってるだろ?」
「悪い。まさか人がいるとは思わなくてな」
一切悪びれない様子でフードを被り直すが、子供たちを追って走る背中に吹く風に何度もひっくり返される。日の下に曝け出されるその琥珀色の瞳に、子供たちは目を輝かせて笑いかける。
その光景に蓮慕は胸を撫で下ろした。
老人はその様子を黙って見ていたが、静かに口を開いた。
「お前も子守りをするか?」
「え?回診は……」
こちらを遠くから見続けるシンシアに老人は微笑んで手を振ると、そのまま最後の家へと向かっていった。
立ち尽くす蓮慕は広場を振り返った。
アーラに追いかけられる子供たちは嬉しそうに走り回る。どうやら意外と面倒見がいいようで、子供の足に合わせて追いかける。その表情もどこか大人びていて、蓮慕の知る幼い言動とはまた違った一面だった。
アーラに向けられた子供たちの純粋な瞳は、目の前の鬼が "厄災" だと知っているのだろうか。
ユスティシア政府のみならず、世界各地からアーラは危険視され入国を拒否される。付近で目撃情報が出ると王国軍が捜索を行い、市場は閉鎖される。
だが蓮慕は、なぜ "厄災" が追われているのか知らない。
学校にでも行く機会があったならその歴史を学んでいたのかもしれないが、この青年は教科書を見るより前に本人に出会ってしまったのだ。
転んだ子供に手を差し伸べるこの人間が、悪だとは思えない。
「何してんだ蓮慕! お前も早く来いよ!」
自分に向けられる澄んだ笑顔が怪物のものだとは思えない。
「ああ」
子供たちの満ちた笑顔に解され、蓮慕は躊躇せずに駆けて行った。
その背中は友人と移民街を駆け回る少年のようだった。
混じり気のない無垢な広場では悩みごとだってどうでもよくなった。
蓮慕は小さな子供たちを、移民街で暮らしていた頃に、そして妹に重ねるように、胸が暖かくなるのを感じていた。
子供達がはしゃぎながらアーラを見上げる瞳には、太陽を吸い込むような金髪が反射し、琥珀に目を奪われているようだった。
村を覆っていた昼過ぎの日差しは、いつのまにか濁った雲に隠され、少し影が落ちてきていた。
鼻歌を歌いながら、頭巾を被った女性が籠を抱え、広場の端を通った。
そのそばを甲高い声をあげて子供達が走り過ぎた。まるで小鳥のような子供たちに、女性は微笑んだ。
「元気ねえ」
籠の中には熟れた果実が詰められている。艶やかな皮が子供達の頬のよう。
女性の足取りも軽くなったような気がした。
その時、野太い声が広場に響き渡った。
「貴様。それには何が入っている?」
広場はしんと静まり返り、子供たちは動きをとめ、一斉に声の主を振り返った。
木陰の女の子たちは立ち上がり、人形やおもちゃをかき集め、そそくさと広場を出ていく。
大股で歩く長身の男が、女性の目の前に立ちはだかった。
その腰には銀の柄の剣が下がっている。
「こっち!」
足早に広場を出ていく子供たちの中からシンシアが飛び出してくると、蓮慕たちの手を引いて走り、家屋の影に連れ込んだ。
「おい、なんだよ。どうしたんだ?」
「静かにしてて!」
シンシアはアーラの口を手で塞いだ。幼い女の子の腕力に大人しくなったアーラは目で蓮慕に訴える。
蓮慕が静かに広場を覗くと、子供たちの姿が無くなっていた。
目を凝らすと、シンシアと同じように物陰に隠れて震える子たちがいた。
皆がどこかに隠れ、怯えて広場の様子をうかがっている。
「みんなどうしたんだ…?」
女性の行手を阻む男に目をやると、男は籠の中の果実を手を伸ばした。
その腕には見慣れた紋章がかかっている。蓮慕とアーラは顔を見合わせた。
「王国軍…!」
熟れた果実を舐め回すように見つめた後、男はそれに齧り付いた。
滴った果汁がぼたぼたと地面に垂れ、兵服の袖で顎を拭う。
「まずいな。この村は…本当にろくなものがねえ」
一口欠けた果実を地面に放り捨てると、そのまま女性を通り越して歩いていく。
女性は肩を震わせていたが、裏返った声を絞り出した。
「こ、これは売り物なんです! 代金を…」
「ああ!?」
女性の肩は跳ねて縮こまる。
「兵士様に何か文句があるのか?」
籠を地面に落とすと、震えて地面に膝をついた。
「いえ…ごめんなさい……」
「調子に乗りやがって!」
騎士は眉間に皺を寄せながら広場を通り過ぎ、森の中へと消えていった。
物陰に隠れていた1人の女の子が「お母さん」と叫んで女性に駆け寄った。
子供達は一斉に影から飛び出し、兵士の去っていった先を見つめながら、互いに身を寄せ合った。
「な、なんだったんだ?」
呆気に取られた蓮慕とアーラも日向に出ると、アーラの手を握ったシンシアの身体が強張った。
「近くの森に、ぐんのキャンプができたの。
"厄災" からうちの村を守ってあげるって、隣の国から来たって。
………でも村のみんなが怖がってる」
アーラが膝をついてシンシアに目線を合わせるも、シンシアは首にしがみついて顔を埋めてしまった。
困った様子のアーラは蓮慕を振り返った。
「オレたちはどこに着いちまったんだ…?」
「ユスティシアからあまり離れていないようだな」
子供達の中に泣き出す子も現れる中、緊迫した大人たちが駆け足で広場に集まってきた。
子供達は大人たちへ一斉に散らばっていった。
小さな弟を連れた少女が、母親に抱きしめられると、「こわかったよお」と泣き出した。
「アーラ。今日はおじいちゃんのとこへ行こう」
シンシアは震える声を絞り出した。険しい顔をしたアーラは、蓮慕と目を合わせて頷く。
その時、母親たちの中から悲鳴に似た声が上がった。
「あなた…!?」
蓮慕がはっと振り返ると、アーラのフードは脱げ、琥珀色の瞳が太陽に反射したきらりと輝いていた。
途端に広場の母親たちは自身の子供を抱き抱え、後退る。
まるで怪物でも見たかのように。
「だ、誰か男たちを呼んできて!」
「本当に存在したなんて…おぞましい」
「この悪魔!シンシアを離しなさい!」
誰が投げたのか、拳ほどの大きさの石がアーラの肩に当たった。ゴロリと音を立てて地面に転がる。
「お、おい…」
アーラは蓮慕の言葉を遮り、地面に転がった石を見つめた。
「アーラ…」
罵殺する母にしがみつきながら、子供達はか弱い腕で止めようとした。
「お母さん。アーラは悪魔じゃないよ」
「一緒に遊んでくれたの!ともだちだよ」
「ああ!!神様!!」
女性が小さな娘を強く抱きしめた。
子供が「お母さん」と口を開くも、母はその声が聞こえないかのように涙を流した。
「村の中だからと安心してしまった…ごめんなさい。怖い思いをさせたわ」
「お願いだから、もう出ていって!!」
「この村に災いを呼び寄せないでちょうだい!」」
母親たちの顔は青ざめ、恐怖に震え、自身の子供を守ろうと強く抱きしめた。皆が村の奥へと消えてしまい、広場には小石が残った。
「アーラは怖くないよ。みんなわかってるよ」
シンシアはアーラの手を握り、ぽつりと呟いた。
蓮慕はフードを被り直したアーラの表情が読み取れなかったが、話しかけることもできなかった。
曇天が広場を覆い、吹き抜ける風に冷たさが乗っていた。




