26 別れ
朝の爽やかな空気が過ぎ去り、昼には再び眩しい太陽が天頂から降り注いだ。
だが、昨日までの肌を焼き尽くすような刺々しさはすっかり消え去り、風の中にはやわらかな涼しさが混ざり合っている。
やがて陽は西へ傾き、地面には長い影が静かに伸びていく。
空は美しい琥珀色から茜色へと表情を変え、静けさとともに、穏やかな「夜」が訪れる。
刻一刻と表情を変えていく空の色。
それはかつて聞いたおとぎ話のように幻想的で、どこか懐かしい光景だった。
◇
世界に二度目の夜が訪れた頃。
斎木家のリビングでは、父と母、雅臣、そして有明さんが静かに食卓を囲んでいた。
誰も言葉を発することのないまま、静かな時間だけが流れていた。
ふと、母が顔を上げた。
同時に父も箸を止め、母と視線を交わす。
有明さんもまた、何かに導かれるように静かに目を細めて窓の外を見つめていた。
その気配を一番敏感に感じ取ったのは雅臣だった。
彼は弾かれたように椅子を蹴って立ち上がると、そのまま夢中で外へ飛び出していった。
静まり返った境内に四人が駆け出していくと、淡く降り注ぐ月光の下に、ポツリと結がたたずんでいた。
駆け寄ろうとしたその時、後ろの境界の森の入口に、静かに佇む「夜の神」の姿があった。
雅臣は思わず立ち止まる。
母や父も有明さんも、近づいていいのか不安になり立ち止まった。
しかし次の瞬間、母が動いた。
駆け寄ると、取り返しのつかない時間を埋めるかのように、その身体をきつく抱きしめた。
「結……!」
「……お母さん」
父もゆっくり歩み寄り、有明さんもそっと彼らに寄り添う。
立ち尽くしていた雅臣は、どこか不安げな、縋るような声を漏らした。
「……帰って、きたのか?」
その問いに、結は静かに、そしてゆっくりと首を横に振った。
「ううん……お別れを言いに来たの」
誰も言葉を返せなかった。
夜風だけが静かに吹き抜ける。
母はそっと身体を離すと、涙を湛えた瞳で優しく微笑み、幼い頃のように結の頭を撫でた。
「そう……。あなたが自分で考えてそう決めたのなら、それでいいのよ」
「そうですね。きっとおばあ様も、そうおっしゃるでしょう……」
有明さんも、穏やかに口元を緩め微笑む。
父は結の顔をじっと深く見つめた後、絞り出すように目を伏せた。
「そうか……。すまなかった、結」
ただ一人、雅臣だけがぎゅっと拳を握りしめ、やり場のない悔しさをぶつけるように叫んだ。
「なんでだよ……っ!」
「これからちゃんと夜が来るようになったんだから……ここに居たっていいじゃないか!」
切なそうに視線を落とし、結は困ったように小さく微笑んだ。
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
「私……彼と一緒に行きたいの」
兄の背中を、母が宥めるようにそっと撫でる。
そして母は結を見つめ、しっかりと頷いてみせた。
有明さんも、穏やかな笑顔だった。
父は「分かった」と一言だけ力のない声で呟いた。
一人ひとりの顔を愛おしそうに見つめ直してから、結は深く微笑んだ。
笑顔の奥で涙が月明かりに滲んでいた。
「……さようなら」
静かに告げると、彼女は振り返り、待っていた夜の神の元へと歩み寄った。
雅臣が顔を上げると、二人は互いに微笑みを交わし、境界の森の静寂へと溶け込むように消えていった。
「ばかやろうっ……!」
ぽつりと吐き捨てるように呟いた雅臣の横顔を、三人はどこか困ったような、けれど温かい苦笑いを浮かべながら見守っていた。




