27 真名
視界のどこを見渡しても、真っ白な月見草が一面に咲き誇る夜の草原。
私は、月影様と二人でその静けさの中を並んで歩いていた。
ふと頭上を仰げば、真円からほんの少しだけ欠けた柔らかい月が浮かんでいる。
涼やかな風に乗って、遠くから微かに虫の音が届く。
風が渡るたび、白い月見草が一斉に波打ち、まるで光の粒子が躍っているかのようだ。
「……きれいですね」
胸の奥から、じんわりと温かなものが込み上げてくる。
もう一度この美しい景色を彼と見られたことが、たまらなく嬉しかった。
けれど、隣を歩く月影様の顔を覗き込むと、彼はどこか深く考え込むような表情を浮かべていた。
(……きっと、またご自分を責めているんだわ)
優しすぎる人だから。
私をこの世界へ引き込んでしまったことに、どこか罪悪感を抱いているのかもしれない。
重くなりそうな空気を変えたくて、私はふと思い出したように口を開いた。
「そう言えば……有明さんが言っていたんです」
「昔、森の奥で真っ白な花が一面に咲く草原を見たって」
歩みを止め、彼の顔を見つめる。
「この草原だったのかな?」
私の言葉に、月影様はぴたりと足を止めた。
そのままゆっくりと私に向き直ると、どこか硬く、痛みを堪えるような声で私を呼んだ。
「結……」
「はい」
私は彼を見上げ、静かに微笑んで応える。
「……これからは、あの世界にもちゃんと夜が訪れる」
彼は噛み締めるように、言葉を一つひとつ紡ぎ出した。
「きっと……君にとっても、ずっと生きやすい世界になるはずだ」
私は何も言わず、ただ静かに彼の次の言葉を待った。
「それでも……本当に私と一緒に来てくれるのかい?」
彼の声が、かすかに震える。
「……今なら、まだ戻れる。引き返すこともできるんだ……っ」
苦しそうに視線を落とす。
私を想うからこそ、手放そうとしている。
その姿は、もう神様ではなかった。
あたりを満たす月見草の甘い香りを、胸いっぱいに吸い込む。
そして、彼へ温かな眼差しを向けた。
「私の名前は――『斎木結』です」
予想外の言葉だったのか、月影様が弾かれたように顔を上げた。
私は優しく微笑み、彼に問いかける。
「あなたの……お名前は?」
月影様は息を呑み、吸い寄せられるように空に輝く月を見上げた。
私もまた、静かに佇む少しだけ欠けた月を見つめる。
「―――いざよい」
零れ落ちた声に、私はゆっくりと視線を戻した。
彼は涙を溜めた瞳で、温かい愛しさを込めて私を見つめた。
そして静かにその口を開いた。
「私の名は―――十六夜」
私は零れ落ちる彼の涙を、指先で拭いながら確かめるようにその名をつぶやいた。
「十六夜様……」
彼は、私の指先を優しく握り微笑んだ。




