5 揺らぎ
斎封神社の社務所には、外の溢れんばかりの陽光とは裏腹に、張り詰めた重苦しい空気が立ちこめていた。
「――なぜ、前回の月の日に『月の神楽』を舞わせなかったのですか」
威圧的な声を響かせたのは、机を挟んで正面に座る和装の男性だった。
六十代前後で厳格そのものの顔立ちをしたその男は、静かな口調の裏で、こちらの出方を見極めている。
「結は……娘は二日前に帰宅したばかりなのです。まだ身体が……」
「斎木さん」
父親の消え入りそうな弁明を、男はすかさず遮った。
「親として娘が心配なのは分かりますが、あなたはこの斎封神社の宮司だ。その立場をお忘れか」
父はそれ以上、何も言い返せなくなる。
「今月と先月、すでに二度も『神楽』が執り行われていない」
「その影響で、さらに各方面からいくつかの異常報告が上がってきている」
男―――『神護庁』長官は、ため息交じりに言い、眉間を険しくした。
父は反論の言葉を失ったように、ただ黙って畳の一点を見つめている。
息が詰まるような沈黙が、部屋を支配した。
その時、襖がガラリと勢いよく開き、一人の男が滑り込んできた。
「長官!」
慌てた様子で入ってきたのは、兄の雅臣だった。
雅臣は急いで父の隣へと正座する。
長官は、自らの部下でもある雅臣に、諭すように言った。
「斎木君。君も神護庁の人間だろう。一体全体、何をしていたんだ。国民の平穏な生活を守ることこそが、我々の絶対的な義務だと知っているはずだ」
「……申し訳ございません」
(結…)
雅臣は深く頭を下げ、悔しそうに奥歯を噛み締めた。
「それと、月の日も大事だが巫女の『成人の儀式』はどうなってる?」
宮司がギクッと肩を揺らす。
「成人の儀式で『月の神楽』を奉納してもらわんと完全ではない」
「1日でも早く儀式を執り行うんだ。いいな」
そう言い残し、長官が立ち上がって部屋を後にしようとした、その瞬間だった。
「長官! 大変です! 『巫女』が学校を出た後、足取りがつかめません!」
廊下から、別の職員が血相を変えて部屋へと飛び込んできた。
その場の全員の身体が、凍りついたように固まる。
雅臣は弾かれたように懐からスマートフォンを取り出し、画面を確認した。
しかし、結からの連絡は一件も入っていない。
「すぐに探し出せ! 街を封鎖してでも、何が何でも見つけるんだ!」
長官の怒号が響き渡る。神護庁の人間たちが、一斉に慌ただしく走り出した。
騒然とする社務所の中で、雅臣はそっと父親の傍らへと身を寄せた。
「父さん……」
「……雅臣」
「結には、帰るときは必ず連絡するように言ってあったんだ。……母さんはどうした?」
雅臣は周囲を油断なく警戒しながら、声を潜めて尋ねる。
「有明さんと一緒に、買い物へ行かせている。この状況を見せるわけにはいかないからな」
父の顔には、宮司としての仮面の裏に、一人の親としての深い焦燥が滲んでいた。
「……俺も、その辺りを探してくる」
「頼む、雅臣。……私は、ここを動けない」
父は、握りしめた拳を膝の上に置いたまま、俯いていた。
神護庁の監視の目が光る今、神社の責任者である父が不審な動きをすることは許されないのだ。
◇
その頃、結は斎封神社の裏手、境界の森へ続く道をふらふらとした足取りで、森の入り口へと向かっていた。
ふりそそぐ強烈な陽光。
目に刺さる。
肌が焼ける。
脳がかき回されるように痛い。
どこを見渡しても逃げ場のない「白」と「光」の世界。
結は、ただ逃れたかった。
何かにすがるように、木々が作り出す深い「森の影」を見つめる。
(あと少し……あと少しで、あの暗闇に入れる……)
一歩、また一歩と影へ足を踏み入れようとした、その時だった。
突然、背後から伸びた手が、結の手首を強く掴んだ。
同時に、鋭くけれど、どこか焦りを含んだ低い声が響く。
「ダメだ」




